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妙乃は、物凄く不機嫌でした。
あと少しで、とっても欲しかった言葉を言ってもらえるはずだったのに、なんかよくわからない奴に邪魔されて、とてもとても不機嫌でした。
半眼は据わっていて、今にも目の前の邪魔者を射殺すつもりでしたし、右手は相手の手首を握りしめて粉砕していました。
だから、妙乃は、大切な隆文の中にある二人の記憶を消すとか言った相手を、ぐいと引き寄せ、顔面に膝蹴りを叩きこんで吹き飛ばして石垣に激突させました。
一般人ならここまでしないですが、魔術師はもう人間を止めてますから、これくらいで死んだりはしないでしょう。
そして妙乃は隆文に振り返り、思いっきり頬を膨らませて抗議するのです。
なんでもっと早く言ってくれないの、と。言葉よりも雄弁に表情と目で語るのです。
「いえ、あの、その、僕が悪いですか、これ?」
「貴方が悪いというか、いろいろ間が悪かった感じ?」
この事態を引き起こした片割れである
「しかも、この子、初日からめっちゃ楽しんでたからね、貴方ウォッチング」
秘め籠るの暴露に対して、妙乃は叫ぶような顔になり、しかし声でその台詞をかき消すことができないので、慌てて手で口をふさぎに行きます。
もう発せられた言葉は、それでなくなりはしないのですけれども。
既に言いたいことを終えた秘め籠るの未言巫女は、妙乃の小さな手で口をふさがれても涼しい顔をしています。
「妙乃、まだあれ倒せてないから、もうちょっとくらい緊張感を持とうか?」
永時が指さす先で、妙乃が膝蹴りをかました魔術師が、漆黒のローブを揺らして立ち上がっていました。その鼻血を手で押さえても、血が滴るのは、滑稽でさえありました。
「何故……だ。何故、結界が作用しない……?」
魔術師は戸惑いを見せながらも、右手も顔も異様な速度で治癒していき、妙乃に敵意のこもった視線を向けてきました。
妙乃は蹴り飛ばされても懲りない相手に辟易とするのですが、油断なく万年筆を手のひらで包み、その
真紅、そして紺碧。
妙乃を巡る血流はより熱くなり、妙乃が感じる世界はより鮮明になります。
すっかり傷を治した魔術師は、瞬速で動き、姿をかき消しまして。
妙乃が無造作に回した左足が、その腹に叩き込まれて地面を転がりました。
「妙乃さんも加速しているんでしょうか?」
「いや、妙乃は単に感覚と筋力を強化しただけだ。雷の速さは必要ないみたいだね」
その事実に、隆文以上に、妙乃と対面している魔術師が恐れおののいていました。妙乃の起こす結果の全てが、彼の計算と食い違っているのですもの。
「ところで、おと……永時さんは、手を出さないのですか?」
「お義父さんでもいいんだけどね。ああ、さっきも言ったろう。魔術を攻略するには手順がいる。この場合は、未言の神秘でしか、あの魔術師には手出し出来ない」
「なるほど」
隆文はそういうことかと納得しました。
しかし、それはそれで新しい疑問が生じます。
「なんで、妙乃さんはあの人を蹴れるんですか?」
「……さぁ?」
この場にいるどの人間も、その疑問の答えは持っていませんでした。
しかし、妙乃はそんなものはどうでもいいと思っているので、全然くじけずに襲いかかってくる魔術師を、その度に蹴り飛ばして、蹴り転がして、蹴り倒し続けています。
もう十数回は蹴ったところで、妙乃は不機嫌に眉を寄せました。
蹴っても蹴っても、相手はその怪我を瞬時に治癒して、また向かってくるのです。
あと千回蹴っても妙乃は疲れない自信がありましたが、面倒くさいのです。
「どうやら恐れる事はなかったようだな」
魔術師がほんの少し自信と余裕を取り戻した様子で、語り始めました。
その感じがどこかで聞いたことがあるような気がして首をこてと傾けて、でも、そんなに興味がなくて、どうでもいいかと一つ頷きます。
「未言に触れたせいか、貴様の攻撃は食らうが、我が魔術の治癒が勝っている。所詮は不出来な魔術だな」
未言を不出来と言われて、妙乃はむっとしました。
どうやら、未言を使わないと相手を倒せないらしいですし、妙乃の蹴りに巻き込まれないように後ろに下がっていた秘め籠るの未言巫女を振り返ります。
「や、そんな期待された眼差し向けられても、あたしはあなたを次元の狭間に隠すしかできないから」
期待に添えないと言われて、妙乃は落胆の表情をありありと浮かべました。
それを隙と思って地面に潜って襲ってきた魔術師は踵に引っ掛けて空に放ります。
「なんだか、あの人が哀れに思えてきたんですけど」
「気持ちはわかるけど、私が防御していなかったら、君はもう餌食になっているよ。このまま傍観していようか」
隆文は実感を持てなかったが、危機であるのは変わっていないらしい。
「でも、貴女なら、未言を使えるんじゃない?」
だんだんこの状況にも飽きてきたのか、秘め籠るの未言巫女は投げやりにヒントをくれました。
妙乃は持ち前の勘の良さと、そして隆文との日々で培ってきた未言への感受性で、その言葉の真意を汲み取ります。
そしてそれは、彼女にとっても満足のいく方法なので、早速実践することにしました。
妙乃は右手に美しい螺鈿の入った漆塗り万年筆を持ち、掲げます。
すると。
秘め籠るの未言巫女が、夜闇と同じ黒のインクに溶けて、吸い込まれました。
桜の枝に腰かけていた
妙乃も持っていた他の万年筆からインクが飛び出して、一度、彩血の未言巫女の姿を象り、そしてまたインクに戻って、彼女の右手に握られる万年筆へ吸い込まれました。
城の周りに存在していたあらゆる未言の巫女たちが全て、妙乃の魔力に惹かれて万年筆を満たしていったのです。
「止めろ!」
誰もが呆気に取られる中、最初に正気を取り戻した魔術師が、自分が弾劾した禁忌が甚大な規模で引き起こされているのを理解し、叫びました。
妙乃を止めようと腕を伸ばし、しかし魔術師の行く手を、ブレザーの制服を着た女子高生みたいな風虫の未言巫女が阻みます。
風虫の未言巫女は、すっと人差し指を口に当てて、悪戯っぽく微笑み、魔術師を制したのです。
その間に、妙乃は万年筆で愛用のメモ帳に、一つの歌を綴りました。
たっぷりと
その未言巫女は、光と闇を織り成しながら、妙乃の綴る歌から生まれ出でたのです。
とても平凡な顔をした女性で、どこか妙乃に似ているような気もしますし、さらに幼い印象も受ける未言巫女でした。
白衣に緋袴と、絵に描いたような巫女服を着て、しかしその着こなしには道着を着た武道者を思わせました。
その未言巫女は胸の前で手を組み、柔らかな声で妙乃の歌を詠み上げたのです。
『この声は
その歌に、隆文がほろりと涙を零し。
それを見て、
『わたしは、あなたの歌、あなたは、わたしの当体』
未言巫女の声が、妙乃の喉から大気を震わせました。
創作とは作者から生まれるものであり、作者とは創作を表現する主体なのであり、それは別でありながらけして分かたれることのない、而二不二たるものなのです。
つまり、今この時、妙乃は彼女が詠んだ歌によって、未言と一体になったということなのです。
『わたしと彼の恋路を邪魔するものは、乙女に蹴られて退散しちゃえ!』
妙乃の左足が、魔術師に向けて踏み切り、彼女の体を宙に浮かせました。
駆け出した勢いと腰の捻る遠心力を使って、妙乃の右足がほぼ水平に空を切ります。
そして放たれた飛び蹴りは、魔術師の首を刈り取らんと振り抜かれ、その意識を吹き飛ばしたのでした。
妙乃と未言の渾身の一撃を受けては、魔術師はもう立ち上がることも叶わず。
妙乃は右手を高く掲げて、勝利を勇ましく宣言したのでした。
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