第2話 平穏との別離

 すっかり日が落ちた森の中、木造の一軒家へ家主が帰宅する。

 手紙の中身が気になるフィオンだが、先にやるべき事が残っている。食材は揃っているがそれだけで晩飯が出てくる訳ではない。


「手紙は、後だな。まずは飯の仕度を……」


 ドアの横の壁に据えられた透明の水晶玉。夜闇に閉ざされた家の中でフィオンはそれに手を翳す。

 途端、天井に提げられたランプに灯りが点り室内を照らす。ランプの中には燃料も油も無しに、炎が煌々と点っている。


 次いで荷物を下ろしてから、調理の準備をする為に土間へ。

 灯りを点したのと同様に別の水晶玉に手を翳す。やはり同様に、火種も薪も無い竃に火が点る。


 それを確認してから、土間の隅に置かれた棚から熟成の済んだ一塊の兎肉を取り出す。棚の中は氷も無しに冷気に満ちており、肉を初めとした食品郡が鮮度を保ったまま蓄えられている。


 ドミニア王国の現王主導の元に開発された装置、魔操具まそうぐ

 本来は魔導士や一部の亜人等にしか活用できない大気中の魔力であるマナ。これを主動力として簡易な魔法を装置によって発現させる事で、魔道の力を広く寄与させるもの。

 火を発現する魔法は灯りや調理を助け、冷気を発する魔法は食物の鮮度を保ち、水を湧かせる魔法は人々を水汲みから解放した。


 10年程前に開発されその後は国の手厚い後押しで一般へ普及。現在の国内では余程の辺境か貧困層でもない限りは、生活の基盤は魔操具によって支えられている。

 周辺国にも輸出によって供給されているが、核となるシステムや機構はドミニア国内でも極一部にしか開示されておらず、他国はドミニアに首根っこを掴まれる形となっている。


 ドミニアでは軍事にも活用されだしているがまだまだ配備数等は少なく、その影響力に疑問を呈する声は少なく無い。

 国力軍事力共に優位に立つカリング帝国との戦では、魔操具がどれだけ活躍するかが戦いの趨勢を決めるとも言われている。


 魔道の火が点った竃で、フィオンは兎肉のスープを作り出す。

 ぶつ切りにした兎肉と適当な野草をぽいぽいと鍋に入れ、土間に設置された水を生成する魔操具から鍋に水を入れる。後は香辛料で味を調え丁寧に煮れば食えるものとなる。

 味や栄養にあまり頓着は無く、とにかく腹を膨らませる事を重視した食事。スープと買って来たパンでそれは充分に満たされる。


 鍋の番をしながらフィオンの注意は鍋ではなく、机の上に置かれた親友からの手紙に向いている。

 六年間互いに連絡を取っていなかった事に六年ぶりの手紙で気付き、しかし気まずいという気持ちは湧いてこない。

 もし隣にいたならば互いに笑い合い、背中を叩き合っていただろう。


「……まぁ、あいつも急がしかったろうし、俺もそれ所じゃなかったが。しっかし……六年ってのは、長すぎんだろ」


 実家リークで初等学校の入学時から付き合いのあるクライグ。フィオンよりも上背があり薄い金色のオールバックの短髪と憎めない緑の瞳、裏表の無い快活な性格の持ち主。

 フィオンに影響される形で共に軍人の道を志し、18才で試験を受けるまではフィオンが勉強面でサポートをしていた。実技ではほぼ互角であったが、クライグは机上での諸々に少し疎い所があった。


 そうして迎えた試験では、誰も予期せぬ形でフィオンは落ち、クライグは何とか合格した。

 フィオンの落第にクライグは納得出来ず試験官に殴り掛かり、クライグの合格が取り消されてもおかしくない程の怒りを見せた。放心状態であったフィオンはそれだけはあってはならないと、最後の気力を振り絞ってクライグを押し止めた。


 レクサムに移る際にはフィオンの母親と共に、色々と協力してくれたクライグ。

 士官学校のある王都コルチェスターへ発つクライグと、リークで別れてから早六年。クライグが士官学校を何も問題なく卒業しているならば、既に軍人として配属されている年である。


 さっさと晩飯を片付け食器を流しへと放り込み、食後の蜂蜜酒ミードを用意して手紙を開封する。

 よく見れば裏面のクライグの名には『ドミニア王国軍 第五陸軍中尉』と冠されている。

 フィオンとクライグは今年で24になる。ドミニア王国軍に当て嵌めれば士官学校出での24歳が中尉というのは、順当な階級であった。


 フィオンが手紙をずっと気にしていたのは、クライグの性格を考えると何かやらかしていないか心配していた為だったが、それは杞憂に済んでくれた。

 ホっと一息吐きグラスを呷ってから、封蝋を剥がし中の手紙に目を通す。

 折り畳まれた手紙には手書きの文字で、飾り気の無い言葉が綴られていた。


 フィオンへ

 久しぶりだな、レクサムで元気にやってるか?

 どこで何してようがとりあえずは元気である事を心から祈ってる。


 俺の方は卒業してから何とか現場に食らいついて、今は中尉としてブリストルで頑張ってる。本土の軍は地味な仕事と訓練ばかりでうんざりしてたが、近頃はそんな愚痴も言えなくなってきた。


 お前も噂には知ってるかもしれないが、カリングとの開戦がいよいよ間近に迫ってる。上の人らが言うには、このままいけば来年の春には始まっちまうらしい。

 今んとこ大規模な徴兵はされてねえが、いよいよとなったらそれも始まる。


 お前が一般人として徴兵されりゃあ、運が良くても少しマシな雑兵程度にしか扱ってもらえないだろう。そうなる前に身を隠すか、或いは一緒に戦って欲しい。

 今の内からどうにか名を上げておけば、戦争に駆り出されても悪い待遇にはならないはずだ。


 何を選ぶかはお前の自由だし、どっか行ったとしても俺はお前を恨まない。

 でも戦争で名を上げれば軍部への道ももう一度開ける。そうすりゃお前も実家を見返すことができる。

 勝算は充分にある、出切ればお前には参戦して欲しいのが俺の本音だ。


 こんな長い間離れてるなんて初めての事で、手紙書いてたら変な笑いが漏れちまったよ。

 また会える日を楽しみにしてる。


 PS,書き終わってから気付いたが、この手紙もしかして……まずいか?

 ……しっかり燃やしといてくれ!


 手紙に目を通したフィオンは、何とか呆れを抑え平静を保っている。先程までは大事な品であった親友からの手紙を、厄介事の種としてぽいっと机に放り出す。

 空になったグラスに再び蜂蜜酒を注ぎ、一息にそれを干すと共に、差し迫った事態を理解した。


「……なーにが変な笑いだ、ちっとも笑えねえ。そうか……徴兵か。いや、そんな事より」


 戦争に行く気はさらさら無いフィオンだが、国から強制で駆り出されてはどうしようもない。

 レクサムでの平穏な日々は彼の心を癒したが、同時に徴兵や強制等の直視したくない現実に対し、無意識に目を逸らさせていた。士官学校に入るべく諸々を学んでいた彼ならば、カリングとの戦力差を埋めるべく徴兵等が行われる事は嫌でも理解できる。


 ドミニア王国はアーサー王という伝説的な人物を始祖に持ち、それは外交において多大な影響を与え、周辺国に対しては優位を保ってきた。

 ブリタニア島と西のヒベルニアのみの国土は決して肥沃で広大とは言えず、強国と呼べるほどの国力は無い。

 だが、幾らか脚色が加えられた立国に関する物語が国内外で広く愛されている環境は、百年程の平穏をもたらしてくれた。


 しかし数年前から、南の海峡を挟み大陸に広がるカリング帝国との関係が、年々怪しいものとなっている。

 カリング帝国は大陸南端のイベリア半島から大陸中央部ロレーヌまでを有する強大な国であり、ドミニア王国と比較すれば国力は二倍を上回る。


 イベリア半島南部での問題を解決したカリングは北への領土欲を露骨に現す様になり、外交や貿易においてドミニアを刺激するようになった。

 ドミニアはそれに対し毅然とした対応を取ったが、大陸内での影響力に勝るカリングはこれを『ドミニアは大陸諸国を見下している』として逆手に取り、周辺の世論を自分達に都合が良くなる様に暗躍した。

 結果大陸では『ドミニアは驕り高ぶった国である』という風潮が蔓延し、カリングが北への軍備を整えている現状にあまり非難の声は挙がっていない。


 ドミニアもこれに対し南部への防備を整えているが、カリングとの直接対決には不安の声が多い。

 周辺国は中立という名の日和見を決め込んでおり、このままぶつかれば苦戦は必至である。

 そんな中でクライグからの手紙は『開戦は一年後』『徴兵が行われる』等の現役尉官からのリークと知れれば大混乱が起きる内容で満ちていた。

 フィオンはクライグが問題なく中尉になれた事を、奇跡か何かの賜物だと感謝しつつ、ちびちびと蜂蜜酒を啜りながら頭を抱える。


「名を上げろってなあ、簡単に言いやがる……。勝算があるってのも、いや問題はそこじゃねえが」


 いざ戦争が現実に起きるものとして考えると共に、クライグが軍人になっているという事実。

 それらを合わせた結果、クライグを置いてどこかに身を隠すという選択肢は、フィオンの頭からは綺麗に消えていた。国が戦争でどうなろうが知った事ではないが、親友だけを戦線に送る様な真似は到底できない。

 だがそれとは別に、徴兵されて雑兵として駆り出されるという事態も、フィオンにとっては受け入れ難いものである。士官学校の試験で理不尽を受け、再び国や軍から煮え湯を飲まされて堪るかというものだ。


 それを回避しつつ戦争に参加するとなれば、名を上げて戦争時の待遇をどうにかしろと言うクライグの提案は尤もではある。名の有る傭兵や武人であれば軍も雑兵と一緒くたに扱う事はできず、その待遇や従事する任務にも違いが出る。

 問題はその手段が思い浮かばず、残された時間が一年しかないという事だ。


「来年までに戦争、戦いに通じる実績……。っち、何かねえか」


 かつてのブリタニアでは武力を頼りとされる稼業もそれなりに成り立ち、腕に覚えのある者達は徒党を組んで様々な事をこなしていた。街道の護衛や怪異の調査、魔物の討伐依頼、遺跡の探索等。

 しかしドミニア王国が島の全土を治めて百年。現王の卓越した手腕の元、魔物は軍によって粗方打ち払われ、街道を脅かす野盗等も小規模なものが細々としている程度。

 現在のブリタニアにおいては、武力を必要とする事のほぼ全ては国や軍に依存している状況であり、民間への依頼等は存在しない。


「いっそ軍に志願……一年で何が出来るってんだ。……何もねえのか」


 グラスを傾けつつあーでもないこーでもないと、フィオンはランプの下で一人思い悩む。

 レクサムで六年続けてきた狩人としての生活は彼の身体を大いに育んだが、頭を使うのはせいぜい雑貨屋での取引と食事のメニュー。

 日々の狩猟の現場においては、知識に基づいた経験と本能的な勘に頼る所が多く、頭を巡らせる事はめっきりと無かった。


 名案は浮かばぬままに時は経ち、蜂蜜酒の残りは少なくなっていく。

 少し飲みすぎかと気付いた時には深夜を回っており、とっくに寝ていなくては明日に響く時間であった。


「しょうがねえ、明日に持ち越すか……まあすぐにどうにかなる事じゃねえ。焦らず考よう」


 自身に言い聞かせる様に独り言を零し、親友からの手紙を竃の火にくべる。

 出切れば取っておきたい気持ちもあったが、書かれている内容を考えれば速やかに処分する他は無い。

 炎に焼かれた手紙は煤と灰になり、親友との交友の証は跡形も無く消え去った。


 再び壁の水晶に手を翳しランプの灯りを消し、カーテンの閉められた窓際のベッドに身を沈める。

 月明かりが僅かに差し込む部屋の中、フィオンはベッドに横になってもまだ『名を上げる方法』について頭を巡らせていた。

 焦るなと自身に言い聞かせても中々頭を切り替えられず、瞼を閉じたままに思考は同じ所を延々と回り続ける。


 しかしいつもより多い酒の助けもあってか、そこまで尾を引かずに意識は微睡んでいく。焦る頭は程無くして、微睡みの中へと落ちていった。

 浅い眠りはフィオンにレクサムに来てからの歳月を、パラパラと朧気な夢という形で見せていく。


 レクサムに来てから、暫くは無気力のまま何もする気が起きなかったフィオン。

 腹を満たすために町へと行き、雑貨屋のハンザから勧められ狩りを始め、他にやる事が無かったせいもあってそれに没頭した。


 狩人としての日々は彼に多くをもたらした。

 生きている対象を射る事の経験。それによって向上する弓矢の技術や、殺生による複雑な感情の隆起。

 動物を殺す事に忌避感は持たなかったがそれでも一切の抵抗が無かった訳ではなく、出来るだけ苦しませずに仕留めようという心持ちは自然と備わった。


 獲物を仕留めきれず手負いにさせてしまった時には自身を許せない様な感情に苛まれ、それが晴れるまで狩りに出る気を起こさせなかった。

 あの時の後味の悪さは今でも鮮明に焼き付いており、今日の狩りで牡鹿を見逃したのもこれによる所が大きい。


 新鮮な経験は心に染み込み、不始末は苦い教訓となり、狩人の日々は心を癒すと共に心身の成長を大いに促した。

 多くをもたらしいつの間にか日常となった狩人の日々に、無自覚ながらに感謝にも似た感情を彼は抱いていた。

 こんな走馬灯の様な夢を見たのも、この日常との別離を薄っすらと察し、惜しんでいたからかもしれない。


 そして走馬灯を見るのは――危機に瀕した時に他ならない。

 狩人が眠りに落ちる中、闇に覆われた森からは招かれざる客が迫っていた。

 平穏の日々は、一度終わりを告げる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る