STEP2:失恋の心得!

「宇美野おつかれー」


 人通りの多い犬の銅像の前を見渡していると、片手をあげた秋山先輩に声をかけられた。

 なんとなく違和感がある? と思って首を傾げる。

 人混みをかき分けて秋山先輩が俺の前に立ってからやっと、髪がセットされていることに気がついた。

 それに、いつもは厚手のパーカーとダメージデニムみたいなシンプルな格好なのに今日は珍しくジャケットを羽織ってる……オシャレだ……。

 

「今日はなんでダイニングバーなんです? 別にいつものところでいいっすよ……。っていうか冬木先輩は?」


「ま、店に行けばわかるよ」


 いつもより少しオシャレな格好の秋山先輩の後ろを歩きながら俺は唇を尖らせる。

 連日の飲み会ならいつもの大衆居酒屋で十分なのに、なんでわざわざちょっと遠い駅のオシャレダイニングバーになんて行くんだ……。しかも誘った張本人の冬木先輩もいない。

 ちょっとオシャレしてこいよって機能の帰り際にしつこく言ってきたくせに……。

 不満を隠そうともしていない俺を普段なら嗜めてくれる秋山先輩は、どことなく楽しそうな表情を浮かべている。

 ずんずんと人混みの中を進んでいく秋山先輩を見失わないように、俺は人をかき分けながら進んだ。


 大通りの路地を少し入ったところにあるのが、目的の店らしい。

 オシャレなレンガ造りの外観のお店の前には、数人の少し派手目な女性たちのグループが時間を潰すように談笑をしていた。


「お! こっちこっち」


 いつもの革ジャンと、ド派手なクソダサメタルTシャツを着ている冬木先輩の姿はそこにはなかった。

 なんか細かい格子柄のコートにベージュのニットなんて見たこともない格好をしてる!?

 よくわからないけど裏切られた……気がする。

 大きく手を振って笑っている冬木先輩を怨みの籠もった目で見ながら、俺は秋山先輩の後ろについていく。

 オシャレしてこいみたいなこと言われたけど、ちょっとジャケットを羽織ったくらいの俺はなんだかもう失敗したー二人共キメキメじゃん……。なんか泣きそうになる。いや普段の俺と会うときの二人の格好がラフすぎるから麻痺してるのかもしれないけどさ―。はー……最悪。


「これ、昨日失恋したての俺の可愛い可愛い後輩の宇美野 ゆたかクン」


 店の入口近くにいる女性グループから隠れたくて秋山先輩の後ろに隠れていたのに、冬木先輩は俺の肩をグッと前に押し出す。

 いつもよりも少し高い朗らかな声。誰だお前は……。

 知らない人みたいな話し方をした冬木先輩は、俺のことを女性に紹介した。


「で、こっちが俺の彼女の悠愛ゆあ。あと、彼女の友達の……」


 となりのゆるふわカールのミルクティー色のなんていうかふわふわした可愛らしい感じの女性の肩を抱き寄せた冬木先輩は、隣に並んでいる女の子たちに視線を向ける。


杏里あんりでーす」

谷中やなかです」

茉莉奈まりなだよー」


 先輩の視線の意味を速攻で読み取った女の子たちは、手を小さく上げて名前だけの簡単な自己紹介を始めた。

 なんていうかレベルたけぇ……。ゆるふわ美人・セクシーなお姉さん・クール系美女……前言撤回。冬木先輩はいい先輩!


「あ……その……はは。振られたばっかりの宇美野です……。はじめまして」


「冬木と宇美野の保護者の秋山です。今日は宇美野くん慰めパーティーなのでみなさんよろしくー」


 俺の自己紹介の後、一瞬女の子たちが「え?どういう反応すればいいの?」って引き気味な空気になったのを、秋山先輩の自己紹介が打ち消していく。

 冬木先輩が先頭に立って彼女と店の中に入ったので俺は最後尾からトコトコとみんなの後をついていった。


 店の中は見た目より広々としていて、ダークブラウンのパーテーションウォールで大まかな席が仕切られている。

 間接照明もふんだんに使われていて、静かなインストがかけられている店内は程よい喧騒に包まれていて雰囲気に呑み込まれそうになる。

 いっつも俺と居酒屋で飲んでるのに先輩たちこんなオシャレなところでも普通の顔してるのはなんなの?都会怖い。地元の茨城に帰る……。


「ほら、宇美野もジャケットよこせよ。暑いだろ?」


 秋山先輩にそう言われて我に返る。

 冬木先輩が彼女のコートをハンガーにかけながら、他の女の子たちの上着を預かってるのが視界の隅に入ってくる。


「あ……ありがとうございます」


 慌ててジャケットを秋山先輩に渡したところで、手を引かれた。びっくりして自分の手をとっているキラキラにデコられたネイルの持ち主を見た。


「茉莉奈のとなりおいでよー」


 そう言って谷中と自己紹介していた黒髪のおとなしそうな女の子と、茉莉奈さんの間に連れて行かれる。

 ちょうど俺の目の前にいる冬木先輩に、なにか含みがあるような笑いをされたけどそれどころではない。

 ちょっと露出の多い茉莉奈さんの谷間に目が行くのを必死で耐えながら、手渡されたメニューを凝視する。

 適当に飲み物を頼んで、頭が真っ白になりながら茉莉奈さんから放たれるマシンガントークになんとか返事をしていると、やっと飲み物とお通しが目の前に運ばれてきた。


「さーて。今日は宇美野くんの失恋慰めパーティーで彼女に頼んで可愛い女の子を読んでもらったので! 元気だしていこー! かんぱーい」


 冬木先輩の音頭で乾杯が行われて、よくわからないまま俺の慰めパーティーとやらが開始される。

 茉莉奈さんが「暑くなってきたー」って胸元をパタパタしているのをみて、生唾を飲み込む。

 えー? なにこれ脈アリ? 彼女に理不尽な振られ方をした俺への神からのご褒美?


「もー! チラチラ見すぎ! えっち」


「あ!ええ……?あの……すみません……童貞みたいなものなので……馴れて無くて」


「うそうそ。見ても減るもんじゃないしどんどん見ていいよーなんてね」


 頬を膨らませてそう言ってこられた時は「やらかした」と思って速攻謝ったけど、茉莉奈さんはすぐに顔を綻ばせてニコニコと笑い始める。

 かわいいなー。俺みたいなやつにも優しくしてくれるし……。


「茉莉奈、トイレ行ってくる」


 席を立った茉莉奈さんの後ろ姿をぼーっと眺めていると、茉莉奈さんが座ってた席にストンと冬木先輩が座った。

 冬木先輩は「俺の脈アリ邪魔しないでくださいよ!」思わずそう言ってしまいそうになる俺の肩を抱いて、自分に引き寄せた。そして、人懐っこそうな笑顔を崩さないまま、俺の耳に口を近付けて囁く。


「失恋心得その1! 失恋の直後に妥協で適当に手を出さない」


「だ、妥協って……。いや……確かに全然好みではないですけど好いてくれてるしいいのかなって」


 周りに聞こえないような大きさの声で先輩に言い返す。

 好きになった人に告白してふられるよりも、好みじゃなくても好きって言ってくれる子と付き合ったほうが幸せでしょどう考えても。


「失恋直後は判断能力がガバガバだから、ちょっと優しくされただけで脈ありだと思っちゃうんだよなわかるわかる……」


「ええ……」


 それ言う必要ある?っとちょっとムカっとしながら人の恋路を邪魔する悪魔の顔を見る。いや、企画してくれたのは冬木先輩だし、なにか理由があるのはわかるけどちょっとイラッとする。絶対脈ありでしょ……。


「茉莉奈が狙ってるのは秋さんだよ? お前は見れてなかったけど、お前のこと隣に誘ったことでミキちゃん……あ、谷中のことね。……ミキちゃんの隣を宇美野で埋めて自分の正面に秋さんが来るようにしたんだって」


「なんでそんなことするんです?茉莉奈さんかなり俺と話してくれてましたよ?」


 笑顔を崩さないままちょっと棘のあるトーンで話す冬木先輩に、俺もついムキになる。

 でも、冬木先輩は手にしていたジョッキのビールを美味しそうに飲んで、口についた泡をペロッと舐めて話を続けた。


「わたし結構ハードル低いですよー! こういうことしても怒らないから貴方も見てくれていいんだよーアピールの踏み台にするとか女子はえげつねーよなー。ほら、茉莉奈戻ってきた。多分喜んで俺の席座るよ?」


 冬木先輩がそう言ってからすぐに、茉莉奈さんはトイレから戻ってきた。冬木先輩と談笑をしてるフリをして、彼女の様子を視界の隅で追う。


「な?」


 茉莉奈さんが小さく胸の前でガッツポーズをしたのが、しっかりと目に入った。 

 談笑しているフリすらできなくなった俺の肩を叩いて楽しそうに笑った冬木先輩は、ジョッキに残っていたビールを飲み干した。

 隣に誰もいなくなり、ワイングラスを傾けながら生ハムをつまんでいる秋山さんの方へと茉莉奈さんは早足で向かう。

 そして、元からそこが自分の席だったと言わんばかりの自然さで、彼女は秋山先輩の隣に腰をおろした。


「悠愛ー! きちゃったー」

「茉莉奈ー! いえーい」


 和気藹々と冬木先輩の彼女と話していた茉莉奈さんに少しだけ安堵して、いやいやでも冬木先輩の彼女と話したかったのかもしれないですよ? みたいなことを思ったけど、その希望は一瞬で打ち砕かれた。


「秋山さんでしたっけー? 超好みで、茉莉奈気になってたんですよ」


「ん? あ、そう。ありがとう」


 秋山先輩がちょっと塩対応なのもなんか負けた気がする。

 えー? 俺の時はあんな太腿の上に手とか乗せてくれなかった。えええ……残酷な現場すぎる……。

 谷中さんは悠愛さんと会話が弾んでるし、なんだか俺のための会なのに俺はのけものな気がしてきて一気に悲しくなってきた。


「やっぱりこういう場所で中心にもなれない非モテだから俺は彼女に振られたんですかね……」


「失恋心得その2! 自虐はなるべく言わない!」


「無理っすよぉ……優しくされたい……メガネが似合う狐耳が生えた女の子に膝枕してもらいたい…」


「……お前はちょっとオタクで空気よめないところもあるけど十分いいやつだって。ちゃーんと俺と秋さんでいい子と恋愛できるようにするからさ?まぁ飲めよ」


 急に優しくなった冬木先輩に肩をポンポンと叩かれながら、目の前にあったなんかすみれ色のオシャレカクテルを一気に飲み干す。

 お酒を飲んだところで落ち着くはずはなくて、元カノとの思い出とか茉莉奈さんが俺狙いじゃなかったショックとかで泣きそうになってしまう。


「宇美野さんでしたっけ? 大丈夫?」


 目の前に差し出されたグラス。

 短くまとめた髪と切れ長の目がなんとなくクールな印象を醸し出している谷中さんは、そんな印象とは逆の優しそうな声でそういった。どうやら俺を心配してくれているみたいだ。


「ミキちゃんサンキュー」


「谷中さん……やさしい……俺…元カノにもこういうふうにされたこと無くて酔っ払ったらいつの間にか彼女は帰ってるとかばかりで……」


「はいはい! 失恋心得その3! 元カノの愚痴を女の子に話さなーい」


「もう俺はダメなんだー! やだやだ優しくされたい!」


「冬木さん後輩に厳しすぎですよー」


 谷中さんに頭を撫でられてなんともいえない気持ちになった俺は、彼女が差し出してくれた水を飲んで少し落ち着きを取り戻す。

 そんなに酔ってないにも関わらずこんなに取り乱してしまったことが恥ずかしくて誤魔化すように新しく持ってこられた甘めのカクテルをガブガブと飲む。


「ミサキはいっつも後輩くんの話ばっかりだもんねー」


「そ、そのかわりこいつらといる時は悠愛の話しかしてないって!な?」


「え? あ……! あ! はい!」


 急に話に入ってきた冬木先輩の彼女に驚いて、とっさに先輩に話を合わせる。

 実際のところは、冬木先輩が彼女のことを話すときなんてほぼないんだけど……。

 これもお世話になっている後輩としての気遣い……。本当は驚いて取り敢えず肯定してしまっただけというのが大きい。

 彼女さんに話しかけられたからか、冬木先輩が席を立つのと同時に茉莉奈さんと話をしていた秋山先輩が、こっちに気がついて席を開ける。

 立ち上がった秋山先輩がサッと俺の隣に座ると、冬木先輩は彼女さんの隣に座り、茉莉奈さんは少し不満げな顔で秋山先輩がさっきまで座っていた席へと移った。

 これが合コンによくある席替えタイムってやつか……なんてぼーっと考える。目の前に見える冬木先輩がなにやら彼女さんに謝ってるのが見えて、谷中さんは「しょーがないなー冬木さんは」って彼女さんに加勢してるっぽい。


「さては冬木に色々言われたな?」


「あ……はい。まぁ……」


「あいつもアレでお前のことを気にかけて……」


 俺の肩をポンポンと叩いた秋山先輩が、手に持っていたロックグラスを持ち上げると、その腕が後ろの方へひっぱられる。


「ええ……なに?」


 機嫌が良さそうだった秋山先輩の顔が一気に怪訝なものに代わる。何事かと思ってみてみると、唇を尖らせて拗ねたような顔をした茉莉奈さんが秋山先輩の後ろに立っていた。


「だから、言ったでしょ? 俺は彼女以外に興味ないって」


「でもぉ……二番目でもいいから……」


「悠愛ちゃーん! この子酔ってるみたいだし、彼氏に連絡してあげてー」


 茉莉奈さんの顔からサッと血の気が引くのがわかった。パッと秋山先輩の手を放した彼女は元の席に座ってスンって鼻を啜りながら黙って手元にある飲み物を口に運ぶ。

 我関せずと言った感じでお酒を一口のんだ秋山先輩と、冬木先輩とは対象的に茉莉奈さんに声をかけたり頭をなでてあげている女性陣が印象的だった。


「飲み過ぎ?」「大丈夫?気分悪くない?」みたいな声が聞こえてきて、茉莉奈さんが彼氏がいるにも関わらず秋山先輩に言い寄っていたことは綺麗にスルーしてることに何か社会的なものを感じる。


「秋さん容赦ないなー。ちょっとくらいつまみ食いしてもよくない?」


「誰かさんみたいに、そういうめんどくさいことはしない主義なので」


 女性陣たちのやりとりを横目にケラケラと笑っている冬木先輩と慣れた様子の秋山先輩。いつも居酒屋でだべってる二人のはずなのになんだか俺よりもずっと経験豊富で頭の中が疑問でいっぱいになる。お酒も飲んでるし頭が回らないのもあってどうしていいのかわからない俺はとりあえず美味しそうな唐揚げをつまんでレモンサワーに口をつける。


「それにしてもよくわかりましたね。茉莉奈さんに彼氏いるって」


「いや、彼氏持ちの女の子集めてねって冬木に言っておいたから。彼氏いるんでしょその子」


「えええ……俺の慰め会じゃなかったんすか……」


 当然のようにそう答える秋山先輩とガッカリする俺を見て冬木先輩はケラケラと笑いながらビールに口をつける。

 

「詳しく話すと、おもしろくならないかなーって!」


「焦るな焦るな。まずはフィールドをしっかり作るのが大切だから。な? あと、友達の彼女の友達と付き合うともめた時めんどくさいから今後チャンスがあっても手を出すなよー」


「とりあえず飲もう飲もう! 今日はお前抜きの人数で割り勘だからさ」 


 目の前にあるレモンサワーのジョッキを渡された俺はやけくそになりながらそれを勢いよく喉に流し込んだ。

 女の子がいるのに結局俺は先輩たちとむさ苦しく飲んでるし! ちょっといいなって思った子は俺のこと踏み台にするし! 全員彼氏持ちだって後から教えられるし! 最悪だ。飲むしかない。この人達絶対俺で遊んでるでしょ…。

 手に持っていたレモンサワーを飲み干して、冬木先輩のジョッキを奪って飲む。


「いいぞいいぞー」


 楽しそうな冬木先輩の声を最後に俺の記憶は途絶えた。

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