スネコスリ

「さぁ、まずは何から訊きたい?」

「私が此処に連れ去られた理由を知りたいのですが」

 連行された空き教室にて、極めて上機嫌な蜘蛛子に、仁美は底なしの不機嫌さを隠さず尋ねた。

 蜘蛛子は教壇に立っており、仁美は生徒側の席に座らされている。まるで講師気取りな蜘蛛子は仁美の不信感剥き出しの問いに嫌悪感一つ見せる事もなく、堂々とした佇まいで答えた。

「それは君が見える側だからだよ」

「見える側?」

「君、私の頭の上に乗っているこの生き物が見えるだろう? 実はコイツ、ただの生き物ではないのさ」

 蜘蛛子は指先で自分の頭の上に居座る、犬だか猫だか分からない生き物を示す。

 確かに見た事のない動物ではあるが、『ただの生き物』ではないと言われるほど大それたものとも思えない。仁美は違和感から顔を顰める。

「……ただの生き物じゃないなら、なんなのですか?」

「スネコスリ。妖怪さ」

 その違和感から無意識に尋ねると、蜘蛛子は臆面もなく答えた。

 仁美は顔を顰めるのは止める。代わりに、憐みの感情が胸の中に込み上がってきた。

 今時、この歳で妖怪とか信じてるのかこの人は。

「……妖怪って、何を言ってるんだか」

「否定する気持ちは分かる。だから逆に問おう。君はこの生き物の正体をなんだと思う? 自分や私以外に見えないコイツの正体とは?」

「それは……いや、でも、そもそも私と先輩にしか見えてなくて、他の人には見えないなんて事が……」

「物が見えるというのは光を視覚で捉える事だが、一般に可視光と呼ばれる光の波長は約三百六十~八百ナノメートルの間とされている。が、色盲などで見えない色があったり、通常人間の場合三種とされている錐体細胞を四種持っている人もいる。世界の見え方なんてものは、個人によって全く違うものなのさ。霊感と呼ぶと胡散臭く聞こえるが、極めて稀な『色覚異常』と呼べばどうかね? そしてこの子達は、可視光は透過し、特異な色覚異常の人間にしか捉えられない波長だけを反射する。オカルトではなく科学的な説明だが、まだ納得出来ないかな?」

「……………」

 少し小馬鹿にしていた仁美だったが、蜘蛛子からの反論に言葉を失う。

 友達である鳩子は蜘蛛子の頭上に居座る動物に気付いていなかった。鳩子以外の学生も蜘蛛子の頭に居る動物など気にしておらず、確かに『見えていない』と考えると彼等の反応にも得心がいく。

 蜘蛛子の説明も、見える人と見えない人が存在する理由としては尤もらしく聞こえた。少なくとも仁美には反論が思い付かない。そして特異な色覚異常……『霊感』の持ち主にしか見えない存在なんて、今し方存在を否定した妖怪ぐらいしか思い付かなかった。

 答えられず無言でいると、蜘蛛子は満足したような笑みを浮かべる。言い負かされた仁美は口をへの字に曲げた。

「そんな不機嫌にならないでくれ。実のところ、本当に妖怪なのかは分からないからね」

 すると蜘蛛子は、自身の主張をあっさり覆してしまう。

 あまりにも簡単に話をひっくり返してしまうものだから、仁美は呆気に取られてしまった。

「は? え、妖怪じゃないの、ですか?」

「伝承で語られている妖怪と共通点が多い事から、そのように推察しているだけだ。昔の人がこの子達を記録したものが妖怪かも知れないし、或いは伝承と偶々類似した生態を有すだけなのかも知れない。もしくはこの子達とは別の、真に妖怪と呼ぶべき存在がいる可能性もあるだろう。つまり、よく分からないという訳だね」

 蜘蛛子は笑いながら肩を竦めた。冗談めかした様子もなければ、隠し事をしているようでもない。

 恐らく、本当に分からないのだろう。

 この子は妖怪だ! と言った側からこの態度。ほんのちょっぴり信じかけた仁美の気持ちは、一気に不信へと傾く。ほんの数回言葉を交わした段階で言うのも難だが……恐らくこの人はとことん他人を振り回すタイプだと仁美は判断した。アクシデントも楽しめるぐらい活力に満ちた人なら好ましい性格かも知れないが、仁美の性格は平穏を愛する静かなもの。出来る事なら一緒にいたくないタイプである。

「君を連れてきた理由がここにある。君、私の助手になってくれないかね? 妖怪が見える君なら、私の研究……妖怪の生態解明がはかどりそうなんだ」

 ましてや助手という立場など、心の底から嫌だった。

「……お断りします」

「おや、助手は嫌だったか?」

「ハッキリ言いますが、私、先輩と馬が合う気がしませんので。それに妖怪……だかなんだか分からない生き物の研究なんて、気味が悪いです」

「ふぅーむ、それを言われると困るなぁ。どうすれば興味を持ってくれるかい?」

 仁美はハッキリと断ったのだが、蜘蛛子は中々諦めない。いっそ走って逃げてしまおうかと思う仁美だったが、逃げきったところで明日も明後日もこの大学には来なければならないのだ。物理的に離れても、蜘蛛子が追ってきては意味がない。なんとか話し合いで諦めてもらわねばならないだろう。

 逆にいえば、諦めてもらえるならそこまで酷い事を言うつもりもない訳で。

「大体、妖怪なんか研究したところでなんだって言うんですか?」

 だからこの一言も「自分はそんなものに興味などない」と伝えるためのものであり、

 蜘蛛子の顔が絶望したかのように歪むとは、仁美自身思いもしなかった。

「……………」

「……あの、先輩?」

「……え? あ、ああ。これは失礼。えーっと、なんで妖怪を研究するのか、だったかな? いや、それを知るためにも研究する必要があってだね、その……」

 我を取り戻した蜘蛛子は無理に作ったとしか思えない笑みを浮かべ、どうにかこうにか引き出した言葉を並び立てていく。しかしその言葉は、言ってしまえば『まだ分からない』というもの。仁美の疑問の答えとはならない。

 段々と蜘蛛子は勢いを失い、今までの浮かれぶりが嘘のように項垂れてしまう。

 その姿があまりにも弱々しくて、あまりにも寂しそうで、あまりにも……諦めたようで。

「……やっぱり、興味を持って、くれないか……?」

 そんな状態で訊かれたら、仁美は「はい」と答える事が出来なかった。蜘蛛子のお願いを聞く気になった訳ではないが、この場で肩を怒らせて立ち去るような真似はしたくないと思わせる。

 それに、ちゃんと説明してくれたなら――――手伝わない事もない。

 実のところ仁美は、お人好しと呼ばれる類の人物であった。困っている人は見過ごせないし、強く頼まれると断れない。それは苦手なタイプである蜘蛛子相手でも変わらなかった。

「……どうして手伝いが必要なんですか?」

「……私、妖怪の事が好きで……だから一人だと、つい興奮して時間を忘れる事があって……」

「ああ、夢中になっちゃうんですね」

「うん……それに危ないものにも気付かないと思うし……」

「へ? 危ないもの?」

「……自動車とか、野良犬とか、地面の穴とか」

「あー……成程」

 どうやら夢中になるあまり、周りの事が全く見えなくなってしまうらしい。なので冷静さを保っている『保護者』が欲しい……見た目は大人っぽいのに理由があまりに子供染みていて、仁美が呆れ混じりのため息を吐くと、蜘蛛子は怯えるように身を縮こまらせた。

 そんなに怯えられると困る。

 助けてあげたくなってしまうではないか。

 ……自分でもお人好し過ぎると思っている仁美だが、性分なので仕方ない。それにやりたい事を我慢して、蜘蛛子が怪我でもしたら絶対後悔する。自分がそういう性格なのを、仁美はよく把握していた。

 出会ってしまったのが運の尽きだと、仁美は諦めた。

「……分かりました。手伝います」

「え? ……えっ?」

「手伝うと言ってるんです。そんな話を聞かされて、断った後に先輩が怪我でもしたら目覚めが悪いですからね。バイトがあるので何時でもとは言えませんけど、それで良いですか?」

「……!」

 こくこく、こくこく。まるで幼子のような蜘蛛子の頷き方に、仁美はくすりと笑ってしまう。

 これだけ喜んでくれるのなら、手伝うと決めた甲斐もあるというもの。妖怪がどんなものかはまだ分からないが……スネコスリスネなんちゃらのような可愛いものに出会えるなら、それも悪くない。

「きゅー!」

「へ? わ、わっ!?」

 そう思っていると、不意に蜘蛛子の頭の上にいたスネコスリがぴょんっとジャンプ。仁美の頭に乗ってきた。いきなりの事に驚く仁美だったが、スネコスリはするするとまるで木登りをするサルのように仁美の身体を難なく移動。肩までやってくる。

 そしてスネコスリは、愛くるしい視線を仁美に向けてきた。

 別段、仁美は熱狂的な犬猫好きという訳ではない。ないが、年相応に可愛いものは好きだ。犬だか猫だかリスだか分からない姿のスネコスリだが、『可愛い生き物』の枠内には入っている。仁美の乙女心を刺激するには十分キュートな見た目だった。

「~~~~~~!」

「ほほう。スネがいきなり跳び付くとは」

 あまりの可愛さに悶絶する仁美。蜘蛛子は何故か興味深そうな眼差しを向けていたが、可愛さに打ちのめされている仁美の目には映らない。

 だらしなく頬を緩めていると、スネコスリは仁美の頬に顔を擦り付けてきた。これまた可愛さ抜群の仕草。ますます仁美は魅了された

 直後の事だった。

「あひゃん!?」

 仁美の口から、甘い声が漏れ出る……全身に電流のようなものが走ったからだ。

 続けて身体から力が抜け、仁美はその場にへたり込んでしまう。なんとか立ち上がろうとするが、力の入らない足腰はぴくりと動くのが精いっぱい。殆ど身動きが取れなくなってしまう。スネコスリは仁美が動けなくなると、心配するどころかそそくさと降り、蜘蛛子の頭の上へと戻った。

 蜘蛛子はスネコスリの居座る頭上を見るかのように、視線をちらりと上に向ける。次いで肩を竦め、それから仁美の傍まで歩み寄ってきた。

「大丈夫かね? 立てないなら、無理はしない方が良い。五分もすれば回復するだろう。中々良くならないなら、その時は温かなココアを一杯飲むと効果的だ」

「え、ええ……えと……?」

 蜘蛛子から掛けられた言葉で安心したのも束の間、仁美は違和感も覚えた。

 何故、蜘蛛子はそこまで冷静で具体的なアドバイスが出来るのだろう?

 疑問から目をぱちくりさせていると、蜘蛛子は気取ったポーズでスネコスリを指先で撫でた。あたかも、コイツがその原因だ、と言わんばかりに。

「君の症状はこのスネコスリによるものだよ」

 そしてそんな仁美の印象通りの説明を、蜘蛛子は始める。

「……え? えと……え?」

「スネコスリは人間の生気……まぁ、生きる気力のようなものを吸い取る妖怪なのさ。伝承的には人を転ばせる妖怪らしいが、恐らく今の君のような腰砕け状態を指しているのだろう」

「い、いやいや?! 生気を吸うって、それ安全なんですか!?」

「多分。私はもう三年ぐらい吸われているが、特に健康上の問題はないぞ。たまに酷い脱力感に見舞われる時もあるが、そういう時は先程言ったように一杯のココアがあれば十分さ」

 まるで大した事ではないかのように語る蜘蛛子だが、仁美は全く安心出来ない。

 ――――もしかして考えが甘かったのではないか?

 スネコスリが妖怪だと聞かされて、その妖怪がとても可愛くて……無意識に軽く考えていたが、よくよく考えれば妖怪とは人間を襲うものではないか。人喰い妖怪など、それこそ伝承にしょっちゅう出てくる。

 可愛いスネコスリですら腰砕けになるほど危険なのに。

 他の、もっとちゃんとした・・・・・・妖怪は、一体どれほど危険なのか。

「それよりも今後の予定だな! 実は前々から計画していたものがあってね! 夏休みに入ったら私の祖父が暮らしていた村へと行こうじゃないか!」

 不安を感じ始めた仁美に、蜘蛛子は更なる追い打ちを掛ける。

 すっかり本調子を取り戻した蜘蛛子は見た目の美しさがますます輝き、とても魅力的だ。男ならその魅力に流され、二つ返事で頷くだろう。仁美も危うく頷くところだった。しかし同性だった仁美は辛うじて踏み留まり、顔を横に振って正気を取り戻す。

「あ、あの、先輩の祖父が暮らしていた村って……?」

「うむ。山形県白煙村はくもうむらだ」

「は、はぁ……その、そこでどんな妖怪を見るつもりで……?」

 恐る恐る、仁美は訊き返す。

 白煙村なんて聞いた事もない。勝手な想像だが、もしかすると古き良き日本のド田舎かも知れない。周りが山に囲まれていて、一面田んぼばかりで、月のない夜はまともに歩けないぐらい暗くて。

 そんな場所に潜む妖怪は……どう考えても凶悪そうである。

 不安に駆られる仁美だったが、蜘蛛子はにこにこと笑っていた。心から嬉しそうに、或いは自慢するかのように、もしくは誇るかのように。

 そして彼女は告げる。

「妖怪の頂点、『鬼』さ!」

 最悪の人喰い妖怪の名前を。

 仁美は自分の性分と迂闊さを、深く後悔するのだった……

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