第9話 魔女は忌み子を産むのか

このままでは、母子共に明日また星が輝く頃にはその命を落とす。


それが宮廷医師の下した結論だった。




城中が騒つく中、カミナはとりあえずと案内された城の客室で何をするでもなく何かに耐える様に座っていた。


やがて夜が深まりベッドに移動しようと思ったその時、誰かがドアをノックする。 




「カミナ殿、夜分に申し訳ないが少し話を宜しいか」




王の声だった、先程と違い憔悴しきったその声はこれから王が何を話すか予想させるのに十分な程に全てを物語っている。




「ええ、そろそろかと。どうぞ、お入りになってください」




カミナが消えてしまいそうな声でそう言うと、王は客室のドアを開け忍ぶ様にするりと部屋に入ってきた。




「賢明な貴女の事だ。私が何を頼むか、もう分かっておられるのだろうな」




座ることもせず、壁に体を預けた状態で王はカミナに問う。




「ええ。でもそれはそちらも同じはず。私が自ら妃様の治療を名乗り出ない時点で私の答えは知っているはずです」




壁にもたれ掛かった王は顎髭を捏ねくる。




「如何にも。しかし私が尋ねたいのはその理由。何故あの『魔術』で妻を助けてくれぬのか。こう見えて人を見る目には少々自信があってな?カミナ殿はこう言う時に助ける人間であろう。妻の倒れたあの場で、貴女は何かに耐えられているご様子だった。何が戸惑わせる?」




王のその問いにカミナは答える事なく俯くばかりだった。王が顎髭を捏ねくるジャリジャリと言う音だけが室内に響く。




「やはり、これが理由か?」




沈黙するカミナに王が剣を放った。


地に落ちた時の衝撃で鞘から身を出した剣は、長い年月を野ざらしにされていたかの様に錆び、朽ちていた。




「ディラス殿が咥えた剣だ。カミナ殿が魔術に使うまでは刃こぼれ一つない、良く手入れされた剣だったと持ち主の兵から聞いている」




それでも俯いたままのカミナを王は睨み付けると壁から背を離し、部屋を出ようとしたその時だった。カミナがその小さく、重い口を開く。




「魔術とは。私たち人よりも高次元の者との対話であり説得です。その願いに理解の浅い者、経験の伴わない者は何かしらを奪われます。ディラス殿についてお聞きし、今は錆びてしまったその剣をお借りしたのもその為です。お分かりかもしれませんが、適当にあの兵を選んではいません。あの室内で王を除いた誰よりも、長く臨戦態勢を解かなかった事、私の手に誰よりも早く斬りかかった事。それらを踏まえ彼の剣を借りたのです。現に戦に縁遠き大臣はその姿さえ見えていなかったはず」




「なるほど。それでもまだ足りず、剣は錆びたと言うことか。確かにカミナ殿自身は剣に秀でている様子ではないな。その分がそれなのだな」




カミナの説明に扉の前で止まった王は、彼女に背を向けたままの状態で腕を組み頷いてみせた。




「…どれ程になる」




「どれ程と、申しますと?」




王の勘の良さと、その飲み込みの早さにカミナは総毛立つ。




「犠牲の話に決まっておろう。我が子と我が妻、それを魔術で救った際の犠牲はどれほどになるのだ。先刻のアレは戦う為の、使われるか使われないかも不確定な魔術。大方、本来はあの獅子が敵を薙ぎ払うのだろう?しかし、あの時それは行われずに術は終わった。それが鉄を錆びさせるとなるとだ。確実に助ける魔術に伴う犠牲。その犠牲はどれほどになるのか」




自身の国の神を。それも、その形を初めて見た男が、そう時も経たない内にアレと呼び捨てた事。一度や二度の実演と虚実入り混じった説明で核心に近づくその、王の器にカミナはこれ以上のごまかしは無理と悟った。




「王自身にもその犠牲は及びましょう。もしかすれば王の有するものにも…」




「民か」




「恐らく」




背を向けていた王が、ゆっくりと振り向きカミナを見据える。




「重いな、それ程か」




一匹の蛾が、部屋のランプの明かりに魅せられ少し開いた窓から迷い込む。ひらひらと部屋の中で漂うとカミナの震える手の甲にとまった。




 「…子を産めぬ、私の体が原因かと」




震える声はカミナの涙を隠す気も無く、流れる涙は手の甲の蛾の妖しい模様を濡らした。




「…すまなんだ。野暮な事を聞いた」




カミナが顔を横に振ると、その度に涙が右に左にと飛んだ。白い月明かりと赤いランプの光に照らされた、その1粒1粒がまるでガラス細工の様な輝きを見せる。




「…カミナ殿にその犠牲が及ばないのであれば、やってはくれまいか。王子の産まれた暁には。そうだな、カミナ殿に名付け親となって頂きたい」




カミナはこれ以上はもう断れなかった。


子を産めぬ彼女にとって産まれ得ぬ赤子を自らの力で導き、その赤子に名付けると言う行為がどれ程嬉しいものか。


もちろん王は分かった上で提示していた。




カミナの指示で城下を望めるテラスに横たわったままの妃を移動する。


王と妃、カミナそれにまだ見ぬ王子だけがそこにいる。




光は消え、寝静まりながらもどこか昼間の活気を残したその城下町にカミナは深く頭をさげた。


そして、始めてしまったのだ。




「動け、ヘラの構築者。道理しか持たぬ非道徳の時計。積み上げ根付き盛る者、衰え嘆き滅ぶ者。私は針を進めない。例え…例え誰かが…戻ろうとも。『転生』《リ・ヴィジョン》」




カミナがそう唱え終わると、横たわる妃の腕にはいつのまにか元気に泣きわめく赤子が抱かれていた。




「なんて事…私の、私の…!」




妃は突如現れたその赤子が自身の子供であると瞬時に悟った。




悲しそうな、申し訳なさそうな表情で街を見渡すと、カミナは妃に抱かれる赤子に駆け寄りまるで我が子の様にそして愛おしそうに見つめた後に呟いた。




 「あなたの名前は『ジン』。私の居た世界では慈しみ、思いやる事を表すの」




いつの間にかその場から居なくなっていた王が城のどこかで叫びに似た悲鳴をあげたのが聞こえる。


何枚ものガラスや鏡が割れる音。


やがて王のそれは人の悲鳴から獣の呻きに変わる。




カミナは赤子の頭をひと撫ですると、涙する妃に微笑み、呻き響きわたる城内へと消えていった。




妃がその全身で我が子を包み込み、必死に恐ろしい何かから王子を守っていると突如その呻きが止む。




城を街を包み込む夜は、それでも妃と王子を得体の知れぬ恐怖から逃す事をせず。


彼女は泣き叫ぶ王子をひたすらを包むこみながら朝を待つしかできない。


日が登ろうかと言う頃、王が暴れまわったその音で目覚め城内の異変に気付いた大臣が城中を探し周り、やっとの思いで妃を見つけ出したのだった。




夜が明けると、城下町は何も変わらずいつも通りの賑わいを見せている。


朝市には近くの湖で取れた魚が並び、女たちは少しでも安く買おうといちゃもんをつけてまわる。


昨日までとなんら変わらぬ王国の朝。




王と、一人の流れ者


それと何匹かの家畜が消えた以外は。

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