契約と仮契約

 朝。小鳥の穏やかなさえずりで、フィアは目覚めた。作業机に突っ伏して眠ってしまったらしい。まるで、テスト前日の夜のような状態である。周りを見渡すと、フィアと同じく作業机の1つに突っ伏して眠っているルクアに、半ばもたれかかるようにして眠るアリスがいた。ティアシオンは大きな作業台の上で大の字で伸び、ランベイルがそれに折り重なって眠っている。起きているのは、ベンジャミンだけだった。彼は真剣な表情で一生懸命生地を縫っている。その指先は、絆創膏だらけになってしまっていた。慣れない手つき、震える指先で一針ずつ縫い進める様子を、フィアは眩しい表情で見つめる。


 自分に今のベンジャミンのような、何かに真剣に向き合おうと思った瞬間はあっただろうか。傍らのルクアもまた、同じように眩しい表情でベンジャミンを見つめ、彼に気づかれないよう小声で言った。


「……フィアが今どんなことを考えてるか、なんとなくわかるよ。前の熱中するものを見つける話と少し似ているけれど、きっとね、真剣に向き合おうと思えるものが見つかるには、時間がかかる。すぐ見つかる人もいるとは思う。ほんの一部だと思うけど。大半の人はきっと、大人になってからそれを見つけようともがくんだ。けれど、実際見つけられてもそれに向き合うだけの時間が自分にないことに気づく。そして、それが逃げるための言い訳だってことにも気づいてしまう。安定を求めて、自分が向き合いたいものから目をそらす。どうせ無理だからと言って。だから、ああやって自分が真剣に向き合いたいものがあって、それに全力で向き合える彼は自分に正直で、とっても素敵に見えるんだろうね」


 ルクアの言葉にフィアは頷いた。


「さて。私たちも、もうひと頑張りしようか。今日は新しい服を着て、新しい気持ちで冒険に出かけるんだ」


 ルクアはそう言ってボサボサの髪を手で少しとかすと、アリスを起こしにかかった。


♢♦♢♦♢♦♢


 完成した服は、お世辞にも綺麗とは呼べない代物だった。あちらこちらから処理が雑で糸くずが飛び出してしまっていたし、ほつれもたくさんある状態。ノーブランドの大量生産品でももう少しましではないかと思われるような仕上がりである。しかし、フィアたちはとても嬉しそうに、パジャマからその服に着替えたのだった。


「あっしが他の帽子屋に弟子入りしたりして腕を磨いていれば、もう少しましな仕上がりになったんすけどね。申し訳ないっす」

「いいんですのよ。服を着るあたしたちが、これだけ満足しているのですから問題ないですわ」


 アリスはとてもうれしそうに、鏡の前で何度も何度もターンしてみせる。ルクアはアリスを押しのける。


「もう十分確認したでしょ。……うんうん、いい感じ。理想通りっ」

「ルクアさん、後ろのリボンがほどけています。……結び直しますから、少しの間、動かないでください」

「あ、ごめんフィア。ありがとう。私ガサツだからなぁ。リボンほどけても、大概そのままにしちゃうんだよね」

「ルクアさん……。そういうだらしのない人は、こういったフリフリを着る権利、ないですわよ」

「アリスこそ、リボン斜めになってるよ」

「ああ、ルクアさんっ! 動かないでくださいってばっ」


 3人の掛け合いを、ティアシオンは欠伸をしながら見つめる。


「女子の服装って、面倒なもの多いよな。それに対して男の服ってなんと楽なことか」

「それはおしゃれをしない男の服装だけです。……騎士服など、面倒な服装などいくらでもありますから」


 ランベイルが大きく溜め息をつきながら言う。


「じゃあその服装、やめればいいじゃねぇか」

「これは制服です。やめられません。……あ、でも僕、追放されたんでした」

「だろ?」

「……しかし。もうこれが普段着みたいなところありますし。……許せない汚れなどが付いたときに考えます」

「……面倒なやつだよな、お前も」


 ティアシオンが困惑したような顔を向ける。そこへ、ベンジャミンが白くて長い耳をピョコピョコさせながら、たくさんの荷物を抱えてやってくる。


「とりあえず、家にあった食糧やら必要になりそうな物資をまとめて来たっす。……次向かうあてとか、あるんすか?」


「ふむ。……どこから向かうべきでしょうかね?」


 腕組みをして考え込むランベイルに、ティアシオンが面倒くさそうに言う。


「適当に歩いてりゃ、どっかにはつくだろ」

「そんな適当はまずいでしょ、無闇に歩き回って女王たちに見つかるのは、危険なんでしょ」


 ルクアが言う。ベンジャミンは、新聞を取り出して言った。


「家の前にたまってた新聞っすけど、参考になるっすかね」

「どれどれ……。ハートの女王も、白の女王も、物語修正師候補生の捕縛に本気モードみたいだぜ。物語修正師候補生を見つけて捕らえた者に賞金を出すとか書いてある」

「それでは、他の物語の住人たちに協力を仰ぐのは難しい状況になりそうですね。……賞金目当てで言い寄られかねない」


「情報を集めるためにも、この世界の歴史とか物語修正師の歴史を知っておきたいよね。大きな図書館とか、近くにないかな」


 ルクアが言うと、ランベイルが答えた。


「図書館なら、心当たりがあります。1つはワンダーランドの中で一番大きな図書館と言われているワンダーランド図書館。そして、もう一つは、今は主なき城の中にある図書室ですね。他にも白の女王が所有する図書室やハートの女王が所有する図書室、街の小さな図書室などはあるでしょうが、前者は侵入が危険すぎますし、後者は有益な情報が得られない可能性が高いので没ですね」

「けど、白の女王もハートの女王も本気で物語修正師候補生を潰しにかかってるのなら、情報を集めることを見越して、見張りとか強化してそうじゃねぇか」

「問題はそこなのです。ワンダーランド図書館も、城の図書室にも別の情報が眠っていると思われるので、こちらとしてはどちらも回りたいところです。しかし、城の図書室はおそらく大丈夫だと思いますが、ワンダーランド図書館はそう簡単に侵入できないでしょうね」

「でも、危険を冒してでも行く価値のある情報はありそうなんだよね」


 ルクアの問いに、ランベイルは頷いた。その時、いつぞやに銀髪の少女からもらった本がひとりでに開いて、銀髪の少女が出現した。


『ワンダーランド図書館へ向かうのね。だったら、とりあえず物語の住人たちと、契約をしておくことをおすすめするわ』

「前に山賊さんがそんなこと、言ってたね」

『物語修正師候補生、および物語修正師は、物語の住人1人とだけ契約を結ぶことができるの。この契約は、相手との協力関係を形にするものであって、やむをえない事情が発生しない限りは、一度契約すると半永久的に継続される。契約した住人以外とも協力関係を結びたい場合は、協力者として契約を結ぶ。契約した住人と協力者の住人の違いは、魔力の増強。契約した住人の魔力は、今まで持っていた魔力よりも増強される。だからあの山賊たちも、魔力欲しさにあなたたちを狙ったというワケ。悪だくみをする住人の多くは、物語修正師をとらえて女王たちに渡さず、無理矢理契約を結ぼうとするわ。その方が継続的に収入が得られるからね』


 ここで言葉を切って銀髪の少女は、ふわふわと移動してティアシオンと、ランベイルの近くまで行くと言った。


『察するに、あなたたち2人は通常の住人たちより魔力が多いみたい。きっとあなたたちを作り出した物語修正師は、あなたたちのことをキャラクターとして愛していたんでしょうね。……もしこれからもこの子たちを守ってあげる気があるのなら、フィアとアリスと契約してあげなさい。その方が、彼女たちを守り切れる確率は上がるでしょう』

「ルクアさんは、いいのですか」


 ランベイルの問いに、銀髪の少女はルクアの手を取り言った。


『山賊に襲われかけた時、ルクアの手に触れた山賊との間に紅い火花が散ったの。そしてその後、ルクアの右手薬指に契約の指輪が顕現した。それは、既に誰かと契約している証。契約は、2人以上の住人とは交わせない』

「え……、あれは静電気ではなかったんですね」

「そうそうこの指輪、あの後から出現したんだけど外したくても外せなくて……。そうか、契約の指輪だったから外れなかったのかぁ」


 フィアの驚いた声と、ルクアの納得したような声が重なった。銀髪の少女は続ける。


『契約の相手が分からない以上、契約を取り消すこともできない。契約者が何を意図してあなたと契約したのかもわからないし、契約者が名乗り出てこない以上、今この問題は保留にするしかない。現状あなたたちに打てる手は、残る2人が魔力の強い2人と契約して戦力増強を図り、情報を集める。これだけよ』


「それでは、僕はフィアさんと契約させて頂きますね」

「困りますわっ! ランベイルさんはあたしと契約するのですわっ」

「ほらほら、相方がそう言ってるんだから、いじわるするなよ」


 ティアシオンが半分涙目になりながらランベイルにすがりつくアリスを見ながら言う。ランベイルは大きな大きなため息をつきながら小声で言う。


「子守はまっぴらごめんなんですけれどね……仕方ありません」

「やったのですわっ! これであたしもリア充とやらなのですわっ」

「アリスさん、それ、少し使い方が間違っているような気がします……」


 フィアは苦笑する。こうしてランベイルとアリス、ティアシオンとフィアが契約しそれぞれの指に、契約の指輪が出現した。


「おお、こりゃすげぇ。確かに魔力が溢れてくるような気がする」

「気がするだけなのではないですか」

「プラシーボ効果ってやつかな?」


 喜んで見える2人に水を差すように、ルクアが言った。銀髪の少女は、真剣な顔つきで言った。


『魔力が増強されたとはいえ、相手は女王よ。数で圧倒されるわ。ワンダーランド図書館へ向かうのなら、それなりの作戦をもって向かうことね』


 そう言って、消滅する。ルクアは言った。


「とにかく、近くまで行ってみないとどのくらい警備に人員が割かれてるかもわからないもんね。まずはワンダーランド図書館のある街まで行ってみよう。ランベイルさん、道案内お願いできる?」


「もちろんです。今から向かえば、夕方には辿り着けるでしょう。早速向かいましょう」

「ワンダーランド図書館へ、レッツゴーっす!」


 こうして、一行はベンジャミンたちの家を出て、ワンダーランド図書館のある街に向けて歩き始めた。その姿を半ば睨み付けるようにして、シルクハット風の帽子をかぶった青年……――エドワードが見送っていたことは、この時誰も気づいていない。

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