第32話 鳥籠の館に眠る記憶5
二日後、月明かりに照らされた研究所をマヤはじっと見つめていた。
事件の翌日、自宅の部屋で目を覚ましたが、マヤは祖父の命令でしばらく軟禁されることを知らされた。屋敷を歩き回るときも、終始研究員に監視された。
肝心の祖父は会ってくれない。祖父は暁人を捕まえることも殺すこともできなかったマヤに興味をなくしたようだ。篠崎に会うことも許されず、一日のほとんどを部屋の中で過ごすようになった。
だから、暁人が警察に捕まったのかもわからない。
「……暁人」
食事を持ってくる研究員に頼んで新聞だけはもらっている。
新聞には未成年による連続通り魔事件や強盗などがあいついで書かれてあった。たぶんミスティックに適合できずに捨てられた子供たちの仕業だ。けれど、その中には暁人が母親を殺して、研究員たちが娘を誘拐した事件については書かれてなかった。
警察は暁人を捕まえることができたんだろうか。それとも、まだ暁人は人々を襲っているんだろうか。
「はやくなんとかしなくちゃ」
祖父と研究員たちの凶行をとめるのは自分しかいない。
「あの子どうなったんだろう」
母親の死体を目の当たりにした女の子は、いまどうなってるんだろう。
あの女の子の泣いている顔を思い出すと、胸がきりりと痛む。
あの子が無事なのか知りたくてたまらない。
がまんできずにマヤは研究所に向かうことに決めた。まわりを確認すると、思い切って窓から外に出た。建物の縁とパイプを利用して二階から地上におりる。地面にたどり着くと、急いで研究所へと走った。
あたりをうかがいながら地下の鳥籠へと向かう。
今日も虚ろな目をした人形たちは壁に横たわって虚空を見上げている。眠っているのか眠っていないのかもわからない。
やがてその人形たちを見て歩いていると、あの夜の女の子がいた。だが……。
「そんな……」
虚空を見上げる女の子の目は青白かった。
遅かった。もうミスティックを植えつけられている。
この子もまた適合できずに魂が抜け落ちている。
「……おかあ……さん……おかあ……さん」
女の子は惚けたまま母親を何度も呼んでいる。その目から涙がこぼれ落ちている。
ミスティックで心を奪われてもなお、この子は母親を求めている。
(あたしが……、あたしがもっとはやくお祖父様や暁人をとめていたら……)
両親を幼い頃に亡くしたマヤには、両親の存在というものはわからない。
だけど、この子が受けた心の傷の深さは、マヤなんかには想像絶するものだろう。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
マヤは鉄格子越しに女の子を抱き寄せ、ただあやまることしかできなかった。
なにが真の〝神秘の人形〟だ。たったひとりの女の子の悲しみも救うことができないなんて。
「……あなた、だれ?」
ふいに女の子がマヤにたずねてきた。マヤの心臓が大きくはね上がった。
まだこの子はミスティックに心をすべて奪われていない。だったら、ミスティックに完全に心を奪われて廃人になるか理性を壊す前に助けることができるかもしれない。
「マヤ。斎マヤ」
「いつき……まや?」
女の子はかわいらしく首をかしげる。マヤは手をつないでうなずく。
「あなたの名前も教えて」
マヤが精いっぱいの笑顔を広げてたずねると、女の子はおずおずと答えた。
「ゆか……とおなりゆか……」
「……ゆか」
マヤは女の子・ゆかの名前をつぶやくと、もう一度しっかり握った。
「ゆか。あなただけは絶対に助けてみせる。あたしの命に代えても」
「……まあや」
ゆかは微笑んでマヤの手をすり寄せた。あどけない微笑みに、また目から涙が零れてきた。
「ごめんね、ゆか。また来るから」
「……まあや。まあや」
いつまでもゆかの側についていてあげたかったが、そういうわけにもいかない。
胸が裂けるような思いでゆかから離れると、次にしなければいけないことをするために一階の研究所へと向かった。
研究所の電話から遠鳴十護警部に電話をかける。新聞の記事に遠鳴邸の殺人事件が載っていないということは、まだマスコミへの報道規制がかけられているのだろう。
だったら、いま電話をかければ、遠鳴警部や警察を信じさせることができるかもしれない。
無人の第三研究室に忍び込み、電話の受話器を取り、ボタンを押そうとしたそのとき、
「お嬢様、おやめください」
ふいに何者かに手を掴まれて受話器がおろされた。
(――ばれた?)
全身に緊張が走る。あわてて振り返れば、見知った顔が目の前にあった。
「……篠崎?」
篠崎がにこやかな笑みで立っていた。
「お嬢様が研究所のほうへ向かわれるのが見えたものですから追いかけました」
「篠崎、邪魔をしないで。あなたはあたしが犯罪者の孫という目で世間から見られるのがつらくて、いままで警察に通報しなかったのは知ってる。でも、もうあたしは……」
「わかっております。あなたをおとめするつもりで来たわけではありません」
「だったら、どうして電話をさせなかったの?」
「ここの電話は通信記録がコンピュータに残ります」
「そうだったの?」
マヤは研究施設のことや機械のことなどよくわからない。
「じゃあ、ここから電話を掛けていたら……」
明日には研究員や祖父にマヤが警察に通報したことがばれてしまう。そんなことになれば、証拠隠蔽のために祖父や研究員たちが、子供たちにどんな仕打ちをするかわからない。
「お屋敷の電話からでしたら通話記録は残りません。さあ、いらしてください」
「う、うん」
マヤは篠崎に引っぱられて研究所から屋敷へと向かった。
あらかじめ篠崎が用意してくれていたのか、祖父の書斎の窓が開いていた。窓からふたりは部屋の中へと忍び込むと、外から見えないようにカーテンを閉じた。
「わたしがここで見張っております。ですから、いまのうちにはやく」
「でも、こんなことをしていると知られたら、あなたの命まで……」
マヤは知っている。篠崎もまた監視の目が付けられていることを。もし彼がなにかあやしい行動を起こしたら、すぐさま殺されてしまうに違いない。
「わたしも斎先生をおとめすることができませんでした。しかも、暁人を逃がしてしまい、お嬢様も助けることができない。このまま斎先生を放っておいたらどんなひどいことが起こるか……そんなことになるならば、この命を捨てたほうがましです」
「でも、いくらあたしがあなたの死んだ子供に似てるからって、あなたまで命をかける理由なんてないわ。あなただけでもここから逃げてもかまわないのに……」
「いいえ。わたしは死に瀕している息子になにもすることができませんでした。だから、せめてマヤお嬢様だけはお助けしたいのです」
「……ありがとう」
たったひとりの協力者の言葉に、胸が詰まる思いがした。
「さあ、涙を拭かれて。いまは泣くことよりもしなければならないことがあるのでしょう?」
「そうね」
マヤは目許の涙を拭き取って一一〇番に電話をかけた。応対に出たオペレーターに警視庁刑事部捜査第一課の遠鳴警部につなげるように指示した。
最初はオペレーターもうさん臭がっていたが、遠鳴ゆか誘拐事件の情報提供がある、と告げると、オペレーターは警視庁捜査一課の遠鳴警部につないだ。
しばらくの後、低い声の男が応対に出た。
『君は誰だ? 娘の名前を出したようだが、君が妻を殺して娘を誘拐した犯人か?』
電話越しでも、遠鳴警部があきらかに怒りを押し殺していることがわかる。
「あたしは斎マヤ。八王子にある斎生体学研究所・所長斎武史の孫娘。あなたの娘さんと奥さんのことについての情報を提供するために電話をしたの」
『事件の情報提供だと? おまえが犯人じゃないのか?』
「違うわ。でも、最近失踪して発見された子供たちが次々と犯罪を犯している事実は警視庁でも掴んでいるわね。しかも、その犯罪者の目が青白く光るのも知ってるでしょ?」
はっ、と息をのむような声が電話越しに伝わってくる。
『その事実をなぜおまえが知っている?』
「その事件と今回あなたの奥さんが殺害されて誘拐された事件は結びついているからよ」
『どういう意味だ?』
「今回の事件は、あたしの祖父が創り出した〝ミスティック〟と呼ばれる成長促進剤が関係してるの。ミスティックは子供の脳や体の成長を促進させて天才的な力を与えるけれど、同時に理性を壊すという副作用もある。祖父・斎武史は誘拐した子供たちがミスティックに適合しないとわかると〝失敗作の人形〟と呼んで捨ててきた。その子供たちが次々と犯罪を犯したのよ」
しばらくの後、遠鳴警部の怒りを押し殺した声が伝ってきた。
『そんなばかげた話を信じろというのか。人間の成長を促進させる薬だの、その薬が人間の理性を壊して犯罪に走らせるだの信じられるか』
「でも、真実なのよ。あたしはあなたの奥さんが殺害された犯人を知っている。名前は暁人。十二歳から十四歳ぐらいの男の子よ」
『ふざけるな。十二歳ぐらいの子供にあんなことができるわけがない』
「体の関節を粉々にしてしまうようなこと?」
また遠鳴警部の驚いた声が聞こえてくる。
「あたしは事件現場を見てる。百合の花がばらまかれて、被害者の遺体は強力な機械でねじ曲げられたように四肢の関節が折れ曲がっていた。あなたの娘さんは十歳前後。髪はショートカットで首筋にほくろがあるわね?」
遠鳴警部は黙ったまま答えなかった。
「これで信じてくれた? あなたがいま話している相手は信じられないでしょうけれど、まだ九歳の子供なのよ。ミスティックは成長を促進させて筋肉や脳などを強化して大人と同等以上の知恵や運動能力を子供に与えるの」
これで信じてくれただろうか。マヤが息をのんで警部の応答を待っていると、
『……わかった。取りあえずいまは君の話を信じることにしよう。君が妄想に取り憑かれたというだけでは説明ができないことが多すぎる』
「ありがとう、信じてくれて」
マヤはほっと息をはく。
『それでわたしになにをしてほしい? なんのために電話をしてきた?』
「あたしはゆかを助けたいの」
えっ、と強ばった声が返ってくる。
「ううん。ここにいる子供たち全員を助けて祖父を逮捕してもらいたい。でも、あたしも祖父に監禁されていてここから出られない。だから、警察に助けてほしいの」
『だがしかし……』
「もう時間がない。ゆかもふくめて子供たちは、どんどんミスティックによって心が壊されていってる。このままじゃ廃人になるかもしれない。お願いだからはやく来て」
遠鳴警部の迷いが伝わってくる。それはそうだろう。電話だけでこんな荒唐無稽な話を信じろというほうが無理な話だ。だけど、なんとしても信じてもらわなくてはならない。
「もしこの話が真実だという証拠がほしいのなら、明日あたしの指紋がついた手紙を投函するから、わたしが指定する場所に取りに来て。あたしの指紋があなたの奥さんの服と家に付着していた指紋と一致すれば、いくら警察でも信じてくれるでしょ?」
『わかった。取りに行く。もし確認が取れたら、どうすればいい?』
「もう逆探知はできてるんでしょ? 確認が取れたら、すぐここに急いで来て。祖父や他の研究員に警察が来ることが気づかれば、すべての証拠を隠してしまうかもしれない」
『それはつまり、子供たちが殺されることもありうる、と?』
マヤは答えられなかった。
「じゃあ、受け渡し場所をいまから言うわよ」
マヤが手紙の受け渡し場所を指定すると、
『わかった。もし確認が取れたら、君の言うとおりにする。その前になにかあったら携帯電話のほうに連絡してくれ』
遠鳴警部は携帯電話の番号を言う。マヤはすぐさま携帯電話の番号を暗記した。
『じゃあ、くれぐれも君も無茶な真似はしないように』
そう告げて、遠鳴警部は電話を切った。
「うまく運びそうですか?」
篠崎がにこやかな表情でたずねてくる。マヤは首を振った。
「わからないわ。でも、いまは約束を取り付けたのだから、あとはあの遠鳴っていう刑事と警察を信じるしかない。だから、篠崎……」
「心得ております」
警察に信じてもらうためには、マヤの指紋が付着した封筒を必ず警察の手に渡さなければならない。そのためには、篠崎が秘書として祖父の手紙に織りまぜて投函する必要がある。もし誰かにあやしまれて、封筒が届かなければ、この苦労がすべて水の泡となる。
おそらく明日は、いまでで一番長い一日になるだろう。
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