第10話 白磁人形の憂鬱9

「犯人の女の子をゆかくんが投げ飛ばしたんだってね」

 生徒と教師しか立ち入らない校舎裏は、いまやたくさんの警察官であふれかえっていた。

 その現場に父の部下の霧生慎一郎警部補がいた。弱冠二十三歳という若さながら、キャリアとして将来を有望視されている。けれど、決してエリートぶるわけでなく、いつもゆかを気にかけてくれる兄のような存在だ。

「さすが合気道全国大会二位は違うね」

「……い、いえ、三位です」

 ゆかは恥ずかしくなってうつむいた。

 地元の警察署で合気道を習い始めたのは七歳の頃。いまや大人の警察官でさえもゆかに勝てる相手はいない。けれど、それをやっぱり憧れの霧生に知られるのは恥ずかしいわけで。

「やあ、マヤくんもずいぶんひさしぶりだね」

「慎一郎。到着がはやかったわね」

「近くで事件があって、その捜査をしていたからね」

 呼び捨てにされても、霧生は平然とした顔をしている。

「マヤちゃんと霧生さんってお知り合いなんですか」

「うん。遠鳴課長を通してね」

「父とマヤちゃんってどういう間柄なんですか?」

「それはね、えっと……」

「――慎一郎」

 マヤに一喝され、霧生はくすりと笑う。

「お嬢様が話しちゃだめだってさ。まあ、そのうちわかると思うよ」

 マヤは霧生をにらみつけるが、対して霧生のほうは屈託のない笑顔を見せるだけ。

「ところで、マヤちゃんがわざわざここまで来るということは今回の事件の犯人がはじめからミスティック・ドールズのひとりだとわかってたってわけ?」

「いえ、確証はなかったわ。ただ、犯人の犯行動機が幼なじみに対する異常な執着心であったことから、あるいはそうじゃないかと思っただけ」

 マヤと霧生はふたりだけで話をしている。なんだかひとり放っておかれている気分だ。

「でも、あの、マヤちゃんはどうして水瀬さんが犯人だとわかったの?」

「今回の事件の犯人が瀬戸遙の親しい相手であることは簡単にわかったわ。メールの発信場所が瀬戸遙の自宅近くと学校の近くから発信されていることからもそれがわかる」

「でも、捜査を混乱させるためのカモフラージュということは考えられない?」

「被害者の自宅と学校の付近しかメールが発信されていないのは不自然だわ。自宅付近だけなら警察への目くらましとも受け取れるけれど、なぜわざわざ学校付近からもメール送信する必要があったの?」

 ゆかは霧生と顔を見合わせるが、答えはわからなかった。

「水瀬華乃はなるべく自分が疑われないように計算していたつもりなんでしょうけれど、それが逆に自分が犯人だと訴えていたわけ」

「どういうこと?」

「水瀬華乃は瀬戸遙の近所に住んでるんでしょ? 近所からしかメールを送信しなければ、もしかしたら自分が疑われるかもしれない。だから、学校からもメールを送信したの」

「だったら、なんで水瀬さんはもっといろいろな場所からメールを送信しなかったの?」

「学校生活というサイクルがある以上、高校生の生活範囲は絞られてるわ。その高校生が突然毎日あちこちに移動したら目立つでしょ?」

「なるほどね。だから、自分が疑われないためには生活圏からしか送信ができなかった、と」

 霧生は感心したようにうなずく。

「じゃあ、この花壇の百合を荒らしたのは瀬戸さんへの憎しみから?」

「もちろんそれもあるけれど、ほんとうはあの体育用具室をふさぐためだったのよ」

「えっ? 体育用具室をふさぐため?」

「花壇を荒らすだけじゃ瀬戸遙への憎しみが原因だと警察に勘づかれる。警察も学校の交友関係を中心に調べるでしょうね。だから、物理室の窓を割り、体育用具室の扉を細工することで瀬戸遙の事件とは無関係だと思わせるようにしたのよ」

「それに、これだけめちゃくちゃにしておけば、誰か危険人物が学校に出入りしていると思わせることもできるから、生徒たちを体育用具室に近づけないこともできるってわけか」

 霧生の補足に、マヤはうなずく。

「でも、それはあくまでも水瀬さんが犯人だと知っていなければわからないことでしょ? 水瀬さんが話した瀬戸さんと一緒にいたという男のことは気にならなかったの?」

「それが狂言だと気づいたのは、あなたが体育用具室の扉を調べた、という話を聞いたときよ」

「えっ? なんでそのときに水瀬さんが犯人だとわかったの?」

「体育用具室の扉を開けようとしたとき、有刺鉄線が巻かれているから危険だと水瀬華乃は言ったんでしょ?」

「うん。いま考えれば中を調べられたくなくてそう言ったのかもしれないけど、でも有刺鉄線が巻かれてるから気をつけるように注意するのは当たり前でしょ?」

「違うわよ。そのとき、水瀬華乃は花壇を割ってあなたの場所まで来たのよね?」

「うん。そうだけど。それが?」

 きょとんとしてしていると、マヤは深々とため息をついた。

「荒らされていたとしても、大切な友達が花を植えた場所だと知っていたら、あなたはその場所を平気で踏みつけることができる?」

 あっ、とゆかは声をあげた。

「そんなささいなことから水瀬さんが犯人だとわかったっていうの?」

「ささいなことにこそ、深層意識があらわれてしまうものよ」

 なんて言葉を出せばいいのか、ゆかにはわからなかった。

 ゆかの話だけで、水瀬華乃が犯人であることだけじゃなく、瀬戸遙の居場所まで突きとめるなんて。この子が父と協力して事件を解いたという事実もほんとうなのかもしれない。

「ゆかくんの話からそれだけのことがわかったのかい? まるでデュパンだ。さすがはミスティックに選ばれた子供だけはあるね」

 霧生が拍手して告げた言葉に、マヤの眉間にみるみるしわが刻まれていく。

「――慎一郎。もう一度それを口にしたら、あたしは二度とあの図書館から出ないわ」

「すまない。あまりにも君の推理がすごいものだからついね」

 霧生は申し訳なさそうに頭をかく。

 ミスティック・ドールズというものが警察とマヤを結ぶなんらかの重要な線であることはわかったけれど、それがなんなのかはわからない。あの華乃が最後に見せた信じられない力や青白い目の正体についても気になる。

「とりあえずは事件は解決だ。ゆかくんとマヤちゃんのおかげでね」

 霧生があかるく告げるが、マヤは満月を見上げてつぶやいた。

「これでほんとうに終わりなのかしら」

「どういうこと?」

「もしかしたらはじまりなのかもしれないわ」

 そう言うマヤの顔は、どこか憂鬱そうだった。

 真夏とは思えない冷たい風が満月から降ってきた。 

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