仏教について

乙倉

ゴータマ・仏陀について01

 仏陀というのは悟りを開いた者の中でも格上の称号である。

 本来悟りには段階があり、預流果、一来果、不還果、阿羅漢果とあり、この4つの中では阿羅漢が一番上である。

 そして仏陀というのは、阿羅漢の更に上にあるようだ。

 法華経等の経文の中でゴータマ仏陀自身が述べているように、過去に仏陀を名乗った人物は自分だけではない、と言っており、何人もいたようだ。

 そんなゴータマ仏陀は釈迦、釈尊、釈迦如来という名前で日本の各流派、各寺院で親しまれている。

 禅宗では本尊として扱われ、密教においても如来として菩薩の1ランク上の存在として別格の扱いを受ける。

 とはいえ、ゴータマ仏陀はかつて存在した人物である。

 今より2500年前のインド、現在のネパール国ルンビニーにて釈迦国という小国の王子として誕生した。上記の釈迦、というのはここから来ており個人の名前ではない。今で言えば新宿の母といったところだろうか。

 伝説によると、釈迦国の釈迦族は知性に溢れ、教養豊かで勇敢かつ勤勉な戦士の一族だったらしい。彼らはインドの有名なカーストの中ではクシャトリヤ、すなわち政治家、武将を輩出する高貴な一族である。

 当時の釈迦国の国際情勢は複雑で、コーサラとマガタという2つの大国から軍事侵略を度々受け、外交と防衛で苦しんでいたようだ。ちなみにこの釈迦国はゴータマ仏陀が悟りを得た後に消滅する。

 そんな複雑な情勢の中でゴータマは誕生する。

 ちなみにゴータマの母はゴータマを脇から産んで死亡したとあるが、これは難産の暗喩であろう。しかしながら、この母の死がゴータマの終生の性格を決定づけたようだ。

 ゴータマという人間は複雑だ。仏教上の崇拝の対象でなく歴史上の一人物として観察する時、彼のその横顔は繊細かつ陰鬱な色彩を帯びる。少なくとも酒を飲みながら馬鹿になって楽しく騒げるタイプでなく、常に物事を突き詰めようと考えるメランコリック(鬱的)な青年だったようだ。

 伝説では、若い頃のゴータマは稀にみる美青年だったという。物腰柔らかで読書に親しみ教養豊か、弁論にも長け武術にも極めて優れた。まさに王者としてこの世に生まれた人物だったという。事実、父親はゴータマを次期国王として扱い破格の期待をかけていた。当時の両大国からの侵略を鑑みれば、非凡な息子に希望を託すのは無理からぬことである。

 しかしゴータマ本人の胸中は違った。彼の進路希望は軍人や政治家ではなく宗教家、それも全てを捨てて出家をしたサモンだった。彼は日に日に憔悴していき、挙句の果てには生まれた息子にさえラーフラ(障害)という名前をつける始末だった。


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