ゴータマ・仏陀について02
彼は出家した。29歳の時と言われている。愛馬の上に跨り従者を途中まで引き連れての出立だという。
仏伝によると王国の門を出る時に悪魔が彼に囁いたらしい。曰く、出家を取り止めれば転輪法王の座、つまり世界の覇王にしてやるぞというのだ。
これに対してゴータマは即座に断った。もちろんこれもゴータマの心象風景の描写である。
即座に断った、というが恐らくそれはゴータマが29年間ずっと考えて来たテーマだからである。答えが既に出ていた。だから即座に断れた。
彼は道の途中で従者と愛馬と別れる時に従者にこう言ったという。
「この世において悲しみが尽きることはない。あれほど敬慕する母とこの私でさえ引き裂かれたのだから」
ゴータマの修業は苛烈だった。他の修行僧の誰にも真似できないほど苛烈だったと聞く。ゴータマの修業時の仏像がある。その姿はアバラが浮き出て、頬の肉はこそげ落ち、眉をひそめ、座禅に一心に打ち込んでいる。
彼の求道姿勢が真摯であればあるほど、彼がどれほど自らの苦に真剣に苦悩していたのか、彼ほどの才能を持った男でも如何に解決が容易ならなかったのか。この仏像を一目見るだけで解る。
しかし彼はそれらの苦行を捨てた。その意味するところの解釈は様々であるが、事実として彼は普通の生活に戻った。食事をきちんと取り栄養を補給し穏やかに身を落ち着ける。そうして苦行は29歳から約6年目で幕を閉じた。
その直後、彼が35歳の時にピッパラの樹の下で悟りに目覚めるのだが、今を持ってその悟りの内容には苛烈な争いがある。しかしそれは仏教における最大テーマである上にゴータマ本人が悟りの内容を文章で明記してくれていないので仕方がない。
彼の作り上げた精緻な仏教理論を見て、仏教学者は彼の事を『非常に論理的』と異口同音する。その通りだと思う。とても2500年前の、古代の人物の考えと思えないほど、現代的で卓越している。
一般にお経や仏教書と言われる類のものは、ゴータマ仏陀の当時の言行録が大半であるが、実は彼の生存中に書かれた文章はないそうだ。ゴータマの死後、この事で多いに揉めた。ゴータマの生前の発言とその意味するところの解釈を巡り各流派・仏教教団が別たれたと言ってもいい。それは現代まで続く。
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