第9話 白磁人形の憂鬱8

「ここがその花壇?」

 ゆかが校舎裏へと連れてくると、マヤは真剣な目で花壇とあたりを見回していた。

「それで、あそこが体育用具室?」

「うん。いまは扉の修理がすむまで使ってないけど」

マヤは割れたままの物理室の窓や花壇を念入りに見て回っていた。窓硝子は大きく割れて、花壇の花の芽はめちゃくちゃに踏み荒らされ、無惨な姿をさらしている。

 ゆかは背筋がぞくっとした。昼間はなんとも思わなかったが、あらためて見ると、犯人の狂気がかいま見えるようだった。

「マヤちゃん。こんなところに何の用なの?」

 ゆかにはわざわざマヤが花壇を案内させた意図がわからない。

 瀬戸遙が失踪した事件と花壇が荒らされていた事件とは関係があるかさえわからないのに。それよりも遙と一緒にいた男をさがすほうが先決じゃないのか。

「ここはわたしたちも調べたよ。でも、瀬戸さんに関係してそうなものはなかったよ」

 もし花壇を荒らした犯人と遙を連れ去った犯人が同一犯だとしても、すでに起きた事件現場を調べても遙の居場所を掴む手がかりが残されているとは思えない。

「いいタイミングだわ。どこかに行ってるようね」

「えっ? 誰が?」

「いまのうちに助けるわよ」

「えっ? えっ?」

 マヤが言っていることがなんのことやらさっぱりわからない。ゆかが混乱している間にも、マヤはひとりで体育用具室に向かっていく。

 わけがわからなかったが、ゆかも取りあえずマヤの後を追いかけていく。

「あれ? 有刺鉄線が取りのぞかれてる」

 誰が取りのぞいたんだろう。学校が扉の修理のために取りのぞいたんだろうか。

「いい? あたしはまわりを注意してるから、あなたは慎重にこの扉を開けなさい」

「どういうこと? この扉はひしゃげていて開かないんだよ」

「もうこの扉はひしゃげてなんかいないわ。開けてごらんなさい」

 半信半疑で扉のノブを回すと、見事に開けることができた。

「ほんとうだ」

 中の様子をうかがうと、扉の中は暗闇に閉ざされていた。

 壁のスイッチをさがしてあかりを点けた瞬間、ゆかは悲鳴をあげた。

「瀬戸さん!」

わが目を疑った。テニスのネットの奥に囲われ、自由を奪われた女の子がいた。

 瀬戸遙はぐったりと高飛び用のマットに倒れ込んだまますこしも動かなかった。その両手両足にはめられた手錠は柱にくくりつけられ、口には猿ぐつわまではめられている。

 急いで遙の元へと駆け寄ると、遙はぐったりとゆかの腕の中に崩れ落ちた。

「瀬戸さん! 瀬戸さん!」

 何度も逃げだそうとしたのか手首や足首はすりむいて血だらけになっていた。けれど、他に目立った外傷はなく、かすかながら呼吸もしている。

「マヤちゃん。まだ生きてる!」

「ゆか。急いで救急車と警察を呼びなさい」

「う、うん!」

 ゆかが急いで携帯電話を取り出した瞬間、

「……やめてよ。わたしの遙ちゃんを連れていかないでよ」

 建物の入り口からぽつりと声が聞こえてきた。振り返ると、ひとりの女子生徒が立っていた。手からパンや牛乳が入ったコンビニの袋が落ちた。

「み、水瀬さん?」

 水瀬華乃はいまにも泣き出しそうな顔で、こちらを見ている。

「あなたまで遙ちゃんをわたしから奪うの? わたしをひとりぼっちにするつもりなの?」

「水瀬さん、なにを言ってるの?」

「ゆか。まだ気が付かないの? あいつが瀬戸遙を監禁した犯人よ」

「水瀬さんが……犯人?」

 ゆかは絶句した。まさか幼なじみの水瀬華乃が犯人だなんて。

「だって、水瀬さんと瀬戸さんって幼なじみじゃないの? ずっと仲がよかったんでしょ?」

「そうよ。でも、遙ちゃんはあんな男とずっと一緒にいたがったから、わたしと一緒にいる時間よりもあの男と一緒にいることを選んだから、わたしと一緒にいられるようにしたの。もうわたしの側から離れようにしたの」

 華乃はくすくすと笑い続けている。以前学校で出会ったときとはおとなしい女の子だったのに、いまや別人のように性格が変わっている。

「だって、好きなひとができたんだよ? 友達と一緒にいる時間がへっても仕方ないでしょ」

「そんなの許さない!」

 全身に針を突き立てるような怒声。

「だったら、わたしは? ひとりぼっちにされるわたしの孤独は誰がいやしてくれるの? 自分だけ倖せになって、わたしだけさびしい想いをするなんて許さない」

「だから、監禁したっていうの?」

「そうよ。遙ちゃんにも教えたかったのよ。わたしがどれだけつらかったのか。大切な相手に裏切られた気持ちがどれだけ苦しかったのか」

「そんなの違う! ほんとうの友達なら相手の倖せをよろこんであげなくちゃだめだよ。ひとりぼっちがつらいからって、相手にも同じ目に遭わせようなんてまちがってる」

「友達もたくさんいて倖せなあんたにわたしの気持ちがわかるものか!」

「わかるよ! わたしだってお母さんは交通事故で死んじゃったし、お父さんは仕事でいつも帰ってこないよ。だから、要に恋人ができたと知ったときはさびしかった。でも、友達の苦しんでる顔を見るよりも、うれしい顔を見ている方がずっと倖せじゃない」

「うるせえ! あんたのきれい事なんか聞きたかねえんだよ!」

 華乃は体育用具室が震えるほどの怒声をあげると、

「遙ちゃんはわたしだけのもの。絶対に誰にも渡さない」

 ポケットから果物ナイフを取り出した。

「ゆか。近くの交番に駆け込みなさい。ここはあたしが食いとめるわ」

「無理だよ。マヤちゃんは車椅子なんだよ」

「だからって、凶器を持ってる相手をただの女子高生がとめられるわけないでしょ」

 ゆかの背後には車椅子のマヤと憔悴した瀬戸遙がいる。ここで相手を食いとめられるのは自分しかいない。絶対にひとりだけ逃げるわけにはいかなかった。

「お願い。華乃さん。自首して」

「嫌よ。そんなことしたらまた遙ちゃんと離ればなれになっちゃうじゃない」

「こんなことをしてたら、いつか瀬戸さんは死んじゃうんだよ。それでほんとうにいいの?」

「あんな男に渡すくらいなら、遙ちゃんを殺して永遠にわたしのものにしたほうがいいわ」

「そんな身勝手なこと……」

 ゆかはぎりっと奥歯を噛みしめた。目の前で誰かを傷つけることは絶対に許さない。

「遙ちゃんとわたしの邪魔をするやつは、みんなみんな死んじゃえ!」

「ゆか! 逃げて!」

 マヤが悲鳴をあげた瞬間、ゆかは華乃に体当たりした。

「があっ」

 ふたりは折り重なるようにして体育用具室から表へと出た。

「くっ」

 華乃がナイフを横薙ぎに払う寸前に、ゆかは地面を転がって体勢を整えた。

「遠鳴ゆか。あんたなんか嫌いよ。みんなに愛されてるあんたなんか大っ嫌い」

 華乃が憤怒の表情でこちらをにらみつけてくる。

(えっ? あの瞳は……)

 ゆかは華乃に奇妙な異変に気づいた。月明かりを浴びた彼女の目が青白く光っていた。瞳孔が刃物のように細くなり、人間とは思えないような瞳をしている。

 まるでさっき窓硝子に映っていた自分と同じ瞳のように……。

「ゆか。ぼやっとしてない!」

 マヤの呼びかけにはっと我に返ると、華乃がナイフを手に突っ込んできた。

「きあああっ!」

 華乃のナイフがゆかの心臓に突きだされた瞬間。

『いいか、ゆか。大切な誰かを守れるようになるためにはもっと強くなりなさい。もう二度と悲しまなくてすむように心も身体も鍛えるんだ。いいね?』

 母の葬式のときの父の言葉がゆかの全身を駆け抜けていく。

「死んじゃえっ!」

 ゆかは突きだされたナイフを半歩さがって避けた。右足に重心を置き、華乃の手首を右手で掴んで軽くひねりあげ、左手で脇を押し上げる。

「ひあっ!」

 見事に華乃の体が闇夜を舞った。

 花壇にたたきつけられ、華乃は短い悲鳴をあげる。

 ゆかはすかさず相手をうつぶせに地面に押しつける。

 そして、右手首の急所を強く押す。

「ああああっ!」

 華乃は絶叫をあげてナイフを落とした。

「あなたの負けよ。もう観念して!」

「はなせ! わたしの遙ちゃんを連れていかないで!」

 必死に暴れているが、華乃の体はゆかにがっちりと組みかためられている。これだけかためられれば、訓練された警察官でさえ簡単には動けないはずだ。なのに……。

「なっ?」

信じられない力で押し返されてくる。なんなんだろう、この力は。手首をひねりあげられて相当の激痛が走っているはずだ。無理に動けば、手首が折れるかもしれないのに。

(こんな……、こんなことって……)

 細腕からは想像できない力で押し上げられる。このままでは組み技が外される。

(もうだめっ!)

 組み技がはじき返される瞬間、マヤがなにかを華乃の首筋にたたきつけた。

「がっ!」

 それは注射器だった。琥珀色の液体を注射した途端、華乃は白目を剥いたまま気絶した。

「マヤちゃん? それはいったい……」

「心配しないで。意識を失っただけだから」

 意識を失った華乃を見れば、華乃の首筋には注射の痕が百合の花のように広がっていた。

(……百合の花?)

 また頭痛が頭を襲う。百合の花をどこかで見たことがある気がするのだが思い出せない。青白く光る目と百合の花をどこかで見たことがあるのだけれど、どこだったのだろう。

 鳥籠の中にたくさんの子供たちがいて、白衣を着た人たちがいて、それからそれから……。

「ゆか。なにしてるの? はやく救急車と警察を呼びなさい」

マヤに呼びかけられて我に返った。

(あれ? わたしいまなにを考えてたんだっけ?)

 なにか思い出しかけていた気がするけど、なにを考えていたのか忘れた。

「ほら、はやく!」

「は、はい」

 ゆかはあわてて携帯電話を取り出した。

「いえ、ちょっと待って。先に遠鳴警部に連絡して」

「お父さんに? でも、お父さんはこの事件は管轄外だよ?」

「いいから電話しなさい。そして、あたしの名前を出してすぐに代わって」

 ゆかは渋々父の携帯電話をかける。

 ただでさえ、捜査一課課長として多忙な父を呼び出すことには抵抗がある。それは警察官の家族として守るべきルールであり、亡き母からも厳しく注意されたことだ。よほどのことがないかぎり電話してはいけないことになっているが、いまのこの状況を説明すれば父も許してくれるだろう。

 さっそく父に電話をすると、

『ゆかか? どうしたんだ? マヤくんのところでなにかあったのか?』

 緊急事態以外では連絡しないので、父もなにかあったと察したらしい。

「あのね、実はなにから説明したらいいか……」

「はやく貸しなさい」

 マヤは携帯電話をゆかからひったくると、

「遠鳴警部。娘をあたしのところに使いに出すなんてどういうつもり? あなただって五年前のことを忘れたわけじゃないでしょ?」

 ゆかはあぜんとした。天下の警視庁捜査一課の課長を怒鳴りつけてる。

「言い訳なんか聞きたくないわ。それよりもこれはどういうこと? ミスティック・ドールズが目覚めたなんて聞いてないわ」

 聞きなれない単語が出てきた。ミスティック・ドールズとはなんのことだろう。

「ええ。そうよ。ミスティック・ドールズのひとりが犯罪を起こしたの。あと、あなたの娘の級友がひとり死にかけてるから、あなたの娘の学校に救急車を呼んで」

 それだけ言い終えると、マヤは携帯電話をゆかに渡した。

「あ、あの、お父さん?」

『事情はわかった。いま霧生をそちらに向かわせた。あとはあいつに任せれば問題ない。おまえはマヤくんの側にいるんだ。いいな?』

 そう言うと、一方的に電話を切られ、ゆかはひとり取り残された。

(いったいどういうこと?)

 今日は信じられないことばかりが起きた。警視庁捜査一課課長の父とたった十四歳のマヤが知り合いであり、マヤが父と協力して過去に事件を解決したこと。マヤが瀬戸遙の監禁場所を見つけ出し、その事件が父とマヤになんらか関係があること。

 だけど、肝心なことはなにひとつわからない。いったいなにがどうなっているのだろう。

「……あの、マヤちゃん。ミスティック・ドールズって?」

「あなたの知らなくていいことよ」

 マヤは苦々しい表情で夜空に浮かぶ満月を見上げていた。

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