1.拾いもの

「もう最悪」


 ぽつりと呟いて、僕は身体を起こす。

 頭は重いし、身体がだるい。夢見が悪い時はいつもこうだ。


 ギシギシとうるさいベッドから下りて背筋を伸ばす。ついでに軽くストレッチをした。


 うん、さっきよりはマシになってきた。


「さて、と」


 朝起きてからの日課は、家の中の点検だ。慎重に歩き回りながら、壊れている箇所がないかチェックする。


 と言うのも、侵入者に備えて罠を設置してから寝るからだ。

 罠に侵入者がかかっていたなら良し。罠が昨日となんら変わりなければ、さらに良しだ。


「うん、大丈夫だね。さすがに昨日何人か叩きのめして追い出したし、しばらく来ないだろ」


 かなり物騒な発言だと自分でも思う。

 けれど、仕方ないんだ。ここは守りの兵士で固められたノーザン王国の城などではない。


 海の向こうの大陸にあるイージス帝国。その大国の中にあるスラム街なのだから。






 僕の名前はノア。セカンドネームはあるけどもう捨ててしまった。この先名乗るつもりもない。

 ノーザン王国の元王子で、今は絶賛家出中の身だ。

 なぜ元王子って名乗るかと言うと、理由は簡単。僕はすでに王子という身分ではないから。


 僕の父親はノーザンの国王だった。

 そう、すでに過去の話だ。五年ほど前に政変が起きて父は殺された。


 殺したのは現国王の席に座っている吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマ。夢に出てきた白い髪の魔族ジェマ、カミル=シャドール。


 カミルは変わり者の部類に入るクーデターの主犯だ。

 普通政変が起きたら前王統の血族は根絶やしするものなのに、カミルはそうしなかった。僕を始め妹や弟達を城に招き入れてくれた。真意が分からない。僕達の誰かが復讐して命を狙いに来るとか考えないのかな。

 挙げ句の果てには「大人になるまで面倒を見てやる」と言い出す始末。何を考えているのか。


 まあ、でも。……カミルのことは恨んでない。


 父親はいつも正気ではなかったし、僕は大嫌いだった。カミルが殺さなきゃ、僕が殺していたかもしれない。

 だから、いなくなった今も父親に対する感情は何もない。いなくなってしまっても、悲しくもないし、嬉しくもない。心は何も動かなかった。


 けれど。


「これは、どうしたものか」


 手元にある一通の手紙。昨日の夜に届いたものだ。差出人は僕の後見人、カミル=シャドール。

 中身は短い一文のみ。


 

 「食事はきちんと摂っているのか」

 


 たしか、昨日は「元気でやっているのか」だったっけ。

 その一昨日はお金が少し同封されていた。


 家出してからというもの、カミルは毎日手紙を送ってくる。内容は多いものではない。


「僕に、これどうしろって言うの」


 手紙なんて貴族が開く舞踏会の招待状くらいしかもらったことがない。もちろん両親と手紙のやり取りなんてなかった。しかも毎日届く。別にうっとうしいとか思わないけど。


 胸にあるのは、どこかがこそばゆくなるような感情。うれしくないわけじゃない。でも、自分の中でどう処理したものか分からない。


 昨日食べたものは何だっけ。パンとミルクかな。同封してくれたお金で買ったんだ。スラムの市場だから高かったけど。


「ちゃんと食べてる。昨日はパンとミルクを食べた……っと」


 これでよし。

 便箋や封筒はそんなにキレイじゃないけど、まあ大丈夫だろう。便箋を丁寧に折りたたんで、机の引き出しから取り出した封筒に入れる。魔法語ルーンを唱えると、封筒が白い小鳥の姿に変化した。小鳥は開けてあった小窓から外へ、パタパタと羽ばたいて旅立っていく。

 風便りウインドメールというこの風魔法はこうして手紙を相手に届けてくれる魔法だ。とても便利なんだけど、手紙の返事を書くだなんて初めての経験だったから使ったのは初めてだ。


 僕の生まれ故郷は海の向こうだし、届くには二日くらいかかるだろう。


「さて、と。出かけるか」


 机の上に出していた便箋を引き出しにしまってから、僕は椅子から立ち上がった。



 * * *

 

 

 スラムはゴミ溜めみたいな街だ。

 飢えた大人や子どもみんなが押し込められていて、盗みや殺しを働きながら生きている。着ている服はボロボロの布切れ。立派に仕立てられた服を着ているヤツは、大抵腕に覚えのある実力者だ。


「うわっ、風刃だ。風刃のノアだぞッ」


 囁くような声はしっかり僕の耳に届いている。


 僕の名前は確かにノアだけど〝風刃〟だなんて名乗った覚えは一度たりともない。

 そういえば最初に帝国のスラムに来たばかりの時、襲ってきたやつらを何人か返り討ちにしたっけ。その時に風魔法で撃退したから変なあだ名が付いたんだろうか。


 まあ、どうでもいいや。


 スラムの通りは昼間なのに薄暗い。

 鈍い光を閉じこめた目で客を見聞する露店を開いている人とか、いびつなクッキーをいっぱいカゴにつめて客寄せする子どもとか。賑わっているけど、みんな元気がない。


 そしてメインストリートを見る限り、住民は魔族ジェマしかいない。


 この事実が何を物語っているのか、分からないほど僕は恵まれて育ってきたわけじゃない。いや、実際王子だったんだけどさ。


 食人習慣。

 帝国の魔族達は他種族を喰らうことで有名だ。その事実は遠い僕の故郷にまで噂として届いている。


「行き倒れだぞ!」


 誰かの声が耳に届く。ふと興味を覚えて、僕は足を運んだ。

 耳をすます。


「飢えてんのか? 魔族ジェマだな」

「飢えてるって言うか、死にかけなんじゃねえの?」

「コイツ、口んとこに牙があるぜ。爪もトンがってる!」

「ってぇことは、なんだ。コイツ、吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマか!?」


 適当に聞き流すつもりだった住民たちの言葉を聞いて、すぐにカミルの顔が思い浮かんだ。別れる時にはため息をついていて、今では毎日手紙を送ってくる僕の後見人。


 飢えているでもなく死にかけで、スラムの通りで行き倒れているなんて。強い魔力を持つ吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマがなぜそんな状況に陥っているのか、答えはひとつだ。

 吸血により魔族ジェマに変えられたばかりで、しかも何の手当てや看護もされないまま捨てられたのだろう。ゴミ溜めみたいな街の、このスラムに。


 ああ、イライラする。

 どこの誰だか分からないけど、勘違いしているんじゃない? ひとはゴミなんかじゃないし、スラム街だって不要なものを捨てるゴミ箱じゃない。


 野次馬みたいな人だかりを押しのけて、気がつくと僕は人混みの中に入っていた。


 人をかき分けて一番前の列に出る。


 すぐ目に入ったのは倒れている青年の姿。子どもじゃなくて良かった。見たところは僕とあまり変わらない年頃みたい。十代後半といったところか。ただ、意外と身長はある。たぶん僕より高い。


 運べるかな。

 そう考え始めている僕がいる。助けたい、と心がすでに動いていた。


「どいてくれない?」


 倒れている彼に群がっているスラムの子ども達をひと睨みすると、すぐに下がっていった。


 固唾を飲むような顔で見守られる。なんかやりにくいんだけど。


 彼のそばでしゃがみこみ、抱き上げる。仰向けに倒れてたから必然お姫様抱っこになっちゃったけど、まあ本人分かんないし問題ないだろう。

 振り返ると、信じられないといった顔の大人や子供達が見えた。


「もしかして助けるつもりなのか」

「やめとけよ。弱っているうちに息の根を止めるべきだろ。吸血鬼なんて」


 口々に囁くそんな言葉を無視して、僕は薄い笑みを浮かべた。

 そして魔法語ルーンを唱える。【瞬間移動テレポート】の魔法は問題なく発動し、一瞬のうちに僕は寝ぐらにしている建物にまで移動していた。


「拾っちゃった。どうしよ」


 腕の中には、死にかけの魔族ジェマ。彼の体温はたしかに感じるけど、冷えている気がする。衰弱してる状態なんだろうか。


 しまった、僕はそういえば医者じゃなかった。

 吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマに変えられたばかりの人をどう介助したらいいか分からない。衝動に任せて思わず連れて来てしまったけど。


 さて、どうしようか。


「うぅ……」


 唸り声と、腕の中で身じろぎする彼。眉を寄せていて、なんだか苦しそうだ。


 どこか痛かったりするのだろうか。それとも食べ物を与えた方がいいのか。弱ってるならあたたかい毛布とか必要だろうし。


 しばらくぐるぐると頭の中で考えたけどまとまらない。

 誰かを助けるって、知識が伴わないと何の意味もないんだなあ。


「……とりあえず、ベッドで休ませるか」


 結論を下して、さっさと寝ぐらに入る。


 外に突っ立ってたって危険なだけだ。建物の中なら、彼も安心するだろう。

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