第36話 人形劇の終演1
木之本夏子殺害事件から一週間後、ゆかは斎図書館にいた。
夏子の通夜も告別式も雨が降っていた。ひとり娘が殺されて涙にくれる両親を見るのはつらく、遺影の中で微笑む夏子を見るたびに涙がこみ上げた。けれど、通夜でも告別式でもマヤが、ずっと手を握ってくれたおかげで泣かずにすんだ。
ゆかが〝今回の事件が終わるまでマヤの側にいたい〟と頼むと、父は許可してくれた。
娘をマヤの側に置くことでミスティック・ドールズに狙われる危険は高いが、家に置いても事件に巻き込まれたいま、マヤの側にいたほうが安全と考えたんだろう。さらに、今回の事件が解決するまでの間、警官がふたりずつ交代で斎図書館を警備することとなった。
本来なら、その役目はマヤと遠鳴警部をつないでいた霧生のはずなのだが……。
「霧生さん、どこに行っちゃったんだろう」
霧生慎一郎は、木之本夏子殺害事件直後から音信不通となっていた。
せめて夏子の想いだけでも伝えたかったのに、彼はどこに行ったんだろう。まさか夏子同様にミスティック・ドールズに襲われたんじゃないだろうか。
ゆかが不安に思っていると、マヤが捜査資料に目を通しながら言った。
「ゆか。この間からずっと黙ってたことがあるの」
「えっ? なに?」
マヤはしばらくのためらいの後、おもむろにゆかに告げた。
「実は慎一郎もかつてミスティック・ドールズのひとりだったのよ」
えっ、とゆかは声を発したまま凍りついた。
「霧生さんもミスティック・ドールズ? だけど、そんなこと一言も言ってなかったよ」
「ほんとうなの。慎一郎は鳥籠からあたしが助け出した十人の子供のひとりだったの」
「そのことマヤちゃんは最初から知ってたの?」
いいえ、とマヤは首を振った。
「知ったのは木之本夏子の告別式よ。遠鳴警部から聞かされたの。慎一郎は元々母子家庭だったんだけど、あなたと同じく母親を暁人に殺されて誘拐されたの。子供といっても、もう十八歳だったんだけど。でも、後に知り合いの家に引き取られて苗字が変わったのね。だから、警察も彼が五年前のミスティック・ドールズ事件の被害者だとわからなかった」
「そんなことって……」
霧生がかつてミスティック・ドールズだったことと、今回の事件となにか関係があるんだろうか。だけど、霧生が真犯人だなんて信じたくない。
「でも、ミスティック・ドールズ事件の子供はみんな記憶を消されたんでしょ?」
「脳から記憶を完全に消し去ることはできない。ゆかだって悪夢に悩まされたくらいだもの。まして、警察官としてミスティック・ドールズ事件の捜査記録を読んでたのだから、そのときに記憶がよみがえったのかもしれない」
「だけど、霧生さんはすごくやさしい人だったよ。人を殺せるはずがないよ」
「ミスティックは人間の理性を破壊して欲望に忠実にさせてしまうと前にも言ったでしょ? 暁人も水瀬華乃も吉岡貴もみんなミスティックを投与されたせいで性格が変わったわ」
「でも、治療薬でミスティックを無効化できたんじゃないの?」
「わからない。治療薬は実験段階だったから、なにかの拍子でミスティックがまた目覚めたのかもしれない。あるいは、ミスティックとは無関係に自分の意志でミスティック・ドールズを生み出したのかもしれないわ」
あくまでもマヤは淡々と告げる。
「どうして、マヤちゃんは落ち着いてそんなことが言えるの? 霧生さんが真犯人なわけないよ。どうして霧生さんをもっと信じてあげないの?」
「あなたこそ感情に影響されて物事を冷静に考えられてないわ。あたしはまだ慎一郎を犯人と決めたわけじゃない。けれど、状況から考えれば、現段階では容疑者のひとりであることはまちがいないのよ」
「そんなことって……」
確かに夏子が殺害された直後から霧生が失踪したのはおかしい。霧生が五年前のミスティック・ドールズ事件について捜査記録から情報を得ることができれば、ゆかの母親の殺害事件と同じ見立て殺人をおこなうことも可能だ。
「もし霧生さんが真犯人なら、わたしのせいで夏子お姉ちゃんは殺されたの?」
それは一番考えたくない発想だった。霧生と夏子を引き合わせたのはゆかだ。あんなに想いを寄せていた相手に殺されたのだとしたら、これ以上ひどい話はない。
「どうしよう。わたしが霧生さんと夏子お姉ちゃんを会わせなければ……」
もしあの夜も霧生の家に夏子を誘わなければ、夏子は死なずにすんだんだろうか。
「ゆか。落ち着いて。こんなときにしっかりしないでどうするの? まだ今回の事件にはいくつも疑問がある。それが解けないかぎりは誰が犯人かを決めつけるのははやいわ」
「いくつもの疑問?」
「そう。ひとつ目は真犯人はどうやってミスティックを手に入れたのか。ミスティック・ドールズはあたしの祖父・斎武史主導の元でおこなわれた。でも、祖父も研究にたずさわっていた科学者も殺されたのよ」
「でも、ひとりだけ研究所から逃げ出した科学者がいるんでしょ?」
「ええ。三沢ね。彼は五年前に研究所から逃げ出したきり、いまも警察は居場所を掴めていない。でも、あたしの見たかぎりじゃ、あの男に今回のような大それたことを起こす度胸はないわ。どうせ国外に逃亡したかどこかのアパートの隅で身をひそめてるんでしょ」
ミスティック・ドールを生み出すためには、ミスティックそのものがなければいけない。だけど、そのミスティックは研究所が爆発したときに失われたし、開発をしていた三沢も行方不明となっている。
「二番目の謎はなぜミスティック・ドールズをよみがえらせたのか。祖父は人間の可能性を引き出すためにミスティックを利用しようと考えたわ。でも、今回の真犯人はミスティックを使ってなにをしたいのかがわからない」
「科学者の誰かがマヤちゃんのお祖父さんの研究を受け継いだとか?」
「いえ。そんなことあり得ないわ。祖父は他の科学者との交流もほとんどなかったし、ミスティックは人体実験をしていることもあって、ほとんど極秘に進められていた。だから、データが他のところに流れていることも考えられないわ」
「じゃあ、やっぱり〝For Maya〟というのが犯行動機なのかな」
おそらく、とマヤはうなずく。
「それが三番目の疑問ね。なぜあたしに対して挑戦状を送りつけてきたのか。あきらかに今回の事件はあたしに対して敵意を持ち、なおかつ五年前の暁人の犯行を知っている人物でなければならない。でも、あたしに対してはなにもしてこないのはなぜ?」
「暁人もマヤちゃんのお祖父さんも研究員のひとたちもみんな殺されたんだよね? だったら、もうマヤちゃんと五年前の事件の関係を知っている相手は誰もいないんじゃ……」
「いいえ。警察の上層部は五年前の事実を知っているし、五年前のミスティック・ドールズ事件の捜査員も当然事件の内容を知ってるし、助け出した子供たちもなにかのきっかけでゆかのように五年前のことを思い出したかもしれない。それに、子供たちを治療した警察病院の関係者もミスティックの存在は知ってるわ」
「ほへえ。そんなにたくさん知ってるの?」
「ことが大きいだけにミスティックを知ってる人間は多いわ。まあ、報道規制はかけられているから、世の中には情報は流れてないけど」
容疑者は誰もいないと思っていたけれど、今度は逆に増えすぎてしまった。
誘拐された子供から五年前の捜査員、警察組織の上層部、警察病院で子供たちの治療に当たっていた医者や看護師までいれたら、総勢何人がミスティック・ドールズ事件を知っているのかわからない。
そんなたくさんの容疑者の中から、真犯人を見つけなければいけないだなんて。
「だから、慎一郎を犯人と決めつけるのは、まだはやいのよ。慎一郎が暁人の模倣犯だとしても、なんのために暁人の犯罪を模倣し続けるのかわからない。でも、動機さえ解ければ、たぶんすべての謎は解けると思う」
「動機?」
「具体的な動機はまだわからないわ。なぜあたしを動揺させるのかわからないけれど、犯人はあきらかにあたしの心を追いつめることに快感すら得ている」
「つまり、マヤちゃんに対して憎しみを抱いている相手ってこと?」
しばらくのためらいの後、マヤはうなずいた。
「いまあたしの心を壊すためには一番効果的な方法はゆかを殺すこと。最後には必ず真犯人はゆかの命を狙ってくる。その前に真犯人を捕まえなくちゃいけないのよ」
ゆかは命が狙われることは怖かったけれど、マヤが心配してくれることがうれしかった。
だけど、犯人はなんて嫌なやつなんだろう。じわりじわりとねちっこくマヤの心を殺そうとしている。暁人の犯行を想起させるようなメッセージと見立て殺人を起こし、ゆかとマヤの仲を引き裂こうとしている。
ふたたびマヤを孤独にさせるなんて許せない。絶対に真犯人の思い通りになるものか。
「でも、マヤちゃん。どうしてわたしが犯人だとは思わないの?」
「えっ?」
ゆかの質問に、マヤはきょとんとした。
「なんでゆかが犯人だと思わなくちゃいけないの?」
「だって、わたしは夏子お姉ちゃんが殺されたときの記憶がないんだよ。霧生さんがミスティック・ドールズとしての力がよみがえったと考える前に、わたしがミスティックの影響を受けて殺したと考えたほうがはやいと思うんだけど」
あっ、とマヤは小さな声をあげた。
「そ、それは、そんな計画的な犯罪ができるとは思ってなかったからよ。ミスティックは理性を破壊して欲求に忠実になるのよ。百合の花をばらまくことからも犯人は事前に準備していたとしか考えられないわ」
「でも、水瀬さんはミスティックにあやつられても計画的な犯罪だったよ? もしかしたらわたしだって百合の花をばらまくくらいはしたかもしれないでしょ?」
「それはその……」
マヤの顔が真っ赤に染まっている。どうしたんだろう、とゆかが首を傾げていると、
「ゆかが犯人だなんて、いま言われるまで全然考えていなかったの!」
マヤは一気にまくし立てると、そっぽを向いた。
「つまり、マヤちゃんはわたしが犯人じゃないって信じてくれてたんだ」
マヤは顔を赤くして答えなかったけれど、胸がじんわりと熱くなった。
うれしい。すごくうれしい。
氷のように冷えた心で推理していると思っていたけれど、実は唯一の友達だけは無意識に容疑者からはずしていたんだ。友達が犯人であるはずがないと信じてくれていた。あのマヤがそんなに信頼してくれているなんて。
「マヤちゃんだってひとのこと言えないじゃん。友達が犯人と考えていないなんて感情に影響されすぎてるね。そんなんじゃ名探偵失格だよ」
ゆかがいじわるく言うと、マヤはふてくされたように、
「あたしがゆかを容疑者から除外したのは、あなたにそんな知恵があると思わなかっただけよ。いつも宿題を見てもらっているような相手に計画的な犯行ができるだなんて思わないわ」
「うん。わかった。マヤちゃんがわたしを好きだってことがよくわかったよ」
「ちがっ。だから、違うって。勘違いしないで」
そう言って慌てるマヤの顔は、いままで見た中で一番かわいかった。
この小さな名探偵を、命を懸けても守りたい。
そうゆかは強く決意した。
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