ヴォレヴィルの中央には巨大な一つの塔が建っている。

 街全体を見下ろすようにそびえ立つその塔は政府塔と呼ばれ、二つの部門が介在している。

 一つはアンドロイド研究部門。そもそもここまでアンドロイドが普及したのは研究部門が設計開発まで担当しているからである。各居住地にあるアンドロイド生産工場も研究部門が所有している。

 二つ目はアーデンベルグが指揮する警備部門である。これは一般的には警備隊と呼ばれている。リュシーが所属しているのもこの部門だ。

 現在、ジャネットは警備部門にある事情聴取部屋の一室へ通され席に座って待機している。真っ白な壁に木製のテーブルと椅子が二つ置いてあるだけの簡素な部屋だ。

 ジャネットは面倒くさそうに足を組んで机に肘をついていた。ここで待てと言われて数分が経過しているが誰かがやってくる気配は未だない。

「アレットの方はどうなってるんだろう」

 ジャネット達が到着すると、警備部門は彼女たちを別々の部屋に案内した。個別に話を聞くのはあらかじめ予想していたことであり、三人ともすんなり受け入れたのだ。

 おそらく、アレットもジャネットと同じように待ちぼうけを食らっているだろう。それか既に聴取を受けているかもしれない。

 どちらにせよ誰か来ない事には話が始まらない。ジャネットは大きな欠伸をすると、部屋がノックされ誰かが入ってきた。

「ごめんなさい。待たせたわよね」

 入ってきたのは警備隊・巡回班リーダーのリュシーだ。ジャネット達にフロランス捕獲の依頼をした張本人だ。

「うん、それなりに待ったかな」

「本当ならもっと早く来るつもりだったんだけどね。ちょっと提出しなきゃいけない書類があってそれに手こずって」

 リュシーの態度はフラヴィ・アンドロイド相談事務所を訪れた時とはだいぶ違い、かなり柔らかい印象を受ける。といってもそれは当然で、リュシーとジャネットも知り合ってから長い仲である。彼女が敬語を使うのはフラヴィだけだ。リュシーは親しい間柄でも自身より年上には敬語を使うというかなり真面目な性格をしているのだ。

 ジャネットの対面にリュシーが座る。ジャネットが先に口を開いた。

「あなたが来るとは思わなかった」

「どうして? 私がアレットの聴取なんてしたら、仕事にならないじゃない」

「たしかに、言われてみればそうかも」

 アレットなら恋人のリュシーが部屋を訪れただけで歓喜し、事情聴取などそっちのけで次回のデートの話をし始めるに決まっている。リュシーがジャネットの聴取をするのは良い判断なのだろう。

「冗談はさて置き、本題に入りましょう」

 リュシーが腕輪に触れてボイスレコーダー機能を作動させた。

「これからあなたにはフロランスとの一件を詳しく聞かせてもらうから、こちらの質問に正直に答えてね」

「うん、いいよ」

「じゃあ質問。まず予め我々が聞いた内容だと、フロランスが潜伏していたと思われるお店で撃ち合いになったそうね?。そこのところを詳しく聞かせて」

「うん」

 ジャネットは当時を振り返る。

「まず私達は居住地セカンドにある歓楽街へ向かった。そこにあるBAR・ミライにいるフロランスと接触するためにね。BARに入ると私達はすぐに店内の様子と客の人数を把握した。何かあった時にすぐに行動できるようにね。幸い、店内に客は少なかったから、フロランスと思わしき人物を見つけるのに苦労しなかったわ。私はカウンター席に座ってたフロランスの隣に座ると、ひとまずお酒を注文した。そしたらフロランスの方から話しかけてくれたの。これはチャンスと思って、フロランスと仲良くなってから店外へ連れ出し、安全を確保した上でフロランスを捕獲しようと思ったんだけど、ちょっと彼女と雰囲気が悪くなっちゃって」

「雰囲気が悪くなったって、あなた何か変なこと言ったの?」

「ちょうどニュースでテロ組織・ファクトリーについてやってたから、ファクトリーについてどう思うかって聞いてみたの」

 フロランスが吹き出す。ファクトリーの一員と思われる人物に、ファクトリーをどう思うか聞いた事に対して笑いが出てしまったのだろう。

「ごめんなさい、続けて」

「そしたらアンドロイドのための世界をつくるって思想に賛成したらか、ついムカついて」

「まあ自分がファクトリーの一員なら、その思想に賛成しない理由はないもんね。それで口論になって、撃ち合いになったの?」

「流石に私もそこまで短気じゃないよ。想定外のことが起きたの」

「想定外って?」

 ここで、今まで軽いノリで話していたジャネットが真剣な表情をする。

「フロランスはフラヴィ・アンドロイド相談事務所のことを知っていた」

「……本当なの?」

「うん。しかもファクトリーがウチを目の敵にしているような言い方だった。でも幸運だったのは、フロランスが私達の顔を知らなかったこと」

「というと?」

「フロランスと関係が悪化した時、アレットが自己紹介をしたの。多分話題を逸らすつもりだったんだろうけど」

「名前を知った時に初めてあなた達がフラヴィ・アンドロイド相談事務所の関係者だとわかったのね」

「うん」

 リュシーが顎に手を添えて考え始める。

「それなら、警備隊があなた達に依頼をしたとバレている可能性もあるわね」

「私達の口からそれは言ってないけど、フロランスもその考えに行き着いていたわ」

「そう……。まあ、度々あなた達にはこちらから依頼していたし、警戒されるのは当然か」

「うん。奴らもバカじゃないって事だね」

「そっか。まあそうよね……」

 今回の件でファクトリーがまた霧隠れする可能性が高くなってしまったが、もう過ぎてしまったの事である。二人にはどうしようもない事だった。

「ちなみに、攻撃された時はお店にいたお客さんも含めてなんだよね?」

「うん。多分、あの店自体がファクトリーの隠れ蓑になっていた可能性がある。店にいた客も含めてフロランスの指示で動いているようだった」

「ファクトリーはアンドロイドを利用して活動しているもんね。アンドロイドを不正に利用して、お店に配置し、まるで普通のBARのようにカモフラージュしていたとしても不思議じゃない」

「私達も詰めが甘かったわ」

 今回の作戦行動は全てファクトリーの後手に回ったとジャネット達は痛感していた。今までなんの痕跡も残さないほど狡猾な奴らであるなら、本来はもっと警戒して然るべきだったのだろう。

「じゃあ次の質問なんだけど、フロランスがどうやって自害したか。そこのところを詳しく教えてもらっていい?」

「うん。フロランスは自分自身でメモリーを焼いたわ。多分、メモリーを焼くための装置が予め組み込まれていた可能性が高い。フロランスの型は第二世代なんでしょ?」

「ええ、フロランスは第二世代中期に製造された、現在ヴォレヴィルで一番普及しているアンドロイドと同型機よ」

「となると、フロランスもファクトリーに利用されたアンドロイドの一体と考えていいかも。そしていつでも自害できるようにメモリーを焼くための機構を後から付けられた」

「そしてフロランスはその機構を使って自害した……と」

「うん」

「まさか死を選ぶことができるなんてね」

 ヴォレヴィルに普及しているアンドロイドにはロボット工学三原則が適応されている。その第三条には「ロボットは、第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない」とある。

 第一条と第二条にはロボットが人間に危害を加えることを禁止し、ロボットが人間の命令に絶対服従するという内容が記載されている。フロランスが自死を選んだことは、ロボット工学三原則に背いたことになる。

 つまりファクトリーに所属するアンドロイドにロボット工学三原則は全く意味をなさいということだ。

「アンドロイドのための世界を作る、なんて唄っておきながらアンドロイドに自死を選択させるなんてね。なんだか言ってることとやってることが矛盾してる気がするわね」

「そう? むしろ私は今回の事で気づいた事がある」

「それは何?」

 リュシーが小首を傾げる。

「奴らは、アンドロイドに選択することの自由を与えてる。人間を攻撃するという自由を、人間の命令に従うという自由を、自分で死ぬという選択をする自由を。つまり、奴らはアンドロイドを人間として扱ってるのよ」

 アンドロイドを人間として扱っている。それ故に、アンドロイドのための世界を作るという思想が掲げられている。

 今まで口先だけでアンドロイドに人権を与えるべきだと主張してきた人々は、それでも人間に従順なアンドロイドを利用してきた。だがファクトリーは違う。机上の空論だけでなく、実際にアンドロイドに人権を与えているのだ。今回フロランスと対峙したジャネットはそう直感していた。

 アンドロイドは道具である。ジャネットは今でもその考えを改める気はない。むしろ今回の件でさらにファクトリーが危険な集団であることを再認識した。

「そうね。たしかにファクトリーはアンドロイドを人間として扱ってるかもしれない。でも私達の仕事はヴォレヴィルの秩序を守ること。ファクトリーが暴力に訴えるなら、それに抵抗するまで」

 それは警備隊としての話であり、壊し屋であるジャネットには関係のない話だ。

「もう一つ質問したいんだけどいい?」

「なに?」

「BARで何か不審なものを見かけなかった?」

「不審なもの?」

「そう。何でもいいわ。例えば、気になるアンドロイドがいた……とか」

 そう言われてジャネットの脳裏にミレイユの姿がよぎる。だが──

「……残念だけど、何もなかったわ」

 ジャネットはそう答えた。

「本当に?」

 フロランスがジャネットの瞳を見つめる。まるでリュシーの聞き方は、ジャネット達が何かを見つけた前提で尋ねているようにも聞こえる。だが、それでもジャネットは何も見つけてないと答えた。

「何もなかったわ。ファクトリーに関する情報は何も」

「……そう」

 少しの間黙ったリュシーは脱力する。ジャネットの回答に安堵したのか、はたまた落胆したのか。ジャネットには測りきれない。

「わかりました。今回の事情聴取はここまでにします。情報提供ありがとうございました」

 リュシーが腕輪を触ってボイスレコーダー機能をオフにする。

 なぜジャネットがミレイユのことを隠したのか。それはフラヴィからの指示だったからだ。

 ジャネットはミレイユが、警備隊総督であるアーデンベルグの名前を聞いた瞬間に怯えていた件をフラヴィに伝えていた。なぜ彼の名前を聞いて怯える必要があるのか不明だが、それは不自然だと感じたのだ。フラヴィもジャネットと同じ見解を示し、独自でテロ組織ファクトリーについて情報を調べてみることになった。そのため今回はミレイユなんてアンドロイドはそもそもいなかったという口裏合わせをした上で事情聴取に当たったのだ。

 リュシーがリラックスした態度を見せたことでジャネットは聴取が終わったのだと判断する。

「ねえ、もう帰っていいの?」

「ほかの二人を待たないの?」

「待つ必要はないでしょ。フロランスの一件が終わってから早くシャワーを浴びたくてたまらないの。先に帰宅させてくれるならありがたいんだけど……」

 すっかりアレットとフラヴィを待つものばかりと思っていたリュシーだが、ジャネットの言葉を聞いて頷く。

「まあいっか。待機させろなんて命令は出てないし、あとはジャネットの自由にして構わないわ」

「そう。じゃあ帰るね」

 ジャネットが席を立って部屋を出ようとドアノブに手をかけた時だった。

「今日はありがとう。フロランスを捕獲できなかった事は残念だけど、あなた達を危険に晒してしまった事は申し訳ないと思ってるわ」

「別に。それが私達の仕事だから」

 ジャネットはそう言い捨てると部屋を出て行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 ジャネットが事情聴取の部屋でリュシーの登場を待っている時と同じくして、フラヴィは警備隊総督の部屋に案内されていた。つまり、アーデンベルグの部屋である。

 一応礼儀は尽くすか……と思ってフラヴィが部屋の扉をノックすると、奥から低く重い声が響いてきた。

「入れ」

 偉そうな声に従ってフラヴィが部屋へ入る。ついさっきまで礼儀を尽くすなんて思っていたが、彼の声を聞いてその気はなくなってしまった。だから失礼しますなんて言葉をかけることはない。

 入室すると背中をこちらに向けたアーデンベルグの姿が見えた。

「久しいなアーデンベルグ。ずいぶん出世したじゃないか」

「そういうお前は落ちぶれたな、フラヴィ」

 アーデンベルグが振り返る。

 百八十センチはある高い身長、オールバッグで固められた白髪混じりの黒髪、つり上がった鋭い目。目尻にはシワが刻まれ口元は固く結ばれている。すでに四〇代後半に差し掛かっているが、彼の体躯は鍛えているのか筋肉質である。

「こうして会うのは研究部門に在籍していた以来か」

 フラヴィの言葉にアーデンベルグが鼻で笑う。

「確かに、お前とはつい最近会ったばかりという印象を抱いてしまう。あれから五年か」

 じつはフラヴィとアーデンベルグは初対面ではない。二人はもともとアンドロイド研究部門に身を置いていたのだ。その当時、フラヴィの直属の上司がアーデンベルグだった。

 研究部門のトップを目指していたアーデンベルグはフラヴィが退職してから警備部門へ異動を希望した。その後警備隊の仕事が肌にあっていたのか三年という速さで警備隊のトップまで上り詰めたのだ。

 しかし、かつての上司とはいえフラヴィはアーデンベルグを人間的に好きになれないでいた。だからなるべく彼と会話をしたくないというのが正直なところだ。

「昔話に花を咲かせるためにここへ呼びつけたわけじゃないんだろう。何が聞きたい?」

 フラヴィの話し方は冷たい。だがアーデンベルグはそれを涼しい顔で受け流す。

「変わらんな、その話し方は。昔はどうあれ、今の私はお前のクライアントだろう」

「私はクライアントにもこの態度だがな」

「ふん、そうか」

 アーデンベルグが自席に重々しく座る。彼の一挙一動に貫禄があるように見える。

「では単刀直入に完結に聞こう。お前達がフロランスを捕え損なったBARには、フロランス以外にもアンドロイドがいたか?」

「店にいた奴らは全員アンドロイドだった。だがそいつらは現場の判断で破壊したよ」

「そうではない。私が聞きたいのは、ほかに何かいなかったかという事だ」

 ほかに何かいなかったか。その遠回しな表現にフラヴィは思い当たることがある。ミレイユのことだ。しかしジャネット達にも指示した通り、フラヴィも真実を口にするつもりはない。

「いや、残念だがフロランス以外には何もなかった。あのBARは恐らくファクトリーの隠れ蓑だったんだろうが、店内にはめぼしい物が一つも残されていなかったんだ。まるで、いつでもここから逃げれる準備をしていたようにな。ファクトリーの情報を入手できなかったことについて責めているなら、謝る」

 フラヴィの答えにを聴いたアーデンベルグは短いため息をついた。フラヴィを見つめる彼の視線は疑念で満ちている。もちろん、それがわからないフラヴィではなかった。

「……いや、君たちはよくやった。ファクトリーの一員を一人潰したのだ。これで奴らの今後の活動に打撃を与えることができただろう。であれば、その間に奴らの居場所を見つけ対処するまでだ」

「できるのか? 今までファクトリーを見つけることができなかったくせに」

「我々を甘く見てもらっては困るな。すでに手は打ってある」

「へぇ、そうかい」

 どうしてもフラヴィはアーデンベルグが信用できない。彼の言葉には心がこもっていないのだ。ただただ事実を述べるばかりで自分自身を何も公開しようとしない男を信用しろという方が難しい。

「私からも質問がある。アーデンベルグ、お前はどうして研究部門から異動した? あのまま所属していれば間違いなくトップの座はお前のものだっただろう」

「それは今回の件とは全く関係ない話だ。それを聞いてどうする?」

「純粋な疑問だよ。お前の中で何があったのか、知りたいと思ったのさ」

「それなら答えよう。ただ単に、私は新しいことをしたかっただけだ」

「それが理由か?」

「そうだ。それだけだ」

 ──それだけの理由で研究部門のトップを捨てるのか?

 フラヴィには彼が何を目的としているのか図ることができないでいた。何かを隠している。そんな直感がするのだがアーデンベルグは手の内を一切見せない。

「話は以上だ。出て行って構わない」

「そうかい。なら遠慮なく帰宅させてもらおうかな」

 ここで長々と世間話をするつもりは一切ないフラヴィは、躊躇することなく部屋から出ようとする。

「ファクトリーの狙いはここだけではない。気をつけることだ」

 部屋から退出しようとしたフラヴィにアーデンベルグが不穏な言葉をフラヴィにかけた。その言葉を無視してフラヴィが部屋から出て行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 政府塔で事情聴取を受けた三人が事務所へ帰宅したところで、今後の方針をどうするか決める会議が行われることになった。

 会議の中心となるのはもちろん、フロランスが潜伏していたBARで発見したアンドロイド・ミレイユのことについてだ。

 接客用の二つのソファーのうち部屋の奥側にフラヴィとジャネットが座り、反対にはミレイユとアレットが座る。

 まず責任者のフラヴィが舵を切る。

「さて、私達が政府塔へ向かう前に一通り状況確認は済ませてあるが、改めて確認するとしよう」

 フラヴィが全員に目配せしてから話を続ける。

「その前にジャネットとアレットに確認しておく。警備隊の連中にミレイユについて何か話したか?」

「ううん、何も話してない」

「アタシもだ」

 先に口を開いたジャネットに続いてアレットも返答する。

「ちなみにだが、ミレイユをほのめかすような質問をされたか? 例えば、フロランスのほかに何かなかったか、とか」

「うん、リュシーにされたよ」

「なっ!? リュシーはジャネットの所に行ってたのかよ! なんでアタシの所にこねぇんだよ!」

「仕事にならなくなるって言ってたけど」

「くそぉよくわかってんじゃねぇか!」

 咳払いを挟んでフラヴィがジャネットに質問する。

「ジャネット。リュシーにはどういう質問をされたんだ?」

「BARで何か見つけなかったかって」

「やはりそうか」

 悔しがっていたアレットが会話の内容に興味を示し話しかけてくる。

「そういう類の質問ならアタシもされたぜ。何か不審なものを見つけなかったかってな。アタシは不審なものは何もねぇって答えてやったけどよ」

 二人の話を聞いたフラヴィが神妙な顔つきになる。

「私も似たような質問を受けたよ。相手はアーデンベルグだったが──」

 アーデンベルグと口にした時フラヴィは視線をミレイユに向けた。するとジャネットが報告した通りミレイユは怯えた様子を見せている。

「奴は任務のことはロクに聞かず、直接的に質問してきたよ。まるで、元からミレイユについて何か知っているように感じたさ」

 言い終わってからフラヴィはミレイユについて考え始める。

 アンドロイドとはいえ特定の個人名に対して恐怖を抱く、などという設定をわざわざつけるだろうか。しかもその個人名は警備隊のトップであるアーデンベルグだ。本来ならヴォレヴィルを守る立場にいる人間なのに、恐怖を感じるのは不自然ではないだろうか。確かに彼の風貌は初対面の人に恐怖を与えるかだろうが……ミレイユの怯え方はそういう物とは異なるように感じる。

 不安げな表情のミレイユにフラヴィが向き直る。

「ミレイユ。お前はアンドロイドで間違いないな?」

「はいその通りです」

「なぜアーデンベルグに反応する?」

「……すみません。それがわからないんです」

「わからないというのは、お前が自身のメモリーにアクセスできず、私が求める回答を用意することができないからか?」

「はい。ですけどこれだけは分かります。アーデンベルグという方の名前を聞くと不安になるんです」

 不安。はたして機械がこのような抽象的な言葉を使うだろうか。物事に対して可能か不可能かを判断するだけのアンドロイドだが、不可能なことに関しては状況によって「分からない」と答えるように設定されていることがほとんどだ。だがミレイユの先ほどの回答は可能か不可能かではなく感想だ。感想とは、物事に対して感じる心がなければ出てこない言葉だ。

 今現在大量生産されているアンドロイドにそこまで賢いAIは搭載されていない。だからこそフラヴィはミレイユというアンドロイドに興味があった。それに仮にだが、ミレイユとアーデンベルグに関係があるとすれば、それは何か重要な情報に繋がっているかもしれないと考えている。

 とはいえ現段階では仮設に仮設を重ねた根拠のない妄想に過ぎないのだが……。

「ねえフラヴィ。私、もう一つ気になる事があるんだけど」

 そう切り出したのはジャネットだ。

「ミレイユは初対面のはずのアレットをお姉ちゃんって呼んでる。その理由もわからないの」

 これもあり得ない話だ。そもそもアンドロイドに兄弟や姉妹といった概念は存在しない。ならば誰かがそう設定したということになるが。

「もちろんアタシに妹なんていねぇぜ。アンドロイドと住んでたこともねぇしな」

 ここでフラヴィはミレイユに別の視点から質問することにした。

「お前がアレットを姉と呼ぶのはどうしてだミレイユ。理由があるんだろう。例えば、お前の姉の設定にアレットが該当するとか……」

「はい。アレットお姉ちゃんのことは、目を見てすぐにわかりました」

「目?」

 フラヴィとジャネットが同時にアレットの目を覗き込む。

「や、やめろよ恥ずかしいだろ! んなに見つめんな」

 アレットがとっさに目をそらしてしまうため、ミレイユがいうことがわからずじまいだ。

 フラヴィとジャネットが互いに顔を見合わせるが肩をすくめるしかなかった。

「なあミレイユ。アタシからも質問していいか?」

「なあに?」

「どうして棺に閉じ込められてたんだ? そして、なんであのBARにいたんだ?」

 その二つの質問もすでにしてある。だがアレットは確認の意味を込めて再度質問した。だが今までの流れからしてミレイユの返答は予想がつく。

「私の最新の記憶はお姉ちゃんとジャネットさんに出会った所から始まってるから、それ以前の事は何も分からないの」

 ミレイユを除く三人が同時に唸る。

 結論を言うと、ミレイユについては未知の領域が大きくなるだけだった。責任者であるフラヴィは今までの話を統合してミレイユをどう扱うか決めなければならない。

 悩むフラヴィに対してミレイユが畏まって話し始めた。

「フラヴィさん、私からお願いがあります。よろしいですか?」

「なんだ?」

「もしよろしければ、私をここに置いてくださいませんんか?」

 ミレイユの提案にフラヴィは表情を変化させない。いや、むしろ否定的かもしれないと思ったのだろう。ミレイユは続けてフラヴィの説得を試みる。

「確かに私は得体の知れないアンドロイドです。ですがアンドロイドの本分である主人のサポートは問題なく機能するとお約束します。あらゆる場面でフラヴィさんやジャネットさん、そしてアレットお姉ちゃんをサポートできます。ですので、どうか考えていただけませんか?」

「ウチの仕事はアンドロイドの破壊だ」

「……え?」

「フラヴィ・アンドロイド相談事務所の実態は、依頼人から多額の報酬を受け取るかわりにアンドロイドを破壊することだ。つまり、壊し屋だ」

 ミレイユは突然このようなことを言われて困惑した。形はどうあれ自分を助けてくれた恩人たちが、自分と同じアンドロイドを破壊して生計を立てているなんて思いにもよらなかっただろう。

 咄嗟にミレイユがアレットを見るが、彼女は首を縦に振った。フラヴィの言葉が真実である事をミレイユは知る。

「それでも──」

 とミレイユは言葉をつなげた。決意の表情が少女を突き動かす。

「私は皆さんのお役に立ちたいと思います。私には行く宛てはありませんし、お父様を探さなければなりません。フラヴィさんたちの仕事が公にできないのでしたら私にとっても好都合です。私の事情を知り、なおかつ私の目的をご存知のここしか居場所はありません。どうか、お願いします!」

 深々と頭を下げるミレイユ。アンドロイドとはいえ幼い姿の少女に頭を下げられることがどれだけ精神的にくるかフラヴィは初めて知る。

 だがそれでもミレイユはアンドロイドである。それに忘れていけないのは、彼女はテロ組織ファクトリーの一味であるフロランスが潜伏していたBARにいたという事だ。つまり、ミレイユがなんらかの理由でファクトリーと関係があるのは明白だ。

 答えを渋っているフラヴィと頭を下げ続けるミレイユを見かねてアレットが口を開く。

「なあフラヴィ、ここまで言ってんだしウチに置いといてもいいんじゃねぇか? べつに困ることもねぇし、仕事の手伝いをしてくれるってんならアタシらにとってメリットしかないだろ?」

「それは一概にそうとは言えないだろ。忘れたか? ミレイユはフロランス捕獲の任務中に見つけたんだ。このアンドロイドがファクトリーに関係していないと考える方が難しいだろ」

「なら、なおさらここに置くべきだと思う」

 そう発言したジャネットをフラヴィは驚いた顔で見つめる。アレットがミレイユに対して肯定的なのは把握していたが、ジャネットまで賛成してくるとは思わなかったのだ。

「ファクトリーの問題はいずれ私達の仕事にも大きな影響を及ぼすはず。それに奴らが尻尾を出したという事は何かしらの行動に出るという事だと思う。こんな状況で見つけたミレイユがフロランスの潜伏先にいたという事は、ミレイユはファクトリーの奴らにとって必要なパーツなんだと思う。なら、そのパーツを私達が握っていれば、奴らと交渉することもできるかもしれない」

「ウチの事務所を囮にするっていうのか?」

「違う。私達は警備隊とは違うやり方でファクトリーを追うってこと」

 フラヴィはまた考える。

 ジャネットの言うことは理解できる。今までに数件、ファクトリーが関与したと思われるアンドロイドの事件を引き受けているのだ。それにフロランスがフラヴィ・アンドロイド相談事務所のことを知っていたという事は、すでにファクトリーにマークされているということだ。ならば、ファクトリーが何らかの行動を起こす時に事務所を攻撃してこないとは言い切れない。ならば、ミレイユを手元に置いておき、いざという時の交渉材料として使うのは有効な手に思える。

 しかしフラヴィが一番懸念しているのは、それでジャネット達に更なる危険が及んでしまうことだ。フロランス捕獲の任務でもフラヴィは返答を渋ったが、彼女は見かけによらずメンバーの安全を心配する一面を持っている。

 ──そうえば、あの時もジャネットが賛同してたな。

 フラヴィはフロランス捕獲の件を思い出した。返答に渋る彼女の背中を押したのはジャネットの言葉だった。そして今回も同じようにジャネットがフラヴィの背中を押そうとしている。

「……わかった。ミレイユはここに置いて置く」

 ミレイユとアレットの表情がパッと明るくなった。こうしてみると本当の姉妹に見える。

「ありがとうございます! これからお世話になります!」

「よかったなミレイユ!」

 わしわしとアレットがミレイユを頭を撫で、ミレイユはそれを心地好さそうに受け入れる。

 ふとフラヴィが時計をみると、もう日付が変わっていることに気づく。

「もう時間も遅い。とりあえず今日はここまでにして休もう。二人とも今日はご苦労だった」

 ジャネットが大きな欠伸をする。

「なあフラヴィ。ミレイユはアタシと同じ部屋でいいだろ?」

「いやダメだ。ひとまず彼女は私と同じ部屋に置いておく」

「ええ、なんでだよぉ」

「まだミレイユが私達に害がないとは言い切れない。なら私の手元に置いておく方が、私が安心するんだ。これは譲らんぞ」

 アレットがフラヴィの提案に文句を言うが、ミレイユがそれを制する。

「まあまあお姉ちゃん。私はそれでいいから、しばらくはそうしよう。私が無害だってわかればいいんだから」

「……まあミレイユがそう言うならいいんだけどよ」

 などと三人が話している間にジャネットが立ち上がる。

「先にシャワー浴びてくる」

 歩いていくジャネットを見てミレイユが声をかける。

「ジャネットさん。これからよろしくお願いします」

 そう言われたジャネットがミレイユを振り返らず返事を返す。

「うん、よろしく」

 そう言ってジャネットの姿はシャワールームへ消えていった。しかしその後ろ姿は、発言とは裏腹に拒絶を示しているように感じたミレイユだった。

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