「本当に痛くないのかい?」


 ひろしは今日何度も言ってきた言葉を再び繰り返した。彼女は「大丈夫」と笑顔を崩さないが、その言葉をどうしても信じることが出来ないでいた。

 彼女――磯谷いそたに 真由子まゆこは首から下の皮膚と筋肉が存在しない。最新の医療技術で作られた僅か数分の一ミリの人工膜の奥には、彼女の内臓が蠢いているという状態だ。現在でこそは人肌色に着色・・してはいるが、施術直後は透明の膜越しにピンク色の物体がごろごろ見えていた。

 自身の体重を支えることが出来ないので、電動車椅子での生活を強いられているが、それどころの問題ではないことくらい、医学知識のない宏にでも理解出来る。

 しかし、彼女は生きている。その事実は覆しようがない。


「私、治癒力が凄く良いらしくて。この調子なら一か月もすれば退院だって、河村先生も言っていたわ」



 見舞いを終えた宏は、目的もなく街を歩いていた。

 何も変わらない見慣れた風景。事故に遭った時は、見ることを諦めていた風景。それが目の前にある。加えて、失うと確信していた最愛の彼女までもが助かった。まさに願ったり叶ったりの状態のはずだ。

 にもかかわらず、この至福を認めることが出来ないでいる。もしも認めてしまったら――何か取り返しのつかないことになりそうな気がするから。


「もしかして、あの・・事故で被害に遭われた――佐久間さくまさんですか?」 


 見知らぬ女性に呼びかけられた。レディーススーツにタイトスカートを着ているが、そこにはシワひとつ付いていない。就活中の女子大生だろうか。


「確かに私が佐久間ですが、何か?」

「その、ワタシなんかが言うのも失礼かもしれませんが――応援してますから」


 宏は困惑した。

 ちょっと、と止めようとしたが、女子大生は構わず話を進めていってしまう。


「いえ、分かっています。あんなこと、簡単に受け入れられる訳ないですもんね」 


 全く話についていくことが出来ない。一体何がどうなって、赤の他人に慰められる羽目になっているのか。

 その後も彼女は延々と話をし続けた。終わってみれば五分という短い時間ではあったものの、当時の宏にとっては数十倍にも感じられた。

 ひとしきり話し終わると、呆然自失としている彼を尻目に深々と一礼をしてどこかへと去っていった。

 宏に正気が戻ったのは、それから更に十数分後のことだった。目を見開くと、すぐにスマートフォンを操作した。


「もしもし、佐久間だけど。今、会いに向かってもいいか――訊きたいことがあるんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る