第33話 鳥籠の館に眠る記憶6

 夕焼け空がマヤの顔を赤く照らしていた。

 その日もマヤは部屋の中に監禁されていた。部屋の前には若手の研究員・三沢が椅子に座って暇そうに本を読んでいる。けれど、マヤは落ち着かずに部屋の中をうろうろと歩いていた。

 無事に篠崎に渡した封筒は、誰にもあやしまれずに投函だろうか。

 郵便事故でも起きて警察の手に渡らなかったらどうしよう。もし警察の手に渡っても、子供の指紋で、警察を納得させることができるだろうか。そんな不安ばかり頭を駆けめぐる。

 もし計画が失敗したら、最後の手段はひとつしか残されていない。

(最悪の場合は、お祖父様を殺す。もうそれしか……)

 狂っているとはいえ、あのやさしかった祖父を手にかけることができるだろうか。だけど、子供たちを救うためには、人を殺すことだってやむを得ない。できれば、そんなことになってほしくはないけれど……。

 いまはただ、無事に封筒が警察の手に渡っていることを祈るだけだ。

 柱時計の鐘が午後六時を知らせたとき、突如それは起きた。

 研究所のほうから火災報知器の音が鳴り響く。けれど、研究所からは煙が出てくることはなく、火災報知器だけが静寂の森の中で異様に響きわたる。しかも、火災報知器が鳴り響いているのに、誰も研究所から出てこない。

「三沢。なにが起きたの?」

 部屋の扉を開けて三沢にたずねた。

「わ、わたしにもわかりません」

 三沢はうろたえているばかりで、なにが起きているのかわからないようだった。

 この男はあてにならないと判断するや、マヤは急いで部屋から外に出て行った。

「お嬢様。教授の許可もなく表に出ることは……」

「いまはそんなことを言ってる場合じゃないでしょ!」

 玄関へと向かうと、玄関から篠崎が慌てて駆け込んできた。

「篠崎。この騒ぎはなに?」

 篠崎は顔面を蒼白にさせ、震えながら答えた。

「暁人です。暁人が戻ってきたんです」

「なんですって!」

 暁人が戻ってきた。あの殺人鬼が鳥籠の中に戻ってきた。

「暁人はなにが目的で戻ってきたの?」

「わかりません。わたしは暁人が研究員を殺したところを見て、慌てて逃げてきたので」

 ミスティックを植えつけられて理性を失っても自我が消えるわけではない。自分で考えて自分の意志で行動する。快楽殺人者となり果てた暁人は、もうこんな山奥ですることになんてなにもないはずだ。わざわざ戻ってくるなんて、なにが目的なんだろう。

 マヤは急いで電話へと駆けると、遠鳴警部に電話をかけた。

『斎マヤか? どうした? 君は監禁されてたんじゃなかったのか?』

「状況が変わったのよ。あなたの奥さんを殺した犯人が研究所に戻ってきたの」

『いったいどういうことだ?」

「このままだとあたしたち全員暁人に殺されるかもしれない。だから、急いで八王子警察署に連絡してこっちに警察官と救急車を連れてきて! はやく!」

 マヤが電話越しに怒鳴ると、さすがにせっぱ詰まった状況が通じたのか、

『わかった。わたしもいま八王子警察署に向かってるところだ。八王子警察署にはこちらから連絡する。ところでゆかは……、娘は無事なのか?』

「わからない。まだ研究所に残されてると思う」

『そうか。わかった。とにかく君だけでも急いで逃げるんだ』

 さすが警察官というべきか。娘の命の心配よりもマヤたちを優先させるなんて。

「それはできない。あたしはあなたの奥さんを助けることができなかった。だから、ゆかの命だけは絶対に助けてみせる」

『ばかな考えを起こすな。みすみす殺されに行くつもりか?』

「そう思うのなら、はやく助けに来て!」

 携帯電話の向こう側で、なにかがなり立てていたが、マヤは容赦なく電話を切った。

 マヤは振り返ると、顔面が蒼白になっている三沢に怒鳴った。

「子供たちを監禁してる鳥籠の鍵はどこ?」

「それはできない。あの子供たちはわたしたちの研究のたまものなんだぞ」

 マヤは自分の背丈の倍はある大人の足を蹴飛ばした。

 ぶざまに倒れた相手の喉笛をマヤは掴んだ。

「答えないと殺すわ。あたしも暁人と同じミスティックドールだってこと忘れてない?」

 マヤが薄く笑うと、三沢は震えながら祖父の書斎へと連れていった。書斎の本棚の隠し金庫から鍵を取り出してマヤに手渡そうとしたが、

「それはあなたが持っていなさい。あなたはいまから研究所に戻って子供たちを助けるのよ」

「ふ、ふざけるな。殺人鬼がいる檻の中に飛び込めというのか!」

「その殺人鬼をつくり出したのは、あなたたちでしょう?」

 マヤは怒りをあらわにすると、三沢は黙り込んだ。

「さあ、行くわよ」

「どう考えても無理だ。あの殺人鬼のいるところから生きて帰るなんて」

「だいじょうぶよ。あたしが暁人の囮になるから」

「なっ?」

 ふたりの顔があぜんとしたものとなる。

「たぶん暁人の目的は、あたしを殺して真のミスティックドールになることだと思う。だから、あいつの注意を逸らしてる間に、あなたは鳥籠の中の子供たちを助け出すのよ。いいわね?」

 マヤがにらみつけると、三沢はかくかくと人形のように頭を振った。

「篠崎、ミスティックの力を無効化する薬の場所はわかる?」

「ええ。薬品庫に実験段階のものが保管されているはずです」

「あなたはその治療薬と治療薬をつくるデータを取ってきてほしいの」

 そう言ってから、マヤは一瞬言葉に詰まる。

「あなたには迷惑をかけてばかりで申し訳ないけど……」

「いえ、わたしもお嬢様のお役に立てて倖せですよ」

 篠崎の穏やかな表情に、マヤはかすれた声で答えた。

「……ありがとう」

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