第31話 鳥籠の館に眠る記憶4

 シエトロンは、暁人が解き放たれたという東京都内の住宅街にたどり着いた。

 研究所から東京都内にたどり着くまで、ずっとマヤは頭をめぐらせていた。警察に連絡しようかとも考えたが、十二歳の子供がこれから殺人をおかすかもしれない、などと篠崎とマヤが訴えたところで信じてもらえるわけがない。だいたい、警察は事件が起きるまで動かない。

 事件が起きては遅いのだ。事件が起きる前に暁人をとめなければ。

 だが、暁人が解き放たれた場所まで来たはいいが、どこをどうさがせばいいのかわからない。

(もしあたしが暁人なら、誰を狙う?)

 こんな深夜の住宅街では人通りが少ないために、深夜帰宅のサラリーマンを狙うなど簡単だ。

 だが、そんな単純なことで暁人が満足するとは思えない。だったら、暁人はもっと自分の力を試す真似をするだろう。しかも、派手な殺し方でなければ満足できない。

(……小さな子供がいる家。しかも父親が不在の家)

 両親がいるとどちらかに気づかれて騒がれるが、子供だけなら黙らせることができる。しかも、アパート暮らしでは、小さな悲鳴や物音でも隣人に聞こえる危険がある。

 くり返し殺人を犯すためには、自由があったほうがいい。

 自分が殺人計画を立てているようで嫌な気分だが、いまは自分の勘を信じるしかない。

 マヤは焦りながらも車でゆっくりと住宅街を見て回る。はじめて訪れた場所の上にまわりが暗くてよくわからない。

(はやく……、はやく見つけないと)

 小学生までの子供が住んでいると思しき家を手当たり次第、マヤは見て回る。

 小学生用サイズの自転車。窓に貼られたキャラクターシール。庭においてあるおもちゃ。

 だが、暁人の痕跡はまったく見あたらず、何軒目かの家にたどり着こうかとしたとき、

「とめて!」

 マヤは篠崎に命じて車をとめさせた。

 車から飛び降りると、一軒の民家へと駆けた。窓にもぬいぐるみがぶら下がり、小学生用の自転車もある。しかも、駐車場に車がないということは親が出かけている可能性が高い。

 ここなら暁人も狙いやすい、と思ったその瞬間、

「やあ、マヤ。やっと来たね」

 街灯の下、白髪の少年がこちらに微笑みかけている。

「暁人!」

 マヤの怒鳴り声にも、暁人は穏やかな微笑を浮かべるだけだった。

「やっぱり来ると思ってたよ。でも、遅かったね。ずいぶん退屈したんだよ」

 暁人はくすくすと楽しげに笑っている。

「ああ、デートの待ち合わせをしてないんだから、遅刻しても仕方ないか」

「ばかなことする前に研究所に戻って!」

「ばかなことってなにさ? ぼくはせっかくマヤのためにプレゼントを用意してあげたのに」

「プレゼント?」

 マヤの背筋にぞくりと冷たいものが走る。

「まさか、あなたもう……」

 顔を強ばらせているマヤを見て、暁人は心底楽しそうな微笑を浮かべる。

「大好きだよ、マヤ。いつか君をぼくのものにしてあげる」

 暁人の青白い瞳が刃物のように細くなる。ふいに身をひるがえすと、全力で駆け出した。

「暁人、待ちなさい!」

 陸上選手顔負けの速さで暁人は駆けていく。暗闇があっという間に暁人の体を包みこみ、彼の姿はもうマヤから見ることができなかった。

 急いでマヤも暁人を追いかけるが、暁人のほうが圧倒的に足が速い。これが治療のためにつくられたミスティックと、人殺しのためにつくられたミスティックの差か。

 マヤは暁人の追跡をあきらめると、急いで篠崎の元へと戻った。

「……お嬢様」

 息を切らせて戻ってくると、

「篠崎、お願い。暁人を追いかけて。いくらミスティックを身につけているとはいえ、子供の体力には限界があるわ。車のあなたなら追いつくことができるかもしれない」

「わかりました」

「でも、決して手を出さないで。場所を教えてくれるだけでいい」

 暁人に手を出せば、ふつうの人間の篠崎では殺されてしまうだろう。

 たったひとりの協力者の篠崎までも失うわけにはいかない。だからといって、このまま暁人を野放しにすれば、どんな最悪が続くか予想もつかない。

「お嬢様はどうなさるおつもりですか?」

「わたしはこの家の中を確認するわ。場合によっては警察に通報してすべてを話す。なにも起きていないことを祈りたいけれど……」

 マヤは唇を噛んだ。暁人の表情を見れば、そんなわけがない。

 空腹の野獣に餌を食べないことを祈るようなものだ。

「じゃあ、お願い」

 篠崎は車に乗り込んで暁人の後を追いかけた。

 マヤは暁人が出てきたと思しき家に入っていく。門を乗り越えて庭のほうへと回っていくと、庭とリビングをつなぐ出窓が開けっ放しとなり、カーテンがなびいていた。

 リビングの正面に立ったとき、マヤは〝それ〟を見てしまった。

「―――っ!」

 まだ三十代と思しき女性がフローリングの床の上で倒れていた。

 強い圧迫を受けたのか四肢の関節があり得ない方向へとねじ曲がっている。殴打された頭や胸からは血があふれてフローリングを包みこんでいる。

 女性からあふれ出した血の上には白い百合の花が散っていたが、その白い百合も血を吸って赤黒いものへと変わり果てていた。

 急いで女性の元へと駆けつけたものの、もう女性は呼吸をしていなかった。体はまだあたたかかったが、心臓の鼓動はもうとまっている。

「なんで……、なんでこんなことに……」

 さすがのマヤもめまいがして床に倒れ込んだ。

 もっとはやく暁人の居場所を掴むことができたら、こんなことにならなかったのかもしれない。もっとはやく祖父の凶行を警察に通報していたら、こんなことにはならなかったかもしれない。こんなものを見せられるぐらいなら、病死したほうがましだった。

(もういい。お祖父様と暁人の凶行をとめるために警察に連絡する)

 そう決意すると、マヤは警察に連絡するために電話をさがした。

 その途中、ふとリビングの壁に掛けられた〝警視総監賞〟と書かれた表彰状が目に付いた。名前の欄には〝警視庁刑事部捜査第一課遠鳴十護警部殿〟と書かれてあった。

(この家の主人は警察官ってこと?)

 この警察官に直接電話をすれば、話をわかってもらえるかもしれない。

 マヤがふたたび電話機をさがしはじめたとき、

「お父さん、お帰りなさい!」

 いきなりのことに言葉を失った。自分と同じ年頃の子供が部屋に入ってきた。

 どうすればいいかわからない。

 目の前で母親が死んでいるという事実をどう説明すればいいのかもわからない。

「お父さん? お父さんじゃないの?」

 女の子は暗闇にまだ目が慣れていないのか、あたりをうかがっている。

 やがて女の子は死体に足を引っかけて転んだ。

「わっ!」

 彼女を助け起こすかどうか迷っていると、女の子は自分の両手を見て強ばっていた。

「……なにこれ」

 やがて母親の体が異様な形にねじ曲がっていることに気づいたようだ。

 次第に彼女の目が大きく見開かれていく。

 その間もマヤは女の子の母親に触れたまま動くことができなかった。こんなものを見せるべきではないとわかっているのに体が動かない。なんと言い訳すればいいかわからない。

「お母さん!」

 女の子が悲鳴をあげて母親の元へと駆け寄ろうとしたそのとき。

「あうっ!」

 背後から黒く大きな影が女の子の体を抱きかかえ、口許になにかを押し当てた。その途端、がくんと女の子から力が抜け落ちて黒い人影の腕の中へと落ちていく。

「なにするの? その子を離しなさい!」

 急いで女の子の元へと駆け寄ろうとした瞬間、マヤも何者かに腕を掴まれた。

「お嬢様、ご帰宅の時間です」

 振り返れば、祖父の助手のひとりが立っていた。

「あなたたち、最初からここでなにが起きたのか見てたっていうの?」

「それが斎教授からご命令でしたので」

 マヤは体が怒りに震えるのを感じた。

「もうがまんできない。警察に通報してすべてを話す」

「それをなされては困ります。我々の研究が進みませんので」

「研究ですって? 殺人鬼をつくることのどこが研究なの?」

 マヤが男の腕を振り払おうとした瞬間、マヤの口にも手拭いが押し当てられた。

 鼻と口から清涼感漂う感覚がしたとき、クロロフォルムが染みこませてあるのを悟った。あわてて息をとめたものの、時すでに遅く、意識は闇の中へと吸い込まれてていく。

 最後に見たものは、涙に濡れる女の子の瞳だった。

(……ごめんなさい)

 心の中でそうつぶやくのが精いっぱいだった。 

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