Ⅴ
フロランス捕獲作戦から一週間が経過した。ミレイユをフラヴィ・アンドロイド相談事務所で預かってからというもの、フラヴィは早速ミレイユのメモリー解析を毎日のように行っていた。かつて政府塔の研究部門に在籍していたこともあり、フラヴィはアンドロイドのメモリー解析に自信を持っている。しかし──
「ダメだ! わからん!」
フラヴィがグダッと椅子の上で脱力する。傍には端末とケーブルで繋がれたミレイユが困り顔で座っている。
「なんなんだこれは! セキュリティが厳重過ぎてまったく突破口が見つけられない!」
力なくうなだれるフラヴィの元にジャネットがやってくる。
「そんなに難しいの?」
「難しいなんてもんじゃない! もうお手上げだ!」
言葉通りフラヴィが両手をあげる。
「一体誰がこんな厳重なセキュリティを仕込んだんだ……くそっ」
悔しがるフラヴィをよそにアレットがミレイユに繋がれたケーブルを持ち上げて口を開く。
「とりあえずコレ、さっさと外しちまえよ。そもそも活動中のアンドロイドの中身を覗くのは危ねぇんだろ?」
もし活動中のアンドロイドのメモリーが書き換えられてしまえば行動に支障が出る。アレットが言う危ないとはその事を指している。
「ああ、ちょっと待て──よし、もう抜いていいぞ」
フラヴィが何か作業してから合図出すと、それを聞いたアレットがケーブルを抜く。すると──
「んっ」
とミレイユが反応した。
その反応を聞き逃さなかったアレットが興味津々といった風にミレイユに質問する。
「え、コレ抜くと気持ちいいのか?」
「き、気持ちいいとかではないけど……」
「ヤベェぞジャネット! ミレイユは結構エロ──いって!」
一人で盛り上がっているアレットの頭をジャネットが全力で引っ叩いた。
「やめなさい」
「いてて……。悪かったよ、つい調子乗っちまった」
当の本人であるミレイユは何の事かさっぱりわかっていないようだ。まあ、なぜアレットのテンションが上がったのか説明するわけにもいかないため、このままはぐらかそうと思うジャネットだった。
ひとまずケーブルやら色々な物を片付けた後、何か思いついたようにフラヴィが口を開いた。
「ジャネット、アレット。今日は暇だよな?」
「なんだよ藪から棒に」
「ミレイユを連れてとある店に行ってくれ。馴染みのアンドロイド整備士が経営している個人店があるんだ」
「アンドロイド整備士?」
今度はジャネットが反応する。
「ああ。アンドロイド整備士の名前はアンドリュー。いわゆるアンドロイドオタクなんだが、そいつならミレイユの事が何かわかるかもしれない」
「どういう事?」
「ミレイユのデータに何もアクセスできなかったせいで、彼女がいつ製造されたのかすらわからないんだ。当然だがアンドロイドの研究開発は日々進歩している。時代によってアンドロイドは複数の型に分かれているから、ミレイユがどの型に該当するのか知りたい」
「それがわかれば、ミレイユのメモリーにアクセスする事ができるの?」
「まあ確証があるわけじゃない。だが何も情報がない現状よりよっぽどマシってくらいだな。行ってくれるか?」
断る理由もないジャネット達は別にどちらでも構わないといった風だ。だがミレイユだけは違う。
「いいんですか? お仕事のお手伝いができなくなりますけど」
「別にいいさ。今すぐ必要な作業はないし、仕事と言っても対したものはない。行ってこいよ」
パッとミレイユの表情が明るくなる。
この一週間、ミレイユはすっかり事務所の雰囲気に馴染んでいた。最初は警戒していたジャネットとフラヴィだったが、ミレイユの気の利いた配慮によってすっかりほだされてしまったのわけだ。
例えばこんなシーンがある。
ある昼下がりの時だ。仕事がない日は一日中事務所で惰眠をむさぼるジャネットが昼寝から目を覚ますと、そこにはミレイユがいてこう言った。
「おはようございますジャネットさん。緑茶、できてますよ?」
──天使だ。
ジャネットはこう思った。
彼女は熱い緑茶が好きというなかなか渋い好みを持っている。いつも昼寝から覚めると、自分でお湯を沸かしに行き緑茶を淹れていたのだ。だが寝起きに緑茶を作るのが面倒でたまらないと思っていたのも事実である。
そんな時、ミレイユが完璧な緑茶をジャネットの寝起きに合わせて作ってくれたのだ。これだけでジャネットは落ちた。
ミレイユはジャネットが昼寝する時間を計算し、どのタイミングで最も出来が良い緑茶を提供する事ができるか逆計算をしたのだ。
基本的に自分のことは自分でやるフラヴィ達では互いにこういう気遣いはない。だからだろうか、余計ミレイユの便利さに甘えるようになってしまったのだ。
もちろん、気配りはアンドロイドの専売特許だ。彼らの行動は主人を中心に回るように設計されている。ミレイユも例に漏れず、主人のために行動するアンドロイドとして完璧だったというわけだ。
こうしたちょっとした気配りの一面が重なることでジャネットはあっという間に懐柔されて、フラヴィも似たような理由でミレイユを受け入れるようになった。そうしてミレイユは瞬く間に事務所に溶け込んでいったのだ。
しかしミレイユにはまだ許可されていない事があった。それが外出である。
とはいえフラヴィが外出禁止と宣言したわけではない。ただ外へ行く機会がなかっただけの話だ。だがミレイユは外へ行く事を禁止されていると思っていたのだろう。まだ完全に信用されているわけではないから当然のことだと。
話を戻そう。
嬉しそうにしているミレイユの元にアレットがやってきて彼女の肩を抱き寄せる。
「そうと決まれば早速出かける準備をすっぞ! ジャネットもさっさと支度しろよ!」
目的が何であれ皆で外出するのはなぜか楽しい気分になる事はないだろうか。そういう人は、もちろん個人差はあるだろうが、出かける目的より出かけるというイベントそのものを楽しむ人だろうと思う。普段は事務所に引きこもっているジャネットも今日ぐらいは出かけてもいいかな、なんて気分になっているくらいだ。
アレットの号令から数分後、各々が外出の準備を終えて事務所の出口に集合した。
青いジーパンに黒いパーカーというとてもラフな格好のジャネット。真っ赤なトレンチコートを羽織ったアレット。白いワンピースの上にアレットのお古である黒いコートを着たミレイユ。ジャネットとアレットは普段から仕事がオフの日はこんな格好だが、ミレイユは今回が初の外出であるため、まだ彼女用の服がないことに気づく。
「アンドリューとかいう奴の店に行く前に、まず服を買いに行くかミレイユ」
「え、いいの? お姉ちゃん」
「ああもちろんさ! アタシの奢りにするぜ!」
「やったー!」
もちろん、アンドロイドに寒暖の差など関係ない。たとえ冬にミレイユが袖だしのワンピース一枚で出歩いても寒くはないだろう。だがそんなことはアレットにとってどうでもよかった。要は見た目の問題である。アンドロイドだからどうとか、そのような考えをアレットはミレイユに対してだけは忘れているようだ。
そんな二人のやりとりを余所にジャネットはフラヴィに呼ばれていた。
「なにフラヴィ?」
「お前の端末にアンドリューの店の位置情報を送っておいた。あとアンドリューには私からお前たちが店に行くことを伝えてある。とりあえず店の場所は後で確認しておけ」
「いいけど、どうして私?」
「お前に任せる方が安心するからだ」
言いながらフラヴィの視線の先をジャネットも見る。そこにはわーいとピョンピョン飛び跳ねているミレイユと一緒になってピョンピョン飛び跳ねているアレットの姿があった。まあフラヴィもアレットを信用していないわけではないが、普段落ち着いているジャネットに任せたほうが安心するという意見は納得だ。例えるならジャネットはクラスで委員長に勝手に推薦されたり、グループのリーダーをやらされたり、そんな貧乏くじを引く役目なのだろう。
アレットとミレイユがジャネットの方を向くと眩しいほどの笑顔でこう言った。
「行こうぜジャネット!」
「行きましょうジャネットさん!」
二人揃ってジャネットを手招きする姿は本当の姉妹のようだ。
「いま行く」
ジャネットが三人に合流してから、それぞれが事務所のセキュリティドアを通って外へ出ていった。
一週間ぶりに外へ出たジャネットはうーんと背伸びをして深く息を吐く。後からアレットが出てきて、続けてミレイユが現れる。そしてミレイユはそのまま辺りを見渡してこう呟いた。
「誰もいないんですね」
ミレイユの言う通り事務所の周辺に人通りは全くない。というのも当然で、なぜならフラヴィがそういう場所を選んだからだ。
フラヴィ・アンドロイド相談事務所は居住地ファーストの中でも一般街と貧困街の境にある。普通、一般街の住民は治安の悪い貧困街に近づこうとしない。フラヴィの事務所も表立って営業できるわけではないため人気が少ない場所の方が都合がいいのだ。
あちこち行き交う人々の姿を想像したであろうミレイユにとっては拍子抜けの光景だったかもしれない。
「そのアンドリューの店ってのはどこにあるんだ?」
「一般街の中心だね。にしても、そこは政府に認可されている正式なお店なのかな。じゃなきゃ一般街に店を出すなんて無理だし」
腕輪を前にだすジャネット。その端末から周辺地図がホログラムとして表示され、現在地から目的地までの経路が青く表示されている。アレットとミレイユがその地図を横から覗き込む。
「意外と近いんですね。ここからだと約三十分ほどでしょうか?」
「うん。どうするの? 先にミレイユの服を買いに行く?」
「もちろん! ミレイユもそれがいいよな?」
「いいんですかジャネットさん。やはり、先にアンドリューさんのお店に行った方が……」
「いいっていいって、別に今日中に行けばいいんだから! ていうか、アタシがミレイユの服を選びたい!」
「でも……」
なぜか申し訳なさそうにジャネットを見るミレイユは上目遣いだ。もしそれを狙っていやっているならなかなかの女優っぷりだが、ジャネットは元から拒否するつもりはない。
「いいよ。行こうミレイユ」
ミレイユの表情がまた晴れる。
こんな表情をアンドロイドがするんだなと、ジャネットは冷静になって思った。アレットではないが、まるで妹ができたような、そんな気持ちにさせてくれる。この子が喜ぶことをしてあげたいと自然と考えてしまうのだ。
──私は何を考えているんだ。相手はアンドロイドだ。
ジャネットが幼い頃の記憶を思い出す。まだそれは、ジャネットがアンドロイドを破壊して生きる生活とは程遠い、幸せだった頃の記憶だ。
見上げるのは母親の顔ではなくアンドロイドの顔。幼子の面倒を見るために購入されたアンドロイドは、ジャネットにとっては二人目の母親だ。その印象をジャネットは今でもはっきり覚えている。
よく一緒に遊んでくれた。一緒にテレビを見たり、外で走り回ったり、眠たい時は膝を貸してくれた。そんなアンドロイドがジャネットは好きだった。
だがそれも変わってしまった。ある事件をきっかけにして。
「──っ」
とっさにジャネットがミレイユから顔を逸らす。
「ジャネットさん? どうしたんですか?」
「……なんでもない。行くよ二人とも」
ジャネットの人生が転落する理由となった事件を思い出そうとするたびに、ジャネットは頭がズキズキと痛くなる。永遠に心の引き出しの奥深くにしまうか、できることならドブの中にでも捨てたい記憶だ。だから頭痛がするのは、自分で忌々しい記憶を探りださないようにするための危険信号なのだ。これ以上深掘りすれば、またあの時のように苦しくなるぞと。
突然冷たい態度を取ったジャネットの後ろ姿をミレイユが不思議そうに見つめる中、アレットは真剣な表情で眺めていた。
移動を開始した三人はどんどん一般街の方へ足を進めて行く。だんだんと人通りが多くなってきたせいか、ミレイユがそわそわし始める。
「服を買うんだったら大通りに出た方がいいんじゃない?」
「お、そうだな。そっち行くか」
ジャネット達は大通りへ出た。その瞬間、ミレイユの瞳が輝いた。
大通りは居住地で最も人通りの多い道だ。お洒落な店が立ち並び、老若男女様々な人々が行き交い、彼らに声をかける店のアンドロイド達がいる。
年をとった老夫婦、若いカップル、複数の子供を連れた家族や音楽を聴きながら歩いている人など、本当に多種多様な人々がいる。特徴的なのは、その誰もが幸福そうだということか。
皆が皆楽しそうに歩いているのだ。このような光景を実現させる事が出来たのも、アンドロイドの開発が多大な影響を与えたからだ。
ジャネット達が住むヴォレヴィルでは働いている人はほとんどいない。仕事は全てアンドロイドに任せ、人々はアンドロイドの稼ぎで生活をしている。
なぜ人の働き手が減りアンドロイドが代わりに仕事をするようになったのか。その理由は単純明快で、アンドロイドはヒューマンエラーを起こさないからだ。
肉体労働でも事務作業でも、仕事に人が関われば必ずミスが生じるがそれは仕方のない事だ。だからこそ人はミスを減らすために様々な工夫を凝らしてきた。しかしアンドロイドが対応すれば人為的なミスはなくなる。ならば労働は全てアンドロイドに任せた方が良いという流れになるのは必然であったのだ。
人が働けなくなれば稼ぐ事ができなくなる。そう考える人も多いだろうが政府は対策を取った。アンドロイドが働くようになってから、ヴォレヴィルでは企業がアンドロイドを借りて仕事をさせるようになったのだ。
簡単に言えば、個人が所有しているアンドロイドを働きに出させ、企業がアンドロイドを雇用するという構図だ。これが常習化したことにより、人は働く必要がなくなった。
では仕事がなくなった人が何をしているのかといえば、まあ生き方は人それぞれだから自由になったといえばいいだろう。夢を追い続けるもよし、毎日遊んで暮らしても良し、新しく事業を立ち上げるもよし。今ミレイユが見ている人達はみな、仕事をする必要のなくなった、自由になった人々である。
「凄い、こんなに大勢の人がいるなんて」
「そうか? 別に驚くような光景でもないんだけどなぁ」
アレットの気の抜けた返事にもミレイユはお構いなしで辺りを見渡している。
その内、ミレイユが一体のアンドロイドに話しかけられた。男性型のアンドロイドだ。
「こんにちはお嬢さん。甘いものはお好きかい?」
「好きか嫌いかで言われたらよくわからないわウィリアムさん。私もあなたと同じアンドロイドですもの」
「なんとそうでしたか。あなたは新しいタイプのアンドロイドなのでしょうか? 人間そっくりに見えて驚きましたよ。最近のアンドロイドは技術の進歩が目まぐるしいですね。……それにしても、どうして私の名前を?」
「ほら行くぞミレイユ。おーいジャネット! 置いてくなよー」
アンドロイドとの会話をアレットが強引に引き離した。ジャネットは二人を無視してズンズン進んでいってしまう。
ウィリアムという名前のアンドロイドに手を振ったミレイユがアレットに連れられて大通りを歩く。姉妹のように仲良さそうに。
その後、三人はよさげな服屋を見つけそこでミレイユの服を購入した。購入までの流れは割愛する。若い女性が幼い娘の着せ替えを楽しんでいる光景を思い浮かべてもらえればいいだろう。ミレイユが買ってもらったのは彼女にピッタリなワンピースと上に羽織るためのカーディガンだった。女の子らしい、ピンク色のカーディガンだ。
「いいじゃねぇかミレイユ。な、ジャネット!」
「うん。いいんじゃない?」
「おいおい何だよつまらない感想だなー。どうでもいいですって言ってるみたいだぞ」
事実、どうでもいい事には変わりないのだろう。だがそんな言葉を口にするほどジャネットも空気が読めないわけじゃない。
「私がどんな言葉で着飾っても仕方ないでしょ。だってアレットが選んだんだから。似合ってないわけがないし」
「お、おう。そりゃどうも? ……なんだよ照れるじゃねぇか」
「ありがとうございます、ジャネットさん」
アレットは言いくるめられた事に気付いていない。
三人は会計を済ませると本来の目的に戻ることにした。
再び大通りを進み始めた三人。
「そういえば、アンドロイド整備士ってどんな仕事なんだ?」
アレットが質問をする。
「アンドロイド整備士はアンドロイドを整備する仕事をしている」
「いや、それじゃあ言葉通りじゃねぇか。アタシが聞きたいのは、具体的な仕事の内容だって」
「アンドロイドの故障修理を主に担当しているんじゃなかったっけ。劣化したアンドロイドの内部部品を交換したり、必要なら素体ごとアンドロイドのパーツを交換したりとか」
「ふーん。だからアンドリューにミレイユを見せれば、ミレイユの型番やらがわかるってことか。でもそれがメモリに接続するのに必要な情報なのか?」
「そこらへんは分からないよ。でもフラヴィには何か考えがあるんでしょ」
「まあ、そうだろうけどよ」
「あ、その道を右です」
ミレイユの発言に二人が驚きの視線を向けた。
「なんでわかるの?」
「事務所を出た時に見せていただいたマップの情報を記憶しました」
「へぇそんな事できるのか。すげぇな」
「えっへん」
便利なものである。自ら考え行動する機械というのは、必要な情報を必要なタイミングで提示してくれるのだ。これならジャネットがいちいち端末を起動して経路を確認する必要もないだろう。
その後もミレイユのナビゲーションに従って歩みを進めた先に、ついに目的のアンドリューの店へ到着した。
「ここが例の店ね」
アンドリューの店は一般街の中心にある店にしては随分と古ぼけていた。錆びついた看板に手入れのされていない窓。普通、店の掃除もアンドロイドが行うため綺麗な建物が多いが、アンドリューの店は全く手入れされてないようである。
「なんか……大丈夫なんか? この店」
もし自分がアンドロイドを所有していたとしても、この店に整備を頼むのは気が引けるだろう。そうジャネットは思った。
「いつまでも店の前にいたって仕方ないし入るよ」
先行してジャネットが店へ入る。チリンチリンと鈴の音が鳴り、店内の様子が明るみになる。
店の外見もさることながら、店内も散らかり放題だ。壁や棚には各年代ごとに開発されたアンドロイドのパーツが並べられ、床にはドライバーやらネジやらが散乱している。これが本当に店なのかと疑いたくなるような光景にジャネットとアレットは若干引いている。対照的にミレイユは興味深そうにアンドロイドのパーツを眺めたりしていた。
店に人気がない。店番すらいないのではないだろうかと疑いたくなるほどに。
「おーいアンドリューさん? いねーのか?」
大きな声で店全体にアレットの声が響くが、それでも返答がない。
「もしかして不在?」
「んなわけあるかよ。なら店を閉めるくらいの事はするだろ」
「それもそっか」
「おい店主! いるんだろ出て来いって! 客だぞ!」
客である事を誇張する客こそ本当の迷惑だが、今はアレットに任せようとジャネットは思う。
三人がずんずんと店の奥まで進んでいくと、カウンター席の向こう側で大柄な男が精密機械を手に何かをいじっている光景を目の当たりにした。その大男に向かってアレットが臆せず質問を投げる。
「おいあんた! アンドリューってやつはいるか? そいつに用があってきたんだが」
しかし大男はアレットを無視して作業に没頭している。無視されたことに腹を立てたアレットが乱暴に席に座ると先程より大きな声で怒鳴るように再び質問をする。
「あーんーどーりゅーはーどーこーだー!!」
「うるせぇな黙れ小僧!」
「アタシは小僧じゃねぇ! 女だ!」
「ならクソガキだ! ここは子供が暇をつぶしに来る公園の砂場じゃねぇんだ! わかったら早くお家に帰りな!」
「ムカつく野郎だな……! アタシ達は客だって言ってんだろ!」
「ガキの要件なんて下らねぇおままごとと一緒だろ。俺は今忙しいんだ」
「このっ!! とことん馬鹿にしやがって──」
このままではヒートアップしそうだったためジャネットがアレットの前に出る。ここはいつも冷静なジャネットの得意分野だろう。
「連れがすみません。私達はこの店のアンドリューという方に用があってきました。見ていただきたいアンドロイドがいるんです」
「……少しは礼儀をわきまえているお嬢さんが来たようだが、すまんな。見ての通り俺は忙しくて手が離せない。もしアンタらがアンドリューの整備屋に来たのが間違いじゃないなら、また後で来な。そのときは話を聞いてやるよ」
先ほどとは打って変わって大人の対応を取った男だが返答の内容は変わっていない。
そこでミレイユがカウンターから顔を出してお願いするように言った。
「私たち、フラヴィさんの紹介で来たんです。どうか話だけでも聞いていただけませんか?」
「なんだって?」
今までこちらに顔を見せなかった男が初めてこちらに顔を向ける。
「フラヴィさんです。アンドリューさんとお知り合いだと聞きました」
「まあ知り合いって言えば知り合いだがな。アイツとはもともと同じ職場で働いてたんだ。まあそれなりに話をした事はあるが……」
「待って、もしかしてあなたがアンドリュー?」
ジャネットの質問に男が諦めたように答えた。
「そうだ。俺が、お前らがさっきから口うるさく呼んでたアンドリューさ。という事は、お前さん達がフラヴィの話してた連中か。ったく、そうならそうと早く言えってんだ」
「てめぇが話を聞かねぇからだろ?」
「悪ガキの話を真面目に聞くと思うか? ましてはそれが、ただデカくなっただけの悪ガキならなおさらだ」
「アタシはガキじゃねぇ……!」
むむむとにらみ合う二人をジャネットが嘆息と共に引き離す。これ以上は話がこじれるだけだ。
「ごめんなさいアンドリューさん。アレットの事は謝ります」
「アンタは話が分かりそうだな。名前は?」
「ジャネット。口の悪いクソガキがアレットで──」
「──おいジャネット」
「この子供がミレイユです」
「ふむ、つまりフラヴィが言ってた見てほしいアンドロイドはお前さんのことか」
そういってアンドリューがミレイユをしげしげと眺めた。その目は人を見定める目ではなく、アンドロイドを見定める目だ。彼の視線にさらされたミレイユがむずがゆそうに体をひねるが、それにもアンドリューは屈しない。第三者から見れば明らかにアンドリューの方が変質者だ。
「見ただけじゃアンドロイドだなんてわかりゃしねぇな。おい、腕章はどうした? アンドロイドは自身が機械である事を証明するために腕章を付けるのが法律だろ」
「まあ……その、色々あって」
「ほぉ? 色々ねぇ。ここだと都合が悪そうだしこっちへ来い。奥の部屋で見てやる」
「そうしてくれると助かります」
三人はアンドリューに店の奥へと案内される。ふとジャネットがアンドリューがどんな作業をしていたのか気になって机を見ると、そこには解体されたアンドロイドの腕が置いてあった。近くには作業用の小さなスコープが置いてあり、どうやら細かな作業をしているようだ。この男は見かけによらず手先が器用なのかもしれない。
アンドロイド整備が具体的にどのような仕事なのか知らなかったジャネットだが、これを見て少し複雑な感情を覚える。なぜなら彼女の仕事はアンドロイドを破壊する事だからだ。普段アンドロイドを破壊している自分が、アンドロイドを整備する者と会話をするなんて不思議なもんだと思っただろう。
アンドリューに連れられた三人はガレージを改造したかのような作業場へとやってきた。ここには活動していないアンドロイドが沢山置かれている。その全てが整備中なのか、それとも電源を入れられてなく動かないだけのアンドロイドなのかは検討もつかない。普段アンドロイドを破壊しているジャネットとアレットはこの光景を見て少し身構えてしまう。もし今ここにあるアンドロイドが一斉に動き出してジャネット達に襲い掛かったらどうなるだろうかと思ってしまうのだ。こういうのを職業病と言うのだろう。
「何もねぇ場所だが好きに座ってくれ。で、ミレイユちゃんはこっちの椅子だ」
小さな丸椅子を引っ張りだしてきたアンドリューがポンポンと座面を叩き座るように促す。ミレイユは言われた通りに丸椅子にちょこんと座った。
「なあおっさん。これからどーすんだよ?」
「おっさんと呼ぶな。老けて見えるかもしれねぇがこれでも三十代前半なんだぞ」
「マジかよ全然見えねぇよなジャネット」
「うっさい」
ジャネットがアレットの脇腹を肘で小突いてから、ジャネットが質問する。
「アンドリューさん。フラヴィが話したとは思いますけど、私たちがここへ来た理由をご存じですか?」
「知ってるよ。このアンドロイドが第何世代に作られたのか知りたいんだろ?」
「はい、そうみたいです」
「まあ手っ取り早く知るなら解体しちまうのが楽なんだが──」
解体……という言葉を聞いたミレイユの表情が引きつる。
「そんな事はしねぇ。というより、必要がねぇ。俺ほどの腕前になれば見て触るだけでアンドロイドの型くらいは簡単にわかる」
ほっとミレイユが安心する。なんだか会話の度にリアクションを挟むため見ていて飽きが来ない。
しかしアレットはアンドリューのある言葉に過敏に反応した。
「見て触るって、どこをどーやって触るんだよ?」
「隅々まで触るに決まってんだろ」
「てめぇ、ただのスケコマシ野郎かよ!」
「お前は文句ばかりだな。相手はアンドロイドだぞ? そこらで拾ってきた女の子の体を弄るわけじゃねぇんだ。アンドロイドと人間の見分けがついてねぇんじゃねぇのか?」
「そ……それはそうだけどよ」
アレットが口ごもる。
アンドリューの言う通りだった。ミレイユと出会ってからのアレットは、ところどころでミレイユを人間視しているように見える。ミレイユがアレットを姉と呼ぶせいで、アレットもミレイユの事を本当の妹だと錯覚している自分自身に気付いたのだろう。
「わかったよ……。でも変なことすんなよ」
「当たり前だろ、お前は何を勘違いしてんだ」
言い終わるとアンドリューがミレイユの正面に座った。自分の身に何が起こるか想像するミレイユが表情をこわばらせるが、アンドリューがにこっと笑顔を向けた。
「怖がることはねぇよお嬢さん。何も嫌な事はしねぇって」
「はい、アンドリューさんを信用します」
「じゃあまずは腕を出してもらっていいかい?」
アンドリューに言われた通りミレイユが両腕を前に出すと、アンドリューが割れ物を扱うように優しくミレイユの腕を取る。その繊細さにミレイユは少し驚いた。
一方アンドリューの方は真剣は顔でしばらく腕を触ったり撫でたりして、今度は足を出すように言った。ミレイユが足を背の低い机の上に置くと、アンドリューが丁寧に足を触り始める。
最初はいやらしい事を想像していたジャネット達だが、だんだんとアスリートの体をストレッチする整体師のように見えてきた。これなら変な事にはならなそうだととりあえず二人は安心した。
「……ふむ」
「あの、何かわかりましたか?」
ミレイユの質問を無視したのかそれとも聞こえていないのか、アンドリューは今度は後ろを向くように言う。
指示に従ったミレイユの背中を彼はトントンと叩いたり、手のひらを使って撫でたりする。しかしアンドリューの表情が晴れる事はない。
唸り声をあげながらアンドリューが天上を見つめ考え事をし始めてしまった。その光景を見ていたアレットが我慢できなかったのか声を上げる。
「なあおっさん。なんかわかったのかよ」
「……」
「おっさん!」
「うるせぇなちょっと待てよ……」
アンドリューがジャネット達に向き直って難しい表情のままわかったことを伝え始める。
「まず初めに、お前さん方はアンドロイドが各時代によって異なる型である事を知ってたか?」
「正直、あまり詳しくないけど」
ジャネットがそう答えるとアンドリューが近くにあった白板を手前に持ってきて説明を続ける。
「今は第三世代二年目、つまり西暦で言えば二一三七年だ。今作られているアンドロイドはプラスチック製のボディに特殊加工の皮膚を反映させ、より人間らしい外見を作っているのが特徴だ。だがミレイユにその傾向はない。彼女の皮膚は従来通り、プラスチックのボディに人工皮膚を張り付けているんだ。ならミレイユが作られたのは第三世代より以前って事になるが……これがまた難しくてな」
「どういうことだよ?」
「結論を言えば、ミレイユはどの世代のアンドロイドとも似ていない。彼女の技術は、政府で作られたものではないという事だ」
「は?」
ジャネット達はアンドリューの言葉の意味を測りかねている。
「政府が作ったんじゃなければ、自作されたアンドロイドって事?」
「そうなるな。だが他のアンドロイドと全く別の技術が使われているわけでもねぇんだ。例えば彼女の腕だ。この腕の形状、フォルムは第二世代後期に製造された外見の美しさを求めたアンドロイドの特徴に似ている。細い指先など、接客業を主とする女性型アンドロイドはこぞってこの型にパーツが交換された時代だ。他にもミレイユの足だが、これは第一世代に作られたアンドロイドの足のフォルムに似ている。アンドロイドが重労働を担っていた時代に作られた型で、アンドロイドのバランスを保つかなりしっかりしたタイプだ。普通ならもっとごつい見た目をしているんだが、ここまで少女っぽさを出しているのはある意味芸術と呼べる。ほかにも──」
「わかったわかった! アタシたちはアンドロイドの歴史を学びに来たわけじゃねぇんだ。結果さえ分かればそれでいい」
このままではアンドリューの言葉がとまらないだろうと勘づいたアレットが強制的に会話を止めに入った。
「お、おう。わりぃな、昔からアンドロイドの事になると周りが見えなくなる癖があってよ」
「マジでオタクなんだな」
「働くというのはオタクになるって事だと俺は思ってる。でなきゃ、今の時代わざわざ働いたりしねぇよ。俺の仕事はアンドロイドにだって任せる事ができるんだからな」
人が働くという事は、よっぽどその仕事が好きでなければ続かないだおる。そうでなければ、やりたくもない仕事を好んでやる人なんているわけがないのだ。
アンドリューが勿体なさそうにミレイユを見る。
「本当なら解体して隅々まで調べたい所だが、自作されたアンドロイドなんて見たことがねぇからな。一度バラしちまったら再び組み立てられるかもわからねぇ」
「でも自作されたアンドロイドって法律違反でしょ?」
ジャネットの疑問にアンドリューが鼻で笑った。
「ミレイユに腕章を付けてないお前たちがそれを言うのか?」
「う……」
ぐうの音もでない正論にジャネットが押し黙る。
「俺がわかるのはここまでだな。帰ってフラヴィに伝えてくれ。このアンドロイドを知るという事は、製作者を知るって事だ。きっとプログラムの解読は困難を極めるぞってな」
ミレイユは自作アンドロイドである。その情報がフラヴィにとってどれほどの価値を生むか、ジャネット達にはわからない。
「なあおっさん。ミレイユが自作されたアンドロイドだって言ったけど、アンドロイドって自作できるもんなのか?」
「必要な技術、必要な設備さえあれば不可能じゃないだろう。とはいえ、それは完成品を組み合わせた時の話だ」
「つまりミレイユは違うって事だな?」
「ああそうだ。さっきも言ったがミレイユはフレームから造りが異なる。個人でフレームから造るとなると、専用の設備が必要になる」
専用の設備が必要になるということは自動的に政府が関わってくるという事になる。そもそもアンドロイドの生産は政府が所持している工場で行われている。そこで個人的なアンドロイドを製造できるとは考えにくい。ましてや一般人がアンドロイド生産工場に入ることすら難しいのだ。となるとミレイユを造った人物がどういう人なのか、全く掴めなかった人物像が少しずつ形を持ってきた。
「ねえ、もしかしてミレイユの父親って製作者のことじゃない?」
ここでジャネットが閃く。
その可能性は十分に考えられるだろう。父や母といった概念がないアンドロイドにとって、製作者を親と呼ぶケースは珍しくない。今でこそ工場で大量生産されているため製作者を親と呼ぶケースはなくなったが、まだアンドロイドが大量生産されていない時代であれば親と言えば製作者の事だ。
「なんだ父親って。なんのことだ?」
アンドリューが首をかしげるためジャネットが説明する。
「ミレイユは父親を捜しているんです」
「誰のことだ?」
「それがわかってりゃ苦労しねぇっての」
「つまりなんだ? お前さん方はどこの誰ともわからん父親をさがしてんのか?」
「んだよわりぃかよ。本当に何もわかんねぇんだよ」
アレットがぶっきらぼうにいい放つ。
「そういう事なら手を貸せるぞ。お前さん、こっちへ来い」
アンドリューが手招きしたのはジャネットだ。またか……という表情でジャネットがニコニコしたアンドリューの元まで行く。そしてアンドリューはアレットとミレイユに聞こえないように小声で話しはじめた。
「まだアンドロイドが自作されていた時代ってのは大昔だしほんの少しの期間だけだった。だから製作者はアンドロイドに自分の名を彫っていたんだ。このアンドロイドは俺が作ったんだぞ、という自慢をするためにな」
「ならミレイユの体のどこかに、ミレイユの父親の名前があるってこと?」
「そいつがミレイユの言う父親ならな」
と、ここでジャネットが一つ疑問を覚える。
「なんで小声なの?」
「一応、デリケートな内容だからな。双方にとって」
「ふーん」
とりあえず事務所に戻って何をするかは決まった。
「なにコソコソ話してんだよ」
アレットが訝し気にジャネット達を見ている。
「ごめんごめん。情報ありがとう」
ジャネットがアンドリューに感謝を意を伝えてからアレットの元へ戻った。
「今日はもう帰ろうか」
「おう、そろそろ事務所が恋しくなる時間だしな」
そういうとアレットがミレイユの手を引いて、ジャネットを含めた三人は店の出口まで行った。アンドリューも見送りのためについてくる。
「おうお前ら! フラヴィによろしく伝えといてくれ。あと、あんまり危ない橋を渡るな……ともな」
「危ない橋?」
「今の仕事の事だ。お前さんたちも関わってるだろうが、アンドロイドを破壊するなんて仕事は今の内にやめておけ。あいつならもっと良いことに持ってる技術を応用できるはずだ」
「……一応伝えとく」
その忠告をフラヴィが聞き届けるかどうかは別の話だが……。
アンドリューに別れを告げた一行が店から出て少し道を進んだ時だった。ドンッと少年がミレイユにぶつかってきた。
「きゃっ!」
よろめくミレイユをとっさに支えたアレットが知らぬ顔をして通り過ぎようとする少年を睨んで忠告した。
「おいお前! ちゃんと前を見て歩けよ!」
アレットに怒鳴られた少年が振り返り一礼をするが、顔が笑っている所を見ると反省してなさそうである。
「このクソガキ!」
と言いながらアレットが大声を出して飛びかかろうとするためミレイユが抑えている。
「お姉ちゃん、私は大丈夫だから」
「たとえそうだとしても、人にぶつかっておいて謝りもしないなんて教育がなってねぇ! 親が教えないならアタシが教え込んでやるまでだ!」
「そこまでしなくても……」
と二人でもみ合っている間、ジャネットの方にはフラヴィから着信がかかってきていた。アレットの事はミレイユに任せればいいかと思ったジャネットはそのまま着信に出る。
「もしもしフラヴィ? ちょうどアンドリューの店から出てきたところだよ。これから事務所に帰るつもり」
「そうか。ならそのまま真っすぐ帰ってきてくれ。緊急で仕事の依頼だ」
「え、仕事の依頼?」
ジャネットの声に犬のように唸っていたアレットとそれをなだめていたミレイユが、ジャネットの方を向いた。
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