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 妙乃は、その小さな手で包むように本を開き、また一つの未言を読みました。

 辞書のように五十音順で、未言とその意味がただただ並んでいるその未言字引の中で、先程やっと『眠毬』に出会ったところです。次はどんな未言が来るのかと、妙乃はわくわくと弾む心を、ゆっくりと息を吐いて落ち着かせながら、綴られた一文字一文字を味わいながら、未言を創った人の心を追いかけます。

 

はごもりの【羽籠りの】(枕)「雛」「稚児」「天使」にかかる枕詞。親鳥が翼で大切な子どもを守るような様子。


 それもまた、妙乃が全く聞いたことのない未言で、それなのに、妙乃もよく知っている情景でした。

 母と父で変わりばんこに卵を抱き、雛を守り、時に日差しから、時に雨から、時に寒さから、時に外敵から翼で包んで擁く親鳥の愛情の尊さが、妙乃の命に移ってまだ想像もしたことのなかった我が子への母性をじんわりと体中に満たしていきます。

 またこの未言一つだけで胸も頭も気持ちもいっぱいになってしまって、妙乃は静かに本を閉じ、瞼を閉じて、深く呼吸します。

 凡例では、この一冊だけでも百八十九語もの未言が収録されているそうです。

 司書さん――三栗さんはお手紙の中で、こんなに素敵で胸が満たれてる未言というのは、三千もあるというのです。

 なんてなんて、夢に溢れているのでしょうか。どれだけ期待させるつもりなのでしょうか。

 未言屋店主という人は、まるで本物の魔法使いのようではないですか。

 妙乃は、自分の中に溢れるぬくもりに耐え切れなくなって、机からノートを取り出しました。

 そして、机の上に飾るように幾つも置かれた細長い箱を開け、万年筆を手元に並べます。

 万年筆らしい太いシルエットの一本、黒光りしていて、矢羽にも似た意匠のクリップが付いたそれには霧雨のインク。

 とても万年筆には見えない細身の二本、光沢のある桜吹雪のようなデザインの方には夕焼け、深みある青の単色の方には天色。

 繭を伸ばしたような丸みのあるシルエットの三本、銀には冬将軍、明るい茶色には稲穂、淡い茶色には土筆。

 妙乃は、ページの後ろにそれぞれのペン先を当てて、インクの色を確かめました。

 そして、描き始めました。

 一本を持って丁寧に書き込む時もあれば、指の間に二本目、三本目を抱えてくるくると持ち替えて手早く線を引っ掻く時もあり、時折ペンのキャップもしないで万年筆を転がして次の万年筆を手に取り、全体を見て構図や配色を思案している時に放置していた万年筆に気付いて、慌ててキャップを閉めたりしながら、二十分ほどで、一枚のイラストが完成しました。

 羽籠りの雛が、翼をかき分けて顔を出し、親鳥の顔色を窺う、そんなスズメの様子を描いた絵でした。

 巣を覗くような構図で、親スズメは絵を見るものを睨むように視線を向けて、顔を出した雛を窘めるように顔をそちらに動かしています。

 妙乃は完成した絵の、翼の輪郭を薬指でなぞって、ほぅ、と息を吐きました。

 そして万年筆達を元通りそれぞれの箱へ仕舞い、ノートを閉じて机に置きます。

 未言字引を手に取り、そっとノートに重ねました。

 今日はもう、頭が疲れて、ちゃんと未言を読めそうにはありません。

 妙乃は、くぁりと欠伸をして、歯磨きとトイレに行くために、自室のドアを開けて出ていきました。

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