回答編

「どうしてあざみ姉さんは死ななければならなかったのか、その理由を解き明かしましょうよ。梅さん」

 あの子の弟――名栗虎目は背を向けたまま、そう切り出した。

 停止した思考は再起動し、すぐに酸素を求めた。わずかに開いた口に欲しがった酸素とかび臭い土の匂い、そして薔薇の香りが混成されて入る。

 喉の奥からせり上がる気分の悪さを堪え、自分の不調に疑問符を抱いた。以前にも、こことよく似た庭がある屋敷に一週間ほどいたことがある。

 そこは夏の避暑地として旅行雑誌にたびたび取り上げられる土地で、屋敷はその土地の地主のものだった。本来椿でも植えられていそうな純和風の日本庭園には、色味の薄い薔薇が植えられていた。

 数はここと同じか、それよりすこし下回るほどだった。

 最後、その屋敷は一族郎党炎の中に消えたが、今思い返してみてもあの時に薔薇に嫌悪感を覚えはしなかった。

 じゃあ、何故今なのか。そんなことは考えるまでもなかった。

 存続する嫌悪感を飲み込み、俺は彼のことばの矛盾を指摘する。

「おかしなことを言うんだな、虎目くん。みんなが知りたがっているのは犯人であって、あざみちゃんが死んだ理由じゃないはずだよ」

「お言葉を返すようですが、梅さん。必要ですか、犯人って?」

「……、は?」

 予想していなかった一言に、思わず呆気にとられる。

 虎目くんは肩をすこし竦め、「だっていまこの場にいるのは探偵助手と一般人いいえ被害者の弟、その二人だけじゃありませんか」と答える。

「だけど犯人が捕まらなきゃ、あざみちゃんだって浮かばれないだろう」

「そうでしょうか?」

「そうでしょうか、って」

「それこそ矛盾ですよ、梅さん。もしも姉さんが犯人を当てて喜ぶような人なら、事件が起きないように祈って、起きてしまえば懸命に生きる努力をするはずですから」

「それは……、たしかにそうだけど」

 ペラ、と虎目くんが頁をめくったのだろう音が大きく聞こえる。 

「梅さんにはもう見当がついていますか? あざみ姉さんがどうして死ななければならなかったのか」 

「それは」

 前置きを残し、俺は考える。犯人は雀緑さんだ。ならば、その理由はもちろん。

「あざみちゃんが邪魔だったから、じゃないかな」

「邪魔ですか」

 俺は腰に両手を当てて、このことを言うべきか否か悩み、虎目くんの思わせぶりな態度を考え知っているものだと判断しこう続けた。

「あざみちゃんは雀緑さんの実の娘じゃない。そうだろ?」

「そうですよ」

 わずかに顔を顰める。知っているとはいえ、多少は狼狽えてくれるかと思ったのに。

「とはいえ、父さんと母さんがぼくにと直接教えてくれた訳ではありませんけどね」

「じゃあきみはいったいどこでそれを?」

「ああもしかして梅さん、子どもは無知で無垢な生き物だと信じていらっしゃるんですか。幻想ですよ、そんなの。子どもは賢しくて、残酷で、馬鹿な生き物なんです」

 彼の諭し方は誰かに似ていた。あざみちゃんじゃない。出会ってからしばらく彼女を見てきたが、あざみちゃんは誰かを諭したりすることはなかった。

 本質の核を的確に突く。このやり口はそう、所長と同じだった。

「……、つまり誰かがきみにらしいことを話していたと」

「そんなところです。まぁ、ぼくじゃなくても分かると思いますよ。あざみちゃんとはあんまり関わらないようにしなさい、あなたの方がお父さんの跡継ぎにふさわしいんだからってたびたび言われていれば」

 彼が誰の真似をしているのか、すぐに分かる。雀緑さんだ。

「あざみ姉さんはたしかに邪魔だったんでしょうね、母さんにとっては」

「きみやお父さんにとってはそうじゃなかった?」

「父さんがどうだったかは知りません。ただ姉さんには甘かったですから、そういう点だけ見ていいのならやはり自分の子どもとして認知はしていたし、大事だったんじゃないでしょうか」

「甘かったって……、でも昨日はひとり置いていったんだろう?」

「母さんが五月蠅かったからですよ。イライラしたんでしょう、父さんも。いつもなら姉さんが来るまで待っているはずですよ」

 そう、なのか……? 俺はいまだに琥珀氏があざみちゃんに対して甘いという話が受け入れられないでいた。

「それに梅さん、考えてもみて下さい。腹違いではあっても、自分の子どもに違いない姉さんが故意か偶然か事件現場に必ずいて、どんなに凄惨でも帰って来るんですよ」

「それがなにか?」

「梅さん、あざみ姉さんに対してずいぶん麻痺しているんですね」

 痛烈とも言えるそれに俺は身じろぐ。

「赤の他人から見れば、姉さんは毎度ワイドショーのテロップに名前が出て来る誰かな訳ですよ。それも姉さん以外は死んで誰もいなくなっても、姉さんだけは生きている。世間の目は姉さんをどう捉えると思いますか?」

「それは」

 言いよどむ。少し前に所長と話した際にはからずも答えは出ていた。

、姉さんは世間からそう呼ばれる。そうじゃありませんか?」

「……」

「端的に言って、父さんにとって姉さんはプラスではなく、マイナスにしかなりません。ですが、父さんは姉さんがたびたび外に行くことを止めることもなく、また事件から帰った時にも怒ることはありません。何故だか分かりますか?」

 俺は虎目くんの言葉から顔を背けた。信じたくはなかったからだ。それも親の愛情なのだと。歯噛みし、俺は彼の背中に向けて静かに吠える。

「それが君たちのお父さんなりの愛なら、赤の他人の俺がケチをつけることは出来ないし、その形を良しとする他ないよ」

「懸命な回答です」

「だけど」

「だけど?」

「そんな掴みどころのない愛情を向けるくらいなら、ちゃんと形を持った愛情をもっと早くあざみちゃんにあげることだって出来たんじゃないか?」

 そうだ、雀緑さんは無理だとしても、琥珀氏があざみちゃんを野放しにしていい理由にはならない。だって父親なんだから。

「お言葉を返すようで恐縮ですが、父さんがまともに姉さんに愛情を注げているなら、母さんやぼくはこの場にいませんよ」

「……、え?」

「考えてみて下さい。梅さんが言うように父さんが正しく愛情を作れていたなら、選ばれたのは母さんではなく、あざみ姉さんのお母さんの方なんですよ」

 岩を穿つ雨だれのような一言に俺は絶句する。脳裏にすこし前に五十鈴河所長と五反田川さんが話していたよくある話の会話がくるくると影絵のように回り、俺を笑っていた。

 足元に茂った芝生に視線を落とし、俺は呟く。

「……あんまりにも無責任じゃないか」

「家族の成り立ちにやや幻想を抱きすぎですよ、梅さん」

 虎目くんの声はさっきから何一つ変わっていない。世間話をするかの如く、自分の家のことを話している。

「家族って、こういうものですよ」

 がっくりと肩を落とす俺に彼はこう続ける。

「とはいえ、あざみ姉さんのお母さんも父さんの裏切りは許しておけなかったんでしょうね。まさか娘にあざみの名前をつけるなんて」

「あざみちゃんの名前は……、琥珀さんがつけたんじゃないのか?」

「いいえ、違います」

「どうしてきみがそうはっきり言えるんだ?」

 いぶかしむ俺に虎目くんは雑誌を持っていた片方の手をすっと上げ、数字の一を作る。

「ぼくが親なら、生まれてきた子どもにあざみなんて名前はつけません」

「それはどうして?」

「花言葉ですよ」

 虎目くんはいとも簡単に答えながら、「うーん、この展開やっぱり燃えるなぁ」と漫画雑誌の感想を漏らすという器用なことをしている。

 一方、俺は彼が出した花言葉というヒントに頭を悩ませた。

 花言葉はいろいろな花に象徴的な意味を持たせたものだ。ただしいい意味の言葉もあれば、悪い意味のものもある。

 あいにく俺はそちらの方面に疎いが、こちらには文明の利器がある。尻ポケットからスマホを取り出し、インターネットであざみの花言葉を検索する。

 あざみと花言葉。二つの検索ワードに合致したページの中から一番上に表示されたサイトを開く。

――あざみの花言葉は次の通り。独立。厳格。触れないで。人格の高潔さ。満足。復讐。

「ふく、しゅう……?」

「ブラーボ」

 虎目くんは変わらず背を向けたまま、「あざみの特筆すべき花言葉は復讐」と続ける。

「つまりそういうことなんですよ」

 流れるようなそれに俺は口をぽかんと開けたまま、塞げずにいた。

「つまりそういうこと……って、あざみちゃんのお母さんは実の娘に復讐しろ、という意味でその名前を付けたってことか?」

「さあ」

「さあ、って」

「なんせ証人が死んでいますから、これが真実正解かどうかが分かりません。ただ実の子どもに名付けるには、あざみの名前はあまりにも物騒じゃありませんか」

「それは……、そうだけど」

 今まで考えたこともなかった。だけど今は至った。至ってしまった。もしも名付けられた本人が自分の名前に秘められた意味に気が付いた時、どう思い考えるか、と。

『どうしてわたしは殺してもらえないんだろう』

 針つけ島のあざみちゃんが記憶として蘇り。俺は唸る。ああ、そうなるか。そうなってしまったのか、と。

「この場合、不運なこととはなんでしょう?」

「それは……、勝手に自分の道を決められたことじゃないか」

「そうですね、でもね梅さんそれは結論なんですよ」

「結論、これが?」

「そうです。姉さんがお母さんに真意を問いただせていたならば、姉さんは自身のあり方にこう悩むこともなく、道は変わることが出来たはずですから」

 思わず歯噛みする。あの子があの子にならずに済んだ道があるかもしれないその可能性そのものに。

 だが、これではっきりとしたことがいくつかある。

 いつからかは正確に分からないが、あざみちゃんは自分の名前と亡き母親から与えられた役割についてずっと悩んできたんだろう。その末に辿り着いた答えが偶然居合わせた殺人犯についでに自分も殺して貰う、という他殺のようであり、自殺のようでもあるそれだ。

 とことん幸せから遠い子だ。

 そう締めて、俺は虎目くんの背中に問いかける。

「虎目くん、きみはどうなんだ?」

「どう、というと?」

「どうしてあざみちゃんが死ななくちゃいけなかったか、だよ」

 わざわざ自分から言いだすくらいだ。真実じゃなくとも、それに近しい何かしらを彼は得ている可能性がある。なら、俺はそれを見極めなくてはいけない。

 死んだあざみちゃんのためじゃない。なにより俺自身のためにだ。

「そうですね……。これだ、というものがないといえば嘘になります。ただぼくは一介の少年雑誌愛好家であって、頭脳派でも肉体派でもないことを承知して頂きたいのですが」

 やけに前置きが長い。表情を読み取ろうにも彼はずっと椅子に座って、漫画を読みふけりながら会話を続けている。わざわざ彼の表情を読み解くために前に回り込むのも妙だ。

「それを言ったら俺もさ。探偵の助手って肩書があるだけで、残りの要素といえばそうだな……。きわめて普通の人間になるんじゃないか?」

「そっか。なら、何の気兼ねもいりませんね」

「ああ」

 大きく頷く。虎目くんに安心してもらう為に。俺自身が安心する為に。わずかに気が緩んだ瞬間、虎目くんが始めて振り返った。

「あざみ姉さんは恨みを買ったから死んだんです」

 虎目くんの目はしっかりと俺をとらえていた。

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