4:いい感じの再会

「すまぬ。婦女子の裸体を無断で見てしまうとは。これは凌辱に等しき所業。この佐伯弥太郎さえき やたろう、一生の不覚である。どうかご容赦いただきたい」


 制服を着終えたルカの足元には、雛形として飾り置いても良いほど綺麗な土下座をした武士の姿があった。


 ルカは平伏する武士をただただ半眼で睨んでいた。


 別に、許すも許さないもない。彼がわざと自分の半裸を目撃したわけではないことは重々承知である。もし最初から覗きが目的であれば、隠れて見ているはずだから。


 しかし、しかしである。自分は生まれて初めて父親以外の男に肌を見せてしまったのだ。いくら故意ではないと理屈で分かっていても、割り切れないものがある。……初めて裸体を晒すのは心から愛した男性にというのがルカの秘めたる希望だったので、なおさらだった。


「……やはり、許してはくれぬか。ならば致し方なし。ソレガシが行える限りの最大の謝罪をするとしよう」


 が、ルカの沈黙をどう受け取ったのだろうか。弥太郎と名乗った武士はひどく沈んだ表情となった。

 かと思えば、懐から何かを取り出した。――白鞘の短刀。

 さらに弥太郎は羽織りを脱ぎ捨て、その下に着ている小袖の胸元も大きく開き、腹部の肌を露わにした。


 ――え。この人なにしてんの。


ルカは猛烈に嫌な予感がした。


弥太郎は短刀を鞘から引き抜く。外界へ晒された短い刀身の刃渡りはおよそ10数センチ。


 その切っ先を――なんと露出した自身の腹につきつけたではないか!


「ちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」


 何やってんだこの馬鹿侍!?


 弥太郎は思い悩むように目をきつく閉じたまま、強い口調で言った。


「せめてもの情けとして、ソレガシがおとことして果てる様をその眼に焼き付けてもらいたい!」


 クワッ、と開眼。


「ちょっ! 何やってんのよ!!」


 ルカは慌てて短刀を握る手を掴んで止める。――切っ先が微かに腹に刺さり、ツーッと血の筋を作っていた。あと少し遅かったら間違いなくブッスリだっただろう。


「何って、腹を切ろうとしたのだが……」

「何当たり前の事みたいな感じで答えてんのよ!? やめなさいよこのおバカ!!」

「しかし、ソレガシにはもうこうする以外謝意を示す手段が――」

「許す!! 許すからやめなさい!! つーか私的には目の前で流血される方が千倍迷惑だっつーの!!」

「――――はっ!? そ、そうであった。ソレガシにはまだやるべき事があったのだ。まだ果てるわけにはゆかぬ。すまない」

「分かってもらえて何よりだわ……」


 ルカは脱力し、ぺたんと尻餅をついた。良かった。自殺騒動の当事者にならないで本当に良かった。


「……それで、君のことよね? 一年生の転校生っていうのは」


 気を取り直し、会話の方向を日常へと軌道修正。


 短刀をしまった弥太郎もそれに乗り、重々しく頷く。


「いかにも。ソレガシ、佐伯弥太郎と申す。よろしく頼む」

「私は二年の水越流華よ。よろしくね、えーっと……なんて呼べばいい?」

「弥太郎で構いませぬ。水越どの」

「分かったわ、弥太郎くん。それから、私の事もルカで構わないわよ。今は苗字で呼んでほしい気分じゃないのよ」

「心得た、ルカどの」


 ようやくきちんと挨拶を交わせた二人。


「して、ルカどの、先ほどの件を蒸し返すことになりまするが、一つ、よろしいか」

「……どうぞ」

「なぜ、このような場所で……肌を晒していたのでござるか」


 ――まあ、普通は気になるわよね。


 ルカは恥をひとまず心の隅っこに押しやり、正直に言った。


「武術の一人稽古をしていたのよ。それでいっぱい汗かいちゃったから、その処理と着替えをね」

「そうでござったか。して、ルカどのはどのような武術を?」


 そんな問いに対し、ルカはどう答えようか迷った。もし自分が水越宗一の一人娘で、家伝の武術である水越流合氣柔術を学んでいると言えば「英武館の次期館長」という色眼鏡で見られてしまいそうな気がしたのだ。今はできればそういう見方はされたくなかった。


 けれど少し考えて「まあいいか」という結論に至り、ルカは正直に答えた。


「水越流合氣柔術よ。聞いた事ない?」

「愚問。世界で最も普及している柔術流派でござろう?」

「そうよ」


 ルカは少し上機嫌になった。自分の父が作った武術を褒められることはやはり嫌ではなかった。むしろ嬉しい。


「苗字から察するに、ルカどのは水越流の創始者である水越宗一氏と親子関係、あるいは血縁関係ではござらぬか?」

「……ええ。父よ」


 やはり察されてしまったか。水越宗一と自分が親子である事はそれとなくボカしたつもりだったが、甘かったようだ。


 弥太郎は表情を明るくさせ、羨望の眼差しでルカを見つめた。


「やはり! では、ルカどのの柔術の腕前もさぞ達者なのでござろう」

「…………別に、そんなことないわよ。それより、弥太郎くんもそんな格好なんだから、何かやってるんじゃないの?」


 これ以上父と比べられると機嫌が悪くなりそうだったので、強引に話のベクトルを変更させた。


「いかにも。ソレガシは剣術を学んでいる。名を『穂高勁水流ほだかきょうすいりゅう』」


 穂高勁水流……


「こう言っちゃなんだけど、聞いたことの無い流派ね」

「無理もありませぬ。非常に内向きに伝承されてきた流派ゆえ。穂高勁水流は江戸時代、穂高弥太郎と呼ばれる御方によって創始された剣法でござる。とある異人から学んだ武術に、開祖ご自身が以前から身につけていた武術の要素を加えて独自の形と風格を成した流派」

「そうなの……ってあれ? その開祖って、君とおんなじ名前じゃない?」

「よくぞ聞いてくださった。我が名はソレガシの育ての親でもある師が、開祖にちなんで与えてくださった大切な名でござる」


 誇らしげに胸を張る弥太郎。


 育ての親が名を与えた――この話に、ルカは引っかかるものを若干覚えた。

 それはつまり、生まれた時に付いた名前ではないことを意味する。

 わざわざ元々の名前を変えなければいけない「事情」が、弥太郎にはあったということだ。

 それを訊いてみたい気もしたが、やめた。会ったばかりの人の事情にむやみやたらに首を突っ込むべきではない。


「そっか。ってことは弥太郎くん、戦う時は剣で戦うわけね」

「使えぬ」

「え?」

「ソレガシは剣を使えぬ。否、使ってはならないのでござる」

「それじゃあ、どうやって戦うの?」

「徒手空拳で。穂高勁水流の剣技は、素手の技術を用いて行うものでござる。ルカどのの合氣柔術も似たようなものでは?」


 ルカは首肯する。合氣系武術の無手の技は、ほぼ全てが剣術ベースの動作となっている。なのでその無手の技をそのまま剣術として用いることも当然ながら可能なのである。


「手前味噌になるが、穂高の剣はあまりにも強大ゆえに、その使用が厳しく戒められているのでござる。流派が興って間もない頃、穂高弥太郎公は藩主の御前で穂高の剣を演じて見せた。藩主は大変喜んだが、同時にあまりの威力に危険視した。ゆえにこう命じたのでござる。『穂高は剣を抜くなかれ』と。開祖も藩主と同じく穂高の剣の強大さに危ういものを感じていたため、そのめいをそのまま流派内の掟にしたのでござるよ」


 まるで古武術の一派である諸賞流しょしょうりゅうを彷彿とさせる話である。諸賞流もその当身あてみの強大さゆえに他流試合が厳しく禁止され、南部藩の御留おとめ流派――秘伝武術という意味――となった。もし諸賞流修行者が脱藩したら、伝承を漏えいされる前にその者は刺客に消されたという。


「だからこそ穂高勁水流は厳選した少数の弟子のみへ伝承し、なおかつ弟子達に自らを厳しく律して士道をわきまえさせるのでござるよ」

「士道ね……さっきのあの切腹未遂も、その士道ゆえにってわけ?」

「いかにも」

「そう……でも、ああいうことはやめなさい。命を粗末に扱うもんじゃないわよ」

「しかし、あの時はあれしか詫び方を思いつかなかったゆえ」

「むしろ目の前でお腹かっ捌かれたら、そっちの方が相手の気分を害するわよ。武士道貫くのはかまわないけど、ああいう時代錯誤な行為は今後やめること。いいわね?」

「……承知。ルカどのの前ではもう決して腹は切りませぬ」

「私だけじゃなくて、「みんなの前では」よ!」

「しょ、承知」


 ったく、ほんとにわかってるのかしら。


「ところで、武士道っていうのは、誰かに忠義を尽くそうって考え方でもあるわよね? 弥太郎くんはそういう相手がいるの?」

「いかにも」

「へえ。どんな人なの?」

「己の心、でござる」

「心?」


 いかにも、と弥太郎はうなずいた。


「この考え方は、我が師独自の武士道にあるものでござる。忠義とは一歩間違えれば、誰かに決定をゆだねてばかりの「人形」のような生き方をしてしまうもの。我が師はそういった「自分が介在しない人生」を良しとはしない方であった。それゆえ「忠義をつくすなら、己の心につくせ」と何度もソレガシ達に教えてくださった。だがそれゆえに、自分の主君たる「心」は士道や道理をきちんとわきまえていなければならない。そう教わりもしたでござるよ」

「だから、武士道なのね」

「いかにも」


 弥太郎は満足そうに首肯した。


 その話を聞いたルカは微笑みを浮かべていた。彼に対するイメージが変わったからだ。


 彼は「武士姿の転校生」ではない。


 「武士」だったのだ。


 そう認識を改めた。


 そこで、予鈴のチャイムが高らかに鳴り響いた。


「やっば。そろそろ教室に戻らないと。弥太郎くんも早く帰ったほうがいいわよ」

「承知……ああ、その前にもうひとつ、よろしいか」

「なあに?」


 鞄を手に取りながらルカは振り返る。そこには微笑みを交えて片手を差し出す弥太郎がいた。


「あらためて、よろしくお願いいたす」


 しばし口をあんぐり開けていたルカだったが、やがて同じような笑みを返しつつ、握手に応じた。


「ええ。こちらこそ」


 始めは最悪かと思われた二人の再会は、綺麗な形で幕を下ろしたのだった。



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