62『凧の行方』

まどか 乃木坂学院高校演劇部物語・62   





『凧の行方』



 振り返ると、右のホッペにグニっと指が当たる。

 ガキンチョがよくやるあれ。



 で、この幼児的ご挨拶は……薮先生。

「もう、先生ったら子どもっぽいことを」

「俺は、小児科の医者なんでな」

「わたし、今月で十六です」

「俺の所見じゃ、四捨五入して、まだ小児科の対象だ。ほら、あいつみたいにな……」

 先生の指の方角には、今まさに鳥居をくぐって境内を出て行く忠クンの背中が見えた。

「忠クン来てたんだ」

「たった今までいっしょだった。なんせ、この人混みだ。まどかに気づいたのもたった今」

「メールぐらいしてくりゃ、いっしょに来たのに」

 自分のことを棚に上げてぼやいた。

「あいつ、ひどく思い詰めっちまっててな」

「え、それって……」

「あいつ、あの日から、家に通い詰めでよ。毎日親父の話さ」

「え……」


 先生は、ため息一つついて空を見上げた。


 東の彼方の空に凧が舞っている。


 多分隅田川……ひょっとしたら荒川の河川敷かも。いずれにしても、ここから見えるんだ。   


 かなり大きな凧……それもかなりの高み。



「俺も、三日目くらいからは閉口しちまってな。雰囲気に弱いってのは俺が言ったことだけどよ、ちと度が過ぎる。まどかの演劇部で自衛隊の出てくる芝居やったんだって?」

「あ、ええ。去年のコンクールで。落っこちゃいましたけど」

「あれで、まどか主役の代役やったんだってな。あいつには衝撃だったみてえだよ」

「あれは、わたしの無鉄砲で……落っこっちゃいましたし」

「しかし、立派なもだったって、審査員の先生もべた誉めだったんだろう」

「さあ……よく覚えていません」



 あれは、今では、わたしのカテゴリーの中では『やりすぎ』の中に入っていて、あまり思い出したくない。



「その話しの中で、自衛隊の少年工科学校が出てくるんだって?」

「はい、もう一人の主役の男の子が、それで自衛隊に入ろうと思っちゃうんです」

「で、やっこさん、その主役になっちまった」

「え……?」



 たむろしていた鳩たちが、なにかに驚いたのか、予感したのか、慌てて飛び立っていった。



「忠友のやつ、その少年工科学校に入りたいって言い出しちゃってよ。もっともあれは平成二十二年に改編されちまって、高等少年工科学校って言うんだけどよ。本書いた先生のちょっとした認識不足なんだろうけど、芝居ってのは恐ろしいもんだ。その認識不足や反戦なんてカビの生えたテーマでも、反面教師になっちまって。やっこさんの頭に残っちまった」



 風向きが変わってきたのか、凧が大きく揺れている。



「あいつは、良い物をもってるよ。気長に良い風が吹いてくるのを待ってりゃ……ありゃりゃ……」



 凧の糸が切れちゃったんだろう。凧はクルクル回りながらあさっての方角に飛んでいってしまった。


 二人で口を開けて、それを見ていたら、やがて、その風がここまで吹いてきた。



 わたしはジーパンだったけど、前を歩いていたオネエサンのスカートが派手にひらめいた。



 すかさず薮先生はそれをご鑑賞になられました。



 日本のクタバリゾコ……お年寄りはお元気なものであります。


 その、クタバリゾコ……お年寄りたちは、これからのわたしたちに少なからずの影響をもたらすのでありました。


 風が止むと、ポカポカとした陽よりになりました。


 まるで気まぐれなわたしたちの心のように。波瀾万丈な一年を予感させるように。


 とりあえず、元日は、四捨五入して、目出度く迎えることができました。

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