御魂蜘蛛子

 初めて彼女と出会った時、仁美はその美しさよりも頭の上に乗っている謎生物の方に気を取られた。

 仁美は今年、大学へと進学したばかりの学生である。受験前は「この成績でここを受験するのは些か厳しいのでは?」という判定が出ていたが、必死に勉強した甲斐もあって現役で合格出来た。滑り止めも受験していたので落ちてもダメージは少なかったが、それでも第一希望が通ったのは気分が良い。

 かくして大学生となった仁美は、入学して三ヶ月が経った七月のある日の事。食堂へと向かう道中で『彼女』と偶然すれ違う事となった。

 男性にも負けない高身長、すらりと伸びた手足、端正な顔立ち……どれを見ても間違いなく美人である。何処かの社長令嬢、或いは貴族の出。そう言われたならすんなり信じてしまいそうだ。大学の廊下にて彼女の姿を見た男達が鼻の下を伸ばし、女子達が色めき立つ気持ちは、同じく彼女の姿を目の当たりにした仁美にも分からなくはない。

 しかしながら、あの頭の上の生き物はなんだろうか?

 彼女の頭には、掌に乗りそうなサイズの動物がいた。犬だか猫だかリスだか、よく分からない。彼女のペットだろうか? とも考えたが、そもそも大学構内にペットを連れてくるのはNGではないか。教員達は何故注意しないのか。

「……あの人……」

「おっ、ひとみんも御魂さんの魅力にメロメロなのかな?」

 頭の中が疑問でいっぱいになり思わず呟くと、一緒に食堂へと向かっていた友人・烏丸からすま鳩子はとこが顔を覗き込むように身を屈めながら尋ねてきた。

 メロメロになんてされていない仁美は、訝しむように顔を顰める。とはいえ興味を持ったのは確かなので、如何にも話したそうな鳩子の好きに解釈させる事にした。

「まぁ、興味は持ったわね。御霊さんっていうの?」

「うん、御魂蜘蛛子さん。三年生だから私達の先輩だね。あ、ちなみに蜘蛛子の『クモ』は虫の蜘蛛だよ」

「……女の人に付ける名前じゃないと思うんだけど」

「なんか、母方の地域の風習らしいよ? 益虫とか益獣とかの名前を含めるのが」

 鳩子の情報に、そういうものなのか、と仁美は納得しておく。確かに蜘蛛は害虫を食べてくれる、所謂益虫だ。そうした『良いもの』の名前を付けておくというのはなんとなく縁起が良さそうなので、何処かの地域にそんな風習があってもおかしくない。

 ……現代日本を生きる乙女である仁美個人の意見としては、縁起が良くても虫の名前を付けられるのは勘弁願いたいが。

「ま、そんな御魂さんだけど、あまり人に興味がないらしくてね。何時も一人でいるみたいだよ。そこがまたクールでカッコいいって言われてるけどね」

「ふぅーん……でも、案外本当は寂しがってるかもよ」

「え? なんで?」

「いや、だって頭の上にペット乗せて学校に来るなんて、そうでもなきゃただの変人じゃない?」

 仁美は肩を竦めながら、思った事をそのまま言葉にする。

 別段、同意してほしいとは思っていない。あくまで自分はそう感じたというのを言葉にしただけだ。

「……なんの話?」

 しかしまるで意味が分からないと言わんげに、首を傾げられるとは思いもしなかったが。

「なんの話って、頭の上になんか乗せてたじゃん。猫だが犬だか分からない生き物をさ」

「ごめん、全然分かんない。御霊さん、帽子とか被ってなかったけど」

「だから帽子じゃなくて動物だってば」

 何度も仁美は説明するのだが、鳩子は納得してくれない。むしろ段々怪訝で、こちらを心配するような眼差しを向けてくる。

 言わずとも仁美には分かった。これは頭のおかしい人を見る時の眼差しだと。

 仁美は嘘など吐いていない。ハッキリと、この目で蜘蛛子の頭の上に乗る動物を見ているのだ。なのに頭がおかしいと思われたら、いくら友人とはいえカチンと来る。自分の正気を証明せずにはいられない。

 そしてそれを証明する、とても簡単な方法があった。

「分かった、それなら本人に訊こうじゃない」

「え? 本人って……あ、ちょっと!?」

 仁美は鳩子の返事を待たずに歩き出す。目指すは食堂……とは反対方向に進んでいった、蜘蛛子の下。

 早歩き気味に向かえば、廊下を歩いている蜘蛛子の背中はすぐに見えてきた。頭の上に乗せている謎生物も、だ。一番厄介な、確かめようとした時には目標が影も形もなかったというパターンにならず安堵する。

「御魂さん! 少しよろしいですか!」

 故に仁美は、堂々と蜘蛛子を呼び止めた。

 蜘蛛子は呼ばれるとすぐに足を止め、気品すら感じさせる動作で仁美の方へと振り返る。あまりの美しさに魅了され一瞬足を止めてしまう仁美だったが、すぐに再開させて蜘蛛子の傍まで歩み寄った。後ろでわたふたする鳩子の気配を感じたが、今は無視だ。

「私を呼んだかい? まぁ、御魂なんて苗字が早々あるとも思わないが」

 蜘蛛子はにっこりと人の良い、魅惑的な笑みを浮かべながら尋ねてくる。仁美の目をしかと見て話す姿は堂々としており、そんじょそこらの異性よりも遙かに凛々しい。ここまでカッコいいと気障ったらしい話し方も様になっており、うっとおしさを通り越して魅力の一つだ。

 ごくりと、仁美は思わず息を飲む。同性の生徒達がきゃーきゃー騒ぐ気持ちがよく分かった。蜘蛛子の頭の上に乗る謎生物が凜々しさを相殺してくれなければ、今の笑顔一つで胸がキュンっとなり、その他大勢と同じくきゃーきゃー叫んだかも知れない。

 謎生物をしかと認識して心を強く保つ。小さく深呼吸をして気持ちを落ち着ければ、仁美は自分の疑問を力強く口にする事が出来た。

「はい。実は御魂さんに一つ質問があります」

「質問?」

「その頭に乗せている動物はなんですか?」

 尋ねてみれば、背後から鳩子の「あちゃー」という声が聞こえた。蜘蛛子の評価が『初対面の人』から『おかしい人』に変わった事を嘆くかのように。

 しかし仁美はそうなったとは思わない。

 問い詰められた瞬間蜘蛛子は驚いたように目を見開き、次いで心底嬉しそうな笑みを浮かべたのだから。

 ――――尤も、その笑みは獲物を見付けた肉食獣のそれによく似ていたので、仁美は嬉しさなんて欠片ぽっちも思わなかったが。むしろ悪寒が背筋を走り、自分が何かをやらかした事を察する。

「……あ、いや、えと、なんでもな」

「おおっと、君にはこの子が見えるようじゃないか。誤魔化さなくても良いぞ、私も同じだからね」

 なので咄嗟に逃げようとしたが、肉食獣が至近距離まで来た獲物を見逃してくれる筈もなかった。

 素早く背中を向けた仁美の肩を、蜘蛛子はガッチリと掴む。仁美は渾身の力を込めて振り切ろうとするが、蜘蛛子の腕はまるで揺らがない。確かに相手の方が体格で上回るとはいえ、一体何処からこんな力が出てくるのか。困惑から仁美の足は止まってしまう。

 仁美は、まだ理解が足りていなかった。

 肉食獣は獲物の隙を常に狙っているのだ。

「さぁ! たっぷりと説明してやろう! あそこの教室は今の時間授業をやっていないから丁度良いな! 遠慮する事はないぞさぁさぁさぁ!」

「え、え、ぁ、ちょ待っ」

 蜘蛛子は喜々とした口調で捲し立てながら、仁美を引きずり始める。慌てて踏ん張ろうとする仁美だったが、一度動いてしまった身体はバランスを崩し、ワックスが塗られてつるつるしている廊下を踏み締められない。

 ずるずるずるずる、仁美は蜘蛛子の力に抗う事も出来ず――――やがて辿り着いた教室の中へと連れ去られてしまう。最後の足掻きで扉を掴んだが、数秒で耐えきれなくなって引きずり込まれた。

 ぽつんと残された鳩子は、呆然とその光景を見ていた。やがて考え込むように腕を組み、しばしその場に立ち尽くす。

 やがて覚悟を決めたように、鳩子はこくりと頷き、

「良し、見なかった事にしよう」

 あっさりと友人を見捨てて、昼食を頂くべく自分だけ食堂へと戻る事にした。

 何しろ攫われたとはいえ、怪しい連中や男集団という訳でもない。酷い事などまずされないだろう……無論、女同士でも『そういう人』なら身の危険もあるかも知れないが、しかし鳩子は知っていた。

 蜘蛛子は話したいだけなのだ。多分『同類』を見付けて、余程嬉しかったに違いない。

 何故なら彼女は大学でも有名な、そして一般人にはまず理解されない、見える・・・人なのだから――――

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