第8話 マキナが星谷を

星谷はサッカー部に入り、順調に日本の高校に溶け込んでいった。


ハーフだけあって整ったその顔立ちは、瞬く間に学校中の女子を虜にし、またそれを友人の男子にイジられる程に馴染んでいた。




「お前彼女とか作んねーの?」




部活の帰りがけ、友人の伊達が星谷に恐る恐る尋ねる。


と言うのも、伊達は自分の好きな女子が星谷ファンであると言う情報を掴んでいたのだ。




「んー。欲しいとは思わん。部活楽しいし、正直勉強ついてくのめっちゃシンドイしで余裕ないからなぁ」




自販機で買った缶コーラの中身がどれくらい残っているか、揺すって確かめながら星谷は答える。




「まじか、良かった」




伊達は一安心という感じで胸をなでおろす。




それを見た星谷は笑いながら伊達の肩を軽く小突いた。




「なんだよそれ!好きな子いんのかよ!教えろってー!」




「嫌だよ!ぜってーやだ!」




星谷程ではないにしろ、伊達も中々整った顔立ちをしておりその二人がじゃれ合う姿を見たすれ違う女性達は皆、得をしたと言った顔になっている。




「んじゃ俺のミドルネーム教えてやるから!まだ誰にも教えてねーからこれは得だぞ!?」




星谷のその提案に伊達は少し嬉しくなった。


星谷が転校してきた時に言っていた「ミドルネームは仲良くなったら!」と言う言葉が、星谷との友情を今一歩せき止めている感じがしていたからだ。




「え、マジか。んー…。じゃあマジで誰も言うなよ?俺もお前のミドルネーム言わねーからさ!」




伊達は、なんと言うか恋愛よりも友情をとってしまった感じがしたが、それもありか。なんて考えていた。




「2Cの渡辺ちゃん。ほらマネージャーやってくれてる。あーもう!言ったぞ!ほら!次星谷が言えよ!」




恥ずかしさから俯いてそう言った伊達は不意に見た星谷の顔が夕日のせいか少し暗く、赤く染まって見えた。




「良いよ。俺のミドルネームな。ジャック」




そう言いながら星谷は制服のブレザーの胸ポケットあたりをゴソゴソとしている。




「なんだよ、めっちゃ普通じゃん。名前の立派の方がよっぽど…」




そこまで言って伊達は気づく。


いや気のせいだろうと思うも未だに赤く写る星谷の顔をしっかりと見れない。




「そう。なんで親父が立派なんて名前つけたか分かったっしょ。良いよ、繋げて読んでみて」




胸ポケットから何かを取り出した星谷は怪しく、爽やかに微笑む。




「星谷…星谷・ジャック・リッパ…?」




伊達がそう言い終わると、伊達の視界の中で世界が二つに別れる。丁度星谷の首から上と首から下がずれて写る。だんだんと赤く溢れるその視界の中で目にしたそれが伊達の半信半疑は確信に染まっていく。星谷の手に握られた、古ぼけたナイフが。




「そうなんだよ。ごめんな。でも知られたらこうしないと、寝る前にお腹が痛くなるんだ…」




霞む視界の中、いつの間にか人気のない、見たこともない路地に居た事に伊達はここで初めて気づいた。


声を上げようとした伊達の口を星谷は自分の口で塞ぐ。


突然のキスに伊達は驚き、たじろぐ。


何か言葉を紡ごうとする伊達の舌に自分の下を絡ませ、静かになった伊達のその口から顔を離すとさっきは伊達の目を割いたそれで、器用に伊達の両足の腱を切る。


痛みにまたしても声を上げようとする伊達の口を、同じ方法で塞ぐ。切ってはそれを繰り返す。


彼の先祖、ジャックザリッパーがそうしたように。何度も何度も繰り返す。




「どうして…」




ボロボロに切り刻まれ、絶命した伊達を見て、星谷は呟く。


どうしても何も、彼がやったのだ。しかし、星谷にとってはどうしてなのか分からなかった。




「星谷くんってゲイなの?」




とっくに日が落ち、暗くなった路地裏。星谷と伊達の二人以外の誰も居ないはずだったそこに彼女は立っていた。クラスメイトの細田マキナが立っていた。




とっさにマキナの口を塞ごうとする星谷。  




「いやよ、こんな所で。はしたないわ」




そう言ってマキナは迫る星谷の顔を平手で打った。


星谷にとってキスを受け入れられなかったのはこれが初めての体験だった。


なぜ彼女の唇と自分のそれが重なっていないのか。頬にじんじんと残る熱さは一体何なのか。




その場、その時の何もかもが星谷には分からなかった。




「ねえ、それ伊達くんよね?あなたが殺したの?最低ね」




頬を抑える星谷を尻目に、血まみれで横たわる伊達を指差す。




「…あ、うん。でもなんでこうなったのか…。こいつすげー良いやつでさ。まだ日本の学校に慣れない俺の為に部活誘ってくれたりさ。頭良い訳でもねーのに、頑張って勉強教えてくれたり。なのに俺…」




そう言って星谷は泣き崩れた。




「なんでそんな大事なお友達にこんな事をしたの?」




マキナは不思議そうに星谷に問いただす。




「だって…。だって名前知られたら、こうしないとお腹痛くなるんだ。それに凄く肌も荒れるんだよ、食欲もなくなるし…」




泣きながら星谷は本当に困った声で言い訳にならない言い訳を喚いた。




「そう。可哀想な人なのね、あなた」




マキナは星谷の頭を優しく撫でながら、心底侮蔑した表情を見せ、慰めの言葉をかける。




「でもダメよ。こんな事をしたら伊達くんの家族は悲しむわ。それに渡辺さん、彼女伊達くんの事好きらしいじゃない。可哀想だわ」 




その言葉を聞いた星谷は驚き、撫でるマキナの手を払いのけると伊達の遺体に駆け寄る。




「おい!聞いたか伊達!渡辺さんお前の事好きなんだってよ!頑張れよ!こんなとこで死ぬなよ!」




自分が切り刻んだそれを起こしあげ、揺さぶる。




「マキナさん!人工呼吸とか心臓マッサージのやり方って分かるか!?早くしないと伊達が!ちくしょう!」




特に知識がある訳でもないのだろう、見様見真似で伊達の胸を両手で押し、何度も口で空気を流し込む。




「知ってるけど。もう無理よ、流石と言うべきか。あなたが的確に殺しすぎているもの」




日も沈みかけ、影で溢れる路地裏で血まみれの伊達に血まみれの星谷が救命措置をしているその姿にマキナはいつか見たちゃちな絵画や下らない映画を思い出していた。




「ねえ、さっきあなた今までにもこう言う事があったみたいな言い方したわね」




懸命に蘇生処置を続ける星谷にマキナが尋ねる。その視線は星谷でも伊達でもなく、路地から仰ぐ縦長の夕空に注がれている。




「イギリスでも何度か…」




「そう、なんであなたは捕まってないの?」




「…わからない。でも親父に泣きつくとなんか大丈夫だった」




やっと蘇生を諦めた星谷はマキナにつられた様に、縦長の空を仰ぎながら文字通り上の空で答えた。




「ふーん、良いわ。それ私に任せなさい。あなたのお父さんとは違うかもしれないけど、なんとかしてあげる」




目線を下げ伊達を指差すマキナの唐突な、信じようのない提案に星谷は思わず笑ってしまう。




「何言ってんの?俺だって分かってんだよ。これはいけない事だ。いくら俺が侭ならないからってやっちゃいけない事なんだ、許されない事、そんなの知ってる」




「だからこそ私が許すのよ。私はいつも許され過ぎる。受け止めるべき罪も、認めるべき過失も、いつも勝手な恩赦で許される。だから私は許さないといけない。誰も許されない人をこそ、私だけは許さないといけないの」




両手を広げるマキナは、暗くなる世界の残り少ない光が全て彼女に逃げてきたかの様に輝いている。星谷はその姿に悟る。殺してしまう悪癖は、我慢や後悔に償いは無く。自分がそうしてしまう分、他の人を救う事にあるのだと。彼女に集まる世界の光がそれを教えてくれた。




血まみれの星谷に近づくと、マキナは彼にキスをした。




「一緒にいましょう、私たち。私は日々の過許容の償いを、あなたを許す事で消化するわ。あなたは好きに犯し、救いなさい。その尻拭いこそ私に必要な事」




マキナは許す事で許された、血統書つきの殺人鬼から許された。


自身が孕む、本来なら許されざる問題も星谷の共犯となる事で許されたのだ。




自我を持つに連れ自認せざるを得なかった




『許されすぎている自分を自分が許せない』




と言う自問自答の不許可を彼女は見事に解消してみせた。


そんな彼女が許されもしなければ許す気も起きない彼に出会うのにはまだ少し時間がかかる。


どこかの国で彼が生まれ、どこかの国を彼が滅ぼすまで位には。

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