搾る

 ざっくりとした、自己紹介の後、レモンティーのお礼を言った。マスターが、川崎さんにもレモンティーを持ってきている。


「30歳で、教授なんですか。すごいですね。」そう言うと、

「まあ、でも、割とうちの大学はね、早くなれるんですよ。結局、やってることは学生時代と変わらず、研究だけどね。」と、謙遜された。


「研究は、何をされてるんですか。」理解できなかったらどうしよう、という懸念はあとから湧いてきた。それだけ、訊きたかったのだ。


「平たく言えば、記憶に関して、特に、記憶の消去に関してですね。」

「記憶の消去?」言葉は理解できたが、内容はつかめなかった。それが声に出ていた。


「喪失とかではなく?ということですね。よく言われるんですよ。話すと長いかもしれないですけど、お時間大丈夫ですか。」

「はい。ぜひ、聞きたいです。」川崎さんはこんな偶然会った素人に話す時間はあるのだろうか、そう思ったが、気にしないことにした。


「なぜ、消去というのかというと、私たち、まあ、私の研究室は、記憶を人工的に消すことについて研究しているからです。だから、人為的・能動的な意味を持つ消去という言葉を使っています。」


「はい。内容はなんとなくわかりましてけど、そんなこと、実際に行ったら、倫理的にどうなんでしょうか。」取材みたいな口調になってきている。


「さすが、雑誌記者。鋭いですね。でも、この研究は実用化に向けても動いているんです。」


「たとえば、どういった風に?」

「まず、大手製薬会社と記憶を消去する薬、特にある特定の事柄に関しての記憶を消去する薬を共同開発しています。それに、さっきの倫理的に、の部分に通ずるんですが、国からの依頼も受けてまして。これは、割と重要なプロジェクトなので、ここだけの話で、お願いします。」


「あ、はい。分かりました。国の依頼とは。」やはり、少しでも多くのことを得ようと質問してしまう。恐るべき、私の記者精神。


「これはもっと極秘なんですけど、ここで、木村さんに会ってお話ししているのも何かの縁でしょう。国が死刑に代わる、刑罰をつくろうとしているんですよ。」


「はぁ。」


「今の死刑制度は国際的にも遅れているとよく言われますし、死刑執行までの期間も長く、刑務所の都合もありますし。それに、人口が少なくなることも考えると、刑務所に多くの囚人をとどめておくのは、国として得策ではないと、ささやかれ始めまして。そこで、国民の死刑囚に関する記憶だけを消して、社会復帰させる。もしくは、死刑囚自身の犯罪の記憶も消して社会復帰してもらう、という案が出ているんですよ。」


「は、い。」少し驚き、納得ができるような、できないような気持ちになった。

「極秘といったのも分かるような話でしょう。」

「確かに。」私が神妙な顔でうなずいていたのか、カップを下げに来たマスターが、

「二人とも、取材みたいになってますよ。」と言って笑い、私たちも笑った。

 

 そして、川崎さんは一目ぼれしたんでしょ。木村さんに。と続けた。川崎さん、独身なんですよ、とも。


 川崎さんが、何言ってるんですか、と言いたげな顔で去ろうとするマスターを見たが、マスターはおちゃめな顔でカップを厨房へと持って行った。


 川崎さんがこっちに向き直した。

「木村さん、違うんです。」と焦って私の目を見て、言った後

「いや、でも違わないか。」と言ってさらに焦っていた。


「とりあえず、もう少し話を聞かせてもらえませんか。」と私が言うと、

「話?研究の、それとも私のですか。いや、それはないか。」と返って来た。

「両方です。でも、結構、時間たちましたね。大丈夫ですか。」そう言うと、

「確かに。」と川崎さんが、慌ててパソコンを閉じ始めた。


 結局、この日は連絡先を交換して、散会となった。川崎さんの大学はここから、私の職場や家と逆方向にあって、まあまあ遠いらしい。次の予定は、一週間後の9月9日の日曜日となった。日曜日は研究室も休みらしい。




 いちょうの黄色い葉が目立つようになった。今日は、川崎さんとの予定の日だ。川崎さんの大学と研究室を調べて来たが、あまり具体的なことは分からなかった。


 落ち着いた店内に入ると、前と同じ席で川崎さんが待っていた。まだ集合時間の15分前だというのに。そこには、空のカップが二個置いてあった。私が来たのを見計らって、マスターがレモンティーを注いでくれた。


「記憶の消去の薬には、刑罰の詳細も決まってないし、刑罰以外でも用途はあるので、種類がいくつかあるんですよ。主に、飲んだ人が、ある特定の事物について記憶を失うものと、飲ませた側も飲ませた相手についての記憶を失うものの2種類ですね。」

「なるほど。それにはどんな利点が。」

「例えば、、、。」


 こんな感じで私たち二人の会話は続いた。LINEで続きを話すこともあった。大体、二週間おきに、日曜日に私たちは会うようになった。最近の私の楽しみな時間だ。


「今日もありがとうございました。記憶の仕組み、興味深くて、とても楽しかったです。」

「次は11月の第3日曜の18日でどうですか。そこなら、時間もたっぷりとれます。」

「OKです。楽しみにしてます。」


 こんな言葉が液晶画面で踊っていた。

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