第12話 マリオネットたちの暴走2

「ふたりは最近新宿や渋谷で起きてる切り裂き魔事件を知ってる?」

「あっ。はい。繁華街で突然あらわれて通行者を斬りつける事件ですよね」

 霧生の言う切り裂き魔事件というのは、七月頃から連続して起きている事件だ。

 渋谷や繁華街で突如あらわれては、いきなり通行人を斬りつけて去っていく。身長や体型から若い男性であることがわかっているけれど、いつも黒い服にピエロのような道化師の仮面を付けていることから通称〝切り裂きピエロ〟なんて呼ばれている。

「事件現場は渋谷や表参道、新宿の都庁前と結構目立つところで犯行がおこなわれてるんだ」

「相手はピエロのような仮面をつけてるんですよね。そんな目立つ格好でいたら、すぐに相手に気づかれるような気がするんですけど」

 これだけ評判になっているのにもかかわらず、事件は連続して起きている。ふつうならばピエロや風変わりな仮面をつけている相手を誰もが警戒するだろう。

「これがまた厄介でね。犯行は大きな広場や公園に集中しているんだ」

「それが事件となんの関係が?」

「新宿の都庁前や代々木公園、渋谷の表参道などは大道芸人が集まる場所だろ? その大道芸人に混じって犯人はいきなり斬りつけてくるらしいんだ」

「あっ。そっか。大道芸人は顔にメイクをしてるから仮面をかぶっても目立ちませんね」

「そういうこと。そこで、東京都と警視庁は犯人が逮捕されるまで大道芸を禁止することを宣言したんだ。そしたら、今度は親子連れの集まるイベント会場で犯行がおこなわれてね。まさにいたちごっこさ」

「当然、警備は強化してるはずでしょ? それでも捕まえられないのは警察の責任ね」

 マヤの言葉は容赦ない。霧生は頭を掻いた。

「警視庁でも所轄の警官を総動員して東京中のイベント会場を警備させてる。けれど、いまは夏休みということもあって、東京のあちこちでイベントがおこなわれてるし、そのすべてに警官を配備することは難しいんだよ。警察があつかってる事件は、これだけじゃないからね」

「確か犯行は土日祝日にかぎられていたわね」

「なんだ。マヤくんのほうでも調べててくれていたのか」

「違うわよ。ただ憶えていただけ」

 十歳も離れているとは思えないほど堂々とした態度だ。どんなふうに育てられたら、マヤのような性格になるんだろう。

「土日祝日は特にイベントがあるから犯行を起こしやすいってことでしょうか」

「警察ではそう見てる。土日祝日以外には犯行時刻も犯行場所もばらばらだし、法則が見あたらない。犯人は確実に相手を刺せるように綿密な計画をした上で犯行をしてるってことになるだろうね。まだ死人は出ていないけれど、これからはわからない」

「被害者の年齢や性別の特徴は?」

 霧生は〝捜査報告書〟と透かしの入った書類をめくって調べる。

「えっと、特に法則はないみたいだね。老若男女問わずに斬りつけられている。取り押さえようとした警官や警備員の何人かもナイフで刺されて重傷を負ってる」

「違うわよ。最初に刺された相手の年齢や性別を聞いてるの。それもわかってるんでしょ?」

 マヤに命じられて、霧生は書類をめくる。

「そうだね。特に二十代前半から後半にかけての女性が多いみたいだね」

「慎一郎。ちょっとその被害者リストを貸して」

 マヤは書類をひったくると、とてつもない勢いでリストに目を通していく。

 ゆかは平然とおこなわれる目の前の会話に、とてもついていけなかった。

 どうして平気で人が刺される話ができるんだろう。

 通り魔にいきなりナイフで斬りつけられただの、取り押さえようとして重傷を負わされただのと聞かされると、ほんとうに体に悪寒が走るようだった。

 しかも、目の前には犯行当時の被害者の写真や血痕が残る現場写真のコピーが置かれてある。被害者がうめいている写真もあって、血の臭いや被害者の悲鳴が感じられるようだ。

「ゆかくん。だいじょうぶ? 顔色が悪いけれど」

「だ、だいじょうぶです」

 そう言うものの、軽い貧血を起こしたように目の前がぐるぐると回っていた。

 この間の事件ではマヤや瀬戸遙を助けたい一心だったから、相手がナイフを持っていても怖くなかったけれど、こんなに生々しい写真が目の前にあると気分が悪くなる。

「ゆか様。ハーブティーです。気分がすこし落ち着きますよ」

 ふと顔をあげると、篠崎の屈託のない笑顔があった。

「あ、ありがとうございます」

 あたたかいハーブティーに口をつけると、すこし気分が和らいだ。

「ごめん。ゆかくんにはすこし刺激が強すぎたかな」

 そう言って、霧生がゆかの肩を抱いてくれた。

「だから、外に行ってろって言ったのよ」

 マヤの冷たい一言に、ゆかは言葉がなかった。だけど、どうしてマヤはこんな生々しい写真を目にしても平気なんだろう。

 霧生は警察官だから誰かが傷ついている写真なんて見慣れているだろうけれど、ふつうの感覚ならこんなに大量の血が写る写真を見せられたら気分が悪くなるはずなのに。

「慎一郎。警察が今回の犯人をミスティック・ドールズだと疑った根拠は?」

「あるイベント会場で大人三人がかりで犯人を取り押さえたんだ。にもかかわらず、犯人は大人三人を振り払って逃走した。しかも、とんでもない速さで駆け抜けたらしい。そして……」

 霧生は声のトーンを落として続けた。

「大人三人を振り払うときに目が青白く光ったという証言が出てきた」

 マヤの眉がぴくりと反応した。

「それって、この間の水瀬さんと同じ……」

 この間、水瀬華乃に襲われたときも、彼女の目が青白く光っていた。

「あの、目が青白く光ることと、ミスティック・ドールズとはなにか関係があるんですか」

「そのことは言えないと言ったはずでしょ?」

 マヤにぴしゃりと言われて、ゆかは渋々黙るしかなかった。

「慎一郎。犯人の写真はないの?」

「通行人のひとりが携帯電話のデジカメで撮ったものが一枚と、IRシステムにいくつか姿をとらえているだけだよ。残念ながら素顔はわかっていない。指紋は採取できたけれど、照合しても過去に犯罪歴はない」

 そう言って、霧生は封筒から犯人の写真をテーブルに並べた。

 目撃者が撮った写真はピンぼけしていて犯人の下半身しかまともに写っていない。IRシステムの写真は前傾姿勢で全力で走る犯人の姿が写されているが、顔面を覆うピエロの仮面と派手な帽子や衣装を着ているために顔も髪型もわからない。

「靴の爪先がずいぶんとすりへってるわね。走る歩幅もほぼ等間隔だし」

「マヤちゃん。それからなにかわかるの?」

 ゆかの質問にマヤは答えない。

 事件のこととなると、どうもマヤは蚊帳の外にゆかを追い出そうとする。素人が口をはさむな、とでもいいたんだろうか。だけど、マヤだって警察とはなにも関係ないのに。

 仕方なく霧生のほうに話題を振ってみる。

「あの、霧生さん。犯人が犯行をおこなうときは大道芸人やイベントの人たちに混ざれますけれど、逃げ出すときにはみんなに衣装や服装を見られてるんですよね」

「それがね。毎回犯人の衣装を変えてるらしいんだ。犯行現場近くのゴミ箱から発見されたんだけど、自分で衣装をつくっているらしくて入手経路を特定できないんだよ。犯行道具のナイフもありふれたもので、特注のものじゃないから割り出しに時間がかかってね」

「つまり、犯人はサバイバルマニアやミリタリーマニアが現実に人を刺してみたくなったというわけじゃないってことね。そして、自分の衣装を平気で捨てていることからも、犯人は自分の存在を世間にアピールしたくて人を刺しているわけじゃない」

マヤは目を閉じて淡々と推理を披露する。そんなマヤに霧生は楽しそうに問う。

「なるほど。快楽殺人犯じゃないんだったら、なんで通り魔なんか起こしているんだい?」

「この犯人の犯行動機はもっと個人的なものよ。おそらくコンプレックス」

「コンプレックス?」

 ゆかが問い返したとき、図書館の柱時計が午後四時の鐘を鳴らした。

「すこししゃべりすぎたみたいね。今日はここまでにするわ」

「ええっ? なんで? これから先が聞きたいのに」

「残念だけど、この図書館は午後四時で閉館なの。さっさと帰って」

「いつもはそんなこと言わないくせに」

むすっと頬をふくらませたものの、

「この図書館の館長はあたしなの。あたしが閉館すると言ったら閉館するの」

「そんなあ」

 恨みがましい目で見ても、マヤは表情を変えない。

「慎一郎。さっさとこの子を連れて帰って。事件に関しては追って連絡するわ」

「――了解。資料は一応置いていくね。またなにかほしいものがあったら電話して」

 ええ、とマヤはうなずくと資料へと戻っていった。

「じゃあ、また来るからね」

 ゆかは別れのあいさつをしても、マヤは資料に没頭してなにも答えなかった。

 なんだか残念な気持ちになりながら、足取り重く図書館を後にした。

 そんなゆかを見て、霧生はくすくすと笑っていた。

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