第34話 鳥籠の館に眠る記憶7

 マヤと篠崎は研究所に入り、その後ろから三沢がついてきた。

 研究所はひとの声がまったくしない。火災報知器の音だけが響いている。

 三人はひとつひとつの部屋を念入りに見て回るが、暁人の姿は見あたらない。事務室や資料室はおろか薬品庫や危険物保管庫などにもいなかった。

 やがて一階の安全を確認すると、マヤは大人ふたりに言った。

「篠崎はこのまま一階の資料室と薬品庫からミスティックを無効化する治療薬とデータを集めて。三沢はここから地下の鳥籠に行って子供たちを自由にするのよ。ふたりともいい?」

 マヤの命令に、篠崎も三沢も素直にうなずく。

「あたしは二階に行って暁人がいないか確かめてくる」

「三人で行動したほうが、よろしいのではありませんか?」

 篠崎の提案に、三沢の顔がぎょっとしたものとなる。

 三沢としてはマヤが暁人の囮になってくれたほうがありがたいのだろう。なんて情けないやつだ、と思うが、はじめから彼に期待などしていない。

「いいえ。暁人をとめるのが目的じゃなくて、時間稼ぎをすることが目的なの。時間稼ぎなら三人のほうがかえってあぶないわ。もうすぐ警察が来る。だから、あなたたちも自分の役目を終えたら、すぐに逃げて。いい?」

 篠崎は重々しくうなずき、三沢はかくかくとうなずく。

「じゃあ、お願い」

 マヤはにこやかに微笑むと、慎重に二階への階段を上がっていった。

 二階には実験室と所長室がある。白塗りの壁は無機質だったが、実験室の窓硝子が割れて飛散していたり、扉の壁に血が飛び散っていたりと凄惨な光景が広がっている。

 篠崎と三沢の前では虚勢を張っていたが、正直膝ががくがくと震えている。

 怖い。怖くてたまらない。本音はいますぐにでも逃げたい。

『……まあや。まあや』

 だけど、あの笑顔を守るためにも、絶対逃げるわけにはいかない。

(……暁人はどこ?)

 おそるおそる実験室の扉を開くと、そこにはふたりの死体が転がっていた。

 鋭利な刃物で斬りつけられたのか、ひとりは頸動脈を切り裂かれ、ひとりは逃げようとしたところを背後から胸を一突きにされている。

 口許を押さえて吐き気を堪える。ずいぶんと派手に殺したものだ。

 あたりをうかがったものの、すでにひとの気配はない。さらにあたりをうかがいながら奥へと向かうと、もうひとつの実験室の扉が開けっ放しとなり、中でひとりの研究員が胸を刺されて絶命している姿が見えた。

 研究所には祖父も含めて研究職員が五人、監禁されている子供が十人いるはずだ。

 いまの死体で三人の研究員を確認したこととなる。もうひとりは篠崎が殺害される現場を目撃したから、残りは祖父と誘拐された子供たちだけだ。

 これだけの人間を平然と殺せる相手と渡り合えるのか、正直自信がなかった。

 実験段階のミスティックを投与されたマヤと違い、暁人は人間の能力を引き出すためにつくり出されたミスティックを投与されている。

 同じミスティックを持っていても、この差はあまりにも大きい。

(でも、なんとかしなくちゃ)

 警察が来るまでに、なんとか子供たちと生き残った大人を守らなくては。

「……お祖父様?」

 猛獣が飛び出すことを考えて、慎重に扉を開いていく。

「お祖父様!」

 所長室の部屋の真ん中で祖父が大の字で死んでいた。鮮血が白いカーペットを赤く染めあげて百合の花びらがはなむけとして散らされていた。祖父は天井を見上げながら、かっと大きく目を見開いて死んでいた。

 自分がつくり出した悪魔に殺される瞬間、祖父はなにを思っていたんだろう。

『マヤ。わたしの愛しい孫娘。おまえは神に祝福された子供だ』

 祖父の末路は、あまりにもあわれだった。

 自業自得とはいえ、それでも祖父はたったひとりの家族だ。できれば、こんな最期を迎えてほしくなかった。自分のあやまちを認めて、あのやさしい心を取り戻してほしかった。

「お祖父様。ゆっくりお休みになって」

 マヤは祖父の見開かれた目を閉じた。

 これで二階のすべての部屋はこれで全部確認したはずだ。さっき一階をさがしたときにはいなかったのに、暁人はどこに隠れているんだろうか。

 ふと最悪の可能性が脳裏を過ぎっていく。

「まさか地下に……」

 ゆかや他の子供たちの命が危ない。

 急いで地下へと向かおうと所長室を飛び出した矢先。

 突然、絶叫が研究所をとどろかせた。

「篠崎っ?」

 それは篠崎の悲鳴だった。篠崎が暁人に襲われたに違いない。

 さっき一階を確認したときには暁人の姿はなかったのに。

「しまった!」

 おそらく森の茂みに隠れていたのだろう。マヤたちが来ることを計算した上で、森の茂みからじっと獲物が檻の中へと入っていくように見張っていたのだろう。

 マヤは急いで一階へと下りると、篠崎が向かった薬品庫に飛び込んだ。

 白髪の少年がにこやかな笑顔で出迎えた。

「暁人!」

 殺人鬼とは思えない穏やかな微笑が目の前にある。さながら自分の妹か恋人を待っていたようだ。けれど、その手には赤い雫が滴るバタフライナイフがある。

「やあ。待ってたよ、マヤ」

「暁人、篠崎はどうしたの?」

「ああ、あいつならちょっと脅かしたら逃げちゃったよ」

 暁人はつまらなさそうに、バタフライナイフをまわして遊んでいる。

 マヤはほっと息を吐いたものの、すぐに身がまえる。

「暁人、もうこんなことはやめて。あなたはミスティックにあやつられてるだけなのよ」

「どうして、マヤはそんなにミスティックを否定するんだい? 君だってミスティックのおかげで生きてるんじゃないか」

「それは……」

 マヤは言葉を失った。暁人の言葉は事実だからだ。

 自分の命はミスティックのおかげで永らえているものだ。ミスティックに適合したから自由に動き回れる体を手に入れた。ミスティックが投与されなければ、いまごろはまだベッドにいたことだろう。

「ぼくは君のお祖父さんには感謝してるんだ。ぼくも体が弱くて何度も死にかけてね。でも、いまぼくには自由の翼がある。自分の意志でとこへでも飛べるようになったんだよ」

「そんなのいつわりよ」

「君だってほんとうは人形たちの苦しみがわかってるはずだよ。ミスティックを植えつけられた子供たちはみんな感謝してる。自由になれたって。鳥籠の中から出ることができたって。大人にあやつられるマリオネットじゃなくなったってね」

 マヤは否定しようとしたもののできなかった。

 いつも病院のベッドから自由に動き回れる体がほしいと思った。自由にはしゃぎ回る子供たちを見てはいつ死ぬかもしれない自分の体を呪い、五体満足な子供たちに嫉妬した。

「だけど、あたしは誰かの命を犠牲にしてまで生きていたくない!」

「そんなの嘘だよ。だって、君はミスティックを無効化する薬を打たないじゃないか」

 マヤは唇を強く噛んだ。胸の奥底にある弱い心を、暁人はちゃんと見破っていた。

 ミスティックを無効化する治療薬も、まだ実験段階らしいが、確かに研究所にはある。けれど、それを打てば、また元の病人に戻るかもしれないと思うと怖かった。

「ねえ、マヤ。どうしてわざわざ君は自分から鳥籠の中にいようとするの? 君もぼくと一緒に行こう。鳥籠の外に出て自由になろう。ほんとうの君は、そう望んでるはずだよ」

 甘くささやくように暁人は言うと、手を差しのばしてきた。

「嫌よ! 絶対に嫌。あたしは人殺しなんかにならない!」

 暁人の手を払いのけると共に、自分の中の甘い誘惑を必死で払いのけた。

 暁人は深いため息をつくと、

「そう。なら、君ももういらない」

 いきなりナイフを振りおろしてきた。

「くっ」

 とっさに転がったものの、右肩をナイフに裂かれた。

 間髪入れずに肩を押しつけられると、棚にたたきつけられた。

「がっ!」

 床に倒れた拍子に棚から薬品の瓶が落ちてくる。

 起きあがろうとしたマヤの顔をナイフがかすめた。 

「ああ、ごめん。顔に傷つけちゃった。マヤは顔に傷があったらだめだよね。マヤはきっとこれから美人になるよ。うん。まちがいなく美人になる」

 暁人はくすくすと笑いながら言う。けれど、その瞳は月明かりを浴びて狂気の色に染まっている。このままではやられる。なんとか体勢を立て直さなくては。

 マヤは体を起こそうとしたが、前髪を掴まれて床に後頭部を叩きつけられた。

「あうっ!」

 一瞬意識が弾け飛んだ。

 後頭部をたたきつけられて、目の前が霞む。頭が割れて血が流れ出たようだ。

 そのマヤに暁人は馬乗りになって肩を押さえ込む。

「残念だな、マヤの大人になった姿を見られないなんて。大人のマヤとキスしたかったな」

 ぼんやりしてあたりがよく見えないが、暁人のゆがんだ口許だけはよく見える。

「じゃあね、マヤ。大好きだったよ」

 暁人の右手が振り上げられる。

 その手には鈍く光るバタフライナイフ。

 とっさにマヤは手許にあった液体の瓶を暁人に振りかけた。

「ぎゃあああっ!」

 顔に液体を浴びた暁人は絶叫をあげて転げ回った。

 マヤが暁人の体を押しのけて瓶のふたを見ると、〝濃硫酸〟と書かれてあった。

 暁人は悲鳴をあげながらナイフを振りまわした。

「目が……、目が痛いよぉ!」

 暁人は棚をひっくり返しながらもなおも暴れ続ける。やがて暁人がたたきつけた棚から薬品がばらばらと落ち、その中のアルコールが暁人の体やカーテンに降りそそいだ。

 マヤはただ呆然と暁人が暴れる姿を見ていることしかできなかった。

 濃硫酸を直接浴びた暁人の顔はただれていき、さらにアルコールを浴びたために激痛から暴れ回る。そして、ナイフの切っ先が電線コードを切り裂いた。

「逃げて、暁人!」

 マヤが叫んだときには、もう遅かった。

「ひあっ!」

 むき出しの電線から火花が散り、気化したアルコールに火がついた。

「暁人!」

 暁人の体だけではなく、カーテンや書類などにも火がついてまたたく間に炎の海と化した。

 マヤは火だるまになってた暁人を呆然と見ていたが、すぐさま重大な事実に気が付いた。

「いけないっ! はやく子供たちを助けないと!」

 薬品庫の隣には液体酸素や水素が保管されている。その他にも火がつけば爆発する危険のある薬物がこの研究室にはたくさんある。このままでは危険だ。

 急いで薬品庫から出ようとしたが、最後にもう一度暁人を振り返った。

 火だるまになった暁人は地面に倒れ込んでいた。

「……暁人」

 ミスティックに取り憑かれなければ、病弱でもふつうの子供として生きていられたかもしれない。彼もまたミスティックの犠牲者かと思うとやるせなかった。

 だが、いまは感傷にひたってる暇はない。

 三沢は子供たちを助け出しただろうか。

 肩の激痛を堪えながら急いで地下への階段へとおりていくと、地下の鳥籠で研究員のひとりの死体が転がり、その上に鍵の束が投げ出されていた。まわりを見れば、鳥籠の鍵はまだ閉じられたままだ。

「くそっ!」

 三沢は研究員の死体を目の当たりにして逃げ出したに違いない。けれど、いまは三沢にかまっている余裕なんてない。一刻もはやく子供たちを助けなければ。

 さいわいにも、子供たちは誰ひとり傷つけられていないようだ。

 マヤは急いでひとつひとつの牢の鍵を開けていき、すべての鍵を開いていく。

「はやくここから逃げるのよ!」

 マヤはひとりひとり起こすと、急いで手を引っぱって外へと連れ出していった。

 そのとき、パトカーのサイレンの音が研究所へと近づいてきた。

 パトカーから私服警官や制服警官が何人も出てきた。

「君が斎マヤか? 遠鳴警部の命令で来た。状況はどうなってる?」

「説明はいいから、地下にいる子供たちをはやく連れ出して」

 マヤは警官を何人も引き連れて地下へと戻っていった。

「こ、これは……」

 牢に閉じ込められて惚けている子供たちを見て、警官は目を剥いた。

「見取れてないで、さっさと子供たちを連れ出して!」

 マヤがふたたび怒鳴ると、警官たちは我に返って子供たちを担いで外へと連れ出していく。マヤもまたゆかの元へと駆け寄っていくと、

「さあ、お父さんの元へと帰るわよ」

「……おとう……さん?」

 マヤは問答無用でゆかの手を握ると、急いでゆかの手を引っぱって出口へ向かった。ゆかを研究所前においておくと、今度は篠崎をさがすために炎に包まれた研究所に戻った。

「篠崎! どこにいるの?」

 炎は思ったよりもいきおいを増していき、いつ危険物に引火するかわからない。

「これは……」

 事務室にミスティックの治療薬とミスティックの書類が積み重ねられていた。暁人に襲われるときに篠崎が隠しておいたのだろうか。

 炎はますますいきおいを増し、あたりは火の海に包まれていく。

(もう限界だわ)

 マヤは篠崎をさがすことをあきらめて、治療薬が入った箱とミスティックの書類を抱きかかえると、急いで出口を目指した。

 もう二度とミスティックドールがつくられることがないことを祈りながら……。

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