第8話 白磁人形の憂鬱7
東京都心に戻った頃には、午後八時を過ぎていた。
篠崎が運転する車はフランス製のシエトロンだった。マヤの車椅子が乗るように改造された車だが、映画の世界に登場するような高級車に、ゆかは緊張した。シエトロンがゆかの住む世田谷区に戻っても、マヤは一言も口を開かなかった。
夜空に浮かぶ満月を見上げながら、何事か物思いにふけっているようだった。
やがて車は世田谷区の某所に停まった。
「こ、ここって……」
目の前には見慣れた門があり、その向こう側には古い三階建ての建物がある。
「どういうこと? ここってわたしの通ってる学校じゃない」
「そうよ。それがなに? あなたの学校に行きたかったんだから当たり前でしょ」
しれっとした口調でマヤは言う。篠崎の手で車椅子が車から降ろされると、
「篠崎。あなたはすこし三十分くらいこの付近を回っていてくれない? こんなところに車が置いてあって警察が来たら厄介だわ」
「しかし、お嬢様方おふたりでは危のうございます」
「だいじょうぶ。すこし中を確認してくるだけだから。でも、もしあたしたちが三十分しても戻らなかったら遠鳴警部に連絡して。連絡先はわかるでしょ?」
「はい。かしこまりました」
篠崎は慇懃に頭をさげると、シエトロンに乗ってどこかへといなくなった。
「さあ、なにぼやっとしてるの? さっさと中を案内して」
「えっ? マヤちゃん、ここでなにをする気なの?」
「いいから、さっさと門を開けて中を案内しなさい」
マヤのうむを言わさぬ口調に、
「わ、わかりましたよ」
ゆかは渋々塀を乗り越えて通用口の扉を開けた。これがばれたら停学処分だろう。だけど、どうもマヤに命令されると逆らえない。友達というよりお嬢様とメイドみたいだ。
「さあ、校舎裏に案内して」
「えっ? 校舎裏?」
狐につままれたような顔をしていると、
「あなたは瀬戸遙の行方を知りたいんでしょ。だから、その居場所を突きとめるのよ」
「もしかしてマヤちゃん。一緒に調べてくれるの?」
「勘違いしないで。あなたのために調べるんじゃない。あたしのために調べるの」
「あたしのためって、それどういう意味?」
ゆかの質問には答えず、マヤは車椅子でさっさと奥へと向かった。
マヤの言いたいことがよくわからない。だけど、マヤが瀬戸遙の行方を調べてくれるのならうれしいことはない。マヤが名探偵かどうかはわからないけれど、マヤが自分に興味を持ってくれただけで充分だ。
「なにしてるの? はやくなさい。この先は右と左とどっち?」
「えっと、そこを左」
ゆかはマヤと一緒に校舎裏の花壇に向かった。
月明かりが照らすだけで建物は暗闇に包まれている。建物の中から、ぼうっと非常灯の青緑のあかりがこもれ出ているのを見ると、そこに誰かいるんじゃないかと思ってしまう。
「なんだか夜の校舎って怖いね」
暗闇からなにかが飛び出してきそうで、ついゆかはあたりを見回してしまう。
どうも暗いところが苦手だった。お化け屋敷にはもちろん入れないし、中学校の頃の肝試しでは泣いてまわりを困らせたほどだ。マヤがいなければ、いまごろパニックを起こして外に飛び出しているだろう。
「そうだ、マヤちゃん。気分をまぎらわせるために歌でも歌わない?」
「ねえ、あたしたちがここに忍び込んでるってわかってる?」
「そうでした。ごめんなさい」
冷たく突っ込まれ、渋々ゆかは黙り込む。
どうしてこれほど暗いところが苦手なのかわからない。けれど、いつの頃からか暗いところが苦手になった。昔はお化け屋敷も平気で入れたような思い出があるんだけれど。
(あれ? この光景、どこかで……)
マヤの後をおそるおそるついて歩くと、ふと頭に変な映像が流れた。
暗い廊下を走る女の子。その女の子に連れられて走っている自分。
なんだか以前にも同じような光景を見た気がする。
(あの女の子は誰だったんだろう)
既視感だろうか。頭の中がかすみがかって思い出すことができない。
校舎に寄りかかると、窓硝子に奇妙な光景が映しだされた。
(――えっ?)
目が光っていた。暗闇の中、ゆかの目が猫の目のように青白く光っていた。
あわてて目を擦ってもう一度硝子を見ると、いつもの間抜け顔が映っているだけだ。
暗闇の恐怖から幻でも見たんだろうか。
「なにしてるの?」
「な、なんでもない。ちょっとぼうっとしただけ」
あわててマヤの元に駆け寄ると、マヤは怪訝な表情でこちらを見ていた。
「ほんとにだいじょうぶだよ。わたし暗いところがちょっと苦手なの」
あはは、と笑ってみせるが、マヤは顔を伏せて一言とつぶやいた。
「暗いところが苦手なら、あたしの服でも掴んでたら?」
あいかわらずそっけない口調。だけど、妙にうれしい気分になった。
「うん!」
ゆかはマヤのドレスの肩口をしっかり握った。
(そうだ。この感触、あのときの手の感触と似てる……)
あのとき、暗闇から必死にゆかを光の元へと連れ出してくれたあの小さな手に。
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