見えない秩序

彼岸花

映代仁美

 ガタンゴトン、ガタンゴトンと、電車の規則正しい揺れが映代うつしろ仁美ひとみの身体を優しく揺れ動かす。

 仁美の乗っている電車は人の姿が殆ど……いや、少なくともこの車両に限れば、仁美と仁美の隣に座る人以外にない。座席は当然ガラガラで、仁美は車両中心付近の座席に座っていた。

 人がいないので向かいの窓から外の景色がよく見える。車両の外に広がるのは一面の田園風景で、田んぼの背後にある新緑に染まった若々しい山も美しい。燦々と降り注ぐ夏の日射しを受け、何もかもがキラキラと輝いていた。

 なんと素敵な田舎の風景だろう、と仁美は思う。もしもこれが自主的に計画した旅であるなら、仁美は目を輝かせ、目の前の景色を大いに堪能したに違いない。

 しかし残念ながらこれは自主的なものではない。

「はははっ! いやぁ、此処に来るのは半年振りか! 胸が躍るねぇ!」

 やたら元気な大声で話す隣の人――――御魂みたま蜘蛛子くもこが計画したものであった。

「先輩、あまり大声を出さないでください……ちゃんと聞こえています」

「おっと、すまないね。いやはや、我ながら少しはしゃぎ過ぎたかな?」

 仁美が窘めると、蜘蛛子は申し訳なさそうに頬を掻きながら謝る。仁美はそんな蜘蛛子から顔を逸らした。

 蜘蛛子があまりにも美人だったがために。

 蜘蛛子は端正で、清廉な印象の顔立ちをしている。黒い髪は宝石のように艶めき、すらりと伸びた手足やメリハリのあるスタイルは、ファッションモデルと名乗っても疑いなく受け入れられるほどバランスが良い。ジーパンにワイシャツというシンプルな格好も、むしろ『素材』の良さを引き立てるというもの。その上で人懐っこい笑みを浮かべ、悪意のない透き通った声で話し掛けてくるのだ。男のみならず女も魅了する、魔性の美女である。

「きゅー、きゅー」

 ……頭の上に、掌サイズの『犬』っぽい生き物を乗せていなければ、だが。

 犬っぽい、としたのは明かにその生物が犬ではないからだ。顔は子犬よりも丸みがあり、しかし猫ほど平坦でもない。胴体はネズミのような寸胴で、手足は所謂ゆるキャラのようにとても短くて丸かった。尾は太くて長く、リスのようにふさふさとしたものが付いている。

 そんな謎生物はきゅーきゅー鳴きながら、肩や腕を伝って蜘蛛子の頭から降りてくる。蜘蛛子も腕を伸ばして渡りやすくすると、するすると謎生物は蜘蛛子の掌まで移動。じっと蜘蛛子の事を見つめて、きゅーきゅーと求めるように鳴いた。

「んー? どうした? 腹でも減ったのか? しょうがない奴だなぁ」

 蜘蛛子は謎生物の頭を指先で撫でながら、優しく話し掛ける。美女と小動物のツーショットは、間違いなく魅惑的だ。隣で見ていた仁美は、同性でありながら思わず息を飲む。

「仁美ちゃん、ちょっと餌になってくれないかい?」

 尤も、蜘蛛子自身のこの一言で人を惑わす魅力は呆気なく砕け散るのだが。

「嫌です! なんで私を餌にしようとするんですか!?」

「いや、栄養偏ると駄目だと思うし……」

「同じ人間なんだから先輩も私も大差ないでしょうが!」

「むぅ、仕方ないな……」

 仁美が断固拒否すると、蜘蛛子は子供のように唇を尖らせて不満を示す。とはいえ無理強いする事もなく、大人しく引き下がった。

「ほら、スネ。お食べー」

 そして謎生物にそう伝えながら、自身の足を伸ばす。履いているジーンズ越しでも分かる、すらりと伸びた綺麗な足。

 スネと呼ばれた謎生物は蜘蛛子の身体をつたい、その足まで移動。まるで巻き付くようにふとももの辺りをすりすりと身体を擦り付ける。

「ふ、うぅぅ……!」

 すると蜘蛛子の口から、艶やかな声が漏れ出た。

 まるで誘惑するような声に、仁美も思わずドキリとする。自分達以外がいない車両で良かったと思う反面、いくらなんでも無防備ではないかとも感じた。

「……そんな声を出してると、そのうち男に襲われますよ」

「ははっ、それは困ったな。男の前ではやらないようにしよう。ま、私なんかを襲う男がいるとは思えないがね」

「なんて無自覚な……」

「大体、今は恋をしている暇なんてないからなぁ」

 嘆く仁美の横で、蜘蛛子は気儘に独りごちる。そんな蜘蛛子を仁美でちらり。

 蜘蛛子の「恋よりもやりたい事」を、仁美は知っている。知っているのに、余程言いたいのだろうか。蜘蛛子はにやにやと笑いながら仁美の方を見ている。

 そして蜘蛛子は仁美に向けて、臆面もなくこう言うのだ。

「妖怪達の研究という、もっと面白いものがあるのだからね!」

 今では非常識とされ、実在さえも疑われ、

 そして仁美達が探そうとしている『生き物』の名を――――

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