第3話 俺が恋愛アンチたる所以について。(3)
第二視聴覚室の扉に鍵を閉めて、職員室へ返しに行く。
俺のスピーチの後、雲野による環境問題だのちょっと一般生徒には縁遠いことや、菜水による校内を花で美化するべきというイメージ通りの可愛らしい話題が展開された。
俺個人としてはどちらも相手の意趣通りに肯いてしまったが、水戸先生はこれらも内輪ネタと切り捨てていた。
確かにそう言われればそうだけど、俺よりは意識高いことをスピーチしていたし、まぁ大会でも話すことができるものではあると思う。
鍵を戻してふと職員室の窓から外を眺めると陽が傾いていることが分かる。
どれだけ話していたんだろうと腕時計を確認すると、現在時刻は十六時半だった。
「先輩! 鍵の返却ありがとうございますっ」
「ん、まぁ、今日のスピーチ評価が一番悪かったのは俺だったから……」
俺と雲野、菜水がそれぞれスピーチした後、水戸先生による公表があったのだが、「どんぐりの背比べ」というありがたい前置きとともに菜水が一番まともであったという言葉を頂いていた。
雲野は堅すぎて解らない人を置いてきぼりにしているのがマイナスで、俺は内輪ネタと陰キャくさいのがダメらしい。
陰キャで悪かったですね!
「まぁ、そうね。あなたがこの部の中で一番弱い弁論者ということだから、鍵を返すみたいな雑用くらいはやってもらわないと困るわね」
「おい、似たり寄ったりって言われてたのすぐに忘れるな。俺もお前も菜水もほぼ同じなんだよ。その点では内輪ネタだとしても本心からの主張を述べた俺が最も良かったとまでいえる」
「内輪ネタの時点であなたが一番ターゲットを萎めているのだから、そういう意味では確かに良かったのかもしれないわね」
「だろう?」
「それでも、恋愛アンチの主張だけを述べたものを大会で言えるかしら? 私たち相手だから言えたとしても、実際に会場であんなのをやられたらドン引きよ。あなたのことを全員が全員悲哀に満ちた目線で見ることになるわ」
「まぁ、そうだろうな。だから、もっと万人受けするような話の展開と起伏を用意して説得できるようにする必要があるんだよな」
「……こんなに雲野先輩に言われてもまだ自分の意見を変えようとしないあたりはとても瀬戸口先輩を尊敬できるんですけどね」
そう思うならもっと尊敬してもいいんだぜ? と軽口叩こうと思ったけど、二人から既に可哀相なゴミを見る目を食らっていることに気づいたので身を縮める。
「あのさ、そんなこと言うならわざわざ俺を待たなくても良かったんじゃないの?」
菜水はその言葉を受けて真顔になる。
「いや、だって先輩だって部活の仲間じゃないですか。仲間って言う言葉が先輩に対して正しいか解りませんけど。先輩っていうからには敬うものですし」
なんかその言葉の使い方だと俺だから敬ってるんじゃなくて、先輩だから一応年功序列しとこうみたいに聞こえるんだけど気のせいだろうか。
雲野じゃなくて菜水だからたぶん言葉のチョイスを間違えただけだろう、そう思うことで精神衛生上良い状態を得ておきたい。
「そうよ、いくらあなたの本心が腐りきったものだとしても、同じ部活の人を待たないなんてそんなことしたら私の印象が悪くなるだけじゃない。いつどこで誰が見ているのかなんて分からないのよ?」
「その言葉を聞かれる方がダメージあると思うけどなぁ……」
「まぁ、瀬戸口先輩! 帰りましょ!」
朗らかな笑顔を見せて昇降口の方へ菜水が向かう。
見れば数分も職員室前で駄弁っていたわけで。
「じゃ、帰ろっか」
「そうね、帰りましょう」
夕陽はさっきより沈んでいて、雲も橙色に染まっていた。
※ ※ ※ ※ ※
翌日の放課後。
今日も今日とて弁論部の活動があるわけだが、俺より先には誰も来ていなかった。
いつもだったら菜水か雲野が鍵を職員室から借りてきて開けているので、今日もそうだろうと思い来てみると鍵が開いていない。
とはいえ、ここから職員室へ行くことを考えるとそれは非常にタイムロスになる。
北棟の外れにある第二視聴覚室から南棟の外れにある職員室までは普通に歩いたとしておよそ四分。
往復すれば十分かかるのは目に見えていた。
その道順もフロアごとにあるわけでおよそ数十パターン。
もし取りに行った間に他の部員と行き違っていたとしたらそれはタイムロスというか体力の無駄な消費に他ならない。
弁論部のグループLINEに『今日誰か来る?』と書き込む。
これで誰かが反応してくれれば鍵を取りに行く徒労はなくなるはずだ。
すぐに既読が1と付いたので返信を待つことにする。
『行きますよ! 鍵開いてませんか?』
と、菜水からの返信。
どうやら体育祭についてのホームルームが白熱し伸びているらしく、今日は遅れるとのことだった。
菜水はそれほど運動が得意なわけではないのでどの種目に参加してもいいのだが、クラス内の運動部男子と女子がいろいろ意見を言い合っていて大変らしい。
俺のクラスではすんなりと決まってしまい拍子抜けではあったのだが、運動部の熱血キャラがいると伸びるよね、と納得する。
それでは、雲野はどうか。
菜水がコメントを送っている間に既読が2になっていることは知っているのだ。
クラスの担任も持っていて仕事に忙殺されているであろう水戸先生や休学中の部員、あまり顔を出すことがない先輩でなければその既読を付けた主は雲野のはずだ。
……うーん、選択肢が多すぎて雲野じゃない可能性がありすぎるのでさっきの言葉は撤回する。
既読くらい雲野じゃなくても付ける。
あいつのことだからグループLINEなんて通知オフにしてそうだし。
きっとそうだ。
『雲野、お前は?』
一応、雲野目掛けてメッセージを飛ばしてみる。
これで返信が来なかったら、俺がどれだけ嫌われているかっていう証明を他の部員とかにしてしまうことになるから流石に空気を読んで欲しいところだ。
『お望みの通り、鍵を持って向かっている最中だからちょっとくらい待ってなさい』
高圧的な返信が瞬時に返ってくる。
流石に個人向けだと早いな。
『へいへい、ありがたく待ってますよ』
コメントを返して、アプリを閉じる。
第二視聴覚室のある北棟三階には他の部活動の姿はない。
壁にもつれかかってため息を吐いても、誰も反応を返してはくれなかった。
別に反応を求めているわけではないけれど、高校という空間の中では一人になれる時間の方が貴重だ。
もし自分がいわゆる「ぼっち」だったとして。
話す相手はいないし口下手だから喋ることはしない。
故にひとりぼっち。
しかし、自分がひとりぼっちだという視点で見ている誰かがいる。
あいつはひとりぼっちだと話しかけはしないし交わりはしないけれど、そういうレッテルを張っている時点でそのレッテルに従った行動が要求される。
これは別にぼっちでなくとも同じことで、そのイメージ通りのロールプレイが要求される以上どうしても俺は自由になったという感情が得られなかった。
高校でも、家でも、どこでも。
どこかしらで要求に沿ったキャラクターを演じている自分がいて。
それから逸脱して、本当の素になれるのはこういった真に誰もいないところだけ。
かといって、演じ疲れていて素という素が残っていないのだけれども。
溜め息を吐くことくらいしかやることはないのだけど。
こういったことができるのは本当に貴重だ。
そうやって何もせずにしていると、職員室に鍵を取りに行けたくらいの時間はいつのまにか経過しているもので。
ふと気づけば雲野の姿が隣にあった。
「瀬戸口くん。そんなだらしのない顔ばかりされていると弁論部の印象も悪くなるのだからやめて欲しいわね」
「別に良いだろ、このフロアには基本的に俺らしか来ないんだし。俺の顔くらい見飽きてるだろ、お前らなら。特段悪印象にもならないはずだ」
「そうね。元々マイナスから更にマイナスになるくらいかしら」
「おい」
こうやっていつも通りの毒舌を躱していると、雲野の後ろに見知らぬ少女がいることに気づく。
スポーツウェアとかが似合いそうな活発系の女子。
ポニーテールがゆさゆさと揺れている。
出るところも出ていて引っ込むべきところも引っ込んでいる、まさに健康体。
「ところで雲野」
「なにかしら」
「後ろにいるその子は誰だ?」
俺の言葉を受けて雲野の隣に出てくるその子の顔はやはり見覚えのないものだった。
「紹介するわね、一年生の庄司クレナさん。職員室に行ったときに水戸先生から言われたのだけど、どうやら入部希望者らしいわ」
「入部希望者? もうゴールデンウィーク明けだぞ、来るなら仮入部期間だった四月後半じゃないのか?」
うちの高校では四月半ばを見学期間、後半を仮入部期間としておりそれ以外の時期に入部するというのは稀だ。
見学期間と仮入部期間ではどの部活動に何回行ってもいいように設定されているため、その間に見定めろということらしい。
弁論部も見学と仮入部の門戸こそ開いていたものの基本的には開店休業状態で、来たとしても雲野目当ての発情した男共か、菜水みたいな奇特な後輩のどちらかだった。
「あの、それはですね。あたし四月中はちょっと事故で学校にいなかったので。ゴールデンウィーク明けからの登校なんですよ、あたし。あ、申し遅れました! あたし、庄司クレナっていいます。一年三組出席番号十七番、好きな食べ物はグラタンです! よろしくお願いします、瀬戸口先輩っ!」
元気の良い言葉とともに、ふふんと聞こえてきそうなまでのどや顔。
異性に免疫のない男とかならば一瞬で恋に落ちてしまいそうなまでの魔性の後輩がそこにいた。
「あ、うん、よろしくね、庄司さん」
「そんな庄司さんとか堅苦しくしなくていいですよ! あたしのことはクレナって呼んでください! クレナです、クレナ! はい、リピードアフターミー! く・れ・な!」
「……クレナ」
「はい、エグザクトリーです、センパイ! 今日から弁論部の後輩としてよろしくお願いしますね!」
最初から空気に飲まれてしまうほどに、俺や雲野とのテンションの違いに付いていくだけで大変だ。
弁論部といえばおとなしめな人しかいない、っていう一方的なイメージから俺はこの部活を選んだというのに。
まぁイメージ通りだったんだけどさ。
「ところで、クレナ」
「? なんですか?」
雲野が鍵を開けて第二視聴覚室の扉が開く。
入室したらひとまず荷物を置いて、いつもの定位置に座り込む。
雲野は扉に近い場所へ行き、クレナはといえば俺の隣という超絶近接に距離を詰めに来ていた。
「俺の名前も知ってるのは何でだ? さっき最初から瀬戸口先輩って言ってたよな。雲野みたいな有名人ならまだしも、俺なんてただの小市民だぞ、目立ってもいない」
「いや、センパイは十分有名人ですよ?」
とぼけた顔で答えられても信じれないぞ。
それに唇に人差し指を当ててとぼけるのはあざといからやめた方が良い。
ムダに男を意識させるだけだ。
まぁ、俺は恋愛なんて非効率なものは絶対にしないけどな!
「そこは同意ね。あなたは恋愛アンチという非常に思想を拗らせた面倒くさい人として名は知れているわよ。ただ、学年の一部くらいの認知だとは思うけれど。庄司さんが知ってるのは確かに不思議ね」
「雲野センパイもあたしのことはクレナでいいですよ!」
あの雲野に対しても距離を詰めに行くクレナさん、マジ怖いものなしっすね。
「庄司さんに対して不思議なのはその一点だけじゃないわ。なんで弁論部に入ろうとしたのかしら。部長自ら言うのもなんだけれど、決して実績があるわけでも有名なわけでもないわよ、ここは。それに入部希望は不埒な思考を持った男共か、瀬戸口くんや小花さんみたいな奇特な人だけよ。まぁ、前者はもちろん散ってもらったけれど」
そしてクレナに屈せず名字呼びをし続ける雲野。確かにこの部活動を初手で選択するのは甚だ疑問ではある。入部テストもあることだし、必ずしも入部できるわけではない。そして特段実績もあるわけではないから、入るメリットといえば評価が良くなって大学に行きやすくなると言う俺と同じ理由しかないだろう。
「入ろうと思った理由ですか?」
不思議そうにして、うーんと唸ってからクレナは俺の方を向いてにひひと笑みを浮かべた。
「失礼します! 小花菜水、遅れまし……」
「あたしがこの弁論部を選んだのは、瀬戸口センパイに一目惚れしたからです! 好きです! 付き合ってください!」
クレナの赤くなった顔は決して冗談なんて言っていないように見えて、瞬時に言葉を理解できなかった俺は若干のフリーズをしたあとに、唖然とする雲野と状況を理解できていないであろう菜水の姿を司会に確認すると同時に一言を口にした。
「えっと、よろしくお願いします……?」
「「ええええええええええええええええええええええ!?」」
自分でもその言葉の意味が理解できず、目の前にいる可愛らしい後輩の姿をただ眺めていた。
その後輩は最上級の笑みを浮かべてこう述べた。
「ありがとうございます! 今日から後輩兼カノジョとしてクレナのことをかわいがってくださいね! センパイ!」
俺はその言葉に戸惑うことしかできなかった。
今、なんて言ったっけ……!?
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