浜辺の約束

長い長い、浜辺を歩いていました。

うっすら見える水平線・・・。

このまま歩いていれば、いつかたどり着ける気がして・・・。


 どれほど長い時間歩いていたでしょうか。

ふと、遠方に視線を向けると、1人の女性が立っていました。

 こんな時間に1人でいるなんて・・・普通ではありません。

服装は白のワンピースに麦わら帽子です。

私は幽霊など信じたことはありませんが、彼女は明らかにそれを具現化したような格好でした。

 不思議に思いながらも恐怖などは微塵も感じませんでした。

歩くほど次第に近づき、すでに顔がはっきりとわかる距離まで来ました。

顔立ちはとても整っており、こんなに美しい人は見たことがありません。

「失礼ですが、こんな夜分遅くにどうされましたか?」

 心配だからか、出来心からか女性に声を掛けてしまいました。

すると、女性は今こちらに気づいたという装いで返事をしてくれました。

「あら。こんばんは。この海、とっても綺麗でしょう。だから、見入ってしまうんです。」

 なるほど、確かに美しい。海の水面は月明かりに照らされ、揺れている。

こんな綺麗な情景は生涯見ることも難しいでしょう。

「あなたこそ、どうしてこちらへ?」 

 今度は女性の方から私へ尋ねてきました。

「私は・・・そうですね。たまたま通りかかったのですが、この風景が無性に懐かしく思えましてね。それでここまで歩いてきた次第です。」

「あら、そうでしたか。私と少し似ていますね。」

 そういうと彼女は再び海へと視線を向けた。私も同じように海に目をやり

その美しさにしばらくの間心を奪われていた。


 どれほど時が経ったであろうか。女性がおもむろに口を開いた。

「私、実は・・・死んでいるんです。」

「そうですか。それはさぞ残念でしょう。」

 女性の告白にも、さして動揺することはなかった。

やはり私自身そんな気がしていたのであろう。

「どうして亡くなってしまったのですか?」

 こういうことは聞いてしまって良いのだろうか。

「それが私も憶えていないのです。」

「なんと・・・。ではなぜここに?」

「それも分かりません。ですが、きっと心残りがあるからでしょう。

 私は毎晩日が沈んだあと、目が覚めこうして月夜を眺めるのです。

 そして、日が昇る頃には眠りにつきます。

 どれほど長い月日をこうして過ごしたかも憶えていませんので、生きていた 

 頃のことなど到底思い出せません。」

「そうでしたか。それはさぞご苦労されたことでしょう。」

「でもいいのです。こうして、月夜を眺めるだけで心が安らぎます。

 ときどきここが天国ではないかと思うばかりに。」

 幽霊とは恐ろしいものばかりと思っていたが、彼女のような一輪の花のごとき

 霊もいるのだなと思わされた。

「心残りは憶えていないのですか?」

「うっすらとだけ・・・憶えています。」

「それはどんな?」

「この浜辺で約束をしたことです。またこの場所で会いましょうと。」

 このような美女を待たせるとは何たる不遜な人物であることか。

 他人事とは思えず、一人憤りを感じていた。

「でも、私は恨みなど持っていません。きっと彼にも事情があったことでしょうから。」

「待ち人は恋人でしたか。」

「ええ。でも、相当昔の話ですから、彼もきっと亡くなってしまっているに違いありません。」

 潮風が吹く。この季節は寒かろうに、私と彼女は震え1つ起こしていない。

「きっと彼も後悔しているでしょう。こんな美しい人を待たせておくなど、とんでもないことですから。」

 そういって私は彼女に笑いかけた。

「ありがとうございます。嬉しいわ。こうして誰かと話すなんて本当に久しぶりのことだったもの。」

 彼女も僕に笑い返してくれた。どこかあどけなさの残る懐かしい笑顔だった。

「あの・・・もしよければお名前をお聞きしても?」

 なぜだろう。彼女のことがとても気になる。

「ええ、大丈夫ですよ。私の名前は・・・。」

「由美子。川上由美子。」

 彼女が名乗る前に自然と声に出た。僕は彼女の名前を知っている。

「どうして私の名前を?」

「そうだ。由美子だ。君は由美子、僕はずっとずっと君を探していたんだ。」

 思い出した。そうだ。僕は彼女を知っている。

きっと、どこの誰よりも知っている。

まさか、こんなことがあるだなんて!

 声が震えて言葉にならない。でも、次から次へと言葉が溢れてきて止められない。

「あの日、あの時、君を探していたけれど、見つけられなかった。だからこうして僕はこの浜に戻ってきたんだ。」

「もしかして、祐一・・・さん?あなた、祐一さんなの?」

 訝しげに彼女は僕の顔を覗き込んできた。

 そう、彼女は恐ろしい幽霊なんかじゃなく、僕が愛したただひとりの女性だった。

この透き通るような肌、凛とした艶のある声、どれをとっても間違いなく僕の恋人だ。忘れられる訳がない!!

「祐一さん!会いたかったわ!私、とても嬉しいわ!こうして、またあなたと会えるなんて!!」

「僕もだ由美子さん!やっと君を見つけられた!もう離さないよ!」

 それから僕はこれまでの自分の人生について話をした。

彼女との約束を守れなかったこと、就職して社会に出たこと、色々な恋をしたけれど彼女のことがずっと忘れられなかったことなど話は尽きない。

 一通り話終えたあと、由美子は話し出した。

「私、死んでしまってからそんなに長い時が経ったのね。あなたもすっかりおじいちゃんみたいよ。」

「そんなことないさ!まだまだ若い奴らには負けないぞ!」

 由美子は笑っていたが、しばらくしたあと俯いた。

「どうしたんだい、由美子。急にしおらしくなって。」

由美子は答えた。

「もうじき朝よ。あなたとまた会えたことはとても嬉しいけれど、そろそろお別れ

 の時間がくるのよ。」

「そんな・・・。僕、別れたくないよ。ずっとこのまま君と寄り添いたい!」

「ええ。私も同じ気持ちよ。でも無理なのよ、ごめんなさい。」

「君が謝ることじゃないよ。そうだ!だったら、毎日ここに来るよ!

 日が沈む頃、また君に会いに来る!約束だ!!」

「それももうダメなのよ。」

「どうして!」

 つい、声を荒げてしまった。

また由美子と会えなくなるなんて考えたくもない。

「私、心残りが無くなってしまったわ。あなたにまた会えて、もう何も思い残すことが無くなってしまったのよ。」

「そんな。それじゃあ僕の気持ちはどうなるんだ・・・。

 君を2度も失うなんて、僕は死んでも死にきれないよ!」

「祐一さん、大丈夫よ。だって、あなただって私が居なくてもしっかり生きてこ

 れたじゃない。あなたなら上手くやっていけるわ。私が言うんだから間違いな

 いわよ。」

 由美子に気を使わせてしまっている自分が情けない。

せめて、彼女の最期くらい幸せに送ってあげたい。

「・・・そうだね。ありがとう由美子。君を忘れることなんて出来ないけれど、

 僕は君の分までしっかり生き続けようと思う。これからは、僕のことを見守ってくれるかい?」

「もちろんよ。私の分まで幸せになってね。」

 由美子は笑いながら泣いていた。泣くなよと茶化す僕もまた泣いていた。

少しずつ日が昇り始めている。

「・・・祐一さん。もうお別れの時間が来たみたい。」

「そうだね。最後にひとつだけ言わせてくれないか。」

「私からもひとつだけ伝えたいことがあるの。」

「ようし、じゃあせーので言おう!せーの!」




 2人の言葉は綺麗に重なり、お互いの気持ちは最期まで一緒だった。

朝日が昇る。日差しが海岸まで射し始め、由美子と祐一は光に包まれ

消えていった。




 「あぁ?その話、知ってるよ。海岸に出るお化けでしょ?」

定食屋で昼食をとりながら4人組の若者が熱を上げ話をしていた。

「えぇ!?なにそれ、ねぇねぇどんな話なのっ!」

「わかった、話す、話すから離れろってば。」

じゃれつく2人はカップルのようだ。

「たしか月夜の夜に海岸に行くと、女の霊が1人で立ってるんだけど、近づくと消えちゃうんだって。でも遠くからずっと見てると、別の男の霊が出てきて朝まで話をしてて、朝日が昇るのと同時に消えるんだってさ。」

「なにそれー。あんまり怖くないー!」

「うるせぇよ!じゃあお前もなんか怖い話してみろよ!」

 話は別の話題へと移り変わり、いつしか海岸のお化けのことなど忘れてしまったようだ。

 今日も月夜になるだろう。

 きっと2人はまた出会い、別れを繰り返している。


 



「そういえば京子、お前あの海岸行ってみたいとか言ってなかったー?」

「えー?うちがー?言ってないよーっ。だってあの海岸ってさー。」

「朝方行くと2人のお化けが「殺してやる」って叫んでるんでしょー!」

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