回答編(?)
恨みの一言を聞いた時、頭の中に思い浮かんだのは雷を纏う真っ黒な雲に乗る真っ赤な鬼とそんな鬼から逃げ回る人々の絵だ。
絵に描かれた鬼が誰か俺は知っている。
なんせその鬼の正体は今では学問の神様として祀られた菅原道真公――その人であり、俺の名前はこの人から貰ったのだと母がよく話していた。
くわばら、くわばら。
それを唱え、俺は虎目くんに問う。
「恨みって、いったい誰の?」
「あざみ姉さんに縁がある人です」
彼はすっぱりと言い切り、「ヒントはここにあります」と虎目くんはおもむろにA4サイズのコピー用紙を取り出した。白黒の写真と遠目がちにもくっきりとした文字が並ぶそれは新聞をコピーしたものだと分かる。
「それは?」
「昔の新聞の記事です」
「昔って……」
目を細め、少し離れた場所からだと米粒のように見える小さな文字を解読しようと試みる。
『――毒殺事件』
その不吉な四文字が見えた瞬間、俺の思考は速やかに凍結する。
「天神橋毒殺事件、梅さんもご存知ですよね」
「……、ああ」
虎目くんは当時の新聞の内容を軽く読み込みながら、「げにおそろしきは人ですね」と語る。
「不幸を何十、いや何百にも膨らませて、何の関係もない周囲も巻き込ませてしまう発想が出来てしまうんですから」
「そうだね」
短く肯定すると、彼はこう続ける。
「とはいっても、ぼくが着目したいのはこの殺人犯の真意ではなく、毒が盛られたメニューの方です」
生唾を飲んで俺は答える。
「ハンバーグとほうれん草とコーンのマカロニ和え、ポテトフライ、人参のグラッセとごはん……、それから」
「プリン、とありますね」
虎目くんはにこりと微笑む。
「姉さんが昨晩食べたものと同じです」
「ほんとうだ」
出した声には、真剣味がすこし足りない。仕方なく考え込んでいるようにみせようと、顎に手を当ててみる。
「虎目くんはあの事件の関係者からあざみちゃんが恨まれていた、と考えているのかい?」
「はい。素人目線の推理で恐縮ですが、百歩譲って姉さんを毒殺しようとしても、天神橋毒殺事件のメニューとすべて合致するはずがありません」
「神がかりすぎているね……。だけど事件の関係者がいまになってことを起こした理由は? たしか事件からもう十数年くらい経っているはずだよ」
「そこは謎ですが……、犯人の心理状況にあわせたものだから、かもしれません」
「というと?」
虎目くんは新聞のコピーに視線を落とし、「犯人もまた姉さんを殺す気はなかった、だけど殺害してしまう理由が出来てしまった、でしょうか」と呟く。
「ちょっと待ってくれよ、虎目くん。きみの言葉を信じるなら、あざみちゃんはずいぶんと場当たりに殺害されたことにならないか?」
「ええ、とても。けれど決断した後の行動力に関しては目を見張る物があります」
「行動力って、殺害するってことにかい?」
「いいえ、料理ですよ」
虎目くんは迷わずに言う。
「ぼくの推理が正しければ、犯人は直前まで姉さんを殺す気はなかった。……、いいやこれだと齟齬がありますね。犯人はあざみ姉さんへの殺意をもっていた、けれど抑えていた」
「抑えていた、って……、そんなこと出来るものなのかな」
「分かりません。ただ結果だけを見るなら、出来たからこそ今まであざみ姉さんは生きていたんです。でも犯人の自制を誰かが壊した」
「まさか第二の犯人?」
眉根を寄せた俺がそう零すと、虎目くんはゆるやかに首を横に振る。
「いいえ、おそらくはあざみ姉さん自身です」
「あざみちゃんが?」
「赤の他人に言われるより、当事者に言われた方が嫌なことってあるでしょう」
「まあ……、たしかにそっちの方がむかつくにはむかつくけど」
「そういうことです。まあ姉さんが意識してやったかどうかについてまでは分かりません。確実なことは姉さんの行動が犯人の火に油を注いでしまった、ということだけです」
「じゃあ……、そこから犯人はあざみちゃんの殺害計画を?」
「計画を立てている暇はなかったでしょうから、すぐに犯人は料理にとりかかっていたと思いますよ」
「それだと妙じゃないか? 犯人が怪しい行動をしている隙に、あざみちゃんは逃げる暇があったかもしれないのにどうして逃げなかったんだ?」
そういう俺の顔に視線が刺さる。見れば、虎目くんがやや可哀想な目で俺を見ている。
「お忘れですか、梅さん。姉さんが何の為に外に行っていたか」
「あ」、と俺は失態の声を上げる。すっかり失念していた。そうだ、あの子は死にたがっていたのだった。
「ですが、今回に至ってはその限りではないかもしれません」
「あざみちゃんは生きようとしていた?」
「……、いえこの部分は本筋からあまり関係はないでしょうから。先に進めましょう」
言って虎目くんはこう問いかけた。
「当時の関係者以外が十数年前の出来事を詳細に覚えている割合はどれくらいだと思いますか?」
「それは……、そうとう少ないんじゃないかな。身近で起きたならまだしも、蚊帳の外なわけだろ? 奇跡とまでは言わないけれど、それに近いんじゃないかな」
「では、梅さんはその奇跡的な割合のお一人ですね」
「え?」
不意を突かれた。虎目くんは微笑を浮かべたままだ。
「探偵の助手さんということを加味しても、事件のあらましはもちろん、毒が含まれたメニューまできちんと覚えていらしたので」
「あ、ああ……。生還したとはいえ、あざみちゃんも被害者で傷ついているだろうから。適当に料理を作って、当時を思い出させるようなことはさせたくなかったんだよ」
「そうでしたか。そういえば梅さんは料理がとてもお上手なんでしたね」
「雀緑さんにも聞かれたよ」と俺は笑う。
「母さんに?」
「ああ。あざみちゃんが雀緑さんに俺のことを話していたみたいでね。雀緑さんはその……、あまり料理が得意じゃないから今度時間がある時に教えて欲しいって頼まれたんだ」
「へえ」
暗く笑うような相槌に俺は顔を上げる。
虎目くんは軽く首を傾けて、「違和感を感じませんでしたか?」という。
「違和感?」
「はい、違和感です」
トンチンカンなやり取りだった。俺はじわじわと腹の底から沸き上がるまずさを唾で飲みこみ、虎目くんが指し示すところを考える。
雀緑さんが料理が出来ないことで発生する違和感。それは――。
ひとり目を見開いた後、俺は虎目くんに返す。
「……、そんなに雀緑さんが料理が出来ないことがまずいかな?」
「ええ、決定的に」
うーんと唸る俺を前に、虎目くんはスッと新聞のコピーを掲げる。
「天神橋毒殺事件の唯一の生き残りは――、給食を食べず、手製のお弁当を食べたことで生き残ったんですよ?」
舌の上に独特のまずさが広がり、俺は背中にうっすらと汗を掻き始めた。
「虎目くん」
懇願するように彼の名前を呼ぶと、彼は新聞のコピーを下げて、「あなたは気付いているはずです」と核を突く。唇を噛む。薄くも分厚い唇の皮が剥け、うっすらと血の味を感じた。
そう、この事件には一人の女性が起こした凄惨な事件の裏にひとつ秘密が隠されている。
地面の一点を見つめながら、俺は水気がなくなりつつある口を開いた。
「あざみちゃんが天神橋毒殺事件から生存している。これは確定事項だ。だけどそうなるとひとつ矛盾が出て来る」
胸にある小さな違和感。それはいつから芽生え、何に変わっただろう。
「雀緑さんはこれまでに一度もお弁当を用意したことがない。なら、……事件の日にあざみちゃんが食べたお弁当はいったい誰のものだったのか」
最後まで言い切った。が緊張からか声は変に震え、声の大きさすら調整が利かず恰好がつかない。急速に冷え始める心境の中、パチパチと拍手の音が聞こえる。
見れば虎目くんがこれまでで見た中で一番深い笑みをその顔に称えた直後、すっと目を細めた。
「候補は二つです。一つ、先生の可能性。一つ、同じ園児の可能性」
「先生ならまだ分かるけど、なんで同じ園児の子から?」
「そうですか? ぼくは先生よりもよっぽど考えられる可能性だと思いますよ」
俺が疑問符を出し続けていると、虎目くんはしょうがないなあというような顔で続ける。
「仮に、です。先生が毎日お手製のお弁当を用意されて食べていたような方だったとしても、何故その日だけ姉さんと交換をしたのかという話です」
「その日だけとは限らないんじゃないか? 先生ならあざみちゃんの偏食を知っていただろうし、毎日交換し合っていたかもしれないじゃないか」
「ありません」
頑として虎目くんは否定する。
「どうして?」
「それがまかり通っていたなら、母さんは先生から姉さんの偏食を説明されていたでしょうし、どうにかこうにか矯正しようとするはずですからね」
反論の言葉が上手く出ない。
「まして幼稚園というのは存外監視の目が多いですから。一人だけ特別扱いをしていたら、ほかの園児たちの口から親の耳に届いて差別化をしているんじゃないかと抗議を受けるはめになるでしょう」
「そうかな。要は他の子の目を盗んで交換すればいいだけだから、別室に呼び出して、っていうのも出来るんじゃないか?」
「出来るには出来ると思います」
よし、と拳を握る俺に虎目くんは「ただ先生にはメリットがまったくありません」と冷や水を浴びせる。
うまく誘導出来ると思ってもいなかったが、ここまで手順通りを踏まれてしまうとも思っていなかった。虎目くんの言葉はおおむねすべて正しい。
事件当時、あざみちゃんとお弁当を交換した人間の候補に最初から先生はいない。
そう思う理由は虎目くんが語った言葉がすべてだったし、実の親でもないのに一介の保育士がひとりの園児のためにせっせと毎日お弁当をこしらえてやる必要性がなかった。事件当日だけの交換なんてもっと可能性が低い。善悪の判断基準があいまいな園児たちは見たもの、聞いたものをありのままに親に話すだろうし、親は親で自分の主観でもって人を裁く。
ある意味、四方八方にいつ爆発するか分からない地雷が撒かれているようなものだ。そんな中でわざわざ先生があざみちゃんに特別優しく理由は皆無だ。
そうなれば、残る可能性はもうそれしかない。
「虎目くんきみの推理通りに亡くなった子たちの中にあざみちゃんとお弁当と給食を取り変えた子がいるとしてもだよ。どうしてその子は取り変えるなんてことをする必要があったんだろう? たしかに給食のメニューは美味しそうだけれども、それでも凝ったものではないし、なんなら家で作って貰うことだって出来るじゃないか」
「たしかに梅さんのいうことも一理あります。ただそれは可能性を一つ潰していませんか?」
「可能性って、いったいなんの?」
「姉さんと取りかえっ子をした相手がたまたま偶然事件のあった日にお弁当だった訳ではなく、ずっとそうだったという可能性ですよ」
「ずっと、って。そんな毎日お弁当を持たされる子なんているかな?」
「いますよ。というよりも安全面を配慮すると、どうしてもそうなるでしょうね。食べ物アレルギーを持った子どもは」
頭からつま先まで一気に雷が走ったような感覚がする。
「食べ物、アレルギー?」
「大変だそうですね。子どもも親も、そして周囲の人も」
淡々としたそれに唇の端がひくつく。
「どうしても小さなうちは自分が食べて大丈夫なものといけないものの境界があいまいですし、自分の子どもだけならまだしも他所の家の子どもとあわせてなんて、とてもじゃないけど監視の目が行き届かないことがザラでしょう。なら、最初からこちらで用意したものを子どもに持たせて、それだけしか食べちゃダメだと言い含めておいた方が安全性は高まります」
「それならその可能性こそないじゃないか。小さな子だって馬鹿じゃない。親から酸っぱく言われていることなら、まして自分の命に関わることなら迂闊にお弁当を交換するなんてしないだろう」
そういう俺の目を見て、虎目くんは「やってしまったんです」と突き放すように言う。
「だからあざみ姉さんは生き残って、お弁当の子は死んだんです」
どうしようもない真実が胸をえぐる。言葉は胸の中で傷として生きて、やがてそこから暗雲が立ち込める。
「どちらがら提案したかまでは分かりませんけど、ぼくにはお弁当を取り変えっ子した子の気持ちがすこし分かりますよ。飽きてしまうんですよね。両親がどんなに自分のことを思って作ってくれたものでも、みんなは給食でひとりだけお弁当なんて」
「……、命がかかっているんだぞ」
「大人だってそうでしょう? 痛い目をみないと分からないことだってたくさんあるんです。そしてその瞬間が来るまで分からないものなら、いま感じているものを優先させてしまうんですよ」
「いま感じているもの」
「そうですね、疎外感でしょうか」
思わず、なんで、と口走りそうになる。堪えろ、堪えろ。そう念じる傍から今にも胸の内からどろどろしたものが這い出て来そうだ。
「でも不思議ですよね」
虎目くんがいう。不敵に。確信を掴んだような表情で。
「なにが」と紋きり型の問いを返すと、彼はこてんと首を傾げた。
「この事件で生還するはずだったのはお弁当を食べていた子その一人だけです。だけど現実には生き残ったのは姉さんの方だった。お弁当を交換した子の家族はどうしてそのことを疑問視しなかったんでしょう?」
ああ。頭の中で稲妻が鳴ってる。
「きみはお弁当を取り変えた子の家族がほんとうに疑問に思っていないと思うのか?」
「……、いいえ。予測はついています。というかそうなりますよね」
虎目くんは一人納得し、「父さんと母さんが手を回したんでしょう」とごく自然に言い放つ。あまりにも当然のようにその回答に至る彼に俺は呆気に取られた。
「虎目くんきみは自分がいま何を言っているのか分かっているのかい?」
「分かっていますとも」
「きみは親御さんの罪を認めると」
「ぼくの推理の上でよければ」
逃げた。そう直感的に思った。苛立ちを覚え始める俺とは対照的に虎目くんはしたり顔でいう。
「姉さんが何故死ななければならなかったのか、その理由は天神橋毒殺事件から来る怨恨によるもの。これがぼくの答えです」
首元をうすら寒い風が撫でる。虎目くんはいつのまにやら漫画雑誌を片手に持ち、力いっぱい伸びをしている。ほんとうに彼はあざみちゃんを殺害した犯人そのものには興味がなく、あの子が死んだ理由さえ解き明かせてしまえればそれでいいのか。
……、いや待て。解き明かす?
虎目くんはあざみちゃんが死んだ理由を解き明かしてはいない。最初から手にしていたようだった。なら、ならば、何故彼は俺にその話を持ちかけたのか。
答えは決まっていた。
「虎目くん、きみは……犯人の目星がついているんだろう」
「……、ええまあ。ただ梅さんさっき話しましたけど、ぼくが解き明かしたかったのは姉さんが死んだ理由で、犯人がどこの誰なのかということじゃないんですよ。他の事件ならいざ知らず、この事件に関しては殺害された当人が『それ』をずっと願っていたこともある訳ですから、ここでぼくが犯人を告発しようものなら姉さんに叱られてしまいます」
「死んだんだぞ、あざみちゃんは」
虎目くんは片方の目を閉じ、瞼が開いたもう片方の目で俺を見る。
「あざみ姉さんはいつまでも生きてますよ、ぼくのこころのなかで」
あまりにもクサ過ぎる台詞にここまで出かかった言葉が瞬時に渇く。行き場のない感情を持て余し、肩を震わせる俺の耳に、はあと溜め息の声が届く。
「これは名栗虎目としての意見として聞いて頂きたいのですが、梅さんあなたが思い悩む必要はすこしもないんじゃありませんか?」
「……どういう意味だ」
ぱちり、と虎目くんの閉じた目が開く。
「言葉通りです。梅さん、あなたはおおむね正しいことをしましたよ。罰せられるべきを罰した。ただそれだけです。瞬発的に動いてしまったことはナンセンスと言われてしまうかもしれませんが、その行動基準は他人の目からみても頷けるものです。なのに今更、なにを思い悩むんですか?」
「俺は思い悩んでなんかいない。ただきみがあざみちゃんの死にどうしてそんなに淡白でいられるのか、それが分からないだけだ」
「なるほど、ご心配どうもありがとうございます。これでもぼくはまっとうに心を痛めていますよ。ぼくにとってあざみ姉さんはヒーローでしたから」
俺は信じられないものを見る目で虎目くんを見た。
「あざみちゃんがヒーロー?」
「そう見えませんか。何度も窮地に至りはするものの、生還する。ヒーローですよ」
そう語る虎目くんは嬉々としていて、嘘をついているようではなかった。殺人事件から生還する異母姉にヒーロー像を持つ異母弟。
ああ、と自分の内からどろどろとした黒が溢れる。
「あざみちゃんは死んだよ、死んだんだ」
「知っていますよ。姉さんは本当は助かる筈だったあなたの妹さんのように死んだんです」
何の前触れもなく、とすり、と矢のようなそれが刺さる。するとそこから恨みが溢れた。
「そうだよ、ああ、そうさ。この何十年と正しく、あの子が妹の代わりに死んで、妹が生きていればってずっと思っていたよ。けれども憎たらしいくらいに、腹立たしいほどに、あの子は生き残ったよ。何度も何度も何度も! 毎回事件が終わって、あの子が生き残るたびに俺は殺人犯たちに悪態をつきたかったよ。どうしてこの子を真っ先に殺さないのか、って。いや、実際何度か聞いたことがあるんだ。彼らはなんて言ったと思う?」
唾を飛ばしながら俺は政治家のように身振りを大きくして語った。
「疫病神に手を出す馬鹿はいないし、彼らは彼らで狂人じゃない。自分で選んだ人を殺すために、そこにいる。だからそんなにあの子に死んで欲しかったら、自分でそうしろ、と言われたんだ。目から鱗さ。だけどそうだったんだ。探偵の助手なんて収まりがいいところについてはいるけれど、そうなんだよ。俺はずっと、妹が死んだ日からあの子に死んでもらいたくてしょうがなかった。あの子が待ち望んでいた殺人犯とは――……、俺 梅道真だったんだよ」
膝から崩れ落ちる。なにかを失った。なにか言葉では表せない、表しようがないなにか。
「よかったですね、祟り殺せて。これできっと姉さんも浮かばれるでしょう」
すこし前に俺が殺したあの子の弟はそう言った。いたって普通の表情だった。そこには俺への憎しみなど欠片もなかった。
「きみは……、ほんとうにそう思うのか」
「姉さんの願い通りという意味では。それに姉さんの最期に立ち会ったのは梅さんじゃありませんか」
「あざみちゃんは助けてほしい、って言っていたんだ」
「そうですか、でも殺したんでしょう。毒で」
「殺したさ」
「毒入りだと分かって食べたんです。そういうことじゃないですか」
「……」
そう言われ、俺は針つけ島の時のことを思い出した。
妹は食べ物アレルギーだった。とはいっても重度ではなかったが、母は妹に万が一が起こらないように徹底した食事を作り与えた。俺もそれにならった。
だから事件の渦中、あざみちゃんに食べられないものはないか尋ねたのは俺には当然の行動で要望に沿ったものを提供するのも当然だった。
ただそれっぽっちのことにあの子はそれはそれは感動していた。初めてだと。自分になにかしら返してくれた人は。嫌いなものを挟まないでおいただけのサンドイッチを嬉しそうに食べるあざみちゃんが不覚にも妹と重なった。
項垂れ、俺は呟く。
「妹を殺したようなものだ」
「そうですよ。梅さんあなたは妹さんの代わりに生きた姉さんを妹さんと同じように殺したんです」
「毒だったんだ、食べなければ生き残れたのに」
「疑われるからでしょう、あなたが」
虎目くんはこう続けた。
「姉さんは決めたんですよ。今日が自殺する日だって」
唇の端に枯れた笑いがともった。どこの世界にこれから殺される人間が殺人犯を助けようとして、今日が自分が死ぬ日だと悟る子がいるだろう。
俺はずっときみが憎かったのに。あの子の命で助かって置きながら、それでもなお死のうとするきみが。妹が笑っていたかもしれない瞬間で、妹が泣いていたかもしれない瞬間で、妹が怒っていたかもしれない瞬間を謳歌するきみが憎くてたまらなかった。
けれど、――けれどどこからもつまはじきされて、ひとりぼっちで彷徨うきみを見ていられなかったのも事実だった。
膝に力を入れて立ち上がるや否や、虎目くんは「清廉潔白な人ですね」と皮肉気に漏らした。
「殺人を犯したやつに言う言葉じゃないよ」
彼はやんわりと首を横に振り、「警察に行くんでしょう」と心の内を見透かしたようにいう。
「罪は罪だから」
「姉さんは許しますよ」
「あざみちゃんが許しても、俺は許さない」
「……、そうですか」
「ああ、それじゃ」
薔薇の庭から足早に去ろうとする。と、「梅さん」と呼び止められた。振り返る。虎目くんは目をす、と細め、「くれぐれも自分が犯人だと言わない方がいいですよ」と硬い声で提言した。
俺は分かったという意味で片手を上げる。
名栗の家を出て、横断歩道の信号が青に変わるのを待つ間、何故だか虎目くんの言葉が頭の中で回る。
くれぐれも自分が犯人だと言わない方がいい……?
それは……。いや、そもそもだ。事件当夜あざみちゃんから連絡を受けて名栗邸に俺は足を運んだが、その時点であざみちゃんは自分一人で立ち上がることすら不可能な状態に陥っていた。
弱りに弱ったあの子は天神橋毒殺事件で妹が言ったであろう『助けて』を口にし、俺は激高し、あざみちゃんを毒殺させた。が、そもそも誰なのだ。あざみちゃんをそうしたのは。もう一人の犯人は。
ターラララ、ターラララ。
とおりゃんせが鳴る。青信号だ。
あなたとランチを ロセ @rose_kawata
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