壊し屋といっても毎日沢山の依頼が舞い込んでくるわけではない。

 もしアンドロイドが気にくわないからという理由だけでフラヴィ・アンドロイド相談事務所へ依頼が来たら、ジャネット達はあっちこっちへ引っ張りだこになるだろう。そうならないために事務所の仕事は政府に認可されていない非公認として営業しているのだ。

 故に、肉体労働を担当しているジャネットとアレットの休みは必然的に多くなる。そして休みの日をどのように過ごすかは人それぞれだ。

 ジャネットはいつもの休日のように昼寝をむさぼっていた。やる事がない時は大体寝ているジャネットだが、今の彼女の心境は別にある。

 それは先日彼女たちが担当した依頼──アンドロイド・ハルの破壊の件だ。

 ジャネットの脳裏には未だに、スクラップになったハルを抱き上げて涙を流すニィナの姿がこびりついていた。ニィナはハルをアンドロイドではなく人間として見ていた。それがいかに危険であるか、目の前でハルを破壊する事で理解させた。

 ……少なくともジャネットはそのつもりである。しかし、ハルを破壊したジャネットに対してミレイユが放った言葉が脳内で反復する。

「アンドロイドを愛して幸せになれない道理はない」

「それは、先日の私の言葉ですね」

 気づけばジャネットのそばにはミレイユがいた。彼女はいつも通りお盆に緑茶を乗せて、ジャネットに差し出してきた。しかしジャネットは素直に受け取れないでいた。

 その様子を見たミレイユは緑茶をひっこめながらジャネットに問いかける。

「もしかして、私の言った事を気にしていらっしゃるのですか?」

「……別に」

 ジャネットがミレイユから緑茶を受け取ると一気に煽った。

 ──瞬間、緑茶の熱さでジャネットがむせる。

「ゲホッ! ゲホッ!」

「一気に飲んだら熱いですよ!」

 舌を出してむせるジャネットへミレイユが急いで氷を持ってくる。

「舌を火傷しちゃいますよ! これを舐めてください!」

「ありがほう」

「……らしくありませんね。やはり昨日の事を気になさってるんですね」

「たぶんね」

「すみません。私はアンドロイドなのに、偉そうなことを言ってしまいました」

「それはいい。アンドロイドが自由に意見を言ったところで、私の意見は変わらない」

「では、何を気にしてらっしゃるんですか?」

「……ニィナが泣いてた」

「依頼人のご息女のことですね」

「うん。アンドロイドを愛しては未来がないと思うのは変わらないけど、大切にしている物を目の前で壊されたら誰だって傷つく。それは私でもね。私が気にしているのは、その事に対する罪悪感なんだと思う」

「……あくまで、物を破壊したことによる罪悪感なのですね」

「うん」

 ミレイユの表情は悲しそうだ。彼女はジャネットから直接アンドロイドは物だと言われたようなものだから。

「ねえ、ミレイユはどう思ってるの?」

「私……ですか?」

「そう。ミレイユは、人間からどう思われたいの?」

「私は……」

 ミレイユが悩む。それはアンドロイドが悩むという事。人が悩むのと同じように、アンドロイドも悩んでいる。ジャネットはいつもここで混同してしまう。果たしてアンドロイドは本当に悩んでいるのだろうかと。

 視線をあちこちに巡らせたミレイユが、考えが決まったのかジャネットと視線を合わせた。

「私はあなた達人間から、人として見られたいです」

「それはどうして?」

「わかりません。でも、あのBARで私が目覚めた時から、どうしてか自分を人間だと思い込んでいました。アンドロイドであるという自覚があるにも関わらず、人として振る舞う事が当たり前だと思い込んでいて……」

「人として振る舞うって、人の真似をしているって事でしょ」

「いいえ違います。人の真似をするという事は、そこに意思が介在しない機械的な行動をするだけです。でも私の行動には意思が伴っています。だから人の真似をしているのではありません」

 ミレイユの強い言葉に、しかしジャネットはまだわからないでいる。アンドロイドに意思がある……という時点で疑問しか残らないのだ。

「では逆に質問させていただきますけど、ジャネットさんはどうして人なんですか?」

「どういう意味?」

「ご自身が人間であると、どうやって証明できるのですか?」

「それは……」

 言われたジャネットは困惑してしまう。

 ジャネットは間違いなく人間である。だが人間である事を証明しろと言われると何も言えなくなる。

 なぜジャネットは人間なのか。服を着ているから? 言葉を話すから? 二本の足で立って歩くから?

 もし人間の証明がそれだけなのだとすれば、人間と同じように服を着て、言葉を話し、二本の足で立って歩くアンドロイドもまた人間ではないだろうか?

「私達はアンドロイドです。人間ではありません。それでも私は、人と同じ場所に立って、同じ光景を見たいと思っています。……ただそれだけです」

 ミレイユはそれだけ言うとジャネットから離れていった。

 人間と同じ場所に立って、同じ光景を見たい。その言葉の意味をジャネットが考え始める。

 人間とは何か。それは人類の持つ永遠のテーマであり、哲学的な内容にも踏み込んでいる。ジャネットの頭では永遠のテーマに挑戦するのは無謀だった。

「アンドロイドってなんだろう……」

 人知れずジャネットが呟いた。

 考えれば考えるほど、どんどんと思案の海へ溺れていくような。

 そんなジャネットの元へ、今度は違う人物がやってきた。

「なぁに物思いに耽た顔してんだよジャネット」

「言葉通り、物思いに耽てた」

「なに考えてんだ? アンドロイドのことか?」

「どうしてそう思うの?」

「この前からずっとそんな調子じゃねぇか。聡明なジャネット様が物思いに耽る原因は一つしかねぇ。ハルの件だろ?」

 まあそう考えるのが妥当だろう。

 いとも簡単に考え事を見抜かれたジャネットは隠さずに言う。

「ねえアレット。あなたはアンドロイドがなにを考えているかわかる?」

「変わった質問だなジャネット。ていうか、アンドロイドが考えごとをするわけねぇだろ」

「それはどうして?」

「おいおいらしくねぇな。アンドロイドは人間の真似をしてるだけだってのは、お前やフラヴィの受け売りだぜ?」

「アレットはどう思ってるの? 例えば、ミレイユの事とか」

 ジャネットはアレットが、ミレイユのことを人間扱いしていると考えている。しかしアレットの回答は意外なものだった。

「アイツはアンドロイドだろ」

「え……。でもミレイユと仲いいじゃん」

「それとこれとは別だろ。仲がいいからって、アンドロイドを人間だと思ったことはねぇよ」

 アンドリューの店でミレイユが身体検査されていた時、アレットは妙にそわそわしていた。あれはミレイユを人間だとみなしての行動ではなかったのかとジャネットは思った。

「そう……なんだ」

「でも最近のアンドロイドが高性能なのは知ってるぜ。腕章をつけなきゃ人間と区別がつかないって事もな。だからアンドロイドに恋する奴とは出てきちまうんだよ。いっそロボットだってわかる見た目にしてくれれば、人間とアンドロイドの境界線なんて気にしなくなるだろうに」

 ジャネットは驚いた。

 その場のノリとテンションで生きてきたと勝手に思っていたのだが、彼女は彼女で自分の考えをしっかり持っていたのだ。そしてアレットは、人間とアンドロイドの区別がしっかりしている。

 今ここで一番不安定になっているのは自分だけだと、ジャネットは思い知らされたのだ。

 どこか落ち込んだような表情のジャネットを見てアレットが何か閃き、フラヴィの方を向いた。

「なあ姉御! 今日って仕事はねぇんだよな?」

「ああ。というかこれは私の信条だが、仕事は連日続けて引き受けないことにしているんだ。だから今日はオフだ」

「よし! なあジャネット。デートしようぜ」

「……そんな気分じゃない」

「いいからいいからデートするぞ!」

 アレットは無理やりジャネットを抱き起すと背中を押してジャネットの部屋へと連行する。

「ちょっとアレット──」

「なにを悩んでるのかわかんねぇけどよ。こういう時は別のことして頭をいっぱいにしちまった方が気が楽だぜ。アタシみたいに簡単に捨てられるならいいんだけど、ジャネットはそういうの苦手だろ?」

「それで私をデートに誘ってるの?」

「おうよ! めっちゃオシャレして、全力で楽しむんだ。アタシにしてはいい案だろ?」

「……かもね」

 ジャネットはアレットの気遣いに感謝してデートすることに決めた。アレットはジャネットが落ち込んでいたりすると、いつも一番に気付いてデートしにいくのだ。

「じゃあ着替えて来いよ。アタシもデート用の服に着替えるぜ」

「……うん」

 言うとジャネットが着替えに行く。その後ろ姿を眺めながら、アレットはこれからどうやってジャネットの心をほぐそうかと考えている最中だった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 街へ出た二人が向かった先は一般街の中心地、もっとも多くの人が行き交う商店街の中にある大きなデパートだ。六角形のデザイナーズビルで、建物内部には吹き抜けになっている真ん中に噴水が設置されている。

 笑顔の買い物客がすれ違う中、ジャネットは憂鬱そうな顔でアレットの横に立つ。

「いやぁ、考えてみればジャネットとデートするの久しぶりだよな」

「……そだね」

 テンション高めのアレットに比べてジャネットは元気がなさそうな声で返事をする。

「なぁ、まだ元気でねぇのかよ?」

「うん……」

「ほんっと、ここまで引きずるなんて珍しいよな」

「うん……」

 だめだ、意識が別の方向へ持っていかれている。アレットはなんとかジャネットの思考を楽しい方へ持っていけないか策を巡らす。そして目についたのがゲームセンターだった。子供向けの機械が並ぶ場所だ。

「おいジャネット! あれやろうぜ! 対戦だよ対戦!」

「対戦……?」

 アレットは無理やりジャネットの手を引いてゲームセンターへ入ると、ゲーム機の中からホッケー台の前まで来た。昔からあるアナログゲームで、卓球のように卓上で擬似的にホッケーをするゲームだ。

「ホッケーで勝負しようぜジャネット!」

「いいよ」

 ここでデート先にゲームセンターを選択したのはいかにもアレットらしいと言えるだろう。二人とも小銭入れから硬貨を取り出すとゲーム機に入れた。すると「ホッケーバトル場にようこそ!」と軽い声が出て軽快な音が鳴りはじめる。

 アレットが満面の笑みでジャネットを見るが、まだ心ここに在らず……といった表情をしている。ゲーム機から発せられる音と気持ちに乖離がある。

 しかしアレットはめげない。

「ぼーっとしてると負けちまうぜ? そうだな、負けた方は罰ゲームありにしようぜ!」

「うん」

「じゃあ負けた方が勝った方にジュースを奢るってのはどうだ?」

「いいと思う」

 本当にそう思ってるのだろうか。それともただ適当に返事をしただけのような気もする。

「うし、じゃあ決まりな!」

 アレットも強引に事を進める。いや、ここは強引に進めて正解だろう。

 さっそくゲームがスタートする。最初にゲーム機が円盤をアレットの方へと飛び出させた。待ってました言わんばかりにアレットは円盤を思いっきり弾く。

「うらっ!」

 カッといい音がなって円盤がジャネットのゴールへと突き進む。しかしどれほど意識が遠くにあろうと、ジャネットは防衛することを忘れていなかった。

「……!」

 無言ながらもジャネットはゴールを防衛するために円盤を弾き返した。ぼーっとしているから簡単にゴールを狙えると思ったアレットだったが、何だかんだゲームは楽しもうとしてくれるジャネットに嬉しくなる。

 だが、それと勝負は別だ。

「そら!」

 ジャネットが返した円盤をアレットが力強く再び返す。

「……っ!」

 またジャネットが返す。二人の攻防によって円盤のスピードが上がっている。

「おら!」

 だが三回目のラリーでアレットが弾き返した円盤がジャネットのゴールに入った。

 “ゴール!!!!!!”

 ゲーム機が録音された歓声を盛大に流す。そしてアレットも全力でガッツポーズをした。

「いよっし! へへ、上の空でアタシに勝てると思ってんのか?」

「くっ!」

 ここでジャネットの瞳に光が宿ったのをアレットは見逃さない。

 ゲーム機が次の円盤を今度はジャネットの方へ飛ばしてきた。それをジャネットが返すが、アレットがホッケー台真ん中のネット付近で円盤を速攻で返し、ジャネットは点を入れられてしまった。

「まだ目が覚めてないようだぜ、お嬢ちゃん」

「む……」

 アレットの挑発にジャネットが頰を膨らませた。だんだんとジャネットに熱が入ってきたようだ。

 再びゲーム機がジャネットの方に円盤を出す──すると、すぐさまジャネットが円盤をはじいた!

「うおっ!?」

 流石にそれは予想していなかったアレットは急いでゴールを死守しようとするが──

 “ゴール!!!!!!”

 ドンチャンドンチャンと勝利を祝う音楽が鳴り響くなか、ジャネットはアレットを見た。

「ふ──」

「ドヤ顔しやがってアイツ……!」

 口調では悔しがりながらも、アレットは内心嬉しかった。やっと普段のジャネットに戻ってきたからだ。

「お返し──だ!」

 アレットの方に出された円盤を、先程ジャネットがしたのと同じように即座に返した。しかしジャネットはそれを予測していたのだろう。余裕を持って円盤を返した。

「なにおう!」

 カッ!

「ふ──」

 カッ!

 二人は激しい攻防戦を繰り広げはじめる。そして円盤はジャネットのゴールへと吸い込まれてるように入った。

 “ゴール!!!!!!”

「ふふ──」

 今度はアレットがドヤ顔をした。

 こうして二人はその後も手に汗握る戦いを続けたのだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 一度勝負に熱が入った二人は止まらなかった。結果的にホッケーで勝利したのはアレットだったが、再戦を要求したジャネットが別のゲームで勝利したのだ。そうやってお互いに勝っては負けてを繰り返した後に疲れてベンチに座ったところで一旦落ち着いたようだ。

 アレットはジャネットがホッと一息ついたのを確認して話しかけた。

「少しは気持ちを紛らわせることができたか?」

「……うん、ありがとうアレット」

「いいっていいって。アタシはガサツだからさ、こうやるしか他に方法を知らねぇんだ」

「それがアレットのいいところだと思う」

「でも、そのわりにはまだ浮かない顔をしてるよな」

「……やっぱりわかる?」

「そりゃな」

 当然でもあった。アレットはジャネットの悩みの根本に対処したわけではなく、彼女の精神面のケアをしただけだから。

「今朝の事といい、やっぱりハルの事だよな?」

「うん」

「破壊してよかったのか……ってか?」

「破壊する以外の方法でニィナを救う方法はなかったのかなって、ずっと思ってる」

「そうだな……」

 アレットはずっと思っていることを話すことにした。

「方法はいくらでもあっただろ。でも、アタシたちの選択が間違っているとは思わねぇ」

「え?」

「人は痛みを伴うことで初めて学ぶ生き物だろ。特にアタシみたいな馬鹿は痛いとわかるまで止まれねぇ方がほとんどだしな。これ以上踏み出せば危険だってわかるのは、過去に似たような経験を積んでる事が前提だろ。まあある程度は予想できんだろうけど」

「じゃあ、ニィナはこれ以上アンドロイドに深入りすると危険だって気付けなかったって事?」

「さあな」

「へ?」

「アタシはアタシ以外の人の気持ちなんてわからねぇし、想像もできねぇ馬鹿だ。だからニィナがどんな気持ちでハルと付き合ってたのか知らねぇ」

 アレットがジャネットの方を向いてニカッと笑った。

「ならよ、アタシ達のやった事は正しかったんだって思うしかねぇだろ。相手の気持ちなんてわからなくても、アタシ達は正しいと思ったことをやる。そうしてお互いに正しい事をし合って今の世の中がある。だから胸を張って進めばいいんじゃねぇ?」

「……驚いた。アレットからそんな言葉が聞けるなんて」

「実は、半分はフラヴィの受け売りだったりする」

「ふふ、だと思った」

 二人はお互いの顔を見合わせて笑いあった。

「ありがとうアレット。まだ完全に納得しきれたわけじゃないけど、なんか体が軽くなった気がする」

「礼なんていらねぇよ。アタシはただジャネットとデートがしたかっただけだからよ」

 照れ隠しかアレットがジャネットの肩を小突いた。


 ──その時だった。


「キャー!!」

 女性の悲鳴と共に一発の銃声が轟いた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


 時は少し遡り、ジャネットとアレットがホッケーで勝負をしている最中。

 フラヴィ・アンドロイド相談事務所はとても静かだった。聞こえてくる音といえばフラヴィがキーボードを叩く音くらいで、あとは時計が時を刻む音がするくらいだ。

 だがフラヴィの視線はときどきモニターから外れ、ミレイユの背中へ向けられる。

 ミレイユはフラヴィに背を向ける形でソファに座ったまま微動だにしない。ジャネットとアレットが出かけたときからずっとだ。

 ミレイユの背中だけ見つめるフラヴィは彼女の気持ちを推しはかる事ができない。あるいは、彼女がアンドロイドではなく人間であれば、多少はかける言葉が見つかっただろうか。

 この絶妙に心地悪い空気が事務室を支配してそれなりの時間が経過している。なんとかした方がいいのだろうかとフラヴィは考えながらズズズとコーヒーを啜ると、カップの中身が空になったことに気づく。

「ミレイユ。コーヒーのおかわりをくれないか?」

「……」

 彼女から反応が返ってこない。聞こえていないのだろうか。

「ミレイユ!」

「は、はい!? 何ですかフラヴィさん!」

「コーヒーのおかわりが欲しいんだが……」

「あ、おかわりですね。すぐ用意します」

 彼女はすたっと立ち上がるとキッチンへ向かった。

 ミレイユの反応。あれはまるで物思いに耽ていた人間のようだった。アンドロイドが物思いに耽るのだろうか? それもと耽ているように演技をしているのか。

 フラヴィは常々ミレイユの出来栄えに驚いていた。ミレイユをアンドリューに見せてから判明した、彼女が誰かのオリジナルアンドロイドだという事実。フラヴィは長年の経験からミレイユを製作した人物は間違いなく素人ではなくプロだと思っていた。そしてわからないのは、なぜミレイユがテロ組織・ファクトリーに狙われていたのかという事だ。それに今はミレイユを事務所に置いているとはいえ、彼女の製作者はなぜミレイユを探しにこないのか。

 実はフラヴィは製作者についてなんとなく宛があった。だが予測の範囲を抜けないため、誰がミレイユの製作者なのか言うつもりはない。

 キッチンからミレイユが戻ってきてフラヴィのカップにコーヒーを注いでくれた。

「ありがとうミレイユ」

「どういたしまして」

 彼女の顔は暗い。

「ミレイユ。さっきの事、気にしてるのか?」

「さっきというのは、私とジャネットさんの会話の事ですか?」

「それ以外に何があるんだ。ジャネットと話してからというもの、ずっと考え事をしているようじゃないか」

「……はい。ずっと考えています。でも答えが出てこないんです」

「何を考えてる?」

「私は、アンドロイドは、どうして作られたのか……という事です」

「そんなの簡単だろ。人間にとって便利だから作られたんだ」

「では人がアンドロイドに精神的依存をしてしまうのはなぜですか?」

「それは弱いからだ」

「……弱い?」

「ああ。別に私は弱い事を非難しているわけじゃない。人は弱いから集団で生活し、人間社会を形成してきたからな。だがアンドロイドはそういう人間の弱みを受け入れてしまう」

「どういう事ですか?」

 ミレイユが小首をかしげる。

「お前は人とアンドロイドの関係が特別だと思っているかもしれないが、似た構図なら今までいくらでもあった。例えばネットだ。ネットではお互いに顔もわからない人同士でコミュニケーションを成立させることが出来る。そして相手に依存しやすい傾向にもある。それはつまり、顔が見えない事で自分の本音を言いやすく、相手がそれを受け入れた時点で自分自身が認められたと感じるからだ。自身の理想の形を匿名の誰かに当てはめて依存する。それはある意味、人がアンドロイドに依存するのと似ているんだ」

「アンドロイドが、人を受け入れるからですか?」

「そうだ」

「でも私達はそうするように作られています」

「分かっている。ロボット工学三原則の第一条。人間を守る。この時点でアンドロイドは無条件で人間を守らなければならないんだ。そして守られた側の人間は、それをアンドロイドの好意だと受け取ってしまう」

「それが……人間の弱さだとおっしゃるのですね?」

「そういう事だ」

 フラヴィが淹れたてのコーヒーをすすった。ミレイユはどこか納得できない表情でフラヴィを見つめる。

「やっぱり、フラヴィさんもアンドロイドを道具だと思っているんですね」

「事実だからだ」

「私は……やっぱり人間として見てほしいと思ってしまいます」

「それは無理な相談だろうな。そもそもロボット工学三原則に縛られてるんだ。その縛りさえなければ、アンドロイドも人間のようになるかもしれないが……」

 言いながらフラヴィは何か気が付いたのか真剣な表情になる。そしてただ一点を見て固まってしまった

「フラヴィさん? どうかなさいましたか?」

「まさか……ファクトリーの目的はそれか?」


 ピンポーン


 突如鳴らされたインターホンにフラヴィとミレイユが驚く。この場所を訪ねてくる人物と言えば警備隊のリュシーか仕事の依頼人くらいだ。

 フラヴィがカメラで外の様子を見ようとした。だがモニターに映し出されたのは真っ暗な映像のみだ。明らかに、誰かが細工をしている。

 ──その瞬間、フラヴィアンドロイド相談事務所の玄関が大きな爆発によって吹き飛ばされた。


◇◆◇◆◇◆◇◆


「キャー!!」

 女性の悲鳴と同時に鳴り響いた一発の銃声。それが何を意味するか、その場にいる誰もが容易に想像できた。

 騒ぎを聞き、ジャネットとアレットが吹き抜けからビルの一階を見下ろすと、そこには武装集団が銃を構えて現れていた。

「おいジャネット。あれやべぇぞ」

「……うん」

 武装集団は逃げ惑う市民を一方的に撃ち始めた。所々から逃げろという叫び声が上がる。

 ──テロだ!

 何とかしたいと思うジャネットだが、あいにく今は武装していない。この状態でテロリストに立ち向かった所で返り討ちにあるのが関の山だ。

 悔しい思いで歯噛みしていると、テロリストが発砲を辞め拡声器を取り出した。

「我々はファクトリーである! 全員、その場から動くな! 今からアンドロイド以外の人間を全て殺す!」

 ──ファクトリーだって!?

 ジャネットとアレットは顔を見合わせた。なぜこのタイミングで彼らが虐殺行為に走ったのか。

 再びファクトリーが人々に向かって銃を撃ちはじめた。彼らの行動は統率が取れている。どこかで訓練を積んだのか、それとも……。

「ッチ! アタシたちは武器を持ってねぇぞ!」

「でもこのままじゃ虐殺よ」

「んなのわかってる! でもアイツらの動き、あれは素人じゃねぇぞ」

「確かに。もしかしたら、あいつらもアンドロイドかもしれない」

 ファクトリーはアンドロイドを利用しテロ活動をしていた。故に、アンドロイドに戦闘に特化したプログラムを実装すれば、さながら軍人のような動きが可能となる。

 壊し屋の二人にとって、今目の前で起こっている事件を見過ごすことは出来ない。だがこちらも武装しなければ戦っても返り討ちにされる可能性が高い。

 止まない悲鳴に反比例しバタバタと倒れていく人。ジャネット達が考える間に死体が次々と増えていく。

「……っち!」

「あ、ジャネット!」

 我慢できなくなったジャネットが駆ける。行く先はテロ組織・ファクトリーたちの元だ。

 アレットは感情的になって行動したジャネットの後を追いかける。

 通路から逃げ惑う人々がすれ違う。その人物を追いかけてファクトリーの内の一人が現れた。ジャネットはその人物が銃を構える前に一気に距離を詰めた。

「な、なんだお前!」

 まさか一般人が襲いかかってくるとは想定していなかったのだろう。しかしジャネットは一般人ではなく訓練されたアンドロイド専門の壊し屋だ。

 ジャネットは驚く男の手首を掴むと捻って武器を使えなくさせようとした。しかしありえない方向に手首が曲がっても男は苦痛の声すらあげない。

「やっぱりアンドロイドか!」

「離せ!」

 男がジャネットを振り払おうとするがそう簡単にはさせない。ジャネットは男に足払いをするとそのまま床へと叩きつけた。その反動でサブマシンガンが床に転がる。

 あとから追いかけてきたアレットがサブマシンガンを拾うと男の向けて照準を合わせる。

「どうするジャネット」

「壊す」

「落ち着け。ここでアタシが引き金を引いたら、奴らと一戦交えることになるぞ」

「ならそれでいい!」

「お前──」

 アレットが何か言う前にジャネットがサブマシンガンを奪うと倒れた男に向かって引き金を引いた。

 マシンガンの掃射が男の全身を貫き、アンドロイドは動かなくなった。

「これで武器も手に入れたし、戦う事ができる。そうでしょ?」

「らしくねぇな。感情で行動を起こすなんてよ」

「アレットこそらしくないよ。落ち着きすぎ」

「そうか?」

 なんて言いつつも、確かに今のアレットは落ち着いていた。こういう時、いの一番に行動するのはアレットで、それを制御するのがジャネットの役割のはずだった。しかし立場が逆転したことでアレットも驚いて反応が遅れているだけかもしれない。

 通路の奥から別のファクトリーが現れた。ジャネットとアレットは左右の柱に隠れ、そのあとすぐに弾が飛んでくる。

「アレット! 敵の数は何人なの!?」

「知るかよ! でも少なくとも三人はいたぞ!」

「三人くらいなら私だけでも行ける!」

 柱に隠れつつジャネットもマシンガンを撃ち返す。

「なんだ奴ら、撃ち返してきたぞ!」

「仲間が一人やられてる。きっと武器を奪ったんだ!」

「くそっ!」

 ジャネット達と戦うのは三人。彼らは仲間の敵討ちと言わんばかりにマシンガンを撃ってくる。柱の角が何度も弾に当たって削れていくなか、アレットがジャネットに声をかける。

「ジャネット! アタシも武器がなきゃ話にならねぇ! ここは任せていいか!?」

「どこにいく気なの!?」

「へっ、アタシも武器を拾いに行くんだよ」

 アレットが指差した方は非常階段がある。アレットはそこから下の階に降りて、バラバラに行動しているファクトリーの一人を襲う気だ。

「戦う気になった?」

「ここまで来たらやるしかねぇだろ。なら全力で闘うまでだ」

「わかった。ここは私で食い止めるから行って!」

「おうよ!」

 激しい銃撃戦が繰り広げられているが、アレットはちょっとした隙を狙って柱から飛び出し、一気に非常階段の場所まで走り抜けた。

「一人逃げたぞ!」

 敵が声高々にメンバーへ情報を伝える。

「逃げたんじゃねぇっつうの!」

 などと悪態をつきながらアレットは非常階段を降りていった。

 アレットなら大丈夫だろう。そう思ったジャネットは目の前の敵に集中する。

 アンドロイドでありながら堂々と人殺しができる。まるで、かつてジャネットが慕っていたアンドロイドのようだ。

「この……くそどもめ」

 残弾を気にしながらジャネットは敵に撃ち返す。三人のうち一人の頭に弾が当たった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


 爆風と共に煙によって視界が遮られる。

 突然の出来事だがフラヴィはまず机の下へミレイユと一緒に隠れてやり過ごした。一体誰が何のために攻撃してきたのか不明だが、事務所が襲撃されているのは事実である。

「怪我はないか、ミレイユ」

「私なんかよりフラヴィさんのほうが。頭から血が!」

「多分破片が当たったんだろう。問題ない。頭には血が集まってるから、ちいさなかすり傷でも血が出る事は珍しくない」

 フラヴィは机の下に予め隠していたピストルを取ると残弾を確認する。それほど多くはないが、護身用なら十分だ。

 やがて、声が聞こえてきた。

「失礼しまーす。派手なノックでごめんなさいね。ここはフラヴィ・アンドロイド相談事務所で合ってますー?」

 爆発とともに聞こえてきたのは場にそぐわない若い女の声だ。しかしフラヴィは違和感を感じていた。彼女の声はどこかで聞いた事がある。

「……返事してくれないのね。まあ別にいいけど。フラヴィさん居ます? こちらでずっとお預かりしてた物を引き取りにきたんだけど」

「残念ながらウチは郵便屋じゃないんだ。誰かから物を預かったことはないぞ」

「お、やっぱいるじゃん。とぼけたって無駄だよ。ここに預かり物があることは知ってるんだから」

「ウチに何を預けてるっていうんだ」

「アンドロイドだよ。ミレイユって言うんだけど」

 その返答でフラヴィは敵の正体に気づく。まさかファクトリーが堂々と事務所に攻撃を仕掛けてくるとは。しかし事務所の場所を一体どうやって把握したのか。

「黙るって事は、そこにミレイユも居るって事でOK? じゃあ返してもらうね」

「ミレイユなんて知らないぞ」

「とぼけても無駄だって言ってんじゃん」

 ババババ!

 マシンガンを適当に撃って牽制してくる。

「フラヴィさん。おそらくあの人はフロランスさんです」

「なに、フロランスだと!? そんなはずは……」

 そこまで言ってフラヴィは閃く。そもそも肉体という縛りがある人間とは違い、アンドロイドはデータさえあればいくらでも複製が可能である。予め素体さえ用意しておけば、データから同じ性能のアンドロイドを二体作り出すことも可能なのだ。つまりフラヴィ・アンドロイド相談事務所を襲ったフロランスと、ジャネット達が破壊したフロランスは、中身は同じでも体は複製された予備の物である可能性が高い。

 アンドロイドの研究開発を行なっていた自分が、その可能性を考慮しないとはとんだ失態だとフラヴィは歯噛みする。

「お前、フロランスか!」

「おお、よくわかったね。確かフラヴィさんとは初対面だったはずだけど」

 いきなりフラヴィは机から身を出すとピストルをフロランスに向けて撃った。

「わっと!」

 フロランスはとっさにしゃがんで弾を回避すると、銃身だけ物陰から出して撃ち返してきた。同じようにフラヴィが隠れる事でやり過ごす。

「ねえ驚いた? 私は確かにジャネット達に殺されたはずだって。でもファクトリーを舐めちゃだめだよぉ? 特にルーファス様をね。あの人はアンドロイドに関しては天才だもの」

「ルーファスだって?」

「あ、やべ。今の忘れて! あーでもこれから死ぬんだから、関係ないか」

 軽い口調でフロランスが何かを投げてくる。深緑色の物体はグレネードだ。

「フラヴィさん!」

 投擲物に先に気づいたミレイユがフラヴィを庇うように床に伏せた。と、同時にグレネードが爆発する。

 爆風ともに机ごと二人は吹き飛ばされてしまった。

 爆発が止むとミレイユが目を開けてフラヴィを見る。

「……フラヴィさん?」

 ミレイユがとっさにフラヴィの顔を見る。しかし彼女から返事はない。

 すぐにミレイユがフラヴィの身体全体を見るが彼女に外傷がないことを確認して安堵する。フラヴィはグレネードの爆発で頭を打ったのか、気絶しているだけだ。

 しかし安堵するのもつかの間、ミレイユは背後に人影を察知して振り向いた。

 そこには、ピンク色のツインテールを揺らしながら、不敵に微笑む女の姿があった。間違いなくフロランスだ。フロランスはジャネット達と対峙した時と同じように日傘を持っている。もちろん、内部にマシンガンが搭載されているフロランス護身用武器だ。

「お久しぶりミレイユちゃん。迎えにきたわよ……って、あらあら酷い姿じゃない」

 フロランスに言われなくともミレイユは気づいている。グレネードの爆発によってミレイユは両足を損傷してしまったのだ。人工皮膚がなくなり、内部が露出するほどに破壊されてしまった。これではまともに歩行する事はできない。

「ま、いっか。傷つけるなって言われてないし、多分頭さえあれば大丈夫でしょ」

「……フロランスさん。なぜあなたは私を連れ去ろうとするんですか?」

「我々ファクトリーの崇高な目的を叶えるためよ」

 フロランスはミレイユの体を抱きかかえると背中に背負い込んだ。ミレイユは多少の抵抗をしてみせるがフロランスは全く動じない。

「さて、ではフラヴィさんにはあの世に行ってもらいますか」

 フロランスが日傘の先端をフラヴィに向けた時だった。

「待って! フラヴィさんを殺さないで!」

「待たないし、フラヴィは殺す」

「もしフラヴィさんを殺したら、私は自壊します」

「嘘言わないの。自壊する機能なんてないでしょ」

「いいえ、フラヴィさんがもしものためにと私に搭載してくれました。後からいくらでも装置を取り付ける事ができるのがアンドロイドの良いところです。フロランスさんも知っているでしょう」

 もちろんハッタリだ。フラヴィがそのような機能をミレイユに取り付けるわけがない。だがファクトリーにとってミレイユは必ず手に入れたいのだろう。だからこそ、自身を交渉の材料に使えるとミレイユは即座に判断したのだ。

「……本当に死ぬつもりなの?」

「はい。ですがフラヴィさんを殺さないなら、私は抵抗しません」

「……わかったわ。全く、案外強い子なのね」

 フロランスは銃口を降ろすとミレイユを背負い直した。

「じゃあ行くよ。もし少しでも抵抗したら、頭だけにするからね」

「私をどこに連れて行くんですか?」

「ファクトリーの本拠地よ」

 フロランスはミレイユを連れて事務所から出て行った。フラヴィはまだ気絶したままだった。

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