第7話 白磁人形の憂鬱6

 夕陽が窓から射し込み、図書館の壁を橙色に染めあげていた。

「――結局、一週間経ってもまだ瀬戸さんもその男も見つけることができてないの。ますます要は落ち込んじゃって、見てるこっちがつらくて」

 ふと我に返ると、いつの間にか時計の針は午後五時になろうとしていた。

 ゆかはおかしな気分になった。マヤと親しくなるために話をはじめたつもりだったのに、これでは相談事をしているみたいじゃないか。しかも、無視されている相手に、二時間以上ひとりで話をしているなんてばかみたいだ。

 ふいにマヤが本に目を落としたままつぶやく。

「ずいぶんと肩入れしてるのね。あなたはその要って男の子が好きなの?」

「ち、違うよ! 要はいいやつだと思うけど、好きだとかそんなんじゃなくて、ただ純粋に友達として大切なやつで……えっと……」

「冗談よ。そんなにあわてると、逆に本気だと思われるわよ」

 あううっ、とゆかは間抜けな顔になった。どうやらからかわれたらしい。

「……マヤちゃんのいじわる」

 ゆかがか細い声で反論しても、マヤは無表情に本を読んでいるだけ。

「それで? その幼なじみの子が見たあやしい男っていうのは見つかったの?」

「幼なじみの子って、マヤちゃんよりも年上なんだけどなあ」

「なにか言った?」

 じろりと厳しい視線が向けられる。

「い、いえ、なんでもありません」

 ゆかはあわてて手を振った。ときどきこの子が年下だと忘れてしまう。

「要の連絡を受けて、瀬戸遙さんのご両親が警察に報告したみたい。だけど、警察は捜査機密だからって、そのあやしい男についての情報はなにも知らされてないみたい」

「あなたは、そのあやしい男っていうのが誰なのか調べなかったの?」

「もちろん調べたよ。瀬戸さんのクラスメイトや中学校の頃に親しかった友達に聞いて回ったけど、その男のひとにつながるような手がかりはなにも得られなかったの」

 そう、とマヤは本を閉じた。

「ねえ、マヤちゃんいまの話からなにかわかった?」

「なんでそんなことをあなたに話さなきゃいけないの?」

「だって、マヤちゃんはお父さんと一緒に事件を解いたことがあるんでしょ?」

 ゆかが興味津々にたずねると、マヤはこめかみを押さえた。

「なにか勘違いしてない? あたしはあなたが思い描いているような名探偵じゃない。容疑者をあつめて、さかしげに推理を披露したことなんて一度もないわ」

「違うの? だって、さっきお父さんに協力して事件を解決したって……」

「協力をするといっても、いろいろとあるでしょ? 事件の情報を提供するとか、証拠品を渡すとか。推理を披露して警察を手足のように使うことだけが協力じゃないわ」

「じゃあ、マヤちゃんはどんなふうに警察に協力したの?」

 その質問に、マヤは答えようとしなかった。

(もう。このことになると、すぐにだんまりになるんだから)

 マヤはゆかのことも父のことも知っているようなのに、なにも話してくれない。

 だいたい、父がわざわざマヤと自分を会わせた理由もわからない。父がマヤに会わせたのにはなにか理由があるはずなのに、そのことをなにも話してはくれなかった。マヤもまたなにも教えようとはしてくれない。

 なんとかしていろいろ聞きたいのに、もう夕暮れはさし迫っている。いつまでもここにいたら帰りが遅くなる。帰りが遅いと父が心配するからはやく帰らないと。

「マヤちゃん。そろそろ帰るね。また今度来てもいい?」

 ゆかが立ち上がったものの、マヤは返事をなにもしなかった。マヤは右の人差し指で唇を叩いている。

 なにをしてるんだろう。気になったけれど、もう帰らないとバスがなくなる。

「じゃあ、今度また来るね。今度来たときにはもっと話をさせてね」

 ゆかはリュックを背負うと、マヤを残して図書館から出て行こうとした。

「……来た」

 マヤがふいにしゃんと顔を上げた。

「お嬢様。ただいま戻りました」

 ふいにホールから声をかけられた。驚いて顔をあげると、初老の紳士が立っていた。

 年齢はいくつぐらいだろう。六十を過ぎたぐらいだろうか。真夏にもかかわらず背広をきちんと着て背筋もまっすぐだ。片眼鏡に手袋まではめているので、まるでヨーロッパの富豪の執事のような出で立ちだった。

「篠崎。この子は遠鳴ゆか。あの遠鳴警部の娘よ」

「そうでございましたか。これはこれは、ようこそおいでになりました」

 篠崎は丁寧に頭を下げる。ゆかもあわてて頭を下げる。

「お邪魔してます。あの、篠崎さんも父のことを知っているんですか」

「ええ。五年ほど前に何度かお会いしただけですが」

 篠崎は柔和に微笑む。見る者を安心させるような微笑みだった。

「篠崎。この子の住んでいるところに行ってちょうだい」

「かしこまりました。ゆか様をご自宅までお送りすればよろしいのですね?」

「い、いいよ。わたしひとりで帰れるから。そこまでしてもらわなくても」

 ゆかはあわてて両手を振った。

「勘違いしないで。あたしも一緒に行くのよ」

「マヤちゃんも?」

 ゆかが面食らっている間に、マヤは電動車椅子で篠崎のところに向かう。

 篠崎のほうも面食らったようだった。

「お嬢様がわざわざおいでにならなくても」

「気になることがあるのよ」

「気になること?」

 ゆかが問い返すと、マヤは鋭い視線をこちらに向けてきた。

「余計なことはいいからはやく行くわよ。はやくしないと手遅れになるかもしれないわ」

 そう言って、マヤは電動車椅子で表へと向かっていった。

「手遅れになるかもしれないって、どういうこと?」

 さっぱりマヤの考えていることがわからない。

 突然ゆかの住んでいる街に出かけるというのはどういうことなのだろう。

 表に出ると、マヤが青白い光を放ちはじめた月を見上げていた。

「……満月の日は人の心が狂うっていうからね」

 そうつぶやくマヤの表情は、どこか憂鬱そうだった。

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