第5話育みの歌
いつからか、メルの奇行がささやかれはじめる。
晴れの日に、大きな傘を持って外出するメル。そのまま晴れた日には疲れた顔で帰ってきて、雨が降ると逆に笑顔を忍ばせて帰ってくる。
今までになかった行動に、興味を持った者がメルに尋ねてみても『別に……』という言葉しか返ってこない。
求められぬ興味はやがて薄れる。
いつしかメルの奇行を、誰も気にしなくなっていった。
ごく一部の者を除いては。
だが、メルはそんなことも気にもせず、隙を見つけては抜け出していく。
二人入れる大きな傘を一つ持ちながら。
*
「ごめんよ。いつも待たせて」
「…………」
ほんの少し、口を真一文字に結ぶメル。雨が降り始めてからの、そわそわとした感じが嘘のように無くなっていた。
「ありがとう。今日も来てくれて」
「いい。勝手に待ってるだけだから」
はにかんだ笑顔で視線を下げるメルに、爽やかな風のようなアムルの声が届いていた。
「今日はどこに連れて行ってくれるんだい?」
顔をあげると、降り始めた雨を愛おしそうに見つめるアムルがいた。メルが顔をあげたことに気付いたのだろう。真っ直ぐメルを見つめるアムル。
世界を見たいというアムルの顔は、好奇心に満ち溢れている。そんなアムルの視線を直視できず、メルは視線を外しながら気恥ずかしそうに呟いていた。
「そんなに期待されても困る。ごくありふれたものだから」
「でも、二人で見るのは初めてでしょ」
聞こえるとは思わなかったのだろう。メルは思わずアムルの顔を見上げていた。
その瞬間、アムルの優しげな瞳の中に、メルは自分の姿を見つけていた。いつも灰色の世界にいた自分が、色鮮やかなところにいる。
それだけではない。その表情は、いつもの自分ではないように感じていた。
戸惑う中に、かすかな喜び。
瞬時にメルは自分の姿をそう悟る。
その瞬間、メルの中で何かが色づき始める。
でもそれ以上、その瞳を見続けることの出来なくなったメルは、その大きな傘をアムルに差し出していた。
笑顔でそれを受け取るアムル。
傘を広げたアムルに、メルがすかさず行き先を指し示す。
「あっち」
「わかった」
短いやり取りで、二人は同時に歩き出す。
無言で歩く二人に、傘と雨音が寄り添っている。
穏やかに心地よく流れる時間。
ほんの少し口元が緩むメル。ときおり前を見ては、すぐ足元を見る。もうすぐ分かれ道に差し掛かるが、顔をあげたメルの視線は、いつもアムルを見ていた。
半歩前を歩くアムルの体が急に立ち止まった時、メルもそこで立ち止まる。
その時、そこにある水たまりの中に、メルは自分達の姿を見つけていた。
今まで、メルは自分以外の姿を隣に見ることはなかった。幼い頃から、メルはいつも一人だった。しかし、今隣にはアムルの姿も映っている。
「どっち?」
そう言って振り返ったアムルがメルの顔を覗き込む。お互いの息が感じられるその距離に驚き、思わず体をのけぞらせるメル。
「あぶない!」
アムルの腕の中に引き寄せられたメル。初めて味わう感じに戸惑いながら、心地よさを感じていた。
その瞬間、またメルの中で何かが壊れる音がした。
「大丈夫?」
心配そうな声を頭の上で感じた時、自分とアムルの姿を水たまりで見つけたメルは、そこにかつてない色を持つ自分を見つける。
驚き、突き放すように、アムルから離れようとするメル。
だが、その瞬間。
再びよろけたメルの手を、アムルがとっさに握りしめる。
その手の温度を感じたのだろう。メルの瞳はしっかりとアムルを見つめていた。
「さっ、行こう」
「――うん」
再び歩き出す二人、その距離はますます近づいていた。
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