3話 音楽の骨(後編)

「そう、音楽の骨はとても繊細で、脆くて、とってはおけない」

 テレプシコーラはすっ、と、伏せていた目をぼくの方に向けて、ぼくのことをいたずらっぽく見つめた。

「―普通は、ね」

「え?」

「実は、以前とても骨のある音楽を味わう機会に恵まれてね。その骨だけは未だ崩れずに、ボクの手元に残っているのだよ」

「へえ……!」

 テレプシコーラはぼくの目からは視線を離さずに、そのままこてん、と首を傾げた。

「見たいかい? 音楽の骨を」

「うん!」

 そう答えると、テレプシコーラはくすくすと笑う。

「実はね、アウトサイダー。きみはもうそれを見ているのだよ」

「え?」

 ぼくは驚いてテレプシコーラを見つめ返した。うっかりしたら中に落っこちてしまいそうな大きな瞳。

「探してみるといいよ。大丈夫、きみならすぐ分かるだろうさ」

 この部屋の中から、見たこともないものを? 一瞬戸惑ったぼくだったけれど、テレプシコーラにね? と言われて、頷かずにいられるわけがなかった。

「……もう、きみはいつも難しい神託ばかりするよ」

 言いながら、だけどぼくは部屋の中を探し始める。テレプシコーラのお告げは難しいけれど、無理じゃない。それがぼくの可愛い神さまの心憎いところだ。だから多分今回も、何かヒントを出してくれているはずだろう。無闇と欠片の山を崩したり積み直したりしながら、そう考える。テレプシコーラ曰く、音楽の骨をもうぼくは見ているらしい。そう言うってことはきっと、ずっと前に見たとかじゃあなくて、いつもわかりやすいところにあるとか、今日のうちに目に入れたとか、そういうことなんだろう。テレプシコーラの鳥籠は音楽の骨でないことは確かだし、クッションやラグも骨って感じじゃあない。それなら他にぼくが特に今日見たものと言ったら、ナイフとフォーク、それに……

 そこまで考えたところでぱっと脳裏に浮かぶ光景があった。ぼくは思わず声をあげる。

「分かったよ、テレプシコーラ!」

「おーけい、答えを教えてくれ給え」

 ぱたぱたぱたと崩したものものを積み上げ直してから、大きく三歩でテレプシコーラの目の前に。籠からぼくを見上げるテレプシコーラと、ぱちっと目が合う。テレプシコーラの透き通った瞳の中に、きらきらと虹色の期待が乱反射していた。ぼくの可愛い、小さな神さま。ぼくはえへへと笑ってから、テレプシコーラの膝の上に手を伸ばす。

「ぼくが入って来たときに君が持ってたあの棒。それがそうなんでしょ? テレプシコーラ」

 ―そう、ぼくが手にしたのは、テレプシコーラが大切そうに銀と緑と赤褐色のまだら模様が浮かぶごつごつした棒のようなものを仕舞い込んでいた、黒い縦長の箱だった。今日あった変わったことなんて、それくらい。きっと、これで正解だ。どうかな? と首を傾げて見せると、テレプシコーラは心底嬉しそうににっこりと笑う。

「そうその通り、大正解さ!」

「中を見ても?」

「もちろんだとも」

 ありがとう、と座り直して蓋を開けると、中には赤いビロードが張られていた。真ん中は細長くへこんでいる。柔らかな布に守られて、音楽の骨はそのくぼみに収まっていた。

「これ……フルート?」

「人間にはそう見えるだろうね。実際ボクも何度か、オーケストラの楽器に骨が使われていたのを見たことがある。きっとよっぽど上手な奏者なのだろうねぇ」

 そう、それはまるで、長い年月に揉まれ赤や緑の錆が浮かんだ、古いフルートのように見えた。そっと取り出してみると意外にもその表面は滑らかで、冷たくもなく温かくもなく、ああ確かにこれは以前独立した生命として存在していたんだと感じる温度が手のひらに伝わってくる。

 これが、テレプシコーラがナイフとフォークで生きる糧としたものの、その残滓。

 そう思うとなんだか、畏れのような、恐怖とよろこびを混ぜたような、そんな感覚に襲われて、ぼくは慌てて、でも間違ってもテレプシコーラの宝物を壊したりしないように気をつけながら、またケースの中に骨を戻した。蓋を閉めて、テレプシコーラに差し出す。

「ありがとう、テレプシコーラ」

「おやもういいの? あんまりお気に召さなかったかな」

「ううん、だってそれ、脆いのでしょ? うっかり壊したりしちゃったら、大変だもの」

 そう言えばテレプシコーラは箱をまた膝の上において、そして口元を手で抑えてくすくすと笑った。

「ああそれも確かにそうだね、一応今日風化していないかどうか確かめた―ほら、きみが入り口で固まったあれだよ―けれど、やっぱり怖いには怖い。ではアウトサイダー、きみもまた宝探しに戻るといいよ」

「え、まだどこかに音楽の骨が眠っているの? もうぼくには心当たりがないよ、テレプシコーラ」

 驚いたぼくとは裏腹に、テレプシコーラは当たり前のような顔をして、お皿のケーキをナイフで指した。

「正確には『眠っているかもしれない』だね。だってアウトサイダー、きみが持ってきたこのケーキは、曲がりなりにも“オペラ”だろう? ……もしかしたら、小骨くらいは紛れているかもしれないよ?」

 ぱっとそちらを見遣れば、テレプシコーラの言葉によって新たな煌めきを与えられたケーキがぼくたちを待っている。ぼくはテレプシコーラよろしくこの世界の秘密を彫り出すように、甘いケーキを食べ始めた。

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