第30話 鳥籠の館に眠る記憶3

「もうこんなことはやめてください、お祖父様!」

 まだ九歳の少女・マヤは、書斎の机をたたきつけた。

「もう何人の子供たちがお祖父様の実験で犠牲になってると思ってるんですか。こんなことをしてると警察に知られたら、お祖父様は逮捕されるんですよ?」

 白髪の老人は穏やかな微笑を湛えて、マヤを見つめる。

 端から見ればひなたぼっこをしている老人と変わらないほど穏やかな表情だ。けれど、マヤは祖父が非道な人体実験をおこなっていることを知っている。

「なにをそんなに怒ってるんだ、マヤ。おまえのその知性と品格はミスティックによって与えられたものだぞ。未熟児として命も危ぶまれて生きながらえたおまえが、いま元気に歩き回っているのもミスティックのおかげではないか」

「あたしは誰かを犠牲にしてまで生きたいだなんて思いません」

 生まれつき体の免疫力が弱かったマヤはよく大病をわずらい、二十歳まで生きられないだろうと医者に言われていた。

 けれど、ここ一年ほどで急に健康になって病気にかかることもほとんどなくなった。それが〝ミスティック〟と呼ばれる成長促進剤を利用してあることを知ったのは、つい最近だった。

 夜な夜な屋敷の敷地にある研究所の地下室に、子供たちが連れていかれる姿を目撃したときは、わが目を疑った。研究所には現在十人近い子供たちが集められていたが、それより以前から祖父は子供を誘拐してミスティックの実験をくり返してきたらしい。

「マヤ。わたしの愛しい孫娘。おまえは神に祝福された子供だ。おまえはわたしが生み出したミスティックを見事に受け入れることができた。なぜよろこばない?」

 マヤはぎりっと奥歯を噛みしめた。

 もうかつてのやさしかった祖父の姿はない。ミスティックという悪魔に取り憑かれた老人だ。

 最初は孫娘の命を救うための新薬としてミスティックを開発した。けれど、いつしかミスティックを利用して完璧な人間をつくろうとしている。

 ミスティックに適合できずに気が狂った子供たちが毎日どこかに捨てられている。その子供たちがどんな末路をたどっているのかマヤは知らない。

「お祖父様。お願いですから、元のやさしいお祖父様に戻って」

 いくら呼びかけても、祖父は虚ろに微笑んでいるだけだった。

 マヤは説得をあきらめて自宅から研究所へと向かった。

 もう何度説得をしたことだろう。

 マヤと祖父が住む屋敷と研究所は隣接している。研究所ではいま五人の研究員が働いている。彼らもまたミスティックという悪魔に魅入られた者たちばかりだ。

 祖父の命令に従順に従い、夜な夜な子供たちを誘拐してくる。

「いらっしゃいませ、マヤお嬢様」

 マヤが入っても平然と学者たちは出迎える。

 吐き気がしそうだった。彼らは自分たちがおこなっている研究がまちがっているなどとはさらさら思っていない。祖父を心から信奉して難病に苦しむ子供たちを救うために必要なことだと信じている。だから、子供たちを誘拐することへの罪悪感もない。

 地下へと向かうと、牢屋のように鉄格子がはめられた部屋が並べられている。

 研究員たちは牢屋のことを〝鳥籠〟と呼んでいる。

 その個室ひとつひとつにミスティックを投与されれた子供たちがいる。ある者は膝を抱えてくすくすと笑い続け、ある者はほとんど瞬きもせずに月を見上げ、ある者は壁一面に数字の公式のようなものを書き続けている。

マヤは涙がこぼれ落ちるのを必死に堪えていた。

(……このままにしちゃいけない)

 祖父の目を覚ますためにもなんとかしなくては。このまま祖父の目的のために犠牲になる子供たちが増えるなんてことがあってはいけない。

(でも、いったいどうすれば……)

 警察に電話したところで九歳の自分が、なにを言っても信じてもらえないのはわかっている。もしも警察を呼んだとしても、祖父たちにごまかされるのがおちだ。

 なんとか警察に信じてもらえる方法はないだろうか、と考えていると、

「お、お嬢様。マヤお嬢様。大変でございます」

 あわてた様子で、祖父の秘書の篠崎が駆けてきた。

 篠崎も祖父のしていることをこころよく思っていないひとりだった。篠崎は妻が先立って、子供がひとりいたのだが、その子供もマヤと同じように難病をわずらっていたらしく、最近死んだとの話を聞いた。

 そのためかマヤに対して強い思い入れがあるようだった。篠崎が警察に通報できないのも、マヤが犯罪者の孫として世間から見られることをおそれているからだろう。

 その篠崎がせっぱ詰まったような表情をしている。

「どうしたの、篠崎」

「どうやら暁人が外に出されたようです」

「なんですって?」

 暁人とはミスティック・ドールズの中でも、特に危険な症状が出た子供だった。

 体の免疫力を高めるために人体実験をされたらしいが、病弱で気弱な男の子をミスティックが別人へと変えた。他人を傷つけることに純粋な快楽を見出し、研究員の指を噛みちぎったこともある。そのために鳥籠の中でも、厳重に封鎖された場所に閉じ込められていたはずだった。

 暁人は特にマヤに対して異常なまでの好奇心を抱いていた。その異常な言動や性格から、マヤは暁人には会わないようにしていた。

「なんであんな危険な子が外に出されたの?」

「わからないのですが、どうやら所長の命令のようでして」

「お祖父様の命令ですって。なんでそんな真似を……」

 わからない。祖父は暁人の危険性がわかっているはずだ。わかっていながら、表に出したということはなんらかの思惑があるのか。また危険な真似をしなければいいのだが。

「篠崎。ついてきて!」

 マヤは急いで研究所から出ると、自宅の書斎に向かった。

 自宅の書斎の扉をいきおいよく開くと、祖父が穏やかな笑みを浮かべて出迎えた。

「どうしたんだい? こんな夜遅くに起きてたらだめじゃないか。いい子はもう寝る時間だ」

 あくまでも小さな子供に言い聞かせるように言う。

「お祖父様、暁人を外に出したそうですね。どうしてそんなことをしたんですか」

「なぜそんなに怒っている? せっかくの美人が台なしじゃないか」

「答えてください!」

 祖父はやれやれと首を振ると、

「あの子はおまえとは対極に位置するミスティック・ドールだ。おまえはミスティックに適合したものの理性は保っている。けれど、暁人は人間の本能に純粋に従い、ミスティックの力を引き出そうとしている。マヤ。人間は理性で自分の欲求を抑えつけられているのと、自分の欲求に純粋なほうとどちらが可能性を引き出せると思う?」

「そんな問題は哲学者か宗教家にでもたずねてください」

「そうだな。いや、まったくそのとおりだ」

 なにがおかしいのか、祖父は手をたたいて笑っている。

「お祖父様。お願いですから、警察に連絡してください。暁人をほうっておけば、どれだけ犠牲者が増えるか……」

「なぜわざわざ警察に暁人を捕まえるように頼まねばはならんのだ? わたしは人間の本性を〝理性〟という名の籠から解き放ったら、どうなるか知りたくて暁人を外に出したのに」

「お祖父様、あなたは狂ってます」

 マヤは耐えきれずに祖父に告げた。祖父は急にまじめな顔になり、

「それは価値観の問題だな。わたしは狂ってなどいやせんよ。科学者としての知的好奇心に純粋なだけだ。大勢の人間を犠牲にしてでも孫娘を救いたいと願った祖父の気持ちも、人間の本性を知りたいという科学者の気持ちもすべては真実のものだ」

 祖父のまじめな口調に、マヤの背筋が凍りつくようだった。

「マヤ。ひとつ問おう。大切な家族の命を救いたいと願う気持ちは〝愛〟なんだろう? ならば、他人を大勢を犠牲にしても大切な家族を救いたいと願う気持ちは〝愛〟ではないのか?」

「そんな禅問答をしたくはありません」

「禅問答ではない。真実の話をしてるんだよ。やはりおまえは自分の可能性を理性によって縛り付けているところを見ると、〝失敗作の人形〟なのかもしれんな」

 哀れみに満ちた目がこちらを見る。マヤはぎりっと奥歯を噛みしめた。

「あたしは失敗作でかまいません。暁人はあたしがいまからとめます」

 断固として決意で告げると、祖父は大声をあげて笑った。

「それはおもしろい。どちらが真のミスティックドールにふさわしいか見せてもらおう」

 狂ったように笑い続ける祖父を背にして、マヤは書斎から出て行った。

 書斎の前では篠崎が申し訳なさそうな顔で立っていた。

「篠崎。暁人が出された場所を知ってるんでしょう? そこまで連れていって」

「ま、まさか、おひとりで暁人をとめるつもりですか。無茶です」

「だからって、誰かが殺されるかもしれないのに、みすみす放ってなんかおけないわ。これは祖父を狂わせる原因をつくったあたしの仕事なの。いいから連れていって」

「……かしこまりました」

 マヤは篠崎の車に乗ると、ひとり闇の中にひそむ悪魔をひとり捕らえに出かけた。

 おぼろげな月明かりが夜空に浮かぶだけだった。

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