楓と梓

池田蕉陽

第1話 親友


「もう絶交よ」


 友達のあずさのその一言が、かえでの頭の中で反芻はんすうされた。


 喧嘩の原因は、楓がバンドのライブを梓と一緒に行くという約束をドタキャンしたからだった。


 悪いのは完全に楓だ。梓は初めてのライブを楽しみにしていた。楓は梓のその気持ちも考えずに、テスト一週間前という理由だけで「やっぱり行けない」と今日学校で伝えたのだ。チケットを取る際に、ライブの日がテスト間近かどうか確かめなかった楓が悪かった。


 楓もそれは自覚している。なので、今現在、湯船に浸かりながら楓はひどく後悔していた。やはり、ライブを一緒に行くべきだったと。


 なんでもっと梓のこと考えなかったんだろう。私のバカ。


 手皿で湯をすくい、自分の顔を洗うようにしてかける。


 明日謝ろう。もし、それで許して貰えたら次の日曜日に一緒にライブに行こう。


 今日は喧嘩になって、楓の頭も熱くなっていたので、謝ることが出来なかった。


 楓は自分の両頬をパシンと叩いた。




「昨日はごめんなさい」


 梓を人気のない校舎裏に呼び出し、楓は頭を下げた。顔を上げると、梓は謝られるとは思っていなかったのか、目がいつもより見開いていた。


「私、全然梓のこと考えてなかった。自分勝手な都合でドタキャンしちゃって本当にごめんなさい」


 もう一度頭を下げて謝罪をする。地面を見つめながら、梓の返事を待った。


「顔上げてよ」


 梓の声に棘はなかった。楓は少し安心して言う通りにする。梓は腕組みをして、目線は横の壁に向けられていた。


「うちも昨日は言い過ぎた。うちにとったら初めてのライブだったから、それをドタキャンされて悔しかったの。だからあんなキツイ言い方しちゃった。ごめん」


 梓は頭のてっぺんを見せた。楓は「ううん」と首を横に振る。


「そうさせたのは私だから、梓は謝ることなんてないよ。私が悪いんだから」


「ううん、うちも悪かった」


「そんなこと……」


 そこまで楓が言いかけると、梓は楓の口を手で覆った。


「喧嘩はもう終わり。ほら握手」


 梓は楓の口から手を離し、そのまま握手するよう促す。楓は「うん!」と梓の手を握った。


「ライブ、やっぱり行こ?」


「いいの? テスト一週間前だよ?」


「テストより梓の方が大事だもん。昨日は梓のことちっとも考えてなかったから、馬鹿な事言っちゃっただけ」


「そっか」と梓は微笑んだ。


「なら日曜日、ライブ行こ! 初めてのライブめっちゃ楽しみ!」


「私も梓とライブ行くの初めてだからすごく楽しみ!」


 楓のモヤモヤは晴れた。女同士の喧嘩は醜くて執念深いと聞いたことはあるが、二日で仲直りできて本当に良かった。


 中学二年になって梓とは友達になったが、これからもずっと仲良しでいたい、これを機に楓はそう思った。




「ライブやばかった!」


 ライブの帰り道、梓はまだ興奮がおさまっていないようで、軽く弾みながら隣を歩いていた。


「それね! ラストが最高だった!」


 楓もまだ余韻が残っていた。それほど今日のライブは最高だった。梓と一緒にいたから更にだ。梓にとって最初のライブ、思い出深くなれただろうか。だとしたら、楓自身も嬉しい。


「やっぱあのバンド神だわ。今度も絶対ライブ行こ?」


「うん! 行こ!」


 それからも楓は梓とライブの話で盛り上がった。お互いに買ったグッズを見せ合いっこしたりもした。


「そうだ! 記念にプリクラ撮ろうよ!」


 ショッピングモールを通りがかろうとすると、梓がそういった。


「いいね! 撮ろ撮ろ!」


 楓もそう言えば梓とまだ撮ったこと無かったことに気づき、それに賛成した。これで更に絆が深まればいいなと思った。


 楓と梓は高鳴る気持ちでショッピングモールに入った。


 ゲームセンターエリアに入る。プリクラ機がある所に行くと、二人で二百円ずつ出し合った。中に入ると、機械から声がして説明してくれる。楓と梓は指ハートやらピースなど様々なポーズを決め、写真を撮った。


 撮影は終わり、隣に移る。落書きタイムだ。楓と梓の無邪気な笑顔が写し出されている。世界で一番二人が輝いているのではと思えた。


「見てこれ!」


 梓が自分の顔を落書きし、楓を笑かせる。楓も面白いスタンプなどを付け、ネタ風にした。他の写真は可愛く飾った。今日ライブが行われたバンド名も手書きで書いた。


「いい思い出になったね」


「ほんとにね。幸せだな〜」


 現像されるまでの間、お互い心境を語り合う。


「ずっと、友達でいようね」


 楓がそう言うと、梓は迷いもなく「当たり前だよ!」と即答した。


 現像し終わったようで、梓が写真を手に取る。すると、梓は首を傾げた。


「あれ?」


「どうしたの?」


 梓は写真を見ながら、訝しそうにしている。


「ちょっと見て」


 梓が楓にプリクラの写真を見せる。


「え!?」


 楓は声を出さずにはいられなかった。それほど驚愕させられたのだ。心霊写真が写っていた訳では無い。楓にとっては、それより衝撃的だった。


「誰これ!」


 楓はそう言って、写真に写る二人の老婆に指をさした。


「機械の故障かな。隣のプリクラ機の写真がこっちで現像されたとか」


 梓が困惑しながら隣のプリクラ機を見る。


「そんなことあるのかな」


 私も隣のプリクラ機を見てみるが、そもそもそんな老婆達はいない。


「店員さんにきいてみる?」


「そうだね」


 楓は頷き、二人で店員さんの所まで向かった。しかし、店員さんも分からないと言うのであった。試しにもう一度撮ってみると、今度は楓と梓の写真が出てきた。


 あれはなんだったのだろうか。


 楓と梓は、いつの間にかライブの余韻はその出来事のせいで無くなっていた。不思議だね、と二人で交わしながらショッピングモールを出て家に帰った。


 それにしても、写真の二人の老婆。とても幸せそうだった。





「あれ、ここ」


 親友の梓がゲームセンターエリア前で足を止めた。


「どうしたの梓」


「ずっと前に、二人でここに寄らなかった?」


「そうだったかしら」


 何しろ、地元のショッピングモールに行くのは何十年ぶりなので覚えていない。社会人になってからは、ほとんど大阪にいた。


「ほら、あれよ。確かライブの帰りにプリクラを撮ろうって」


「ライブの帰り……あー!」


 楓はライブの帰りと聞いて、ようやく思い出した。そう言えば、そんなこともあった。確かにあの時プリクラを撮ったのはここだ。まだ潰れていなかったのか、と驚いた。


「懐かしいね。六十年も前よ」


「そうね〜、まだあの頃は私と梓が出会って間もなかったよね」


「そうだったわね。こうして今までうちらが一緒にいたのも、あのライブの日のおかげなのかもね」


「そうに違いないわ」


「あ、そうだ。久しぶりに撮ってみない?」


「あら、いいわね」


 いつ頃だっただろうか、プリクラを撮ろうなんて言わなくなった時期は。歳を重ねる度に、そういう場所にも行かなくなった。今日は久しぶりの地元なので、ショッピングモールに行こうとなったが、普段は全く行かない。たまには若い遊びをするのも、楽しそうだった。


 楓と梓はゲームセンターに入る。年寄り二人には少しうるさすぎた。若い頃はこの音が好きだった。


 プリクラ機の何処へ行くと、梓が四百円入れた。


「あら、奢ってくれるの」


「馬鹿ね。いつか倍にして返して貰うからね」


「そんなことだと思ったわ」


 笑いながら懐かしの撮影室に入る。あの頃より、プリクラ機は発展している。当たり前だ。六十年も経っているのだから。


 説明が入る。機械から声が流れるのは、あの頃と一緒だった。


 楓と梓は何もポーズをしないで、ただ普通にしていた。カメラに写る楓と梓は無意識に頬が緩んでいた。


 撮影が終わると、隣に移動するよう指示される。落書きタイムだ。


「すごいわね。皺が全部、取れてるわよ」


 梓が画面に写る二人を見て驚嘆した。楓もそれには驚きを隠せなかった。


「大分、若返ってるわね」


 とは言っても、雰囲気で老婆と分かる。


 制限時間が十分に設けられているが、楓と梓は何をどう飾っていいか、いまいち分からなかった。と言うより、若い頃の感覚が衰えすぎていると言った方が正確だった。


 特に何も加えないまま、落書きタイムは終了した。


「なんか、よく分からないわね」


「それはそうよ。もう私達、七十こえてるのよ」


「それもそうね」


 懐古話をしながら、写真が現像されるのを待った。


「終わったみたいね」


 梓が現像された写真をプリクラ機から取る。


 それを梓が確認すると「んん?」とうわずった声をあげた。


「どうしたの?」

「なんかこれ、おかしいわよ?」


「え? 見せてごらん」


 楓が梓が持つ写真を取り上げる。すぐさま確認すると、楓は目を丸くした。


「どういうこと?」


 写真には写っているはずの、楓と梓がいなかった。代わりに写っていたのは、二人の若い女の子。彼女らに、まだ少しぎこちなさがある様子が楓には感じられた。


「故障かしらね」


 梓がそう言った途端、楓の頭の中で閃光が走った。


「六十年前にも、こんなことなかった?」


 梓に訊いた。最初は首を傾げていたが、梓も思い出したようで、萎んだ目が限界まで開かれていた。


「あった。そう言えばあったわね。あの頃は確か老婆の二人が……」


 そこまで梓が言いかけると、「はっ!」と大きく開いた口元を手で隠した。


「もしかして……」


「そのもしかしてよ。いや、絶対そうよ。あの頃、プリクラ機から出てきたあの老婆の写真は私達だったのよ」


「じゃあこの写真は六十年前のうちら?」


 楓は頷く。


「なぜだか分からないけど、六十年前に撮った写真が今現像されて、今撮ったはずの写真が六十年前の世界に現像されたのよ」


 にわかに信じがたいことだが、そうとしか言い様がなかった。世界の一部が狂って、偶然に起きてしまったことなのか、それとも何か訳があって未来と過去がリンクしたのか。


 楓には考えてもハッキリとした答えが出てこなかった。


「長いこと生きてたら、こんな不思議なこともあるもんやね」


 梓は深く考えていないようだ。楓も答えなんか出ない気がしたので、思考を停止した。


「そうね〜。でも、それにしても不思議すぎるわ」


「言う通りね」


 楓と梓は笑いあった。幸せだからなんでもよかった。

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楓と梓 池田蕉陽 @haruya5370

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