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 冬の夜は、寒くて、静かで、暗くて、ほんの少し怖くて。

 さみしさと、そのさみしさから募る愛しさに、涙を零していたのを、妙乃は寝ぼけながらも頬の雫焼しずやけで感じました。

 このほんのりと暖かさをまとった切なさについて、最近読んだことがある気がして、妙乃は夢海ゆめみながら記憶を辿ります。

 薄っすらと開いたまぶたの前で、下半身が魚の尾ひれになっている双子の未言巫女が寝息を立てていました。

 夢海ゆめみ夢波ゆめなみ、未言屋店主のお気に入りの未言たち。優しく穏やかな夢の広がりと、その波打ち際にいる双子たち。

 そうだ、と妙乃は思い出します。未言屋店主が、とある言葉について記述した内容を。

 かなしむ。かなしくも、いとおしく、くるおしくて、せつない。

 愛しむという言葉には、そんなたくさんの、それでいて淡く、消えそうなのに、消えそうだからこそ強く心に残る、そんな感情が納められていると、書いてありました。

 そう思うと、妙乃はこの冬の夜の孤独にも、そしてそのさみしさから強く望む人に逢えない切なさも、ごく自然に大切で心地よいと想うことができました。

 そこまで考えが至ると、夢海と目が合ったような気がしました。けれど、それは気のせいにも思えるくらいに一瞬で、夢海の瑠璃色に深い瞳は微かにしか見えなかったのです。

 その瞳の魔力を注がれたのでしょうか、妙乃はまた夢波に誘われて眠りへと沈んでいきそうになって。

「こ、こ」

 ふと耳に声が届いて、また寝ぼけ眼を開けました。

 妙乃の目の前には、また二人の未言巫女が増えていたのです。

 一人は、夢海と夢波に、反物をそのまま上掛け代わりに被せていまして。

 もう一人は、妙乃を呼んでいました。

「こ、こ」

 その未言巫女の鳴き声に、妙乃はゆくりと体を起こし、布団から抜け出します。

 暗い夜中でも、妙乃はいつも生活して身についていた感覚でするりと、自分の部屋を抜け、ドアを開き、導くように誘う未言巫女に着いていきます。

 階段を降りていくと、リビングから漏れる光が妙乃の視界を明るくしました。

 中から、二人分の気配がします。

 妙乃の肩には夢海と夢波が左右に分かれて乗っていて、彼女の思考も夢海の中でぼんやりとしていました。

 けれど、リビングから聞こえてくる声が誰のものかは、きちんとわかっていました。

 これは、妙乃の父親の声です。

「……妙乃さんに、恋人?」

「そうよ」

 妙乃は考えなしにリビングを開けようとして、けれどドアノブに伸びた右手は、彼女を誘った未言巫女に掴まれて止められてしまいました。

 その未言巫女は、左手の人差し指をピンと伸ばして唇に当てて、妙乃に静かにするように求めてきます。

「君から見た印象は、どうなんだい?」

「逃がす手はないわね」

「……そうか。そう、かぁ……」

 お母さんは隆文への評価が高いらしく、妙乃は耳と尻尾があったら思いっきり振りたくなるくらいに嬉しくなりました。

 しかし、はっきりと一言で告げられて反論や追及の余地を残されなかったお父さんは、途方に暮れたように、そうか、と色んな口調で繰り返しています。

「しかし、その、隆文君は、妙乃のことを知っても愛してくれそうなのかな?」

「それが問題なのよねぇ。平気だとは思うんだけど、まぁ、人の気持ちって思いがけないことがあるからね」

「うん、それは君が私を愛すると言った時に、十分に実感しているよ」

 お父さんのやるせない声に対して、何がおかしいのか、お母さんは深夜だというのも構わずに、大きな声が笑いだしました。

 この笑い声の刺激で、妙乃は少し頭がはっきりしてきて、夢海夢波の双子は、すぅっと姿を透けさせます。

 そこでやっと、妙乃は、お父さん帰って来たんだ、と今更ながらに理解したのです。

 そして、お父さんの言葉の意味もなぞれるようになり。なってしまい。

 もし、隆文が、妙乃が普通の人間ではないことを。

 彼女が、魔術師の娘であることを。

 彼女が、母から教わった武術と父から教わった魔術によって、熊でも殴り倒せるような、危険な存在だと言うことを知ってしまったら。

 不安が、妙乃の胸に沸き、渦巻き、荒らし始まました。

 怖がられたら、どうすればいいの。

 嫌われたら、どうすればいいの。

 避けられたら、どうすればいいの。

 二度と逢えなくなったら、どうやって生きていけばいいの……。

「ひ、こ」

 妙乃は、呼ばれるままに傍らの未言巫女を見ました。

 魔女のような、影色のローブで全身を覆い隠し、唇の鮮やかなコーラルピンクの血色だけがやたらと目につく、彼女を、妙乃はすぐに感じ取り、認識します。

 妙乃は、その未言巫女に右手を差し出して。

 未言巫女はその手を取ると、妙乃をローブの中へと引き込み、そのローブごと歪んで内側へと納まって、この世界から、消えて、しまったのです。

「ひ、こも」

 楽しげで、哀しみを帯びて、求めるようで突き放そうとしている未言巫女の声が、最後に夜の影に揺れたのでした。

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