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 隆文の家、その玄関の前に立って、妙乃はもうお馴染みになった番号を、取手に埋め込まれたナンバーロックに打ち込みます。

 軽やかな電子音で解錠が宣告されて、妙乃は迷いなくドアを開けました。

 妙乃は左手に提げた雪の結晶のイラストがあしらわれたエコバックを玄関先に一旦降ろして、もこもこブーツを片足ずつ脱いでから、家に上がります。

 エコバックを揺らしながら、妙乃はまずキッチンに向かいます。冷蔵庫を開けて、声のない溜め息が一つこぼれました。

 冷蔵庫の中身は、三日前に妙乃が侵入した日からつまみとお酒以外のものが減っていません。玉ねぎなんて、妙乃が使って半分残したものがラップに包まったままです。

 これは、通い妻計画をさらに進めて、この家に来る頻度をもっと増やさなければならないと、妙乃は強く決意します。

 それからエコバックの中身を冷蔵室と冷凍室に分類して仕舞って、妙乃は左手の人差し指をピンと伸ばして唇に当てました。

 外は夕蜜ゆうみつの黄金色がしんみりとあまねいてくるような午後四時で、隆文が帰って来るまで時間はたっぷりあります。手の込んだ料理も作れると、妙乃は頭に眠るレシピをめくって、何を作ろうかと思案します。

 そうすると、妙乃は自然と顔が綻んで微笑みが浮かぶのです。

 愛する人のために、料理が出来る喜びを。

 その料理が好きな人の口に運ばれる瞬間の幸せを。

 大切な人が料理の美味しさに相好を崩す瞬間の達成感を。

 思い浮かべるだけで、妙乃の胸の中は、いっぱいに満たされるのです。

 前の時は、肉じゃがを作りましたから、煮物を繰り返すのは止めようと、まず決めました。

 焼く、炙る、蒸かす、茹でる。いくつかの調理法を心で呟いて、どれが楽しいか、今の自分がわくわくするか、妙乃は吟味して。

 今日買ってきた南瓜と牛乳。先日から残ったジャガイモと玉ねぎ。

 チーズは、隆文がつまみ用に買ったものが、色々とあります。

 オーブンは、妙乃が隆文におねだりして、先週の休みに置いてもらったばかりです。

 よし、グラタンを作ろう、と妙乃の心は定まりました。

 南瓜は、まず、少しの水と一緒に鍋にゴロン。蓋をして、火にかけて蒸かします。

 その間に、他の食材を下拵えします。

 玉ねぎは細切りに。人参は銀杏切り。ジャガイモは皮を厚めに剥いて、食べ応えがあるようにゴロゴロと乱切りにします。

 南瓜とジャガイモはエネルギーになる食材、玉ねぎ人参は体の調子を整える食材と学校の教科書で習います。あとは、体を作る食材、つまりはお肉とかお魚が必要です。

 今日は一切れ九十八円で買ってきた鮭を二切れ、ハーブソルトをまぶして下味をつけて準備します。魚焼き器は野菜を切っている間に温めていましたので、鮭を切り身のまま炙ります。

 二つ目のコンロに深めのフライパンを置き、マーガリンを敷いて、玉ねぎから炒めます。軽く火が通った頃に、南瓜の方の火を止めて蒸らして。それからジャガイモと人参も玉ねぎに合流させて、少ししたら、塩胡椒と固形コンソメを砕いて入れて、味が均質になるようにヘラでくるくる食材を舞わせます。

 ところで、舞うはくるくる、踊るはぴょんぴょんなのだそうです、と妙乃は誰にも聞こえない心の声で、最近本で読んだ知識を自慢します。

 未言を知ってから、言葉の意味、原義、成り立ち、繋がり、そういったことにも興味が出て、言語の本も読むようになったのです。

 野菜達は一旦火を止めて余熱を通すことにして、鮭をひっくり返します。

 南瓜を鍋から取り出して、幅広の刃を持つ包丁を手にして、ゴトン。大きく切り分けてから、ワタを取り除き、一口サイズに小さくします。

 その南瓜も野菜のフライパンにガタガタと入れて、水を加えて煮ます。そこに、砂糖一匙、ハーブソルトをたっぷりめに、蜂蜜のアマゾン産のを一回し。

 妙乃は人差し指の先を唇に当てて、一つ頷いてそこで調味料を止めました。大きな木匙で野菜が焦げ付かないように時々かき混ぜます。

 その間に鮭も程よく焼き目が着いて、妙乃は菜箸で身をほぐしながら骨を取り除きます。皮は真っ先にはがされて、摘まみ食い。

 カリカリで脂の美味しいそれは、調理人の特権としておやつにしてもいいのです。におわせる香ばしい脂もぺろりと舐めて、妙乃は鮭の素材の良さににんまりと笑顔を作りました。

 鮭の身をフライパンに加えて、中の煮汁で皿の脂も余さず一つにします。

 野菜をじっくりと煮るために、しばらくは放置です。

 日が落ちかけて、夕焼けの静かな光も窓から入って来なくなり、妙乃はキッチンの蛍光灯の紐を引っ張って点灯させました。

 その後に、マカロニはフリッジを棚から出して、下茹でしつつ、グラタン皿を二枚用意します。

 妙乃はちらりと時計を見て、手に持ったグラタン皿を、キッチン棚に置いてハンカチを被せます。

 以前よりも調理の手際が良くなったようで、妙乃の予定よりも早くここまで来れたので、すぐにオーブンしなくても良くなっていました。

 フリッジマカロニは短めの茹で時間で湯切りして、フライパンへ。

 生クリームと牛乳を入れて、それとお味噌を一匙、木匙でかき混ぜてから味見して、お味噌はもう一匙加えました。

 一度煮立ったら、シチューのルゥを入れて、もう一度煮立たせて、グラタンのタネは出来上がりです。

 あとは、隆文が帰ってくる時間を逆算して、オーブンを温めて、パン粉とたっぷり三種類のチーズを乗せて焼き上げれば完成です。

 それにレタスとトマトとピーマンで、シャキシャキのサラダを添えようと妙乃は思案します。それと、日頃から野菜不足の隆文のサラダは妙乃ものよりも大きな器にするのも決めて、頭の中で二種類の器を見繕います。

 そして、すっかり暗くなった部屋の明かりを点けて、家中のカーテンを閉めて回り、思うのです。

 隆文が帰って来るのが、待ち遠しくて、楽しみで、そして、とても幸せな気持ちだなぁって。

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