第14話 マリオネットたちの暴走4
夕闇が迫る頃、小田急線下北沢駅の駅前でゆかは車から降りた。
「送ってくれてありがとうございました」
「ほんとうにここでいいの? 家まで送ってあげるのに」
「だいじょうぶです。ちょっと寄っていきたいところがあるので」
「そう。じゃあ、またなにかあったら連絡して」
はい、と返事をすると、霧生は去っていった。
「さてと」
下北沢の通りを歩いてゆかは一軒の店に入っていった。
「いらっしゃいませ」
そこは携帯電話会社の販売店だった。
出迎えたのは二十歳そこそこの若い女性の販売員だった。そろそろ携帯電話の機種変更をしようかなと思っていたのだけれど、実はほんとうの目的は別にあった。
「あの、誰でも使えるような携帯電話ってありますか?」
「お祖父様かお祖母様がお使いになるんですか?」
「えっと、まあ」
あはは、とゆかは笑ってごまかす。とても十四歳の女の子が使うだなんて言えない。
「機械がまったくだめなひとでも使えるような簡単なものがいいんです。でも、できれば今後メールも使えるようになってもらいたいんで、メール機能ぐらいは付いてるものがいいんです」
「ああ、それでしたら、こちらがよろしいと思いますよ」
販売員が出したのは玩具のような小さな携帯電話だった。
「こちらは携帯電話がはじめての方でも使いやすいモデルとなっていまして、ダイヤルボタンの上にあるこちらのボタンを押していただきますと、事前にお客様のほうで登録された電話番号に自動的につながるんです」
へえ、とゆかは感心する。これならマヤにも使えるかもしれない。
「メールもこちらのメールボタンを押すだけで内容を確認することができます。しかも、文字が大変大きく見やすくなっていますので、ご高齢の方でも手軽に使っていただけますよ」
「そ、それは便利ですね」
どんな顔をすればいいかわからなかった。マヤはあれだけ分厚い本の小さな文字は読めるんだから、文字は小さくて全然かまわないんだけれど。
マヤと携帯電話やメールで手軽に話がしたい。携帯電話やメールで話すことができれば、もっとマヤとの関係も近くなることができるかもしれない。彼女が抱えている孤独をやわらげることができるかもしれない。
(でも、カタログを持ってっても、絶対に見てくれないだろうし)
カタログを持っていったぐらいでは、携帯電話やメールを使ったからといって人間関係の距離が縮まるなんて幻想だ、なんて、またマヤにもっともらしい自説を聞かされて言い負かされるに決まっている。
なんとかマヤに携帯電話を持たせる方法はないか、と考えていると、
「ママぁっ! ママぁっ!」
突然通りのほうから悲鳴が聞こえてきた。
なんの声だろう。店の入口から外を見ると、外から猛然と仮面をつけた男がこちらへ駆けてくる。その右手にはべったりと血のついたナイフが握られているが、派手な衣装を着ているために現実味がない。
「切り裂きピエロ?」
彼の背後には血塗れで倒れている女性の姿があった。まだ十歳ほどの小さな女の子が女性にすがって泣き叫んでいる。まちがいなく目の前の光景は現実に起きていることだ。
その姿を見た途端、心臓がどくんと大きくはね上がった。
(確かこの光景どこかで……)
目の前に危険が迫っているのにもかかわらず、意識が遠いところに向かっていく。
赤い記憶。血塗れで倒れている女性。
血塗れの女性に抱きついている小さな女の子。
頭が痛い。この光景はなんなんだろう。目の前がぐらぐらと回っている。
「あぶないっ!」
販売員の声に我に返ると、仮面の男が目の前まで迫っていた。
「邪魔だ!」
くぐもった声で叫ぶと、男はナイフを斬りつけてきた。
ぼうっとしていたたために反応が遅れた。
寸前のところで身をひるがえしたものの、ナイフの刃先が右肩を裂く。
「あうっ」
足がよろめいて地面に倒れ込んでしまった。
とっさに体勢を立て直そうとするものの、右肩に激痛が走る。右肩からあふれた血が白いシャツを赤く染めていく。
「おい、あいつをとめろ!」
通行人の男の人たちが道路をふさぐように立ちふさがり、背後からもパトカーのサイレンの音がこちらへと近づいてくる。
「くっ!」
仮面の男は販売店に駆け込むと、販売員を人質に取った。
「いや、離して! 誰か助けて!」
販売員は悲鳴をあげて泣き叫ぶが、静かにしろ、と犯人に命じられると必死に泣き声を抑えた。そして、そのまま犯人は販売員を人質にして建物の奥へと向かっていく。
(はやく犯人を捕まえないと)
誰かが目の前で泣いている姿をもう見るのはいやだ。もうなにもできずに大切な誰かを奪われるのはいやだった。目の前に助けを求める相手がいたら必ず手を差しのばす。母を交通事故で亡くしたときに心の中でそう誓った。
「君、だいじょうぶかね?」
通行人のひとりが声をかけられ、ゆかは我を取り戻した。
「だいじょうぶです」
ゆかはハンカチで右肩を縛り上げると、急いで建物の奥へと向かった。
「ちょっと待ちなさい! なにをするつもりだ?」
「犯人を捕まえます!」
「なに言ってる。相手はナイフを持ってるんだぞ」
ゆかは静止を振り切って建物の奥へと向かった。このまま追いつめられた犯人がなにをするかわからない。あの女の子のような悲劇がくり返されるのを見たくない。
建物の奥へと向かうと、犯人はエレベーターで人質の女性とどこかに向かうところだった。
「待ちなさい!」
ゆかもエレベーターに向かってかけるが、寸前のところで扉が閉まった。エレベーターは屋上へと向かっていく。
ゆかは階段から一気に屋上を目指して駆けた。エレベーターが到着するよりもはやく屋上にたどり着ければ、油断している相手を取り押さえることができるはずだ。
胸が苦しい。息が切れる。体が重い。
けれど、立ち止まるわけには絶対にいかない。
ようやくのことで屋上にたどり着いたが、運悪くすでに犯人たちは屋上に出ていた。夕暮れの光が屋上のコンクリートを赤く染めている。
「そのひとを離しなさい!」
相手がひとりだったら立ち向かえるのに、人質がいるからそれはできない。
「わたしが代わりに人質になります。だから、そのひとを離してあげてください」
ゆかは賭けに出た。人質交換の際なら犯人は人質から手が離れる。その隙を狙えば、相手を取り押さえることもできるはずだ。もし相手に押さえ込まれたとしても、返し技ならいくらでもある。とにかく人質の無事を優先させなくては。
だが、犯人からの返答は意外なものだった。
「いやだね」
「どうして? ただの女子高生なんだよ」
「あんたかなり強いだろう?」
ぎくりとした。相手はゆかが武術を習っていることを見抜いている。
「……どうしてわかったの?」
「おれのナイフを避けるとき、見事に避けてたもんな」
「くっ」
ゆかは唇を噛んだ。相手の動きから格闘技に関して素人だと判断したが、相手のほうは意外に冷静にゆかの動きからゆかが格闘技を習っていることを見抜いていたらしい。
どうすれば犯人から人質を引きはがせるか悩んでいると、
「そこまでだ!」
警察官が大挙して屋上に出てきた。
「なにしてるんだ、君は」
「あの、わたしは……」
「とにかく後ろにさがって」
警官に腕を引っぱられて無理やり背後に押しやられた。
警官たちは犯人をかこむように陣形を張り巡らせると、
「人質を解放して自首するんだ。建物の下にも警察が取り囲んでいる。もう逃げ場はないぞ」
刺股を手に徐々に犯人との距離を縮めている。
犯人は一瞬あたりを見回した。けれど一番近い隣のビルに飛び移ろうとしても、すくなくとも八メートルは開いている。まして、地面から屋上まで高さ二十メートル以上ある。落ちたら命はないことがわかっていて、とても跳べるわけがない。
「無駄なあがきはよせ。これ以上親を悲しませるような真似をするな」
「笑っちゃうね。月並みな言葉。そんな説得でひとの心が動くとほんとうに思ってるわけ?」
仮面の奥の瞳が奇妙にゆがむ。笑っているようだった。
「逮捕されるのがわかっているなら、おとなしく人質を解放しろ」
「さて、どうかな」
そう言った瞬間、仮面の奥の瞳が青白い光を放った。
(あれは……ミスティック・ドールズ?)
ゆかが犯人に目を奪われていると、突然人質の女性から悲鳴があがった。
犯人がいきなり人質の女性を刺したのだ。
女性は下腹部を押さえて地面に倒れ込み、警官隊も突然のことに動揺が走った。
「じゃあね」
そう告げると、犯人の男は屋上の柵を乗り越え、助走をつけて一気に跳んだ。
「ばかな?」
八メートル以上の距離を見事に跳び越えて、滑り込むように隣のビルの屋上に着地した。そして、犯人は笑いながら建物の中へと消えていく。
警官隊もゆかも目の前の光景を、ただ見ていることしかできなかった。
「お、おい、なにをしてる? はやく救急隊を呼べ。下に待機しているやつに犯人が隣のビルに移ったことを報告しろ」
我を取り戻した警官が怒鳴り声をあげる中、ゆかはふらふらと屋上の柵へと向かった。
(これはなに? なにが起きたの?)
目の前の信じられない光景に頭がついてこない。
わずか三十センチほどの建物の縁を助走に使って幅八メートルの距離を飛ぶなんて常人には不可能だ。まして、いくらオリンピック選手だとしても、高さ二十メートル以上あることがわかっていたら、足がすくんで跳ぶことなんてできない。
柵から下を見下ろすと、地面が暗闇に覆われていた。奈落の底に通じるかのような高さに、めまいまで起こしそうだ。
ふと気づくと、目の前の通りから、こちらを見ている男がいた。
(……霧生さん?)
背格好から霧生によく似ている。けれど、相手はすぐに野次馬の中に消えていった。
霧生がこんなところにいるわけがない。彼は車で警視庁に戻ったはずだ。
そう思うものの、通りからこちらを見ていた相手はあまりに霧生に似ている気がした。
赤い夕陽が西の彼方に沈んでもなお、パトカーや救急車の赤いランプが地上を照らしていた。
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