人間考察
仕事の話
さて、今日は仕事についての話をしよう。
仕事を辞めた経緯から、現在立ち直りかけているきっかけ、またこの仕事との関わりというのは私の考えを大きく変えることになった出来事であるので大変長くはなるがお時間の許すときに読んでいただけるとありがたい。
結論から言えば、私は今年4月に新卒で入社して10月には退職している。内2ヶ月は休職していてほぼ仕事はしていない。よくいる根性なしの若者である。仕事を辞めるにあたってメンヘラが感じたこと懸念していたことを、両親や支えてくれた友人への懺悔と言い訳としてここに書きたいと思う。
私はコンサート業界で働いていた。コンサートには道具、美術、音響、照明、特効、電飾・・・と多くのセクションがあるが、詳しいことは身バレ防止のため言わないでおく。ただ、私のセクションは大体の場合他セクションよりも早く現場に入り、遅くに帰ることが多かった。準備の段取り的な問題でこれはどうしようもないのだが、必然的に拘束時間が長くなるのだ。
コンサートというのは、基本的には朝9時から搬入が始まり昼間はずっと仕込み。仕込み終われば本人たちが会場入りしてリハーサル。皆さんが会場入りして終演が20時過ぎだとすると、片付け作業が終わるのは午前0時前後ということになる。この時点で15時間勤務だが、物量が多ければその分入り時間も早くなるし片付けにかかる時間も長くなる。
むしろ朝9時から始まって夜0時に終わる現場なんてのはまだ楽な方である。夜通し仕込みになってそのまま徹夜で本番なんてこともある。今思い返しながら書いているがアホかよ・・・と我ながら呆れるほどだ。
結局4月から休職するまでの4ヶ月で、残業は月80時間は当たり前、夏の繁忙期には100時間を超えた。月の休みは4日あれば良い方、それも固定された休みでは無く19連勤後の1日休みとかはざらだった。そして残業代は出なかった。専門卒で手取り18万前後と言えば聞こえは良いかもしれないが、これだけ働いたのに給料に反映されないというのはとても不満だった。
ここまで言っておいて何だが、労働時間や給料の問題だけならば私はまだ仕事を続けていたと思う。私にとって一番つらかったのは人間関係だった。
この職はとても職人気質なところがある。まあ一種の芸術であるから当たり前なのだが、新人のうちは現場を走り回り、ある先輩に言われた通りに作業していても他の先輩には違うと言われ、リハーサルや本番前のちょっとした休憩時間を利用してオペレートの練習をするのだ。楽屋でご飯を食べる時も先輩の分を運んでごみを片付けて、何かトラブルが起これば我先にと走るのだ。
しかし面倒なことばかりではない。こういう世界で働く人は、頑固ではあるし理不尽なことも言うが、バカ正直にがんばってさえいれば次第に認めてくれるようになるし一緒に飲みに行こうものなら大抵可愛がってくれる。
だが、ここに女が参入したらどうなるか、皆さんは想像がつくだろうか。
コンサート業界は男社会のイメージが強いと思うのだが、最近はそんなこともなく、私のセクションではむしろ女性が多い。力仕事のできる男性は重宝されるくらいだ。職人気質の世界で数々の現場をこなしてきた歴戦の女たちが集まるとどうなるだろうか。それはもう地獄である。そして大抵、頑固なおばちゃんというのは若い子が嫌いなのである。残酷なことに。おばちゃん達の矛先は私に向いた。
作業中怒鳴ったかと思えば、他の先輩と顔を見合わせてにやにやしていたり。私の存在が見えていなかったり。楽屋で本人に聞こえるように愚痴を言ったりだとか、それに同意を求められたりだとか。他にも皆さんが思いつくような陰湿ないじめはほぼ全てあると言っていい。私には耐えられなかった。
それでも楽しいことも多かった。私はコンサートが大好きだったからだ。身体で感じる生の音楽が好きだったし、自分が関わったもので楽しんでくれるお客さんの顔を見るのも好きだった。それがライブ映像となってずっと残るのも嬉しかった。
しかし、身体がついてこなくなった。たしか7月頃のことだった。
まず朝起きられなくなった。休みにどれだけ寝ても身体が重くて、思考もまとまらず靄がかかったような状態が続いた。特にこれといった理由も無く泣きたくなるし、私が現場に行ったところで足手まといになるだけだしいない方がいいんじゃないか、という考えに取り憑かれた。それまでへっちゃらだった先輩の怒鳴り声もやたら耳に入るようになり、私がいないところでは他の人達に愚痴ってるんだろうな、とか被害妄想的部分も顔を出し始めた。次第に現場に向かう電車に乗るのが怖くなり、駅のトイレで毎朝吐くようになった。今となっては、身体はしっかりストレスから遠ざけるように機能しているんだなあと関心している。
この後心療内科にかかり、うつ病の診断をもらい、2ヶ月の休職期間の後退職した。
皆さんもこんな症状があればまずは病院に行ってほしい。精神疾患は初期から治療を始めれば早く治るのだ。まだまだ頑張れる、なんていう社畜さんも会社を辞める事態になる前に病院に行こう。
休職中は仕事の現実問題と、自分の気持ちとの戦いだった。好きなものと毎日触れ合っていられる環境はとても幸せだし楽しかったけど、私の好きな、かっこ良くて綺麗なコンサートを作り上げている人達はちっとも綺麗な人ではなかった。その人達のせいで好きなものがだんだん苦痛を感じるものに、嫌いになっていくのが本当につらかった。だがこの考えは次第に、環境に適応出来なかった弱い私が悪いのではないか、という考えに変わっていった。うつ病患者にありがちな傾向らしいが、責める対象は他者ではなく自分であることが多い。仕事も満足に出来ず、気も利かない若手なんて嫌われて当然だ、この程度で休んでしまって会社の先輩方に迷惑はかけるし、きっと今も私の陰口を言っているんだろう。先輩方はもっと長時間働いてるし私なんかより責任の重い仕事もしている。そんな中休んでいて本当に申し訳ない・・・という罪悪感も芽生えてきた。
しかし身体は仕事と関わることを拒否している。休職中に一度上司から様子を見たいから事務所に来れないか、と言われたときは結局足が動かず電車に乗れなかった。現場ではなく、ただ事務所に行くことすら出来ないのに気付いた時は本当に自分が情けなくて恥ずかしくなった。はやく仕事に復帰しなければならないのに、自分の身体も気持ちも思うようにコントロールが出来ない、みんなが働いている間に自分は寝ているだけ。焦燥と自己嫌悪の繰り返しだった。
次第に、同じ業界で働いている同級生に対する嫉妬心も持つようになった。同級生は毎週のように休みがあって、趣味のツーリングを楽しむ様子がしょっちゅうSNSにアップされていた。私はあんな労働環境で働いていたのに、なんでこの人はこんなに休みがあって給料も私より良いんだろう・・・と思い始めた時は本格的に自分が嫌いになった。と同時に危機感を覚えた。何も悪くない友人にこんなことを思う自分はどうかしている、と。
休職に入って2ヶ月もすると、まるで洗脳が解けたかのように、考え方も変わった。私が苦しい思いをしたのも、悪魔に取り憑かれたように視界の狭まった考え方をしていたことも、全ては充分に休養を与えてくれなかった会社と子供じみたいじめを繰り返したあのおばちゃん達のせいで、私は何も悪くなかったんだと。私は出来る限りのベストを毎回尽くしていたし、その努力も充分にしていたと気付いた。
そこに気付くきっかけとなったのは、休んでいる間に恋人と不定期だが外出していたことだった。毎日布団に潜って泣いていたメンヘラも、恋人に出ておいでと言われれば従うほかないのである。この、頼れる存在というのは闘病していく上で非常に大切だと思う。私の場合両親との信頼関係というのは望めなかったので対象は恋人になった。結果としてこれは私の恋人依存を加速させることになったのでこれで良かったのだろうか・・・と少しの不安は抱えているが、本当に恋人には感謝している。恋人との外出は有名なデートスポットに行くわけでもなく、カラオケに行ってお互いの好きな曲を歌ったり、漫画喫茶でおすすめを教えてもらって読んでいる間に昼寝してしまったりだとか、チェーン店のカフェで大好きなケーキを食べたり、公園を散歩したり・・・と気合いの入ったものではなかった。だがそのゆったりと流れる時間は、仕事をしていた時には絶対に感じることの出来なかったもので、結果としてその時間に安らぎと癒やしを与えてもらった。時間の流れがゆったりとしていて、それを感じられると何だか心にも余裕が生まれたようだった。罪悪感や焦燥感、自己嫌悪など常にネガティブな考えで満たされていた頭も、何も考えずぼーっと過ごす日ができたり、歌や映画など好きなものなら少しずつではあるが受け入れられるようにもなった。仕事をしていた日々と比べれば平凡で退屈な毎日だが、刺激的な日常は時として大きなストレスになるし、刺激は良い方向にばかり働くものではないことを知った。
そして現在はというと、アルバイトを始めてみた。通院しながらではあるので少ないシフトだが、生活費をどうにかしなければならないという問題と、社会復帰のリハビリを兼ねてコンサート業界とは全く関係の無い新しい業種に挑戦している。ここで焦るとまた転んでしまうので、ゆっくりではあるが歩いてみようと1歩を踏み出したところだ。いずれ再就職もすることになるので、それはまたその時にでも書ければな、と思っている。
というわけで、仕事を辞めるまでの経緯と心境を思い出して書いてみたが、いかがだっただろうか。今仕事で悩んでいる人もそうでない人も、過酷な労働環境で働き続けると人はいずれ壊れるというのを知ってほしい。そして壊れて苦しむのは自分だし、酷い時には周りも傷付けてしまうことも忘れないでほしい。仕事を辞めてしまっても様々な制度や補助金が私たちを助けてくれるので、案外どうにでも生きていけるのだ。もうつらい死んでしまいたい、と毎日枕を涙で濡らしていた私も現にちゃっかり生きている。毎日おいしくごはんを食べているのだ。ストレスから離れること、自分を守ること大切にすること。頑張ることはもちろん大事だが、それと自分をないがしろにすることは全くの別問題で、時には保身の為の逃げも全然アリなのである。
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