第11話 マリオネットたちの暴走1

 ある日曜日の午後、ゆかの声が高々と山間に響いた。

「ええっ? マヤちゃん携帯電話持ってないの?」

 学校が夏休みに入り、ゆかが斎図書館に出かけることが多くなった。

 せっかく名探偵と知り合う機会ができたのだから、もっと親しくなりたいのに、マヤはいつも本ばかり読んでいてすこしも相手をしてくれない。けれど、ときどきぽつりぽつりと話してくれたり、宿題のまちがいを指摘してくれたりする。

 そんな中、携帯電話の番号を無理やり聞き出そうとしたら、実はマヤが携帯電話を持っていないことを教えられた。

「いまどき携帯電話を使えない中学生のほうがめずらしいくらいなんだよ」

「携帯電話なんか必要ないわ。用件は電話で話せば問題ないでしょ」

「でも、外で待ち合わせをするときに便利だよ」

「あたしはいつもここにいるから関係ないわ」

 あうう、とゆかはうなる。

 確かにマヤは図書館からあまり出たがらない。まだ一緒に外に遊びに出かけたこともないから、携帯電話も必要ないかもしれない。

「でもほら、メールができるでしょ?」

「メール? ああ、文字を相手に送りつけるっていうものね」

「それだけじゃないよ。絵文字とかいっぱいつけたらかわいい文章になるの」

「それがなんなの? あたしには関係ないわ」

「でも、わたしはマヤちゃんとメールしたいよ。メールなら相手の都合に合わせられるし。一日あったことも電話だとめんどくさいけど、メールなら気軽に報告できるでしょ?」

「なんであたしがあなたの日記を読まなくちゃいけないのよ。そんなこと恋人としなさい」

「そんなのいないもん。わたしはマヤちゃんとメールしたいの。ねえ、お金持ちなんだから携帯電話ひとつぐらい持とうよ。メールしようよ」

「嫌よ。絶対に嫌」

 断固拒否される。ここまで拒否されると意地でも携帯電話を持たせたくなる。

「絶対に楽しいよ。マヤちゃんはわたしと仲良くなりたくないの?」

「ゆか。携帯電話やメールはあくまでも居場所が特定できない相手や都合のわからない相手に用件を伝える手段であって、コミュニケーションの道具として頼るものじゃないわ。最近の若者はもうすこしひとと会う大切さを思い出すべきなのよ」

「最近の若者って……マヤちゃんほんとうにわたしよりも年下?」

 こんなかわいいのに、口から出される言葉は理論的なことばかりだ。白磁人形みたいな容姿と老熟した学者みたいな口調に、この子が何歳なのかいつもわからなくなる。

「ゆかくん。無理だよ無理。マヤくんに携帯電話なんか持てるはずないって」

「き、霧生さん?」

 振り返れば、いつの間にか霧生が背後に立っていた。

 霧生の登場に、心底マヤは嫌そうな顔をする。

「あの、霧生さん。マヤちゃんが携帯電話をもてないってどういうことですか?」

「図書館だってデジタル化の時代だってのに、この図書館の貸し出し記録はいまだにカードなんだよ。なんでだと思う?」

「えっと、伝統にこだわっているから、とか?」

 霧生は、くく、と声を押し殺して笑う。

「実はこの図書館の館長が機械が苦手だからなんだよ」

「図書館の館長って、マヤちゃんが、ですか」

「マヤくんはパソコンはもちろんビデオ録画もできない。携帯電話なんてもってのほか」

「でも、この間は携帯電話のメールの発信場所が特定できることを知ってましたよ」

「全部本や新聞から得た知識だよ。いまだにマヤちゃんに連絡取るためには、ここに電話して篠崎さんに取り次いでもらうか手紙を送るかしかないんだものね」

「ほへえ」

 これだけ頭がよくて高校生の勉強だって、すらすら解けるくらいに頭がいいのに、いまどき携帯電話もあつかえない子供がいるなんて。なんか外見は十四歳の女の子だけれど、中には六十を過ぎた老人がいる気がする。

「違うわよ。使えないんじゃなくて使わないだけよ」

「じゃあ、ぼくの携帯電話を貸してあげるから、ゆかくんにメールを送ってごらんよ」

 霧生の携帯電話を受け取ると、マヤの動きが硬直した。

 携帯電話のボタンをじっと見つめているものの、その指先が妙に震えている。はじめてパソコンにスイッチを入れる老人みたいだ。

「ま、また今度にするわ」

 マヤは携帯電話を霧生に突き返した。

「決して機械が使えないわけじゃないわ。ラジオやレコードぐらい部屋にあるわ」

「……ラ、ラジオやレコードって」

 インターネットから音楽や映像をダウンロードする時代に、ラジオやレコードを使えることを誇らしげに語る十四歳とはいかがなものか。

「とにかくくだらない話はここまで」

「くだらないことじゃないって。使い方教えてあげるから携帯電話持とうよ。メールしようよ」

「くどい! それ以上携帯電話の話をしたら、もう宿題を教えないわよ」

 痛いところを突かれた。それは困る。

「それで、慎一郎。なにしにきたの?」

「この間の事件の事後報告と遠鳴課長にふたりの様子を見てこいって命令されてね」

「あなたの父親ってほんとうに親ばかね」

 事実そのとおりなので、反論する言葉がない。

「この間の事件って……あの、瀬戸さんはだいじょうぶなんですか?」

 この間、病院に見舞いに行ったときは面会謝絶の掛札が掛けられていた。命に別状はないと病院の説明があったが、かなり肉体的にも精神的にも憔悴がはげしかったらしい。

「まだ事件のことを話せるほどに快復していないね。体は順調に快復してるみたいだけど、幼なじみにあんな目に遭わされたショックと、暗闇に閉じ込められたショックで心の傷のほうが深くてね」

「……そうですか」

 助けを呼ぶこともできずに闇の中で過ごした日々は、どれほど苦しかっただろう。大切な親友だからこそ、自分ひとりでなんとか説得しようとしたことが徒となった。

「でも、側で支えてくれるひとがいれば、心の傷をやわらげることができるよ。彼女の恋人が毎日見舞いに行って側にいてあげてるんだってさ」

「……要」

 どんなに苦しいことがあっても誰かが側にいるだけで心は楽になる。ひとりきりで抱え込むよりも側で話を聞いてくれる相手がいるだけでつらい現実を忘れられる。

「それよりも問題なのは犯人の女の子でね……」

「水瀬さん、どうかしたんですか?」

「困ったことに、事件の記憶がまったくないんだよ」

「事件の記憶がない?」

「被害者を監禁した事実はおろか事件を起こした間の記憶がほとんどないんだ。だから、なにを聞いても泣くばかりで事情聴取にならないんだ。幼なじみの子をそんな目に遭わせたなんて信じられない、ってね」

 ゆかは水瀬華乃とはクラスが違うから、彼女の性格を知らない。だけど、事件のときの彼女の様子はあきらかにおかしかった。訓練された警察官でさえも押さえ込む自信があるのに、それを超えた力で押し戻された。

 華乃の動きはあきらかに格闘技を学んだ人間の動きじゃない。素人の動きだ。なのに、ひとを殺すことにもなんのためらいもなかった。

 あの青白く光った瞳も気になる。しかも、マヤが華乃に打った注射はなんだったんだろう。

 ゆかがちらちらとマヤのほうを見ていると、

「あの注射器の薬が気になるっていうんでしょ? あれは関係ないわ」

「関係なくはないだろう? マヤくんが犯人に打ったのはミスティックの治療薬だろう? 警察では精神鑑定をするつもりだけれど、今回の事件はやっぱり五年前のミスティック・ドールズ事件になんらか関係してると遠鳴課長は見てるらしい」

「――慎一郎」

 マヤが鋭い視線を霧生に向ける。霧生はおどけて両手をあげた。

「わかってる。ゆかくんの前で話すなって言うんだろ? だけど、課長は君のことも心配してる。だからこそ、ゆかくんをきみのところに送ったんだからね」

 マヤは黙り込んだまま答えない。

「もうそろそろこの図書館で墓守なんてしてないで外に出たらどうだい?」

「あの、ふたりともなにを話してるんですか」

 ゆかにはさっぱりふたりの会話の内容がついていけない。けれど、どうも話の内容を聞いていると、ゆかにも関係のある事実のようだ。

「ゆか。あなたは気にしなくていいの。遠鳴警部に伝えて。まだ時期じゃない、って」

「わかった。そう伝えておくよ」

 気にしないで、と言われても、自分に関係があることなら気になる。だけど、マヤの顔がさびしそうで、とても無理に聞き出せるような雰囲気じゃなかった。

「今回ここに来たのはもうひとつ。最近起きた事件のことを教えたくてね」

「それって、もしかして警察から名探偵への依頼ですか」

 目を輝かせてたずねると、霧生は苦笑し、マヤはあきれていた。

「まさか。天下の警視庁がたった十四歳の子供に捜査依頼なんてするわけないじゃないか」

「違うんですか? でも、この間の事件だって警察のひとを呼んで……」

「あれは特別よ。いつも探偵の真似事をしてるわけじゃないわ」

 あくまでマヤはそっけない。

「今回の事件は特別でね。君に犯人像を見てもらいたいんだ」

「なに? あたしに犯罪心理捜査官の真似事をしろっていうの? お断りだわ」

「ミスティック・ドールズに関係しているかもしれない、と言っても?」

 マヤの眉がぴくりと反応する。

「ゆか。悪いけれど、しばらく屋敷か庭のほうに行っててくれない?」

「どうして? わたしも事件のこと知りたい」

「いいから出ていって」

 マヤが声をあらげる。こんなに口調を荒げるなんてよほどのことだろう。

「わかった。お屋敷でお茶してるね」

 ゆかは渋々立ち上がったが、

「いいじゃないか。ゆかちゃんにも聞いてもらおうよ」

「――慎一郎、どういうつもり?」

「君は自分が完璧だと思ってるかもしれないが、完璧な人間なんていやしない。誰もがどこか欠けている。だからこそ、互いに不足したものを補うことも必要だと思うんだ」

「あたしには誰の助けも必要ないわ」

「ほんとうにそう思う? いくら頭が切れても、両足が不自由な君にはできることがかぎられてる。もしこの間の事件で君ひとりだったら、君は犯人を取り押さえることができた?」

 マヤは答えない。

「君の助手にはゆかくんが最適だと思うんだけど。君は彼女が嫌いかい?」

「……好きじゃないわ」

 はっきり言われると、かなりへこむ。霧生はくすくすと笑った。

「ゆかくん。気にしなくていいよ。好きじゃないってことは嫌いでもないってことだから」

「そんなことより、慎一郎。捜査機密を民間人の子供にべらべらとしゃべっていいの?」

「ああ。それは気にしないで。君はあくまでも捜査協力者という立場だから。それに、君やゆかくんが捜査機密を誰かに話すこともないだろう?」

 霧生の屈託のない微笑みに、マヤは露骨に嫌そうな顔をしていた。

「ゆかくんもマヤくんの手助けをしてくれるよね?」

「それはもちろん!」

「じゃあ、これで問題ないね」

 霧生は微笑みかけられ、ゆかは顔を赤くしてうつむく。

 霧生に気に入られたいからマヤを手助けしたいわけじゃない。マヤを側で助けてあげたい。胸の奥にマヤの側にいたいという気持ちが強くある。それがどうしてなのかわからないけれど。

「さて、事件の内容を説明しようか」

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