動物園の死闘 8

 後頭部に、ごっ、という音が響いた。首にかけられた手が緩む。

 不意に食らわせた頭突きがみごとに決まった。


「逃げよう!」彼女の手をとり走りだした。「だめ!」彼女が叫ぶ。

 僕は怪訝な顔で水しぶきを散らす。

 十歩も進まないうちに僕はなにかにぶつかった。


 


 ――いいや、


 小さな広場の一角、ベンチの近く。

 そこにぶつかるようなものはなにひとつない。

 道の向こうにはカバの褐色の体が見える。


 手を伸ばす。

 なにかに触れた。のっぺりとして硬質な、なにか。


「壁があるのよ」彼女が悔しげに言った。


 壁。

 なにも見えない空中をあちこち触った。

 上下左右、どこまでも平面が続いている。まるでパントマイムを演じているようだった。

 なんだ、これ。


 ゆっくりと水を跳ねる音に僕たちは振り返った。フリングスが近づいてくる。

 右手にナイフが握られていた。どこに隠し持ってたのか、映画でしか見ないような、特殊部隊の装備品じみた本格仕様のものだ。

 鋭利な刃先にひどく似つかわしい、感情を欠いたけだもの

 ああ、さっきのはまだ本気で殺そうとしてはいなかったのかもしれない。今度こそ本当に殺す気だ。

 僕たちは見えない壁に張りつく。


 彼は、この状況は、いったいなんなんだ。思考がまるで追いつかない。いつもの悪い夢なら早く覚めてくれ。


「左手を出して」


 真剣なまなざしで彼女が言った。左手?

 とまどう僕の手をぶんどり、自身の左手を重ねる。

 やめろ、とフリングスが強い口調で命じた。怒りとも恐怖ともつかないその形相に肌が粟立つ。

 かまわず彼女は「たぶん、いけるはず」とつぶやいた。

 かちり、と指輪が触れあう。


「どっかに行って!」

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