沸かす
今日は、『冬のカフェ巡り』に向けての取材で、街中のカフェに来ている。
一本、奥に入ったところにあるような「ゆらぎ」とは違った良さがある。
いけない、プライベートと混同したら。そう思いつつ、10月から始まるホットチョコレートを待つ。時間のかかるメニューなのかしら、と思いながら、ラックの一番手前にあった週刊誌を取る。ハロウィンが近づいて来たからか、そんな記事も多い。今、流行っている俳優が、こちらを首をかしげて見ている。
若手アイドルの新恋人や心理診断、引退した女性バンドのその後、などパラパラと記事を流し読みしつつ、厨房を窺う。あまり中が見えないので少し心配だ。
「大学教授、昼の密会―国の予算を食い潰すのか―」白抜きの見出しが目立つ。
大学教授って大変なのだろうか。やっぱり。でも、国の予算を食い潰すってどういうこと?川崎さんとかも国から資金が出ているはずだが。
「製薬会社との打ち合わせの後に近くのカフェで」
「相手は一般女性か」
読み進めるうちに、怖くなってきた。これは、川崎さんと私のことではないのか。名前や大学名さえ載っていないが、明らかにそうだ。
そう思うとそうとしか思えない。国の特別な予算も使うような研究室の教授が、頻繁にカフェで女性と労働時間中に会っている。そんな批判的な内容だ。写真まで撮られている。「ゆらぎ」から出てきているところだ。
本文では、研究の内容が不鮮明だとか、国は研究成果を何に使うのかというところにも言及されていた。
どうやら取材の始まりは、国の不穏なプロジェクトへのメスだったようだ。
しかし、国の方は中々ぼろを出さない。だから、それに絡んでいると思われる、大学の関係者を尾行していたときに、これだった、ということらしい。
ただ、固有名詞も出ていないし、具体的な話はそんなに載っていないため、記事自体は小規模だ。
「お待たせしました。」声が聞こえる。
ビクッとしたが、ここはカフェだったし、取材中だ。ありがとうございます、と慌てて言って、ホットチョコレートを受け取る。
ベルの音ともに店を出て、冷たくなってきた風を感じた。取材はちゃんとしたが、記事のことが頭から離れなかった。
何気なく、あの雑誌の名前をスマホで調べてみた。ついでに、「昼」「カフェ」「密会」と入れた。怖いながらに検索結果を見ると、ネット版の記事が出て来た。とりあえず読んでみる、と内容は雑誌と一緒だったが、その下にコメント欄があった。だれがコメントするのだろうか、そう思いつつスクロールした。
we2vf5:記憶の消去って何だよ。正気か?
rinrin245:国もおかしくなったか
ki299993:昼に密会って会ってるだけでしょ、別に良いんじゃない。
bearbar:でも撮られるって間抜けだな。
ki299993:確かに。
tototo:研究の方はそんなんで大丈夫なんだろうか。
567*765:ダメかもね。
we2vf5:おい、お前らやばいぞ。中傷してたら、俺たち、記憶消されるかもよ。
567*765:それな。
怖くなった。怖い。川崎さんに言おうか。いや、知らない方が良いか。でも、川崎さんの研究がバカにされている。それが許せなかった。
そんな思いで家に着いた。
パソコンを立ち上げて、今日の取材を振り返って、記事を書こうとした。
あ。
私は気づいた。
私が川崎さんに会わなければ、あんな記事も無かっただろうし、研究が何も知らない人たちに、バカにされることもなかったのだろう。
少しばかり宙を見つめていた。温めていたコンビニのお弁当は、とっくにレンジの中で冷めていた。
私はスマホを手に取った。
「あの、川崎さん、今大丈夫ですか。」
「あ、うん。どうしたの、珍しいですね。」川崎さんの声だ。
「18日のことなんですけど。」
「うん、来れなくなった?」
「いや、そうじゃなくて、ちょっとお願いが。」
「うん、できることなら、いいよ。珍しいですね、お願いなんて。」
「あの、持ってきていただきたいものがあるんですけど。」
「うん、何?」
用件を伝えて、電話を終えた。ちょっと緊張したが、多分これで大丈夫なはずだ。
あともう一件電話しないといけない。プライベートで、仕事で得た連絡先を使うのはご法度だが、優しいマスターなら許してくれないだろうか。
「もしもし、木村怜です。マスター、今、お時間大丈夫ですか。」
「ええ、大丈夫ですよ。どうしましたか。」
「あの、わたくしごとで恐縮なんですが、最近。ゆらぎに通うようになってから、コーヒーに興味が湧いてきまして。自分で淹れてみたりしてるんです。それで、ちょっと、ゆらぎの厨房を覗かせてはいただけないかなと思いまして。すみません、急に勝手なこと言って。」
「良いですけど、取材としてですか。」
「いや、私のプライベートです。駄目ですかね。」
「結構ですよ。川崎さんと会うときに見てみますか。」
「そうですね、その日に。」
「川崎さんにコーヒー淹れてあげますか?」
マスターのおちゃめな声が聞こえて来た。名案かもしれない。川崎さんのためだ。
「じゃあ、お願いします。ありがとうございます。」
私は電話を切った。
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