第38話 人形劇の終演3
「結局、あやしい人物の痕跡はなにも発見できなかった」
翌日、八王子警察署の捜査員が図書館や図書館のまわりを調べたり、鑑識が崩れ落ちた天蓋を調べた。その警官たちの中には、娘を心配して駆けつけた遠鳴警部の姿もあった。
ゆかの目の前で、ふたりはずっと事件について話していた。
マヤはもう動揺を見せることなく、いつもの冷静な顔つきに戻って捜査資料を読んでいる。
「鑑識がいま天蓋の指紋採取をしているが、外から侵入した形跡は見られないそうだ」
「でも、あの、天蓋が落ちたのは、天井をつなぐ鎖と柱に切れ込みがあったからでしょ?」
ゆかが口をはさむと、父は怪訝そうにこちらを見た。
「確かにそうだが、それがどうした?」
「だったら、きのう切れ込みを入れたとは断定できないと思うんだけど。わたしが入院してたとき、篠崎さんとマヤちゃんも一緒だったから、そのときに仕掛けられたんじゃ……」
「いや、それはあり得ない」
「どうして?」
「マヤくんや篠崎氏の部屋も調べたが、特になにかが仕掛けられた気配はなかった。ゆかが泊まるかどうかがわからないのに、ゲストルームにだけ事前に罠を仕掛けるのはおかしいだろう」
「そっか。ごめんなさい。口をはさんで」
ゆかがマヤのほうを見ると、マヤは唇を指で叩いて何事か考えていたが、
「それで五年前にミスティック・ドールズ事件に関係していた人間はどうだったの?」
「いまのところまだ調査中だ。ただ、五年前に君が助け出した子供たちに関しては、ミスティックが発症した様子は見られないそうだ。五年前にミスティック・ドールズとして犯罪をおかした子供たちも同様だ」
「他の関係者は? 警察捜査員や病院関係者やミスティック・ドールズの家族たちは?」
「そこまでは調べ終わっていない。なにせ、ミスティック・ドールズとその被害者だけでも相当数におよぶからね。そのすべての人間を洗うのにかなり手間取ってる」
なるほどね、とマヤは大きく息を吐く。
「でも、時間はあまりかけられないわよ」
「無論だ。これ以上犠牲者が増えることは警察も望むところではない。なんとしてでも真犯人を見つけなくてはならない。ゆかと君を守るためにもだ」
「ゆかが正義感が強いのは父親譲りなのね」
マヤに微笑まれ、ゆかは顔が熱くなった。
「君に頼まれていたものを渡しておく。木之本夏子殺害時の現場写真だ」
ゆかはとっさに目をそむけた。そんなものを見たくはなかった。
実際には封筒に入っていたので、写真の実物を目の当たりすることはなかった。けれど、夏子の死体が写された写真があると思うだけで、吐き気にも似た感覚が胸からこみ上げる。
「もうひとつ君に頼まれていたものだ」
父はマヤに小さな紙袋を手渡した。
中味が気になったものの、ゆかはそれ以上聞けなかった。マヤの顔つきや態度がきのうから別人のように変わっている。その表情はひどく怒っているようだった。ゆかを襲った犯人に対しての怒ってるのかとも思ったけれど、以前よりももっと怒りがあらわになっていた。
「最後にこれを見てほしい」
父は小さなメモ書きを手渡した。
メモに目を通した瞬間、マヤは大きく目を見開いた。
「これ、ほんとなの?」
父は重々しくうなずく。マヤはあきらかに狼狽していた。
「どうする? この事実をゆかに伝えるか?」
「どういうこと? なにがあったの?」
マヤはゆかの顔をしばらく見ていたが、
「いえ、まだだめよ。ゆかを動揺させるわけにはいかない。この事実を知ってるのは?」
「わたしと君だけだ」
「だったら、この事実は隠しておいて。追って連絡するわ」
捜査記録を真剣な顔で読むマヤを見て、父は苦笑した。
「毎度のことながら君と話していると、君がゆかよりも年下だということを忘れるな」
「あなたの娘が子供っぽすぎるんじゃないの?」
「マヤちゃん、ひどいよ」
ぶすっとふてくされると、父とマヤは同時に吹きだした。
「ゆか。やっぱりおまえはすこしマヤくんを見習うべきだな」
「そんなことないわ。ゆかはこのままほうがいいのよ」
父とマヤに子供あつかいされて、ますますゆかはふてくされた。
マヤだってほんとうは子供らしいところがあるのに、決してそれをゆか以外の誰かに見せることはない。それだけマヤにとってゆかが特別だということはうれしいけれど、誰にも信じてもらえないのはすこし悔しい。
「警部。この子を連れて帰るんでしょ」
「いや、まだここにおいておく」
「なんですって?」
マヤは眉をひそめた。
「どういうつもり? 犯人は直接ゆかを狙いはじめたわ。しばらくの間、この子をホテル暮らしをさせたほうが安全よ。あなたは娘が心配じゃないの?」
「もちろん心配だ。君の言うとおり、ゆかはホテル暮らしをさせたほうがいいのかもしれない。だが、ゆかが君から離れることを承知しない。そうだろう?」
「わたしはもうマヤちゃんから離れないって決めたんです」
ほらな、と父は苦笑した。
「君もここから離れる気はないんだろう?」
「ええ。相手が見えない以上、どこにいても結局は同じよ」
「だったら、ゆかも同じだろう? 君の側にいたほうがゆかは安全だとわたしは踏んだんだ。それに、君の側にゆかを置いておけば、君が無茶をしないように見張ることもできるしな」
「それはあなたの娘に言う台詞よ」
マヤにじとっと見られて、ゆかは小さくなった。
遠鳴警部は苦笑すると、捜査書類を手にして図書館から出て行った。
「あなたたち親子って、ほんとうによく似てるわね」
マヤは大きなため息をついたが、ゆかはやる気に満ちていた。父の了承を得ることもできたわけだし、これからはマヤの側に付きっきりでいるようにしよう。
「わたし絶対にもうマヤちゃんの側から離れない。学校が始まっても事件が解決するまで、マヤちゃんの側にいる。寝るときもお風呂のときもずっと一緒にいるからね」
「まさかトイレまで一緒だなんて言わないでしょうね」
「いや、さすがにそれは遠慮するけど……」
ゆかが両手を振ると、マヤは苦笑した。
「だいじょうぶよ。事件解決までそんなに長くかからせないから」
「えっ? どういうこと?」
その質問には答えず、マヤは真夏の陽射しを射抜くように見つめた。
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