第17話 マリオネットたちの暴走7

 こんなに泣いたのは、いつが最後だっただろう。

 母の葬式のときに父の腕の中で泣いたのが最後のような気がする。

 自室でゆかはまくらに顔を押しつけて泣き続けた。帰りの電車の中でも涙が零れてきた。必死に堪えようとしたものの、涙があふれてとまらなかった。心配して声をかけてくれた老婦人にもまともに答えることができずに、ずっと泣き続けた。

『ゆか。販売員の女性が刺されたのは、あなたのせいなのよ』

 誰かの泣いている姿を見たくないから手を差しのばすことは、ほんとうは自己満足じゃないか。母を助けることのできなかった過去を帳消しにしたいから、誰かを助けようとしているだけじゃないか。そんな疑問をずっと持っていた。

 それをマヤに見透かされた気がして、ゆかはなにも反論することができなかった。

 いつの頃からだろう、誰かの泣いている姿を見ていられなくなったのは。

 なんとかしなくちゃ。なんとかしなくちゃ。なんとかしなくちゃ。

 いつの頃からか、そんな強迫観念にも似た感情に、ゆかは取り憑かれていた。五年前に母を交通事故で亡くしてから、ゆかは合気道の練習にも人一倍力を入れていた。

(……だったら、あの映像はなに?)

 下北沢で切り裂きピエロに襲われたとき、頭に浮かんだ映像はなんだったんだろう。 

 母と思しき死体がリビングで倒れている映像。四肢がひしゃげた母の体。

 その母の体に抱きついている女の子の目が青白く光っていた。まさかあれは……。

『……ごめんなさい……ごめんなさい』

 誰かが手を握って涙を流しながらあやまっている光景が見える。

「つっ」

 思い出そうとすると頭が締めつけられる。なにか大切なことを忘れている気がする。記憶の一部に有刺鉄線が張り巡らされたように、その記憶に触れようとすると激痛が走る。

(なんなの、これ? なにを忘れてるの、わたし?)

 なんとか思いだそうとした瞬間、携帯電話がゆかを呼んだ。

 電話の音に驚いたせいで、引っ張り上げていた記憶のかけらが、また闇の底へ沈んでいく。

仕方なくゆかは考え事をやめて携帯電話を手に取った。

「はい。もしもし?」

『ゆか。わたしだ』

「お父さん? 仕事終わったの? ごめん、夕飯まだ用意してないの」

 なるべく泣いていたことがばれないようにふつうに話す。けれど、父はまだ仕事先なのか背後からやかましいくらい誰かが話している声が聞こえる。

 父が仕事先から電話をかけてくるなんてめずらしい。なにかあったんだろうか。

『ゆか。落ち着いて聞きなさい。実はマヤくんが行方不明になった』

「えっ?」

 受話器を手にしたままゆかは硬直した。

「マヤちゃんが行方不明になったって、どういうこと?」

『いま篠崎氏から電話があって知ったことなんだが、あの子はどうやら切り裂きピエロの犯人と思しき相手と会う約束をしていたらしい』

 ゆかは絶句した。マヤが切り裂きピエロの犯人に会いに行っただなんて。

『あの子は霧生の書類から犯人を割り出して篠崎氏と会いに行ったようだが、篠崎氏は突然相手に襲われて気絶させられたらしい。目が覚めたときには、マヤくんの車椅子が海に捨てられていたらしい。おまえは今日斎図書館にいたんだろう? 彼女からなにか聞いてないか?』

「う、ううん。なにも聞いてない」

『わかった。なら、またなにかあったら連絡する』

「マヤちゃん。だいじょうぶだよね? 無事だよね?」

『心配するな。いまは警察の力を信じろ』

 最後にそう告げて、父は電話を切った。

 ゆかは呆然とベッドに腰掛けていた。いったいどういうことなんだろう。確かにマヤは警察の書類に目を通していただけど、犯人と会う約束をしていた素振りなんてまったくなかった。あんな平気で人を刺せるような犯人にひとりで立ち向かうだなんて無茶だ。

 車椅子が海に捨てられていた、ということは、まさか車椅子と一緒にマヤも……。

(嫌だ。マヤちゃんがいなくなるなんて絶対嫌だ)

 狂いそうになる心を落ち着かせようとしていると、ふたたび携帯電話が鳴り響いた。

 液晶画面の名前を見て、ゆかは息をのんだ。

 あわてて録音ボタンを押してから、携帯電話を手に取って叫んだ。

「マヤちゃん? マヤちゃんなの?」

『……そんな大声出さなくても聞こえてる』

 か細い声が受話器から流れてくる。

『使い方をこれだけしか知らないから、あなたにしか連絡が取れなくて。ほんとうはゆかを巻き込みたくなんかないのに……』

「そんなことどうでもいいよ。いまどこにいるの?」

『正確な場所はわからない。どこかの河川敷の小屋に閉じ込められてるみたいだけど、目隠しをされて両手を縛られて逃げることができない。でも、だいたいの場所はわかる。首都高を使って東名高速に入った。たぶんここは……』

 肝心なところで、突然電話が切れた。

「マヤちゃん? マヤちゃん?」

 何度も呼びかけるものの、電話から聞こえるのは電話が切れた音ばかり。

 あわててリダイヤルするものの、

『お客様がおかけになった電話番号は現在電波の届かないところかにおられるか、電源が入っておりません』

 何度かけ直しても電話がつながらない。電波の状態が悪いところにいるのならまだましだ。もし電話をしているところを、犯人に見つかったのだとしたら……。

(泣いちゃだめだ! わたしがなんとかしなくちゃ!)

 あふれそうになる涙を必死に堪えて、父の携帯電話にかけ直す。

『どうした、ゆか? なにがあった?』

「いまマヤちゃんから連絡があったの。目隠しされて場所がわからないって言ってた。でも、どこかの河川敷の小屋らしいんだけど、場所を聞こうとしたら途中で切れちゃって……」

『わかった。携帯電話の通話記録はとってあるな?』

 うん、と涙声でうなずくと、

『いま霧生たちに携帯電話を取りに行かせる。ゆかも気をしっかり持っているんだ』

「はい。わかりました」

 電話を切った後、ゆかは携帯電話を力いっぱい抱きしめた。

 マヤの無事をただ願いながら。

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