7:真の合氣とは

 かくして、戦いは始まった。


 今いる路地裏は横幅が狭い。

 が、問題ない。水越流合氣柔術は狭い場所でも十分に戦える。


 合氣道と水越流の違いは、投げ技や極め技の動きが非常にコンパクトな点だ。

 合氣道は投げたり関節を極めたりするまでの動きが大振りであるため、狭い場所での戦闘にはやや不向きだ。動作をコンパクトにすることも可能だが、それは達人レベルにならないと不可能。

 水越流は、合氣道における達人の域である「コンパクトな動作」を最初から身につけられる工夫がなされている。合氣道より、その源流である大東流合氣柔術に近いかもしれない。

 中国拳法にも、極めてコンパクトな動作から爆発的な威力を生み出す「寸勁すんけい」という打撃があるが、それも長年の修練を重ねて熟練しなければ身につかない。しかし形意拳という流派は、その熟練の技を最初から身につけることができる。

 本来は熟練するほど、大振りな動きから小さな動きへ圧縮されていくものだ。これを武術界では「先に開展かいてんを求め、後に緊湊きんそうへ至る」という。


 水越流も形意拳も、最初からその「緊湊」へ至るための武術。


 地形的な不利は一切ない。むしろ、打撃メインの戦い方を取る弥太郎の武術の方が出す技を制限されそうなので、こちらが有利かもしれない。


 だというのに。


 弥太郎の『十文字の構え』には気圧いが無い。迷いが無い。無駄が無い。隙が無い。名工が彫った彫像のごとく洗練された構え。


 ルカはごくり、と喉を鳴らす。

 分かる。

 この男は強い。武士のコスプレをしている江戸マニアとは違う。迂闊に間合いに入ったら骨を叩き折られる。


 けれど、今更やめられない。


 自分はいずれ父のように強くならなければいけないのだ。この程度の力の差に臆していては、いつまで経っても父には届かない。


 たぎる戦意に身を委ね、ルカはすり足で距離を縮めた。


 敵の間合いに接触、侵入。


「ハイッ!!」


 弥太郎の構え手が掌底の形に変わり、ルカへ走る。発声によって術氣をみなぎらせたその当て身は、針の鋭さと鉄球の重さを兼ね備えていた。当たれば軽いルカの体など紙のように吹っ飛ぶだろう。

 しかしその掌打がぶつかる僅差きんさ、ルカは自身の体のまとを縮めた。それによって弥太郎の一撃を紙一重で躱し、側面を通過させる。そのまま弥太郎の腕をなぞり、背後へ滑り寄る。

 そこから背中へ向けて肘を突き出すが、直撃寸前に弥太郎の背中が消えた。弥太郎はすでに前へ向かって走り、打撃から逃れていた。


 弥太郎は5メートルほど離れた所で停止し、振り返る――ルカがすでに懐へと入り込んでいた。肘鉄を避けられた後にすぐさま高速移動の歩法『蒲公英たんぽぽ』で距離を詰めたのだ。


「はっ!」


 歩法の速力を込めたルカの掌打。腹部でそれを受け止めた武士。草鞋を履いた足が大きく後ろへ滑る。


 が、弥太郎にダメージはほとんど無かった。直撃の寸前、穂高の呼吸法によってショックを分散させたからだ。穂高勁水流には今のをはじめ、あらゆる呼吸法が伝わっている。


 再び開いた距離。


 ルカの考えている通り、この路地裏というステージはルカの有利に働いていた。穂高勁水流の打撃は腕を振り回して攻撃するものが多いのだが、その分狭い場所だと攻撃手段が限られてくる。縦軌道の攻撃か、真っ直ぐ突き出す軌道の攻撃だ。


 そう、弥太郎の方が不利。


 けれども、その顔にはやはり焦りなどの感情が見られない。沈まず昂ぶらず、ニュートラルな感情を感じさせる表情。


 それがルカには許せなかった。まるで自分に足りないものを居丈高に指摘された気分だったからだ。それも他流派の人間に。


 ——叩き潰す。


 ルカは今度こそハッキリ覚悟を決めた。


 離れた距離をすり足で潰す。


「フンッ!」


 気合を交えて下からすくい上げるように放たれた弥太郎の拳を、ルカは横へ動いてギリギリで避ける。


 そのまま敵の懐へ入り身し、重心移動に乗せた正拳。しかし弥太郎のもう片方の手によって横へ弾かれる。さらにまた距離を取られる。

 ルカはそれに追いすがり、間合いから出ない状態を保つ。いちいち攻撃を避けて間合いに入っていたのでは面倒なので、こうして距離を離さないようにする。


 横歩きで重心をスライドさせて肘を放つ。

 それを片手で受け止められる。

 けれど、その肘鉄は受け止めさせるための囮だ。肘鉄は打点が小さくリーチも短いので、掌でキャッチすると読んでいた。ルカは受け止められた肘を支点にして前腕部を前へ振り、弥太郎の鼻に裏拳を当てた。


 非常に弱い打撃。けれど牽制としては十分である。のけ反ったことで弥太郎の『中心』が一瞬だけぐらつく。


 ルカはその「一瞬」を見逃すような訓練を受けていない。


「そこっ!」

「イッ!!」


 二人のかけ声が重なる。互いの距離が肉薄。

 ルカは弥太郎の手を掴み、その『中心』を自身の『中心』と同化させ——


「……っ!?」


 ることが出来なかった。


「っ! くっ! このっ!」


 しつこく何度も試す。

 が、どれだけやっても弥太郎の『中心』が掌握出来ない。支配出来ない。


「このっ! くそっ! なんでっ、何で『中心』が掴めないのよっ!?」


 柔術家のプライドが、柔法で負けを認めることを拒んでいた。なので幾度も試す。


 成功しない。


「無駄でござる。ソレガシは下半身に「氣」を落とし、重心を盤石にした。どれだけ『中心』を掌握しようとしても出来ぬ」

「うるさい! 黙れ! やってみせる!!」

「効かぬよ。今のソレガシの『中心』は、ルカどののソレよりも上でござる。ルカどのの強引な戦法では、己より『中心力』の強い者は御せぬ」

「知った風に言わないでって言ってるでしょ!? 見てなさい! あんたなんて一発投げ飛ばして終いなんだから!!」


 けれども、結果は変わらない。


 穂高勁水流の発声法は、複雑な「氣」の練りを一声で引き出すことが出来る。今の弥太郎の意識は草鞋の底からその真下の地中深くまで貫くように働いており、それが「氣」として機能し、下半身に石像並みの盤石たる重量を与えていた。


 その状態のまま弥太郎は動いた。片足を前へ滑らせ、楔を打つように重心の範囲を延ばす。その重心の拡大に手の動きを合わせ、滑らせている足と同じ方向へ掌を進めた。


 穂高勁水流の一技法、『延金のべがね』。


「ぐっはっ――」


 数百キロにも及ぶ重量がルカの胴体に衝突。幾度も路地裏のコンクリートを転がり、10メートル以上離れた所で止まる。


「うっ……くっ!?」


 立ち上がろうとするが、ズキリと体が痛み、失敗する。

 弥太郎は手加減したつもりだったが、それでもかなりのダメージのようだ。


 もがくルカを穏やかな眼差しで見ながら、弥太郎は告げた。


「ルカどの。もうこの辺に致そう。これ以上武に訴え合う意味は何もないでござるよ」

「ふざけんな! 私はまだ……ぐっ」


 またしてもよろけて立ち上がりに失敗。この痛みが引くまでには時間がかかりそうだ。


「ルカどの、ソレガシはもう貴公とは争いたくはないでござる。このままではソレガシのためにも、ルカどののためにもなりませぬよ」

「今打たれた傷のこと!? バカにしないで! 私はまだ戦える!」

「そこではござらぬ。今のままではルカどのの合氣柔術は、合氣ではなくなってしまうでごさる。そうなる前に、この機会に己の技を改めるべきだ」

「はっ、この技のどこが合氣じゃないっていうのよ!? 言ってみなさいよ、この門外漢!!」


 挑発混じりの怒声に、弥太郎はゆっくりと答えた。




「合氣とは――相手と「氣」を「合わせる」技でそうろう




 それを聞いた瞬間、ルカはハンマーで頭を殴られたようなショックを受けた。


 父とまったく同じ事を言ったからだ。


『流華よ。合氣とは相手と「氣」を「合わせる」技。それをゆめ忘れるな』


 昨日の朝稽古の時にそのように告げられたが、ルカはそれに本気で取り合わなかった。英武館という巨大道場をいつか背負って立たねばならないという重圧を感じていたルカにとって、そのアドバイスは気休めにしか聞こえなかったのだ。


 ――水越流を学ぶ時、一番最初に聞かされる教えであるにもかかわらず。


「激情や昂ぶりに呑まれず、とらわれず、心を湖面のごとく平静にすることで相手の肉体に働く「氣」を読み、その「氣」によって導き出される技の流れに己の流れを同化させ、調和し、やがて流れを己がモノとして意のままに操る。それこそが真の合氣ではござらぬか」


 そんな当たり前のことを、自分が「門外漢」と罵った男に教えてもらっている。


 ルカの腹の奥から、可笑しさがこみあげてくる。顔を掌で押さえ、くぐもった笑声をもらす。


 恥ずかしい。恥ずかしすぎる。

 自分は英武館次期館長に恥じぬ力を求めるあまり、水越流の本質からどんどん離れていたのだ。

 思えばここ最近の自分の技は、相手を一方的に攻め立てるばかりの荒々しいものになっていた。あれは、そんな焦る自分の内心が表面化したものではないだろうか。


 今更ながら思う。あんなものは水越流ではないと。


 気づいてしまった以上、それを認め、改めなければならない。


 なぜなら自分は――英武館館長となる人間なのだから。


「……そう、ね。君のいう通りよ。あんなの、水越流じゃないわ」

「ルカどの……」

「あはは、私、ちょっと肩に力が入り過ぎてたかもしれない。英武館の次期館長っていうプレッシャーのせいで、本来の水越流を忘れていたんだわ。ありがとう、弥太郎くん。君のおかげでようやくその事を認められたよ。それと……ごめんなさい。君にはいろいろ酷いことを言ってしまったわ。ホントにゴメン」



 うつ伏せの状態で感謝と謝罪を同時に行う。


 弥太郎は何も言わずに頭を左右に振ると、手を差し伸べた。ルカはそれを甘んじて掴み、引かれるままに立ち上がった。


「その服……汚してしまい申し訳ない」

「ううん、いいの。替えがもう一着あるから」


 うっすら微笑んでかぶりを振るルカ。


 ところどころに塵や埃が付着したメイド服を見て、弥太郎はあることを思いついた。


「ところでルカどの、今の勝負、どちらの勝ちであろうか」

「ん? いいわよ、君の勝ちで。ていうか、どう考えても君の圧勝じゃない」

「であるか。ならば勝負の前にした約束を、ルカどのに果たしていただきたく思うのだが」

「約束……ああっ、したわねそういえば。確か「何でも一つ言うことを聞く」だったわね。いいわ。なんでも好きなお願いをすると……いい……わ…………」


「何でも一つ言うことを聞く」――その文脈の意味を深く読み取ったルカは、どんどん語尾を尻すぼませていく。


 それと同時に、頬がトマトみたいに赤く染まっていく。


「……い、いやいやいやいやっ!! た、確かに「何でも」とは言ったけどっ!! けどけどっ、え、えええええっちな事はダメなんだからっ!! わ、私こう見えてまだ処女なんだから!! もし手出したら責任取ってもらうんだからっ!!」


 沸騰したヤカンのように内から湧き出してくる羞恥にまかせてまくし立てた。


「いや、心配なさらずとも、そのようないかがわしいお願いをするつもりはありませぬ」


 弥太郎はうろたえることなくそう言う。その余裕な態度に女として少し屈辱的なものを感じるが、とりあえず目をつぶる。


「そ、そう。それで、何をお願いしたいの?」


 やや緊張気味に尋ねると、弥太郎はふっと微笑む。


「――また店に戻って、その服装で給仕をしてもらいたいでござるよ」


 その言葉に、目を見張るルカ。


 けれど、すぐにその願いに応えるべく、


「喜んでご奉仕させていただきますにゃん♡ ご主人様♡」


 その場で、夢の国の妖精さんに戻ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る