第5話 旅立つ者と、見送る者

 冒険者アンディールに救われフィオンは窮地を脱した。

 夜警をしていた自警団が森での異変に気付き、町に立ち寄っていた冒険者であるアンディールとその一行がフィオンを発見し救出したとの事。

 助け出されたフィオンの証言を元に夜盗の捜索も行われたが、見つかったのは大男の死体が一つだけ、残り二人は雲隠れした後だった。


 翌日、アンディールに誘われフィオンは町の酒場に来ている。

「命の恩人に一杯奢るのは当然だ」と押しきられ、彼とその仲間の四人と共に滅多に来ない町の酒場へと引っ張ってこられた。


「おぉ!? 良い酒じゃねえか、仕事明けの一杯……っあ゛ぁ゛ー……。これぞ冒険者の醍醐味ってやつよぉ!!」


 まだ日も高い午前中であり酒場には彼ら以外の客はほぼいないが、アンディール達はそんな事は気にしていない。

 アンディールの連れの四人は奥のテーブルで酒を酌み交わし、フィオンはアンディールと共に林檎酒シードルをちびちびと啜っている。

 半ば強引に連れて来られたフィオンではあったが、フィオンとしても冒険者のアンディールに幾つか聞きたい事もあった。


「そう辛気臭え顔で飲むなって。生きている事を酒で確認するのは大切だぞ?」

「こっちは盗みに入られた直後で懐が寂しいんだよ。ったく……貧乏人にタカるなっての」


 フィオンがヘルハウンドから受けたこめかみの傷は大した事は無かったが、まだ多少痛みは残り痕も残ると言う。縫う為に右の側頭部は少し剃られ、暫くは自身で軟膏を塗らなければならない。

 助けられた事には確かに感謝しているが、その内容に関して腑に落ちない点があった。疑念はフィオンの気を曇らせ、態度と表情に表れている。


「聞かせて欲しいんだがよ、なんであんたの剣は簡単にあの犬っころを仕留めれた? しかももうちょっとで俺を斬るとこだった。……当事者として、聞かせてくれても良いんじゃねえか?」


 フィオンとアンディールにはそこまでの力の差は無い、少しばかりアンディールの方が上という所だ。

 だがフィオンの全力の一撃は通じずに、アンディールの攻撃は事も無げに魔獣を仕留めた。しかもその剣はもう少しでフィオンを害するような危なっかしいものでもあった。

 まずはこの疑念を晴らさない事には、本題の話には移行できない。


「ぁー、そいつか……ん゛ー……。まあ良いか、ここはヒベルニアでもねえし……"現地人とは穏便に"だな」


 アンディールは奥のテーブルに座る仲間と目でやり取りをしてからフィオンの質問に頷いた。何か確認を取っていた様子である。

 ビールジョッキを一口つけてから、順を追って話を進めてくれる。


「まずは、そうだな……剥いだヘルハウンドの皮を見たが、あいつの背中に一撃食らわせてたな? 痕から見るに中々のもんだが……そして俺がかるーくぶった切ったのが納得できないと?」

「そうだ、あんたのが腕力は上だろうが俺だって非力じゃねえ。しかも俺の一撃は全力のもんだった……なら何か仕掛けが、剣かどこかにあるはずだ」


 アンディールは傍に立てていた剣をゴトリと机の上に置く。再びビールを飲みながら「剣を見てみろ」と仕草で示してくる。

 フィオンが鞘から剣を抜くと、特に変哲も無い両刃の剣が姿を表す。刀身の幅は広く肉厚でアンディールの身なり同様、無骨ではあるが無駄のなさが見て取れる。

 別段、特別な武器という事はなくフィオンは何も言わずに剣を鞘へと戻した。

 アンディールは剣を仕舞いつつ話を先へ進める。


「見ての通りただの剣だ、良い拵えだが魔法の武器とかじゃねえ。つまり、お前の言う仕掛けってのは……どこにあると思う?」


 少しニヤリとしながらアンディールはフィオンへと質問を返す。質問を質問で返される形ではあるが、フィオンは邪険にせずに頭を巡らせる。

 腕力や技量の問題ではなく得物にもそう大差は無い……フィオンは林檎酒を傾けつつ暫し考えたが、残っている要素は一つしかなかった。


「……犬の部位か毛並みの問題か? それでわざわざ俺と犬の間に剣を? つーかそうじゃねえなら、あんな危なっかしい所に剣突っ込むじゃねえよ」

「ほぉー……やっぱ狩人ってのはそういう事に目が効くのかねえ。大当たりだ、ヘルハウンドは腹側には硬い毛は無い、そこを狙えば簡単に叩きのめせる」


 アンディールはヘルハウンドに関しての種明かしをしてくれる。

 背中側の大部分を覆った硬い毛は刃に強いが腹側にはそれがない。刃物であればそこを狙い、槌や打撃であれば頭部を狙うのが真っ当な対処法だと言う。口内や目も脆い部位ではあるが、それならば頭部を狙う方が簡単で有効だと。


 しかし回答を得たフィオンはまだ少し晴れない顔。今言われた事に関しては納得するが、そうもったいぶる内容では無かったと感じたからだ。

 フィオンは続けて質問しようとするが、それに先んじて、アンディールは続けざまに説明する。


「お前さんも狩人ってんなら解ると思うが、仕事上明かしたくない事……まあ金に繋がる話だな、そういうのはべらべら話したくねえだろ? 俺達冒険者にもそういうのは多い、魔物に関する情報ってのは正に俺達の飯の種だ。そういった情報を商売として扱う奴等もいる位だしな」


 見透かされた上に諭される様な説明を受けて、フィオンは大きく息を吐いて引き下がるを得なかった。

 フィオン自身も狩人として秘しておきたい情報はままある。良い狩場、良い時間帯、獲物ごとの良い肉の部位やその調理法。それは例え同業者以外の人間だとしても余り広まって欲しくはない。

 冒険者にとっての魔物の情報とは、正にそれに当たるのだろう。


「後は、まあこいつは忠告みたいなもんだが……森の中でヘルハウンドから逃げるのは確かに難しい、だが未知の相手と正面切ってやり合うのは只の無謀だ。……危険を感じたらまずはさっさと逃げる事だ、それでも手遅れな時さえある。せめて未知の相手とやり合う時は、協力できる誰かと一緒にやる事だ。覚えといてくれ」


 アンディールは急に深刻な様子で告げてくる。声だけでなく表情も神妙なものであり、何か重苦しいものを感じさせた。

 確かに昨夜の戦いは紙一重のものであり、アンディールの助けが無ければどうなっていたかは解らない。

 もしかしたらフィオンも、大男の亡骸同様の運命を辿っていたかもしれない。


 アンディールの忠告を受け、フィオンは無言で頷きそれを受け入れる。

 危ない時はまず逃げるべき。それは狩人としての経験と照らしても納得のできるものだった。

 フィオンの納得を受けて、アンディールは陽気な調子を戻すと共に、ずいっと机に乗り出し声を潜めて質問を切り出す。


「で、だ……お前さん、ここらの狩人ってんなら森にも詳しいよな? ……魔獣が出たのは初めてか? それとも極々稀にでも見掛ける事はあったのか?」

「いや、見かけた事はねえな。ここに来てそれなりに経つが、魔獣が出たって話は聞いた事がねえよ。俺の方こそ、何であんなもんがここにいたのか知りてえよ」


 アンディールは残念そうにしながら大人しく席に戻った。

 冒険者にとっては厄介事こそが飯の種。魔物は消えたと言われているブリタニア本土で魔獣が出たとなれば、彼らにとっては美味しい事態だかそれも出所が解らなければ扱いようが無い。


 ヘルハウンドの目撃者はフィオンしかおらずアンディールにとっては唯一のアテだった。それが不発に終わったとあっては、ジョッキを傾けて干し肉を頬張る事しかこの場ではできない。

 テンションを落とし口を閉ざした冒険者に対し、フィオンは口を開く。自身に差し迫っている問題の、突破口を求めて。


「なあ、あんたは冒険者になってどれ位経つ? 丸一年あれば、少しはマシなもんになれるか?」


 冒険者に関して、フィオンも一切の知識が無い訳では無い。

 魔物退治や探索を生業とし、富と名声を求め手広く依頼を受ける者達。過去には苦難と好機をものにして、広く各国に名を轟かせた者もいたと言う。

 今フィオンに求められている『戦いに通じて名を上げる』には打ってつけの仕事ではあったが、彼らはブリタニアから姿を消して久しく、実際に冒険者を目にするのはこれが初めての事だった。


 突然の質問にアンディールは「んぁ?」と顔を顰める。質問の意図を探るように押し黙り、直ぐに少しばかり愉快そうに、目の前の青年へと向き直る。

 目の前のフィオンの目は幾らかのぎらつきと、焦燥や野心といった感情で鋭いものとなっていた。


「俺が冒険者になってから……ざっと四年ってとこか? まず最初に言っとくと、楽しい事ばかりじゃねえ。成功者はいるにはいるが、全体から見ると本当に少ない……というか、登録だけしてまるで活動してねえ奴が多すぎるんだが」


 冒険者という概念と職業がドミニアに広まったのは数十年前の事。

 大陸のフリースラント王国から冒険者の話は方々に広まり、各国はその有用性を認めて法整備等に着手した。


 だがドミニア王国ではその対応は後手に回った。

 国が制度や法を用意する前に巷では"自称"冒険者が溢れ色々と問題を起こしてしまった。玉石混交の中に輝く者も確かにいたが、殆どは盗賊やならず者達と大差無く、冒険者への風当たりは酷いものとなった。

 今でもその影響は尾を引いており、冒険者に対し良くない感情を持つ者は決して少なくない。


 アンディールはそういった過去を交えつつ、自身の経験と共に色々な事をフィオンに話す。武勇伝や明らかに脚色の入った話も交えながら、新たな扉を開けようとする若者に心底楽しそうに語りかける。

 公私問わずに依頼は受けるが、組合に登録された正規の依頼をこなす方が色々と見返りが大きい。掃除屋や便利屋と蔑まれる事は多いが、それに構っていてはキリが無い。魔物がいないブリタニア本土では商売にならない……。


「俺達はまだ暫くブリタニアこっちにいるが……お前が冒険者を目指すってんなら、ヒベルニアに行け。……一人でな」


 話が終わる頃にはアンディールは何杯目かのジョッキを空にして、皿の端に残った芋をもそもそとつまんでいる。

 幾らか思い出話に近いものにもなっていたが、今のフィオンにとってはどれも参考になる事ばかりだった。


「一年でどうなるかなんざ、俺が知ったこっちゃねえが……いつの間にか消えちまった奴もいれば、一気に名を上げる奴もいる。結局は運と実力次第だが……んなもんはどこ行っても変わんねえな」


 酒臭い溜め息を吐きながら、アンディールはもう喋る事は無いと示してくる。

 既に顔付きはフィオンへの説明ではなく、過去に思いを馳せる酔っ払いのものになっていた。遠い目で虚空を睨んだり、奥のテーブルで飲んでいる仲間達へ、複雑な表情を向けたりしている。

 財布を取り出しつつフィオンは席を立とうとするが、腕をがしっと酔っ払いに掴まれる。ごつごつとしていて傷だらけの粗野な腕と指。だが不快なものは感じさせず、温かい気持ちが伝わってくる。


「冒険者は何もかも自己責任だ、ここの支払いはてめえの分だけやっとけ。……もし、本当に冒険者になるってんなら、西のネビンに行け。後は……行けば解る」

「ありがとうなアンディール、良い話が聞けたよ。一杯だけは、奢らせてくれ」


 聞き終える前に、アンディールは机に眠そうに顔を沈めた。

 自身の分と一杯のビール分の支払いを済ませフィオンは店を後にする。

 やるべき事を見つけ家に戻って諸々の準備を済ませようと町を後にしようとするが、その背中にどこからか声が掛けられる。


「お、ぉぉ……フィオン! お前、体は大丈夫なのか? 魔獣に襲われたと聞いたぞ!?」


 声を掛けてきたのは雑貨屋の主人ハンザである。妙に狼狽えた様子で曲がった腰で大急ぎでフィオンに近寄り、体のあちこちをパシパシと触ってくる。

 レクサムの町で唯一付き合いのある人物だが、ここまで心配される謂れが解らず、フィオンはハンザに愛想笑いをしつつ引き剥がす。


「別にどってことねえよ、見ての通り無事だ。何だってそんな心配してんだ、関係……ねえって事はねえが、大袈裟だな」

「……そうかそうか、いや無事ならそれで良いんじゃよ。……少し前までは魔物に襲われたとかも幾らか耳にしたもんじゃが、久しぶりに耳に入ってきてなあ……いや、無事で良かった」


 大きく息を吐いてハンザは無事を安堵する。ここまで他人に心配されるのはフィオンには初めてであり、むず痒い様な気持ち悪い感覚に居心地を悪くする。

 しかし、暫くここを離れるのであればハンザにも伝えておくべき事がある。

 考え様によっては丁度良いタイミングで出会えたと、フィオンはハンザに町を離れる事を伝える。


「ぇーっとな、じいさんよ……俺は暫くここを離れて、別の仕事を始める事にした。だからあんたとの取引は」

「なんじゃと!? ……いや、わしに引き止める権利なんぞ、しかし……」


 ハンザは動揺を抑えつつフィオンの腕を震えながらに掴んでくる。何かぶつぶつと独り言を漏らし葛藤を始める。

 フィオンの母親から頼まれているとはいえ、身内でもないフィオンに対し明らかに大袈裟な反応ではあるが、無碍にはできず強引に引き剥がす事もできない。

 ハンザは暫く思い悩んでから、何とか感情を抑え新たな門出を言祝いでくれる。


「そうか……いや、若いもんが旅立つのは世の常じゃな。……お前さんならどこへ行っても何とかなるじゃろう、しっかりと頑張るんじゃぞ。しかし、どこで何をするつもりなんじゃ?」

「西の、ヒベルニアに行ってな。……冒険者を、頑張ろうと思う」


 言葉を聞いたハンザは声にならない小声で「ヒベルニア……」と呟き、フィオンを掴んでいた腕をだらりと垂らす。顔は血の気を引かせ見る見るうちに青褪めたものとなり、先程までよりも強い動揺に体を震わせる。

 震える皺くちゃの口から少しずつ、不安をまじまじと含んだ言葉が少しずつ放たれる。


「なんでまた、そんな……そいつは、どうしても必要な事なのか……? 一体、なぜ……?」


 決して非難を顕にした言葉ではないが、その声には明らかな否定の意思が含まれていた。

 問われたフィオンは何も言う事ができず、苦々しげに口を噤む。

 動機の元を辿れば、クライグの手紙に記されていた開戦や徴兵にまで行き着いてしまう。今それを自身の口から、町の往来のど真ん中で喋る事は出来ない。


 答えを得られないハンザは、その場で力無く膝をついてしまった。

 見かねてフィオンが手を差し出そうとすると、弱々しい声を絞り出す。


「別に冒険者に偏見を持っておる訳ではないんじゃよ。わしは、ただ……危険な目に会って欲しく無い。……金が必要というんなら、わしの店を継がせても……」

「じいさん、俺はな……金じゃあなくて、その……」


 ハンザからの真心の様な厚意に、フィオンは応える事ができない。

 今のフィオンに必要なものは金や安全ではない。徴兵を回避しつつ戦争へ参加する為の道。冒険者という生業はまさに、その道を指し示す光であった。


 しかしそれを明かす事はできず、老人の想いに応える事は出来ない。

 ハンザは項垂れたまま諦めた様に首を横に振り、フィオンの手は取らないままに、それでも厚意を恵んでくれる。


「お前さんの家の事は、わしが面倒見よう。実家へも、ソーニャへも伝えておこう。じゃが、どうか……どこへ行っても、体には気をつけるんじゃぞ」

「……恩に着るよ、有難うなじいさん。まぁ、俺だって死にたかねえからよ」


 せめて感謝の言葉を明るく伝えフィオンはこの場を後にする。

 打ちひしがれたハンザに対し、これ以上出来る事はなかった。


 去り際に、ハンザは呪いを孕んだ声をその場に響かせる。

 決して大声でもない、低いくぐもった声。それはフィオンの心にずるりと入り込み、大事な場所へと染み込んでいく。


 『どうして……お前が……』


 呪詛の言霊は消えない染みとなり滲み入る。

 まだはっきりとは解らない感情を、ぞわりと掻き撫でた。

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