第25話 人形の家の惨劇5
夕陽が街並みを橙色に染めあげていた。
駅前に向かいながら、ゆかはぼんやりと地面を見つめていた。さっきかかってきた電話の相手の言葉が頭から離れることはなかった。
『おまえの母親は交通事故で死んだわけじゃない。母親が殺されたのは斎マヤが原因だ』
そんなの嘘だとわかっている。ゆかをマヤから引きはがすための罠だとわかっている。
だけど、なぜかその言葉を聞いたときから、頭が締めつけられ、鼓動がはやくなっていく。
(冗談じゃない。お母さんは交通事故で死んだのよ。マヤちゃんは関係ない)
そう言いながら、ゆかはなにかがおかしいことに気づいた。
(そういえば、お母さんが死んだのも五年前じゃなかったっけ)
ミスティック・ドールズ事件が起きたのも五年前。母が死んだのも五年前。
「偶然だよ偶然。ただの偶然に決まってるんだから」
ゆかは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
マヤと母とはなんの関係もない。もしもマヤが関係していたのだとしても、五年前はまだ九歳の子供だ。たった九歳の子供が誰かを殺せるわけがないじゃないか。
駅前に出ると、英国のマークが入ったティーポッドが目にとまった。斎図書館でもマヤはよく紅茶を飲んでいた。
「そういえば、マヤちゃんって、イギリスの大学を卒業してるんだっけ」
マヤは英国の大学の通信教育では、なんの勉強をしていたんだろう。
ふと思い返してみると、マヤのことはなにも知らない。
両親が交通事故で死んで、祖父に引き取られたものの、その祖父も死に、祖父の莫大な遺産で図書館を建設したことくらいしか知らない。彼女が車椅子になった原因や家族との思い出や学校の思い出などはなにも知らない。
いつもゆかが話していることをただ聞いているだけ。
ふと、ほんとうは自分は信頼されてないんじゃないか、という不安が過ぎる。
「そんなわけないよ。友達じゃなかったら毎日メールなんかくれるはずないもん」
そう自分を叱りつけても、心の不安は拭い去ることができない。
ほんとうに信頼されているのなら、ミスティック・ドールズ事件とマヤの関係を全部話してから説得するのがふつうじゃないのか。あんなふうになにも言わずに隠すなんておかしい。
「違う違うってば!」
懸命に悪魔のささやきを振り払ったが、心の中で悪魔がせせら笑っているのがわかる。
携帯電話がふいに鳴り響いて取り出すと、マヤからのメールだった。
『だいじょうぶ? 今日も家にいるの?』
たった一言だけ入っていた。不審人物からの電話があったことを話そうかどうか迷っていたが、結局〝今日は夏子さんの家に泊まるからだいじょうぶ〟とだけ返信した。
しばらくすると、〝わかった。気をつけて〟と返ってきた。
(そうだよ。こんな心配してくれてるマヤちゃんがわたしを裏切るはずないよ)
複雑な心境で携帯電話の画面をながめていると、
「お待たせ。ごめんね。遅くなって」
気づけば、夏子が立っていた。
水色のワンピース姿はなんとも女子大生っぽくてかわいらしい。あいかわらずショートパンツとTシャツという体育会系のゆかとはえらい違いだ。
「どうしたの? なにか元気がないみたいだけど」
「そ、そんなことないですよ。すごく元気いっぱいです」
ゆかは両腕を振り上げてガッツポーズをした。
「なら、いいけど。じゃあ、お夕飯のお買い物に行きましょうか」
はい、とゆかが元気よく答えると、夏子はやさしく微笑んだ。
いまは夏子の恋愛相談に乗るほうが先だ。マヤには今度電話で自分の気持ちを正直に話してみよう。そうすれば、マヤもなにか答えてくれるかもしれない。
「ねえ、ゆかちゃん。なに食べたいか考えてきた?」
「えっ? えっと……」
考えていなかった。不審人物からの電話で、それどころではなかった。どうしようかと考えていると、ふいに携帯電話が鳴り響いた。
「あっ。夏子お姉ちゃん。ちょっと待ってて」
あわてて携帯電話を取ると、相手は霧生からだった。
『もしもし。ゆかくん、今日もなにもなかった?』
不審人物からの電話を話そうか迷ったけれど、夏子の前で話すわけにはいかない。
「はい。特に変わりはないです。あの、マヤちゃんのほうは?」
『あいかわらず図書館にこもりっぱなしさ。今日も篠崎さんに警視庁に出てきてもらって関係書類を渡してもらうように頼んだところ。本人はいつにも増して外に出たがらないんだってさ』
「……そうですか」
さすがのマヤでも真犯人に命を狙われることを怖がっているんだろうか。
いや、マヤはそんな子じゃない。おそれているのは、誰かと親しくしているところを真犯人に見られることだろう。
『これから一応君の安全確認のためにも君の家に行きたいんだけどいいかな?』
「いや、今日はその……」
ちらりと夏子のほうを見ると、夏子はきょとんとして首をかしげた。
(そうだ!)
そのとき、ぴんと頭の中でひらめいた。
「はい。ぜひ来てください。絶対絶対来てくださいね」
『どうしたんだい? 急にそんなに元気になるなんて』
「な、なんでもないですよ。霧生さんに会えてうれしいだけです」
ゆかが夏子の家に泊まることを霧生に悟られてはいけない。ゆかが夏子の家に泊まることを霧生に知られれば、安心してゆかの自宅まで来ないかもしれない。
そんなことになれば、また夏子が霧生と親しくなるチャンスがなくなってしまう。
「七時ぐらいに来てくださいね。約束ですよ」
『そんな念を押さなくてもだいじょうぶだよ。わかった。七時に君の家を訪ねるよ」
「絶対約束ですからね」
しつこいくらい念を押してからゆかは電話を切った。
「夏子お姉ちゃん。よかったですね。霧生さんが夏子お姉ちゃんの手料理を食べに来ますよ」
ゆかがまわりに聞こえるくらい大きな言うと、
「えっ」
と夏子の顔が夕焼けを浴びてもなおわかるほど赤く染まった。
その照れた表情がかわいくて、ゆかは思わず笑った。
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